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第一話 頭髪談義

 王都アルフォード。

 アルフェリア王国の中央に位置する、最も重要な都市だ。


 アルフェリア王国は大国である。その国の首都なのだから、ここは世界的な規模で見ても、最も強大なのは明らかだ。

 おまけにこの地は、地下からは魔力が湧き出ている。いわゆる霊地であった。


 王都はアルフェリア王国の、東西南北の特徴の集約している。

 霊地であることを活かした魔鉱石の採掘に、魔道技術の推進。

 西から輸入出する際、ここは最大の取引相手で、地方への中継地点でもある。

 多くの技術者や種族が、自分たちの特技や特性を活かした仕事をするここでは、日々発展が絶えない。


 そんな王都アルフォードについて、フリージスによる資料片手の説明があった。


 構造だが、王都は一番外側の外壁――新城壁のほかに、二つの城壁によって三つの層に別けられている。

 まず、都城壁の内側である上層。貴族が住まう。

 次に、旧城壁の内側である中層。比較的に富裕層が住まう。

 最後、新城壁の内側である下層。庶民が住まう。


 どうしてこのような構造になったのかと言うと、ずっと大昔の歴史が関係してくる。

 千年以上前、まだ旧世歴だった時代の話。この地を人々が求めたために、幾多の争いが起きた。

 勝ち取っても、いや勝ち取ったからこそ、争いの日々は続く。それを防ぐために建てられたのが、新世歴九九五年現在において都城壁と呼ばれている防御壁だった。


 無属性魔術師であった初代アルフェリア王国国王――アルカディア・アルフェリアは、都城壁に自身の魔術を掛けた。

 不朽魔術『アンヴィーク』。掛けた対象が、絶対に壊れなくなる魔術。そのおかげで、侵攻は無理だと判断した他国が引き下がった。


 魔王が誕生したのは、その直後だ。

 荒れる世界。蔓延る魔族、魔獣、魔物。世界は一気に落ち込んだ。

 しかしアルフェリア王国には、勇者たちがいた。彼らの助けによって、アルフェリア王国の被害はほとんど出なかった。


 やがて魔王が討たれ、世界に平和が訪れる。アルフェリア王国はすぐに復興したが、他国は遅れていた。

 その隙をついて、王都を拡張する。そのときに建てられたのが、現在において旧城壁と呼ばれる城壁である。


 それから数百年の時が過ぎ、王都の中も満杯が近付く。

 このままでは溢れ出て、行く場所なく彷徨う人々が出てきてしまう。そう考えた王は、新城壁を建造した。

 土地が増え、人々はさらに集約し、街並みは広がり続けて、空白の土地は埋められていく……。


 ――というのが、今の王都アルフォードになった経緯である。






 ミコトたちが入ったのは、東西南北に四つある出入り門の内の、西――新西門という、新城壁の城門だ。

 馬車は未開発地を進んでいく。基本的に平原だが、周辺にぽつぽつと建物や、開拓工事の風景が散見される。


 馬車の進行方向を見ると、視線のずっと先で、人々の賑わいがあった。

 しばらくして、喧噪に飲み込まれることとなる。そこは数多くの屋台が並んでいて、呼び掛けの声が飛び交っていた。


 あまりの人の多さにげんなりしそうになったので、ミコトは馬車の足場を上手く伝い、ドアを開けて中に入った。


「すっげぇな、こりゃあ。こんなところ歩いてたら人酔いしちまうぞ」


「そうだねー。あっ、あれ占い師かな。……なんか、変な魔力だなぁ」


 御者台で零した興奮気味なミコトの感想に、同じく好奇心を発揮したサーシャが、馬車の内部と御者台の間から喧噪を眺める。

 赤い瞳が見られないように、フードを目深に被っているので、とても見ずらそうだ。サングラスのようなものがあればいいのだが、この世界には色付き眼鏡のようなものはないらしい。


