第四話 白の少女
『再生』
・死んだら無傷で生き返る異能。
・発動タイミングは、残留思念からの指示で操作可能。
・同じく残留思念からの指示で、どこから『再生』するか選択可能。
・死んだ直後の肉体からしか『再生』できない。よって、事前に一部肉体を切り離しておいて疑似転移、は不可能。
『最適化』
『行動の最適化』
・鋭い頭痛が走り、勝手に体が動く。
・才能を極限まで突き詰め、肉体の限界を超えた実力を発揮させる。
『状態の最適化』
・鈍い頭痛で、肉体の状態を引き上げる。
・どのような行動をすればいいのか、なんとなくわかるようになる。
・知らない知識が、なんとなくわかるようになる。
広場から離れて数秒後、ミコトは溜息とともに呟いた。
「…………ここ、どこやねん?」
近くにいた、比較的大人しそうなチンピラに尋ねる。
どうやらここは、王都下層の北北西あたりらしい。つまり北区だ。
「あのインチキ占いロリババア……今度会ったら頭ぐりぐりの刑に処してやる」
そしてラウスの奴は八つ裂きにしてやる。
心中で沸々と湧き上がる怒りを抑えて、ミコトは歩む。
道のりはそこらにいたチンピラに尋ねたので、頭に入っている。
五人に尋ね、そのうち三人が同じ回答をしたので、おそらく間違いないだろう。
ちなみに誤答したチンピラは、礼として金を寄越せと言ってきたので、確信的な誤答かを確かめた上で叩きのめした。
予想外だったのは、チンピラたちが思っていたより、ずっと弱かったことだ。ジェイドぐらいを想定していたので、拍子抜けとともに安堵したものだ。
フリージスの言では、『再生』や『最適化』を使わないミコトの実力は、戦闘者として低いほうだと聞いていたのだが。基準が高すぎたのか……いや、慢心は駄目だな。
「んじゃ、帰るか」
本当、散々な散歩になったものだ。
奴隷市場でのやり取りを思い出す。
本当に、信じられない出来事だらけだった。人間があのような扱いを受けているなど、認められなかった。
知識の上では、奴隷は酷い扱いを受けるものだというのはわかっていた。
日本でオタク知識を吸収していた頃、小説などで奴隷の描写があったときは、もっと違った感想を持っていた。
可愛そうだと同情し、奴隷の主人に憤りを抱いた裏で……主人公が綺麗に解決するとわかっていたから、ワクワクしていた節があった。
このシェオルという世界を現実として見ようと決意したのに、奴隷という存在をフィクション上のものでしか捉えられなかった。
甘い見方だった。現実の過酷さを突き付けられた。
ラカという少女と、オーデという壮年が頭に浮かぶ。
助けようとすれば、助けられただろう。フリージスに頼めば金を借りられただろうし、力ずくで解放することも、異能を駆使すれば可能だっただろう。
そうしなかったのは、その他の奴隷を見たときだ。
救いを期待しない光のない目で、ぼうっとラカとミコトのやり取りを眺めていた彼らを見たとき、全員を助けることなど不可能だと悟った。
そして、そんな彼らの前で、たった二人を救っておさらば、なんて残酷な仕打ちはできなかった。
そもそも救ったところで、ラカとオーデはどうすればいい。
フリージスに頼み込んで、仲間にしてもらう? 金を借りた上でそんな身勝手なことはできない。だいたいミコトは、一方的に施しを受けている立場なのだ。
フリージスが拘っているのはサーシャで、それも善意のみでないことは明らかだ。
仲間は助け合う存在だ。一方的に寄りかかってしまうと、フリージスに見捨てられるかもれない、という不安があった。
ならばと、解放したらハイさよなら――ともできない。
ミコトにとってここが見知らぬ地であるように、ラカやオーデにとっても、ここは見知らぬ地であるのだ。
それは、放り出されるのを怖がっているミコトが、一番取ってはいけない無責任な選択肢だ。
救ったからには、責任を持って接さなければならない。
その自信が、ミコトには足りなかった。多大な不利益を被ってまで他人に肩入れなど、できるはずがない。
そもそも、たとえばもし一時の義憤に駆られ、檻の中にいた全員を助けたとする。
けれど、この世界で理不尽な扱いを受けているのは、何も彼らだけではない。ならばこの先、ミコトは行く先々で、そんな悲劇の者たちを救うのか?
