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第三四話 『ムスペルヘイム』

 恐る恐る、レイラはバーバラの亡骸に近付く。

 生死確認のため蹴ってみる。反応はない。


 このタイミングで、死んだと思っていた相手がガバッと起きたら、それはもうホラー以外の何物でもない。

 レイラはバーバラの死亡を確認して、ほっと安堵した。


 ふと気になって、バーバラの首にかけられたネックレスを手に取る。

 取り付けられた赤い水晶は、まるで宝石のように綺麗で、禍々しい。

 少し力を加えると、呆気なく砕けてしまった。


「すまん」


「うん、大丈夫だよ」


 サーシャはグランに治癒魔術をかけるところだった。

 いくつもの裂傷、打撲痕を負っていた体が、急速に癒えていく。この分なら、しばらくすれば折れた骨も治るだろう。


 レイラはその間に、フリージスの元へ向かうことにした。

 歩きながら、レイラは周囲を見渡す。谷の上からも見ていたが、ひどい有様だった。川は氾濫し、谷の一部の斜面は崩落、もしくは陥没している。

 ずいぶんと自然破壊したものだ、と他人事のように思った。


 かなり轟音や地響きがしたから、プラムの住民も異変に気付いているかもしれない。となれば、もうじき警備隊がやってくるだろう。

 早くここから立ち去らないと面倒なことになりそうだ。

 フリージスは貴族だが、プラムにはプラムの領主、つまりは貴族がいるのだ。あまり問題は起こしたくないはずだ。


 そのフリージスの元には、すでにリースが駆け寄っていた。

 消耗したフリージスを介抱しているらしい。彼女は本当に相変わらずだった。


「で、体調はどう?」


「まあ、ぼちぼちさ」


「動ける? さっさと馬鹿を助けに行かなきゃいけないんじゃないの?」


「休んでいたから、行動に支障はないさ。一応は戦闘もできるけど……。あまり無理できる体じゃあないしね」


 なるほど確かに、フリージスの額には汗が滲んでいた。

 まあそれも、瞬きの間にリースが、どこからか取り出した高級そうなハンカチによって拭き取ったが。


「でも、アンタがそんな消耗してるとこなんて、一年間一緒に旅してきたけど初めて見たわ」


「今までの敵は、そんなに強くなかったしねえ。本当、突然魔族化されてね。ちょっと驚いたな」


 レイラは周囲に転がっていた、数人の《無霊の民》を見る。

 通常の人族と変わらない容姿をしていた彼らだが、しかし今、その姿は異形と化していた。


 個体差はあるが、どれも似たような姿をしている。

 真っ赤に裂けた口、ギザギザの歯。硬質化した肌と、異常発達した手足、鋭く尖った爪。

 苦痛と憎悪で見開かれた目に浮かぶ、真っ赤な瞳。


「なんで、いきなり魔族に……?」


「さあね」


 どうも何かを尋ねたとき、フリージスはこうやって惚けることがある。

 どうでもいい質問にそう返すこともあるので、いったい何が重要なのか、フリージスが本当に話したくないことは何なのか、よくわからない。

 レイラは質問を変えた。


「魔族って、そんなに強かった……?」


 大抵の人間は子供時代、千年前の神話や数々の物語を、小さい頃から読み聞かされてきた。そのため魔族は恐ろしい存在、という印象を強く持つ。

 しかしレイラは、封魔の里ではそういう物語が書かれた本がなく、読むことがなかった。知ったのはサーシャと二人旅を始めてからだ。

 その頃には精神的にも確立されていたので、魔族に対して思うところはなかった。しいて言えば、てめぇらのせいで妹が迫害されてんだぞおんどりゃあ、といったところか。


 まあとにかく、魔族は恐ろしい存在、というのが世間一般の印象だ。

 しかし、実際に魔族を見た者は少ない。見たことがある者など、中央大陸最南部の人々か、魔大陸に挑む探索者ぐらいだ。


 そういうわけで、魔族がどれくらい強いのかが、判断材料がないのだ。

 おそらくジェイドも魔族化していたのだろうが、不意打ちが上手く決まっただけなので、判断しようがない。