「占い師かぁ。俺の常識からすると一〇〇パーセントでインチキなんだけど、ここの常識じゃどうなわけ?」


「インチキよインチキ」


 ミコトの問いに返ってきたのは、憮然としたレイラの声だ。


「魔術みたいなファンタジーがあるのになぁ」


「魔術だって万能じゃない、未来予知なんかできないわ。時属性が発展すれば別だけど。一番可能性があるとすれば、無属性じゃない?」


 確かに特殊能力染みた無属性魔術ならば、未来予知ができたっておかしくない。

 と言っても、ミコトはリース以外の無属性魔術師を知らないので、詳しくはわからないが。


「どっちにしろそんな技能があるんなら、こんな市井で占い師なんかしないでしょうけど」


 レイラの答えに、ミコトは納得して頷いた。

 ところで無属性で思い出したんだけど、とミコトは尋ねる。


「不朽魔術『アンヴィーク』……だっけ? それってどんな無属性魔術なんだ?」


 千年前の歴史書で、勇者と同じくアルフェリア王国を守ったとされる、旧世歴の無属性魔術。

 気になって当然だった。


「千年前の文献はほとんど残っていないから、詳しいことは知らないが……」


 この質問に答えたのは、絶えず笑顔を浮かべるフリージスだ。


「なんでも、干渉系統の無属性魔術らしい。掛けられた物体は、魔術を発動している限り、絶対に壊れることがない。都城壁にはまだ加護が残っていて、傷が付いたことがなく真っ白なんだそうだ」


「へー、すげぇなぁ」


 そんな会話を続けている内にも、馬車はそんな喧噪溢れる大通りを、さながらモーゼが歩むがごとく人の海を割って進む。

 ミコトたちが目指しているのは中層だ。

 今回フリージスは、宿屋に泊まるつもりはないようだった。

 なんでも、王都にはエインルード家の別宅があるらしい。それで、泊めさせてもらうことになったのだ。


 上層に入るには、貴族の紋章か招待状、許可証など、身分を証明できるものが必要になる。

 だが中層に入るのなら、よほど怪しい格好をしていない限り不要だ……とのこと。


(っつーか……)