そんなことは不可能だ。ミコトの手はちっぽけで、全部を拾うことなどできはしない。
「…………」
全部、言い訳だった。
言い訳を重ね、それでも自身の善意を主張する。善意だけ抱いて、善行はしない。
そんなの偽善以下だ。それならば、可能なだけ行動するほうが、よっぽど善だというのに。
昔読んだ小説を思い出した。
浮浪児に金をスられた主人公が、気付いていながら見逃すシーン。
『目に見える人だけでも救いたい』――そう言った主人公に、ミコトは強い憧れを抱いたのだ。
けれど人によっては、悪行を見逃す偽善だと言う。今見逃しても、いつか死ぬから無意味だと言う。
どうして主人公の優しさがわからないのだと、ミコトは批判者を低能と断じて見下していた。
――今の自分は、その批判者とは違うと、自信を持って言えるだろうか。
「俺は……なんにも、変わっちゃいないな。弱いまんまだ」
右手を握りしめた。痛い、な。
ミコトは深い溜息をこぼし、項垂れて――胸に衝撃。
「おわぁ!?」「きゃっ!?」
ミコトの驚きと誰かの悲鳴が、同時に上がった。誰かにぶつかったのだと、ミコトが理解するのは早かった。
体重の関係で、相手が吹き飛ばされる形になったらしい。背中から倒れていく人物、後頭部をぶつけると危険だ。
ミコトは咄嗟にその人物の手を掴み取り、引き上げて自身の胸に抱いて支える。
人肌の温もりと、柔らかな感触に、甘い香り。おまけに腹部辺りに、柔らかに形を変える二つの膨らみ――
「へぁっ!?」
まさかという驚愕で、ミコトすぐさま跳び下がる。先ほど抱きかかえた人物の顔を確認する。
ミコトより少し低い、レイラと同じくらいの身長。目線を少し下に下げれば、その人物の全貌が視界に映った。
『歳当て』によれば、一五歳か。
病的なまでに白い肌。折れてしまいそうに感じる華奢な体。その身を包み込むのは、喪服を白くしたような服装だ。
純白の髪は腰より長く、路地裏を通り抜ける風によって、美しくなびく。
とにかく『白』を突き詰めた人物だった。
艶やかな唇の赤と、涙に潤んだ瞳の青を除けば、本当に白一色で構成された少女だった。
「ご、ごごごっごごっごごめんなさいぃ!?」
『最適化』を使った、本気の神速土下座を発動。
膝を地に打ち付けた鈍痛もなんのその。それよかセクハラ罪のほうが恐ろしい。妙なラッキースケベは天敵だ。
さて、その被害者である少女の反応は、
「あな、たは……」
震えた少女の声に、ミコトも肩を恐怖で震わせる。それが怒りによるものだと……勘違いした。
そう、土下座していたミコトは気付けなかった。
少女の浮かべた表情が、驚愕と呆然。そして、隠しきれない歓喜であることに。
「いいや。いやいや、いいやぁ。別に僕は気にしていないんだけれども……。ねえ、お兄さん? 頭を上げて、顔をよく見せてくれないかな」
ミコトは戦慄する。
これは容姿の確認か? 逃げられたとき、騎士の詰所で指名手配でもするのだろうか。
なにそれ怖い。
「いやいやいや。別にボク、お兄さんを詰所に突き出す気はないから、安心してくれないかな」
心を読んだかのような少女のセリフに、ミコトは顔を強張らせた。この子、洞察力が半端じゃない。
だが、通報はしないと言ってくれているのだ。ここで顔を上げないほうが失礼というものだ。
ミコトは恐る恐る顔を上げた。
「――――」
ミコトが顔を上げたときには、少女の表情に歓喜は消えていて、違和感を覚えることはなかった。
じっくりと舐め回すような視線を向けられ、ミコトは居心地の悪さを覚えた。
やはり、突き出すのか。豚箱送りなのか。
逃げようか。いや、人の胸に触れておいて、そんな不誠実なことができるわけがない。
誠心誠意謝るのだ。さすればきっと見逃してくれる――ッ!