 魔術を素手で弾くぐらいには強いのだろうが。


「ふむ、そうだね。僕が万全の状態で無理をしても、一五人を同時に相手するのは厳しいかな。遠距離からならどうとでもなるんだけど」


「じゃあアタシじゃ、一対一だと厳しい?」


「うん」


 ハッキリと頷くフリージスを見て、レイラは俯いた。

 そうそう魔族と出会う機会もないだろうが。強くなるに越したことはない。


 レイラが熱意を燃やした、そのときだった。

 今までにない地響きが、ガルムの谷を揺らした。谷の、まだなんとか形を残していた場所が、轟音を立てて崩れていく。

 川下から、大量の川水が逆流してきた。


「ちょっ、飲み込まれる……!?」


 このままでは、濁流に飲まれてしまう。

 泥、砂利、岩だらけの濁流に飲まれれば、どうなるか。肌が削れて肉は潰れて骨は折れてと押し潰されて……あまり想像したくない。

 想像したくないが、もうすぐ身を以て体験してしまう。


 逃げようにも、レイラの足では逃げられない。

 焦燥で叫びそうになったとき、腹部への圧迫感と、体に浮遊感を覚えた。


 首を回して見ると、リースに担ぎ上げられていた。もう一方の腕はフリージスを抱えている。

 首を元に戻すと、濁流に飲み込まれるバーバラの遺体が見えた。一瞬で濁流に飲み込まれ、そのまま姿を消した。


 急速な景色の移動とともに、腹部にかかる圧迫感が増した。

 圧迫から解放され、レイラは咳き込んだ。先ほど立っていた場所は、轟々と流れる濁流に飲まれていた。嫌な汗が背中を流れた。


「リース、ありがと。助かったわ」


「……助かったよ、リース」


「いえ、私は役目を全うしただけですので」


 リースは無表情で答えた。

 そこで、レイラはハッと顔を強張らせた。


「サーシャとグランは!?」


「……あちらにいるようですね」


 リースが視線を向けた先は、谷の向こう側だった。

 目を向けるとグランと、担がれたサーシャがいた。


 グランもレイラたちを見つけたのだろう。軽い助走を付けて、グランが跳んだ。

 跳ぶ瞬間、足に火属性身体強化をかけ、爆発的な勢いで幅三〇メートル以上の谷を跳び越えてきた。


 レイラの目の前に着地したグランは、サーシャを降ろした。

 見たところ、二人とも怪我はない。


「さっきのって……」


「《浄火》の仕業だろうね、おそらく。彼は、失敗したようだね」


 不安げなサーシャの声に、フリージスは答えた。

 ということは、先ほどの爆音を響かせた攻撃は、ミコトに向いたということだ。


「は、早く行かないと!」


「闇雲に突っ込むのは愚策。とにかく、様子を見てから考えようか」


 サーシャの言葉に、フリージスは消極的だ。

 サーシャは今すぐにでも飛び出して行きそうだったが、レイラの制止によって止められた。


 とにかく、様子を探らなければならない。

 サーシャ、レイラ、グラン、フリージス、リースの五人は、もう一つの戦場へと向かう。



     ◇



「なんだってんだよ、クソッタレ……!」


 それが『再生』し、冷静さを取り戻したあとの、ミコトの言葉だった。

 自分がどれくらいの間、取り乱していたかはわからないが、《浄火》は移動していないようだった。


 巨大な炎の竜巻が、天に向かってうねりながら伸びていた。

 その竜巻とミコトの距離は、川を挟む程度の距離しか開いていない。強烈な熱気が、肌を焼くようだった。


 ミコトの身体状態は完全に回復した。精神状態は恐怖というより焦燥で、今なら死に待ち作戦にも耐えられそうだ。

 しかし、《浄火》がこちらにまったく反応しない。ただただその場で、力を解放するのみだ。


 魔術を試しにいくらか撃ってみたが、やはりと言うべきか、まったく効かない。

 ミコトにはもう打つ手がなかった。


 このまま放っておいたら、勝手に消耗するか、自滅するんじゃないだろうか。

 そう期待していたミコトの目が、驚愕に見開かれた。


 天に昇っていた竜巻が、大きくうねりを作った。まるで蛇が体を丸めるように、形を球体へ変えていく。

