プロローグ 王都アルフォード
前章のあらすじ
ミコトくん、調子に乗る。
→ジェイドにボコボコにされ、連続で焼殺され、畜生に食われる(因果応報)
→闇堕ち数歩手前に陥る(まだまだぬるい)も、復活。
→自分から焼死しにいく(狂気に目掛けて猛ダッシュ)
統括:ミコトくん、特段の活躍なし。主人公ェ……。
不幸中の幸い:仲間の絆が深まった……といいね(ニッコリ)
パチパチと、目の前で焚き火が小さく弾けた。
火花が散り、暗闇に赤い閃光が走る。
少年は手元の魔法陣を掻き消すと、焚き火に新たな薪を投げ入れた。
しばらくして火が燃え移り、ゆっくりと弱火を起こす。仄かな明かりが周囲を照らした。
少年は焚き火が弱火で安定するのを見届けてから、再び魔法陣の構築に取りかかった。
時刻は深夜。新月の今宵は月明かりがなく、光源は星と焚き火のみ。
空を見上げると、故郷ではなかなか見られないであろう、綺麗に輝く星々があった。
「はあ……」
白髪混じりの黒髪と、黒い瞳の少年――ミコト・クロミヤは、一人溜め息をこぼした。
暗い雰囲気と白髪から、どことなく寂れた印象がある。
ミコト・クロミヤ。本名を黒宮尊という彼は、地球日本東京からやってきた異世界人である。
事故死し、剣と魔法(正確には魔術)のファンタジーな異世界――シェオルにやってきた。殺されても死なない『再生』という力を持つ、一六歳の高校中退生だ。
この世界に来ておよそ二カ月の時が過ぎ、上夏の季節になった。
一カ月四五、六日であることを考えれば、地球換算すると三カ月といったところか。
魔王教とは、ガルムの谷での――世間ではガルム怪事件と呼ばれる一件以来、まったく遭遇しない。
ラウスのように、サーシャの命を狙う輩も現れていない。
稀に力量を見切れない野盗に襲われた(ミコトを除く男連中によって殲滅した)り、ふざけたところをレイラに殴られたりしたぐらいで、平穏そのものだった。
幸運なことだ。そこに不満はない。平和に過ごせるのなら、それに越したことはない。
ただ一つ、思うことがあるとすれば――。
馬車で寝ているだろうサーシャ、レイラ、フリージス、リース。
そして目の前で、木にもたれかかって寝ているグランを見やって、
「暇だ」
なぜミコトが夜、こうして起きているのか。
それは彼が、寝ずの番という役目を負ったからだ。
ミコトは特殊体質によって、あまり睡眠を必要としない。
残留思念を介して狙った時間に起きる『目覚まし』や、ショートスリーパーの恩恵だと思われる。
二カ月前、この世界にやってきた頃はまだ一日三時間は必要だったのだが、最近は三日に一度で問題ないくらいだ。
ともかく、そういう特殊体質があったので、彼は寝ずの番を請け負った。
いざというとき、すぐに近接最高戦力を起動させられるよう、グランのそばに寝ているだけだ。
そのこと自体に不満はないのだ。ただ、ものすごく暇なだけで。
最初の頃は、修行だけで暇を潰せた。しかし睡眠の邪魔になってはいけないので、派手な実践はできていない。
毎日連続八時間、さらに馬車移動の余暇。その間、術式・魔法陣構築だけでは、さすがに飽きが来る。
「ま、適材適所だよな」
魔法陣を一旦消し、焚き火が消えない程度に薪を投げ入れてから、ミコトは東の空を見やった。
フリージスの生家が統治するエインルード領は、アルフェリア王国の東部にある。ちょうど中央部に位置するこの地から見ても、東の方角だ。
目的の地まで、ようやく半分の道のりを越えた。あと二カ月もせず、エインルード領に辿り着くだろう。
そう考えると、もうちょっと頑張ろう、と思えた。
ミコトは笑みを浮かべてしばらく休んでいると、東の空が明るくなってきた。
もうすぐ夜が明ける。
辺りが判別できるほど明るくなってきた。
ミコトが声をかけるまでもなく、グランが起床した。
「おはよーさん」
「ああ」
炎のような赤い髪と、赤みがかったブラウンの瞳。そして何より目を引くのが、側頭部に生えた獣耳だ。
彼は《ヒドラ》という通り名を持つ傭兵、獣族のグラン・ガーネットである。
グランは大きく伸びをすると、森の奥に行ってしまった。
近くの小川で顔を洗ったあと、日課の鍛錬をするのだろう。
ミコトはグランを見送ってから、焚き火に薪を投入。
焚き火の周囲には土で囲まれ、釜戸のようになっている。脇に置いてあった鍋を、釜戸の上に置く。