「ごめんなさいぃ!」
「ああ、ああ、うん。土下座はいらないんだよね」
「謝って済むなら警察いらねえんだよ展開!?」
「うーん。お兄さん、愉快と面倒が紙一重な人だね、ほんと。もちろん、ボクは好ましいと思うんだけれどもね」
少女の会話は無意識か意図してか、掴みづらいものであった。
自身も含めてだが、論点から外れたままだ。軌道修正の一歩もわからない。
「えっと……」
気まずくなったミコトは、ふと周囲に転がっているものに気付いた。
地面に転がっている、数個の物体。それはリンゴであった。
先ほどまではなかったはずだ。
少女の横には、紙袋が地に落ちている。
ということは、これは少女が所持していたもので、ぶつかった拍子に取り落としてしまったのだろう。
ミコトはリンゴを袋に詰め込み、少女へと手渡す。
「はい、これ。地面に落ちたのが嫌だっていうんなら、買い直すけど。いえ、買い直させていただきます」
「いえいえ、いいえ。そこまで気にする必要はないよ。……けれども、そうだなぁ――そこのレストランで奢ってくれると、嬉しいな?」
「……そんなんでいいの? いいんですか?」
「いいのいいの。お兄さんは気にしすぎだと思うんだ、ボク」
「……とりあえず、許してもらったということでファイナルアンサー?」
「ふぁいなるあんさぁ? ……うんまあ、許したよ、うん」
なんとか許してもらえたらしい。その決め手がなんだったのかは不明だが。というか、本当に最初から怒ってなどいなかったのだろう。
そんなこんなで、ミコトは少女に連れられてレストランに向かった。
◇
少女の頼んだものは、奢れと言ったわりには、コーヒーが一杯だけであった。
ミコトも同様にコーヒーを頼む。苦いのは苦手なので、ミルクと砂糖を大量投入投入。
レストランの内装は、湿って暗い印象を受ける。荒くれ者っぽい見た目の客もいた。
下層の北区寄りだから、風紀が悪いのも当たり前か。
「で、本当にこんなのでいいわけ?」
「こんなの……というと、何かな?」
「いや、コーヒーたったの一杯で満足してくれんのかな、と」
「ああ、うん。別にボクは何か食べたかったわけでもないしね。どちらかというと、そう――デートがしたかった」
『デート』。
その単語にミコトは、口に含んだコーヒーを吹き出してしまわないよう、必死に我慢するのが精一杯になる。
迂遠な言い回しをやめれば、噴き出しかけた。
「げぇほげえほっ! ……いきなり何を、げぇふっ、言ってんだ、っふぅ!」
「初心な反応なのに空気ぶち壊しになってしまうのは、なんでなんだろうねぇ」
「最初からンな空気はねえ!」
危うく鼻から吹き出してしまうところだった。
小学生時代、給食で悠真と『鼻から牛~乳~』を仕掛け合っていた記憶が思い出された。
「まあ、デートのくだりは三割冗談として……、……」
「……なんだよその妙な間は? もう突っ込まねえぞ」
「突っ込むだなんて、やらしいお人だこと」
「続きを話して、ドウゾ」
「連れないなぁ、お兄さん」
うふふふふ、と微笑む少女に、ミコトは内心で溜息をこぼした。
のらりくらりとした話し方は、一五歳とはとても思えず、ミコトは翻弄されるばかりだ。
「ではではでは、本当のココロを言いましょう。……少し、ボクと話してくれないかな?」
「話す?」
「そうそうそう、なんでもいいんだ。ボクはお兄さんと話してみたい、それだけなんだよ」
ミコトの訝しげな視線に、少女は笑みを深めるのみで、内心を掴み取らせない。
もともと人の感情に疎いところがあるミコトだ。一見して洞察できる要素がなければ、相手の真意を見抜くことは非常に困難であった。
もっとも、今は緊急事態というわけでもない。
それにどうしてか、この少女は信用できる気がした。
「んー……正直、何を話していいのか、さっぱりだ。バルキスの定理について……おっと」
悩んでいたところ、煙草の煙がこちらに漂ってきて、ミコトは下手糞な風魔術で送り返そうとする。
手振りも交えて四苦八苦していたところ、別の風が煙を吹き飛ばした。魔術の発動――魔力の発露が感じたのは、ミコトの目の前の人物からだ。
「魔術、得意なんだな」
「まあ、それはねえ。なんたって、ボクは天才だから」
自分で言うか、とミコトは思わず呆れる。
だが、少なくとも風魔術に関しては明らかにミコトより上なので、否定できない。