 乱回転する球体は、徐々にその身を膨らませていく。


 今まで受けてきた爆発を、ミコトは第二の太陽と評していた。

 しかし、これと比べてみると、記憶の中の爆発はあまりに見劣りしていた。

 あれこそが第二の太陽だと、ミコトは呆然と思った。


 第二の太陽が、高度を下げてくる。急速にその身に熱量を溜め込みながら、落ちてくる。

 まさか、地面に激突させるつもりか。そう危惧したが、途中で止まった。巨大すぎて距離が掴みづらいが、だいたい高さ五〇メートルぐらいだろうか。


 その距離で、この熱気だ。息を吸うと、肺に熱い空気が流れ込む。肺が焼かれるほどではないが、あの熱量が肥大していけば、もしかしなくてもまずい。

 どうにかして止める手段を考えようと頭を捻るが、いい案は何も浮かばない。焦燥だけが募った。


 もしあれが地面に衝突するか爆発すれば、その被害はどれほどのものになるのだろう。

 規模が大きすぎて予測できないが、少なくともガルム森林は火の海に包まれるのではないだろうか。ガルムの谷も、形を残さぬほど崩壊するはずだ。


 ガルム森林や谷に、あまりいい思い出はない。角熊に殺されかけ、群れには何度も殺され。ジェイドに甚振られ。ラウスに追われ、殺されて。

 しかしここは、ミコトがこの世界にやってきて、サーシャたちと出会った、始まりの地でもあるのだ。

 それに何よりこの近くには、そのサーシャたちがいる。


 壊されるわけにはいかない。殺させたくない。

『再生』して生き残ろうと、彼女たちがいなければ、意味がないのだ。

 だからそんな結末は、決して許さない。


 けれど、どれだけ考えても、解決法は浮かんでこない。

 何か、何かないのか。

『最適化』で思考力を全力にして、ミコトは必死に考えた。


 ……記憶に、何か引っかかりを覚えた。

 手繰り寄せた記憶は曖昧で、明確な像は浮かんでこない。


 あのとき――魔王教の襲撃を受け、フリージスに見捨てられ、精神的に追い詰められたときのことだ。

 ミコトはあのとき、何かを呟いた。詩を紡いだのだ。

 そして現出した、漆黒の闇、黒い死。


 あのときは、《浄火》の爆炎に押し負けた。

 だが正体不明の攻撃手段は、効果がわからないだけあって不安はあるが、希望もある。


「やってやる……」


 脳が軋む激痛を抑えて、ミコトは自身の内部へ没頭する。


 どこだ。

 いったいどこにある。


 探し探して探しまくって――ようやく、取っ掛かりをつかんだ。


「――――」


 紡げ。

 紡げ。

 紡げ!


「ぐ、ぅぅぁぁぁ……」


 今までとは異色の激痛が走った。

 スロットが足りないわけではない。謎のルーンを入れようとして、拒絶反応が起きたのだ。

 これは、今のままでは――はまらない。


 はまらないのなら、形を変えろ。

 ルーンが変えようのないものなら、スロットを――心を変えろ。


「がっ、ぁあぁあああああ、ぁぁぁぁぁあぁぁぁぁあぁあぁぁぁ……!」


 視界が真っ赤に染まった。


 ぎちぎちぎち、と。

 無理やり歪められようとしている心が悲鳴を上げた。

 だが、ここで止まるわけにはいかない。


 守らなきゃいけないんじゃない。守りたいんだ。

 そのためなら俺は――俺は――俺は――なんだって犠牲に――


「ミコト――――!!」


 心が歪む寸でのところで、誰かの声が聞こえた。

 ミコトが、《  》の使徒が、聞き間違えるわけがない。

 その声は、守りたいと想った少女のものだ。


「サーシャ!」


 その名を呼ぶ。

 先ほど使おうとしていたルーンと、自分が何をしようとしていたのかは、記憶のどこにもなくなっていた。

 何かが頭から抜けたことにすら気付かず、ミコトはどこにいるかわからないサーシャに向け、大声を張り上げる。


「ここは危険だ! 早く離れろ!」


「ミコトが離れて!」


「お前が優先だろうが! 俺は死なねえんだぞ!」


「そういうことじゃなくて! ……相変わらずミコトは、もう! レイラ、お願い!」


 そういうことじゃないとは、どういうことだ?