鍋の中身は、昨日の夕食の残りであるシチューだ。腐ず、ハエが集らないようにしておけば、手間をかけずに朝食の支度できる。
欠点は、具材がシチューに溶けてしまうぐらいなもの。
魔道具があれば温めるのに事足りるのだが、魔石がもったいない。フリージスの財力の問題ではなく、立ち寄る村々で魔石を大量に調達できなかったせいだ。
ミコトが未だ『ノーフォン』をもらっていないのも、そのせいだ。魔石は貴重なのである。
鍋を釜戸にセットしたミコトは、大きく伸びをする。
ぽきぽき、と心地よく骨が鳴った。軽くラジオ体操とストレッチをして、馬車へと向かう。
グランは朝になると勝手に起きる(彼がいれば、寝ずの番をする必要はあるのだろうかと、たびたび疑問を覚える)が、馬車寝泊り勢を起こすのはミコトの仕事だ。
豪華な馬車の扉を開ける。
この時点、馬車の中に朝日が差して起きるのは、亜麻色の髪と緑眼の少女だ。
「お休みレイラ」
「朝でしょ馬鹿」
寝起き一番に罵倒を吐いた彼女の名は、レイラ・セレナイト。(家事以外なら)なんでも要領よくこなす、一六才の少女だ。
レイラが欠伸をするのを横目に、ミコトは穏便に呼びかける。
「朝だよー。起きろー」
レイラの次に起きたのは、紫紺の髪と瞳の女性だ。名前をリースと言い、フリージスお付きのメイドである。
パチ、と無表情に目を開ける姿を見ると、本当は起きていたんじゃないかと疑ってしまいそうになる。
被っていた毛布から出ると、相変わらずのメイド服であった。未だ彼女が私服を着ているところを見たことがない。
「フリージス様。起きてください、朝でございます」
リースが横に座っているフリージスを揺らす。
フリージスを起こす作業だけは、リースは譲ったことがない。いや、一度無断で起こしたことはあったが、そのときは大層不服そうだった。
リースがあれほどわかりやすく表情を露わにしたのは、ミコトの前ではそれが初めてになる。どれだけ主の世話をしたんだ、こいつ。
しばらくして、金の長髪と青い瞳を持つ青年が目を覚ました。
気怠そうに頭を抑える姿からは、強者の威厳を感じられない。それでもミコトの何十倍も強いのだから、人は見かけによらない。
そんな彼こそが、フリージス・G・エインルード。アルフェリア王国最強の魔術師と呼ばれる男だ。
「ご気分はいかがですか?」
「いつも通り、怠いな」
「肩をお貸ししましょうか?」
「いや、いらない」
寝起きのせいか、フリージスはそっけなくリースの提案を断って席を立ち上がり、ふらふらと馬車を出ていった。
リースは付き添いだ。
「さて、と。残りは……こいつ、か」
そしてこの少女こそが、一番の強敵であった。
レイラが呼びかけながら揺らすものの、呻くのみで起き上がる気配がない。毛布を深く被る始末である。
夏とはいえ、夜はちょっと寒いもんな。
ミコトはうんうんと、さも納得したかのように頷きながら、馬車の中に入る。
アタシの妹に何するつもりだ、というシスコンの視線を無視して一歩大きく踏み込み、毛布に手にかける。
寝坊助さんを起こすに当たって、一番有効な手は、昔から決まっている。
そう。
「布団を剥ぎ取ることだァ――!」
「……、――っ!?」
バサァ、と毛布を剥ぎ取った。突如として外気から身を守る手段を失った少女は、目を見開いて飛び起きた。
これが大きい馬車でなければ、頭をぶつけていたところだ。少女の反応に、ミコトは素早く毛布を畳みながらも、くつくつと笑った。
立ち上がった勢いで、長い銀髪が宙を踊る。深紅の眼は困惑に染まっている。
サーシャ・セレナイト。美しき容貌の、一四歳の少女だ。
「へにゃぁ~」
いきなり立ち上がって立ちくらみを起こしたのか、サーシャはふらふらとしゃがみ込んでしまった。
アタシの妹に何してくれんじゃゴラァ! というシスコンの抗議に、ミコトはサーシャを介抱しながら、
「なあ、知ってるか? 立ちくらみって、眼前暗黒感とも言うんだぜ? かっこよくないか?」
「知るかぁ!」
相変わらず、レイラは容赦しない。
苦笑したミコトは、寝ぼけ眼のサーシャをレイラに任せると、鍋へと向かう。
全員が(一応)起床し、シチューも湯気を発し始めていた。
ちょうどグランも小川から戻ってきたので、全員で朝食を取ることになった。
パンをかじり、シチューを口に含む。
改めてわかる、サーシャが作る料理は美味しい。