 近付いてきた旧城壁を視界に映して、ミコトは唸った。

 数百年が経ったからか、旧城壁は劣化が進んでいて、白い壁は汚れている。

 探せば抜け道がありそうで、身分証が不要なのも納得だ。そもそも、侵入者を拒む防御壁として機能していないのだから。


 警備の騎士はいたが、大した仕事はしていなさそうだ。

 そう思って眺めていると、彼らはミコトが自分たちを見ていることに気付いた。途端、ミコトのことを貴族と勘違いしたらしく、騎士たちはばたばたと仕事を始めた。


 勘違いの理由は、馬車に刻まれた紋章だと思われる。確かにこんな豪華な馬車に乗っていたら、貴族と勘違いされても仕方ない。

 中層に入ってから、ミコトはずっと疑問だったことを尋ねた。

 馬車の窓から腕を出し、側面をノックしながら、


「なあフリージス。この家紋って、なんか意味あんの?」


 エインルードの家紋は、奇妙な形をしていた。

 先端が大剣、細剣、刀、槍、斧、杖、矢の七つに分裂した武具が、地面に突き立てられている、といった紋章だ。

 貴族の家紋には詳しくないが、ずいぶんとユニークだ、というのがミコトの感想である。


「勇者に因んだ家紋だよ。僕の家は、勇者と関わりが深くてね」


「勇者……ねぇ。それって詳しくわかる?」


 二か月前、ガルム怪事件のときに襲い掛かってきた魔王教。その内の二人は、《浄火》の使徒、《虚心》の使徒と呼ばれていた。

《浄火》と《虚心》。それらは勇者の通り名であった。


「さてね。なにぶん千年前のことだから、資料がなくてさ」


 しかし、フリージスの肩を竦めて、首を横に振った。

 ミコトは元からあまり期待していなかったので、落胆しなかった。


 そうこう話している間に、エインルードの別宅である屋敷に到着した。

 まさしく貴族のお屋敷といった西洋風の建物だ。窓の配置からして三階建てと思われる。

 敷地は広く、綺麗な庭と噴水があった。


 使用人らしい人物が十数名玄関前に並んでいた。馬車が到着すると、老執事が扉を開けた。

 御者台のリースを含め、全員が馬車を降り始める。


 リースが使用人の一人に、何事か指示した。

 使用人は静かに了承すると御者台に乗り、どこかへ去っていった。おそらく車庫に収納しに行ったのだろう。


「お帰りなさいませ、お坊ちゃま」


「うん、ただいま」


 まさかフリージスが『お坊ちゃま』などと呼ばれているとは知らず、ミコトは吹き出しそうになった。

 当の本人に恥ずかしがる素振りなどなかったが。


「こちらの方々は?」


 老執事はミコトたちを見やって尋ねる。

 その視線が一瞬サーシャに固定されたが、まあ当然か。フードを被って、顔もよく見えないのだから。


「手紙で知らせた通りだ。サーシャくん、レイラくん、グランに、ミコトくんだ。持て成し、頼むよ」


「そうでありましたか、かしこまりました。最上のお持て成しをしましょう」


「うん」


 フリージスの後に続いて、屋敷の中に入る。

 見た目相応に中身も豪華だった。エントランスは吹き抜けで、シャンデリアが美しく輝く。


 客室は二階に、それぞれ一人ずつ用意されていた。

 窓の淵を触ってみるが、まったく埃がない。ベッドもふかふかで、地球の自室にあるものより低反発だ。

 全体的に、自室よりも綺麗である。


 ふと、壁に取り付けらえた鏡に目が行く。

 人の全身を写せるほどの姿見だ。一室にこのような大きな鏡があるとは、本当にリッチである。


 ミコトは鏡に歩み寄り、自身の姿を確認する。

 動きやすさを重視した白黒の衣服。隙間から覗く、筋トレによって肉付きがよくなってきた肢体。

 中世的な顔立ちに、黒い瞳。髪の毛――


「…………んっ?」


 よく見てみる。凝視する。自身の髪を。

 記憶の中の己を思い出し、比較する。そして気付く。気付いてしまった。


「白髪、増えてるぅぅぅぅううううううううううううう!?」


 絶叫し、大げさに倒れ込んだ。「あばばばば」と体を痙攣する。

 直後、扉がノックされた。