 そうやって頭を捻っていたミコトの前に、レイラが谷を滑り降りてきた。


「レイラ、無事だったか!?」


「今そんなこと言ってる場合!? さっさと逃げるわよ!」


「いや、わけわかんない! アレどうすんだよ!?」


「たぶんどうにかなるから、とにかくさっさと走れ!」


 状況を把握できないが、あの第二の太陽をどうにかする手段があるらしい。

 仕方なしにミコトも、先に駆け出したレイラの後を追いかける。靴が燃えていたので足裏を鋭い岩で傷付けたが、気にしてはいられない。

 それよりも、ミコトは気にしていたことを尋ねた。


「どうにかって、どうするんだよ!? 言っとくけど、アレは火属性以外無効化するぞ!」


「ちゃんと把握してるわよ! サーシャから聞いたわ!」


 何がなんだかわからないが、あの場所に留まっていたところで、何かできたわけでもない。

 とにかく、指示に従っておこう。


 きつい斜面を登りきると、すぐ横にグランが待機していた。

 その眼差しは、炎の竜巻を鋭く睨んでいた。


「よくやったな、ミコト」


 通り過ぎる寸前、グランが労いをかけてきた。

 よくわからない。わからないが、ミコトも応えようと思った。


 ミコトは右手を上げる。グランはしばらく呆気にとられた表情をしていたが、ミコトの意図に気付いて苦笑すると、同じく右手を上げた。

 ハイタッチ。パァン、と乾いた音が響いた。


「よくわかんねえけど、頑張れよ!」


「――任せろ」


 ミコトはグランに背を向けた。

 レイラは谷の淵沿いに走っていた。ミコトは足裏の痛みを我慢しながら追いかける。


「なあ。レイラ」


「何よ?」


 ミコトは少しだけ躊躇したが、


「サーシャとは、仲直りできたのか?」


「――当たり前よ。姉妹なんだから」


「……そっか。よかった」


 それなら、体を張って《浄火》へ挑んだことに、自信を持ってやってよかったと言える。

 結局、《浄火》は復活して、危険な状況にあるわけだが。


「……アンタにも、迷惑かけたわね」


「あん?」


 突然謝られ、ミコトは目を白黒させた。


「どうしたよ、しおらしい。変なモンでも食ったか? 明日は雷が雨霰か」


「どうしたアンタはそこでふざけるのよ!?」


「いやぁ、なんとなく」


 ミコトは悪さがバレた悪戯小僧のように、舌を出してテヘッと笑った。

 レイラの表情に蔑みの色が差す。


「気持ち悪い」


「我ながらどうかと思ったところだよ!」


 テヘペロなんて、男がやるもんじゃない。

 もっとこう、可愛らしい女の子がやるべきなのだ。


「ま、それはともかくだ。実は俺、お前のために何かやった、っていう意識はねえんだ」


 サーシャには、出会いに命を、苦しめられていたときに心を救われた。

 そのサーシャが、姉を救いたいと言った。だから、ミコトは手助けしてやりたいと思った。


 けれど。


「サーシャのために、っていう想いもあるにはあるけど、実際には違うんだろうな」


 ミコトがこの戦場に来た理由。

 そんなこと、突き詰めていたば、一つしかない。


「俺は、俺自身のために戦ったんだ」


 高尚な理由なんてない。

 勝手に作り上げていた義務を捨てて、欲望を選択した。


「まあそんな感じだから、迷惑かけたとか勘違いしてんじゃねえよ。だいたい、昨日は見捨てようとしてたんだぜ? むしろ罵倒されるかと思ってた」


「馬鹿ね。そんなこと言うわけないでしょ」


「そっか。……まあとにかく、無事でなにより」


 ため息をこぼすレイラに、ミコトはニヤリと笑みを作った。

 その笑みを、レイラは呆然と眺めて、


「アンタのそれ、いつもより堂に入ってる気がするわ」


「……そうかもな」


 無理していつも通りに振る舞うより、やはり普段通りが一番、ということか。

 ミコトは薄く微笑んだ。


 そうこう話していると、前方に何かが見えてきた。


「な、なんじゃあ、ありゃあ……」


 ミコトはそれを視界に入れて、呆然と呟いた。