「やっぱり青眼の奴って、魔術が上手いんだな」
思考のままに紡いだ呟きであったが、それを聞いた少女の眉根が、一瞬だけ寄せられた。
「……まあ、ね」
「どしたその反応?」
少女は憂鬱そうに溜め息をこぼした。
「この体の魔力資質が高いのは確かだけれども……実はボク、魔力制御が苦手でね」
「魔力資質が高けりゃ、自然と制御が上手くなるんじゃねえの?」
「だいたいの人間はそうだけど、中には違う人もいる。筋力はあるのに運動神経がない、みたいな感じかな」
少女の言葉に、ミコトは目を瞬いた。
そういう話は初めて聞いた。そう少女に伝えてみる。少女曰く、このような勘違いをしている者は多いらしい。
少女は「そもそも……」と続ける。
「青眼の全員が全員、魔力制御に優れるわけじゃない。それに青眼じゃない人の中にも、魔力資質が高い人がいる。眼による判断は、目安みたいなものなんだ」
なるほど、とミコトは内心思う。
ミコトは魔力資質が高い。それはアルフェリア最強の魔術師であるフリージスのお墨付きだ。
だが、瞳の色は黒。異世界人ゆえかと思っていたが、違うのかもしれない。
「君は、どうして青眼になるか……知っているかな?」
「いや。なんか理屈があんのか?」
少女は愉しそうに、うんうんと頷いた。説明好きなのかもしれない。
「それじゃあまずは、魔力資質が高いとされる人間の特徴から説明しようか。魔力精製率が高いこと、魔力を体内に多く溜め込めること、魔力制御能力が優れていること、この三つ。今大事なのは、魔力をどれだけ溜め込めるか、って部分」
「いいね?」と教師のように念を押す少女に、ミコトも頷いた。実際に理解できる内容だった。
「少量溜め込んだだけでは意味がない。多量の魔力が体内にあっても、肌に現れるほど強くはない。だけれどしかし、魔力によって一カ所だけ、変化する部位がある」
ここまで言われると、ミコトにも理解できた。
「そんで、眼が青くなる……ってことだよな?」
「その通り。まさに正解だよ」
パチパチパチ、と閑散な拍手が響いて、ミコトは「どーも、ありがとー。ありがとー!」と返した。
へらへら笑いながら、ミコトは思う。
魔力の色に、瞳は染まる。
だとしたら……あの少女の眼は……、
(そういえば、『操魔』で操られたマナを見たことはあっても、オドはねえな……)
ミコトが思考を巡らせていたときだ。
目の前に座っていた少女が、わざとらしく咳をした。
「ゴホン! ねえねえお兄さん。今、ほかの女のことを考えたよね」
「え? よくわかったな。エスパーか」
「……否定しない、か。ふーん、そう。わかった、わかったよ」
突然不機嫌になった少女。わけがわからない。
しばらくミコトが呆然としていると、少女は席を立ちあがった。
「お兄さんは初心なのか、枯れているのか、鈍感なのか。はてさて、なんにしろ、攻略難易度が高ーい高い。一度落しちゃえば、一途っぽいんだけどなぁ」
「なんの話かわかんないのに、すごい寒気!?」
「ふふふふふ。愉しかったよ、ミコトお兄さん。ボクの名前はシェルアだよ。またいつかお会いしましょう。ではではでは、さようなら」
少女――シェルアは、困惑するミコトの前から去って行った。
話がしたいと言っていたのに、説明するだけして去ってしまった。
「っていうか、何気に自己紹介すんの忘れてたなぁ。大抵いっつも、出合い頭に名乗るのに。おっかしいなぁ」
疑問を覚えながらも、ミコトはウェイターを呼んで会計する。
ちなみに、この店はぼったくり店で、シェルアが頼んだコーヒーはこの店でも一番値打ちのコーヒーだったらしく、銀貨を払うまでに及んだ。
ちくしょーと唸りながら店を出て、ふとミコトは思った。
「あれ、自己紹介してない、よな? ――なんでシェルアの奴、俺の名前を知ってたんだ」
前に会ったことがあったのか、それとも記憶にないだけで名乗っていたのか。
しばらく悩んでいたが、ミコトはその思考を放棄した。まあ別にいいか、と。
「ま、気分転換にはなったさ。さて、帰るっかなー」
と言って、空を仰いだ次のことであった。
目の前の曲がり角から、突然人が飛び出して突進してきたのだ。
「げぼぁ!?」
腹部に強烈な衝撃。
頭に紙袋を被った、何者かの突進。
ミコトは何者かと一緒になって転倒したのであった。