「昼食のご用意ができました。……どうされましたか?」


 恥ずかしくなって、「別になんでもないです」とミコトはのっそりと立ち上がり、扉を開けた。外では使用人が待っていた。

 ミコトは気分を落としながら、使用人の案内に従い、食堂に向かった。


 食堂に入って、ミコトの表情が固まった。

 食堂は広く、特に縦に長い。置かれたテーブルは一〇メートルを超え、イスは二〇人分はある。

 漫画でよくある貴族の食卓、と言えばわかりやすいだろうか。そんなに人座らねえだろ、とぼやく。


 サーシャたちは、すでに席に付いていた。ミコトが最後らしい。

 驚いたのは、サーシャがフードを取っていて、赤い瞳が丸見えになっていたことだ。


「サーシャ、いいのか?」


 そのセリフだけで、ミコトが何を言いたいのか察したのだろう。

 サーシャは嬉しそうな笑みを浮かべ、


「わたしのこと、みんな知ってて……だから、フードはいらないんだって!」


 赤い瞳を知られていても、認められている。そのことがサーシャには嬉しいのだ。

 ミコトもほっと安堵の溜息をこぼした。


 みんな上座寄りに密集して座っていたので、ミコトも席に着く。使用人たちが壁のそばに待機しているので、少し居心地が悪い。

 ふと、フリージスの横の席に着いているリースを見る。別に文句はないが、彼女はメイドである。ほかの使用人のように、待機していなくともよいのだろうか。


「リースは普通の使用人とは違っていてね。もともと使用人を使うべき立場で、メイドになったのは彼女の希望なのさ」


 ミコトの困惑の視線と、その意味に気付いたフリージスが答えた。


「使うべき立場っていうと、もしかして貴族なのか?」


「違う」


 ミコトの問いに、フリージスは一言だけで返した。それから先を話す気配はない。

 ミコトが言葉に詰まったそのとき、食堂に誰かが入ってきた。


 金髪と青い瞳の壮年だ。

 フリージスが優雅に立ち上がり、一礼する。


「父上、お久しぶりです」


 壮年は重々しく頷いてフリージスに着席を促すと、一番の上座に座った。

 俗な言い方をすれば、お誕生日席だ。


「よくぞ来た。愚生はヴィストーク・G・エインルード。エインルードの当主である」


 壮年――ヴィストークはそう名乗った。

 先ほどのフリージスの発言と、ミコトの『歳当て』による四〇過ぎという情報を考えると、


「もしかして、フリージスの親父さん?」


 ミコトがぽつりと呟くと、ヴィストークにギロリと鋭い眼差しを向けられた。


「そうだが……貴様は?」


「……ミコト、だけど」


 名乗ると、ヴィストークの眼差しが一段と鋭いものと化した。


(なんだ、この人は?)


 初対面のはずだが、なぜそんな目で見られるのだろう。ミコトにはまったく心当たりがない。

 困惑するミコトからヴィストークは目を逸らし、次に目を付けたのはサーシャだった。


 しかし、今度はミコトに向ける敵愾心とは違う。同情するような、罪悪感を抱いているような、しかし決意を秘めた表情だ。

 サーシャは心当たりがないのか、隣のレイラに視線を向けた。しかしレイラも心当たりがないらしく、首を横に振る。


「……まあ、よい。王都滞在中は、ここで泊まっていけ」


 ヴィストークは目を閉じて手を組み、神に祈りを捧げ始めた。初めて見聞きする詩だ。


「――創造神シェオロードよ。天の眼を以て、我らに使命を与えたまえ」


 わけがわからない、動作の一つ一つがいちいち重々し人だ、とミコトは思った。

 詩が終わると、それきり一切話さなくなり、運ばれてた昼食を食べ始めた。

 フリージスが食べ始めたのを皮切りに、ミコトたちも食事に手を付け始めた。






 昼食は終わり、食器は使用人が下げてくれた。

 ヴィストークは食べ終わるなり席を立ち、食堂から出て行った。フリージスとリースもヴィストークに付いて行ってしまったので、食堂に残っているのはミコト、サーシャ、レイラ、グランと、使用人が数人だけだ。