 青い光の粒が収束され、形を作っていく。青い、何重もの円。中にはいくつも交差した四角や三角と、円の中心を除いたすべてを埋め尽くすような、数々のルーン。


 見間違えるはずもなく、魔法陣だった。

 しかし、『ただの』と言うにはあまりにそれは複雑かつ繊細で強大で、何よりも――巨大だった。


 今も尚巨大化していく魔法陣は、現時点でも直径三〇メートルはあるのではないだろうか。

 あまりの大きさに、ミコトは我が目を疑った。


 どれほどの魔力制御能力を必要とする技術なのだろう。

 少なくとも、最強の魔術師お墨付きなミコトの魔力制御でも、到底不可能だ。人生すべてを捧げたって、あんな魔法陣は作れない。

 当然、フリージスにもできはしないだろう。


 ならば、誰が。

 考えれば、すぐにわかった。

 周囲から集う青い光を見た時点で、すぐに気付くべきだった。


 ミコトは視線を向ける。

 目の前には、走り寄って行ったレイラを除き、三人の人影があった。


 フリージスとリース。

 そして、右手で支えた左腕を、真っ直ぐ頭上に掲げる、銀髪の少女。


 ――サーシャ・セレナイトが、青い世界中心に立っていた。






「サーシャ!? なんだよこれ!?」


 ミコトは慌てて走り寄った。

 サーシャはふふんと笑って、胸を張った。


「どう?」


「どうって、なんかもう、すごいとしか言えねえ」


 語彙力の乏しい感想に、サーシャは誇らしげになる。


「これはフリージスと出会ってからの、一年間の鍛錬……その成果だよ」


 ハッとしたレイラに、サーシャは赤い眼差しを向けた。


「ね? レイラ。わたしだって、強くなったんだよ」


 魔力を操る『操魔』。

 自身の魔力を消費せず、世界の魔力を使える異能の限界は、精神力が切れるまで。


 サーシャが『操魔』で魔力収束する速度は、オドの魔術と比べると遅い。

 その代わり、オドだけでは決して使えない規模の魔術を、サーシャは使うことができる。


 けれど、そんな力があっても、その規模を構築する知識が足りなかった。

 そこをフリージスの知恵を借り、一年間の修行の末、なんとか完成させたのだ。


 レイラを守ると宣言したのは、決して口先だけではない。

 それを今ここで、証明する。


「――――ふぅ」


 サーシャは集中する。

 今構築しているのは、火属性の魔術。

 サーシャの得意属性ではないが、心の外で展開される魔法陣に、得意不得意はない。


 そして。

 魔法陣が完成する――直前。


「ガァァァアアアアあぁァアァアアァアああァアァアアァアぁぁアアアアアッ!!」


 どん! 地面が爆ぜ、何かが跳び出してきた。

 それはもはや、人間の原型さえ残さない異形だった。


 灰色の髪と赤い瞳。裂けた口から覗く牙。

 右腕は骨で覆われた剣のようになって、左腕は二の腕から先が触手のように分裂して蠢いている。

 下半身はすべてが触手と化し、地面から伸びで体を支えていた。


 辛うじてわかる特徴から、それが誰かを判別した。

 ――ジェイド・エイド・ムレイ。

 レイラの魔術に焼かれたはずの男が、瘴気を撒き散らして現れた。


「シェルア、サマァ! アァ、アアァ! ドコデスカ、シェルアサマァ!!」


 もはや理性の欠片すら残っていない。

 理性から解き放たれ、本能と欲望に身を任せる《無霊の民》……否、魔族の姿は、醜悪の一言に尽きた。


 その魔族の赤い瞳が、サーシャを見た。


「アア、ソウカ! シェルアサマガッ、モトメルモノヲォ! コノオレガァ、テニイレレバイィ!!」


 次の瞬間、魔族の左肩が破裂した。

 血液が溢れると同時に現れたのは、さらに幾重にも分裂した触手の腕だ。


 触手がサーシャに向けて伸ばされる。

 サーシャは魔術を構築中で、手出しできない。


 レイラが火弾を放つが、触手を焼き切るには至らない。

 リースではあの数の触手を捌ききれない。跳び出そうとしてリースを抑え、フリージスは岩弾を放つ。

 しかし、それでもすべてを対処はできない。


 触手がサーシャを捕らえる――直前、射線上にミコトが飛び込んだ。