この世界の食事は、どうも日本人の口に合うものが少ない。薄かったり、濃すぎたり、脂っこかったり。
最近になってようやく慣れてきたところだが、たまに米が恋しくなる。インスタントラーメンの味も、今は想像でしか思い浮かべられない。
「ミコト、この世界にはもう慣れた?」
故郷を思い出してぼうっとしていたミコトに、眠気を落としたサーシャは尋ねた。
郷愁の念を悟られたのだろう。相変わらずこういうところで聡いのだ、彼女は。
「まあ、だいたいは、な。思ったより俺って、順応力が高いみたいだ。魔術ありきの生活も、けっこう便利なもんだよな」
設備の整っていない環境で、魔術というのは非常に便利だ。すべてを自分の手で、一から調達できるのだから。
たとえば火だが、ライターやコンロはいらない。水も、飲み水を生み出すのは難しいが、水道は必要ない。
しかし。
ミコトは嘘偽りのない本音を紡ぐ。
「メディアがなっちゃいないし、科学だって進歩してない。娯楽も少ないから退屈だよ、正直」
情報収集能力は、遠く離れた相手と連絡できた日本に勝てるわけがなく。新聞のようなものはあるが、三分の一はガセで頼りにならない
数少ない情報も、モノによっては高い金をかけなければならない。テレビもないから、仕方ないことではあるが。
そして、ここにはゲームも漫画もない。あるのはミコトの趣味と合致しない小説や、古めかしいボードゲームのみ。
特定の状況下では異常な集中力と我慢強さを発揮するミコトだが……日本では片足突っ込んだオタクだ。こうやって郷愁に浸れば、いろんな物語の続きが気になって仕方なくなる。
それに、残してきた人たちの顔も、思い出してしまう。
それは逃げてしまった自分の罪である。叶えられる希望のない贖罪は、意識するだけでつらかった。
「俺は……帰れるのかな」
ミコトの弱気なセリフに、サーシャは一瞬寂しげに顔を歪めたが。顔を上げて空を眺めていたミコトに、サーシャの変化はわからない。
「帰れるよ、きっと」
サーシャの根拠のない言葉に、けれどミコトは安心した。
目を閉じて、故郷に想いを馳せる。
(母さん、玲貴、悠真……親父。ついでにバイトの先輩。……ああ、帰れるのなら、今すぐにでも帰りた――)
――ズキン――
「――まだ、帰らねえさ。やり残したことが、いっぱいあるからな」
そう言って、ミコトはいつも通りの、ニヤリと笑みを浮かべた。
何か違和感を覚えたが、小さなものだし、きっと些末事だ。
「さて、と。ごちそうさまー」
朝食を食べ終えた。ミコトは魔術の水で食器を洗う。水はすぐさま乾き、食器は綺麗になる。
やっぱり魔術はとても便利だ。
水魔術の苦手なグランやリースの食器も洗い、『スペースバッグ』――通称、魔道バッグに仕舞い、馬車に乗り込んだ。
御者を任されたリースが鱗馬に鞭を打ち、ようやく出発だ。
今、ミコトはリースの横、つまり御者台の乗せてもらっている。
御者のやり方を学んでおきたいという考えもある。鱗馬の扱いは難しいそうだが、見ていて損になるわけでもない。
それと、景色を眺めたい気分だった。
修行は熱中してこそ伸びるのさ、というフリージスの助言からだ。実際、魔術は心を必要とする。心構え次第で、才能は生かすも殺すもできるのだ。
だからこそ、気分転換をしようと思い至った。
だが、それだけではない。
今日は、それ以外にも理由がある。
数時間後、森を抜け、平原を駆けていくと、目的の景色が見えてきた。
地平線の先から近付いてくるそれは、高さ一〇メートルは超えるだろう、巨大な壁だ。
それは一つの都市を取り囲む城壁であった。
巨大な建物なら、ビル群などで見慣れていた。しかし、中世の巨大建築物の実物は、無機質なコンクリートにはない風情と荘厳さ、歴史を感じさせた。
「すっげぇ……」
ここは、アルフェリア王国で最も重要な地。
貴族や平民、あらゆる技術者や商人、魔術師。様々な人材や知識が集約する、アルフェリア王国の縮図のような巨大都市。
王都アルフォード。
異世界最大の都市へ、ミコトたちはやってきたのであった。
三章『異世皆会』のプロローグです。
副題は『王都編・前』でしょうかね。『王都編・後』はもうちょい先ですが。
この章は前編……そうですね。名付けるとしたら、『人間編』『葛藤編』『チュートリアル編』――『いせかいき』と、平仮名表記してもいいくらい緩い前編の、最終章です。
では、お楽しみください。