「貴族の食事ってのも、けっこう美味いもんだな」


 ミコトの独り言の内容をどう捉えたのか、シスコンが鼻で笑った。


「馬鹿ね。サーシャが高級食材を使えば、本当に頬が落ちるくらい美味しいものを作るわよ」


「物理的人体乖離、怖い」


 本当に頬が落ちる料理とか、強力な毒でも入れているのだろうか、怖すぎる。

 レイラの横に座るサーシャは、何やら顎に手を添えて真剣そうな表情だ。


「うん、本当に美味しかった。スープの隠し味は……ガンクサかな?」


「どうしてサーシャは一回食べただけで隠し味を見抜けるんだ。隠せてねえじゃん」


 少なくともミコトには、隠し味などまったくわからなかった。

 ミコトがツッコミを入れたが、サーシャが気付く様子はなく、どうにかして自分の料理に活かせないかと思案していた。

 独り言で、ぶつぶつと念仏のようにレシピを唱えるサーシャの姿は、美貌も相まって毒鍋を煮る魔女のように妖しい。


 ちなみにガンクサとは苦味が強く、料理の横によく添えられる野菜だ。パセリ味のキュウリみたいなものだ。


「…………」


「で、グランはどうしたんだ?」


 横で難しい顔をして唸っていたグランに、ミコトは尋ねた。

 昼食を口に付けてから、ずっとこんな調子だ。


「この味、どこかで……隠し味がガンクサ……、まさか……!?」


「ようやく気付いたか、グラン坊」


 グランが何かに気付いた直後に、男の声がした。

 ミコトが向いた先にいたのは、白い調理服を着た壮年だった。


 恰好はコックだが、いくつも付けられた傷跡と厳つい顔付きからして、明らか堅気の人間ではない。

『歳当て』によると三〇代前半なのだが、老け顔で四〇ほどに見える。


「チャング!? なぜここに……?」


 グランの問いに、チャングという名前らしいコックは答える。


「雇われたんだ。戦える使用人を欲していてな、エインルードは」


「そういうことか……。店はどうした?」


「早々に畳んだ。客が来なくてなぁ」


「……まあ、そうなるな」


「当然とはなんだグラン坊! 顔か、顔なのか!?」


 グランとチャングはずいぶんと仲がいいらしい。

 今の会話と職業から考えると、チャングは元々レストランでも開いていたのだろうか。


「それにしても、グラン坊がここに来るとは思わなかったぞ。同じ家の者に雇われるとは、妙な縁があったものだ」


 感慨深げなチャングの言葉に、グランも頷いた。

 話が一区切りしたようなので、気になったミコトは尋ねる。


「グラン、この人は?」


「こいつはチャング。元傭兵で、先輩に当たる。昔はいろいろ教わったものだ。それと、ガンクサを丸々一本食べるほどのガンクサ好きだ」


 傭兵。

 冒険者などという、異世界のお約束な役職がないこの世界では、それは荒事担当の職業だ。

 護衛や討伐、戦争への参加などをして生計を立てている。

 傷だらけの顔も、傭兵活動が原因だろう。


「チャング。こいつはミコト。あの銀髪がサーシャ、その隣がレイラだ」


 グランは続けて、チャングにミコトたちを紹介した。

 チャングが小さく一礼したので、ミコトたちも慌てて頭を下げた。


 そのときだ。チャングがかなり深くまで被っていたコック帽がずれた。

 そして見える、彼の頭部。


 肌色だ。黒髪でも赤髪でも青髪でも白髪でもない。というか髪がない。

 光を反射し、頭皮がキラリと輝いた。


 つまるところ、ハゲだった。


「……!?」


 頭部の違和感に気付いたハゲ、もといチャングが、慌ててコック帽をかぶり直す。

 そのとき、チャングの焦燥の視線と、ミコトの戦慄の視線が絡んだ。


「「――――」」


 それはシンパシーだった。

 お互いの悩みが似た類であったための、同族意識だった。


「ミコトといったな、君」


「あ、ああ……」


 厳ついを穏やかにして、近寄ってくるチャング。ミコトは思わず席を立ち、身を引いた。

 ハゲはミコトにとって、恐怖の象徴であった。いつか自分もそうなってしまうのではないかという危惧だ。


 チャングは一層、その顔付きを穏やかなものにして、コック帽を脱いだ。その動作に、先ほどの頭部を隠そうとしたときの羞恥はない。

 キラリと輝く頭皮に、ミコトの咽喉が凍り付いた。


「そう怯えることはない。髪質は伝染せんよ」


 そんなことを言われても、根源的な恐怖は消えない。


「いいことを教えてやろう、ミコト坊」


 チャングはそして、ミコトのすぐ目の前までやってきた。


「ミコト坊。お前の髪は、柔らかいか?」


「……ぇっ? いや、普通くらいだけど」


 ミコトは呆然と、己の髪を弄りながら答えた。


「次の質問だ。頭皮は動くか?」


 そう言ってチャングは、己の頭皮を前後に動かそうとする。しかしチャングの頭皮は、ピクリとも動かない。

 そういえば昔、まだ白髪が生えていない頃、そうやって『カツラ~』などとふざけて遊んでいた。

 ミコトも久しぶりに試してみる。……頭皮は確かに、前後に動いた。


「では、最後の質問だ。お前の祖父は、ハゲていたか?」


「い、いや……たぶん、ハゲてなかった」


 物心つく前に亡くなった祖父の、生前の写真(白髪オールバック)を思い出して答えた。

 すると、チャングは嬉しそうに、しかし同時に、寂しそうに微笑んだ。


「案ずることはない、ミコト坊。お前はハゲない」


「なっ、なんの根拠があって!?」


 日々増え続ける白髪に、ずっと恐怖してきた。いつか自分もハゲてしまうのではと、怯えて暮らしてきた。

 日本では高かろうと天然もののシャンプーを使い、風呂のないこの世界でも、頭皮のケアやマッサージだけは欠かしたことがない。

 それほどにハゲとは、ミコトにとって恐怖の象徴であったのだ。


 だが、チャングはミコトの不安を、優しく解きほぐす。


「先ほどの質問の答えこそが根拠だ」


「なに……?」


「これは俺が日々ハゲと、そうでない羨ましき……げふん、ハゲてない奴を観察した末、導き出した統計だ。髪質が硬い奴、頭皮が動く奴、家族にハゲがいない奴は――大抵ハゲない!」