 サーシャの代わりに捕らわれるミコト。魔族はそれを誰かを把握していないのか、強引な力で自身のほうへと引き付ける。


 左腕の触手が開き、肩が露出する。巨大な第二の口が、そこにはあった。

 ギザギザに並ぶ歯は、左腕の骨が変形したものらしい。指や上腕の骨を寄せ集めたような、奇怪な形状をしていた。


 このままでは食われてしまう。

 ミコトは強引に触手を振り解き、左腕を自由にした。

 迫りくる魔族に向けて、ミコトは左腕を向ける。


 そして、左腕が口に飲み込まれ、


「『イグニスト』……!」


 火弾が現出する。しかし、撃ち出すことはしない。

 術式に手を加え、火の形状を無形へ変更。収束された炎の塊が、魔族の体内で爆発した。


「ガグギャアアぁアアァァァアァあアアアァアァァァァァぁァァアア――――!!」


 触手から解放され、重力に従い落下していくミコト。

 落ちながら見上げた頭上で、フリージスの魔術が魔族に直撃した。


 一発の岩弾が頭を粉砕し、鋭利な岩の刃が触手となった下半身を切断する。両腕は肩口から抉り取られ、地面へ落下していき。

 残った胴体を、大地から突き上がった岩槍が貫いた。


「ヨクモッ、ヨクモォ! ユルサヌゾ、クズドモォ! コロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシ――」


 岩槍が形状を変えて魔族を飲み込むと、そのまま大地へと引きずり込んだ。

 地面に飲み込まれる最期まで、彼は憎悪の色が込められた視線を、ミコトたちへと送っていた。


「あばよ、クソ野郎」


 ジェイドは死んだ。今度こそ、間違いなく。

 地面に墜落したミコトは、次に思いっきり息を吸い込み、声を張り上げた。


「行っけぇ! サーシャぁああああああああああああああああああ――――!!」


 サーシャは前方を睨む。

 前方には巨大な炎の竜巻と、太陽のごとき炎の塊がある。


 通用するだろうか?

 いや、通用させてみせる!


「創造系統・火属性……特級。天災魔術――」


 そしてサーシャは、詩を紡いだ。


「――『ムスペルヘイム』ッ!!」


 次の瞬間、世界が震えた。

 空間を引き裂くような力が、巨大な魔法陣の中心に現出する。


 形はない。そんなものを定める設定はできなかった。

 これはただ、威力のみを追求した、最高階級の最強魔術。


 エネルギーの塊が、轟!! と空間を貫くように撃ち出された。

 向かう先は、第二の太陽だ。


 二つの強大な、火属性の力が――衝突した。


 弾かれた空気が、波となって広がる。

 周囲の瓦礫を吹き飛ばし、木々を押し倒す。離れたところにいるミコトたちでさえ、吹き飛ばされそうになるほどの衝撃はだった。


 押すこともなく、引くこともなく拮抗する、二つの力。

 しかしその拮抗は、唐突に終わった。


 先に敗れたのは、第二の太陽だった。殻が割れるように砕け、内部に圧縮されていた熱が解放された。

 爆発を思わせる熱量が、魔術を飲み込んだ。


 熱が勢いを失うのが先か、最強の魔術が耐え切るか。

 再び始まった拮抗。今度はすぐに決まった。


 二つ同時に、莫大なエネルギーを残して消失する。

 莫大なエネルギーは、熱風となって辺り一帯に広がった。


 炎の竜巻は乱れ、今にも解けそうだが、《浄火》の使徒は健在だ。

 けれどサーシャが放った魔術の影響は、まだ終わらない。


 特級魔術『ムスペルヘイム』が押し退けた空気が、元に戻ろうと、魔術の後を追うように収束する。

 それは竜巻にも負けない暴風となって、炎の竜巻に風穴を開けた。


 ――赤い獣が、その一瞬の隙間を逃すはずがない。


 ガルムの谷を飛び降りる姿があった。

 膨大な熱の中、火鼠の外套を盾に、赤いオーラに体を包み、彼は駆ける。


 仇を討つために。

 仲間を守るために。


 ――グラン・ガーネットは、炎の渦へと立ち向かう。

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