 電流が走ったかのような衝撃が、脳みその回路を駆け巡った。

 先ほどチャングが挙げた、ハゲない奴の特徴。その二つに、ミコトは当てはまっていた。

 それはつまり――


「俺は、ハゲない……?」


「ああ、そうだ。お前はハゲない。お前とは正反対の髪質を持っていた俺が言うんだ。間違いない」


「――――」


 ミコトの視界が潤んだ。涙は見せまいと拭い、チャングに向き直った。


「ありがとう、チャングさん」


「いや、なに。同じ苦しみを抱えた同志じゃないか。助け合うのは当然だ」


「チャングさん……!」


 これまでに感じたことのない、尊敬の念が溢れる。

 今までミコトを苦しめてきたものが、すっと消えていく。

 若白髪がコンプレックスであることには変わりない。しかし不安に悩まされることは、もうない。


「ありがとうございました、チャングさん!」


 そう告げて、ミコトは食堂から出た。そしてそのまま屋敷を出て、街へと繰り出した。

 尊敬する漢を前に、涙を見せる無様は曝せない。

 ミコトは胸に温かいものを抱え、王都の街を駆け抜けていくのであった。






「……えっ? なに、今の茶番……?」


 無駄に熱の入ったやり取りを目にして、レイラは呆然と呟いた。

 チャングを見ると、彼はミコトのいた席に座り、長い溜息をこぼしていた。


「グラン。彼は、眩しいな」


 眩しいのはアンタの頭よ、とレイラは内心で毒づいた。

「そ、そうか」とグランは動揺しながら返している。


「ミコト、よかったね……」


 サーシャはと言えば、何やら今のやり取りに感情移入していたのか、涙と鼻水を流していた。

 なんでよ。


「で、では俺は、出かけてくるとしよう」


 チャングの独白に耐えられなくなったグランが、話を切り上げて席を立ち上がった。


「どこへ行くんだ?」


「鍛冶師にところへ。剣を打ってもらう」


「そうか……行って来い」


 チャングはまだ話し足りないようだったが、潔く見送った。

 こちらに飛び火しては面倒だ。レイラも買い物に行ってくると、サーシャを連れて食堂を出ようとする。


「待ちな」


 その背に、チャングが声をかけた。

 まさかハゲ談義に巻き込まれるのだろうか。レイラは戦慄したが、チャングの表情は真剣だ。


「最近の王都は、怪死事件が頻繁に起こっているし、《公平狂》まで出やがる。あまり裏路地には近寄らないほうがいい。……それとだ。エインルードにはあまり……いや、なんでもない」


「は?」


「おっと、使用人が来やがった。サボリがバレる。買い物に行くんだろう、お嬢さんら。早く行きな」


 それだけ告げると、チャングはキッチンへ戻っていった。

 レイラは釈然としないまま、エインルードの屋敷を出た。



     ◇



「――以上が《黒死》の使徒、ミコト・クロミヤのプロフィールです」


「うむ、了解した。もうよい、退室せよ」


「わかりました、父上。失礼しました」


 フリージスは、ヴィストークの執務室から出た。

 扉の外で待っていたリースと合流する。


「お体は……?」


「気疲れはしたが、体調自体は万全。問題ないよ」


 リースの労りに、フリージスは肩を竦めた。


「無理はしないさ。君の使命が果たされるそのときまで、僕は死なない。だから君も、それまでに死ぬな」


「心得ております。ご安心ください。わたくしも使命を果たすまで、死ぬつもりはありません」


 フリージスのセリフに、リースも笑みを浮かべて告げた。

 それは本当に些細な変化であったが、幼少の頃からともにいるのだ。相手が笑ったかどうかなど、当たり前のようにわかる。


「……少し、街へ出ようか」


「お供します」


「うん」


 一分一秒先へ、早く早くと急かす気持ちがある。

 時間はない。

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