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第三二話 《虚心》バーバラ・スピルス

 さて、だ。

 帰ろうと言ったサーシャと、その手を取ったレイラだったが、今すぐ尻尾巻いて逃げられるわけがない。

 洞穴の外へと向かいながら、サーシャの口から簡単に語られる事情を聞き、レイラはバツの悪い思いをしながら、現状を考える。


「つまり、この先にいるリースと合流して、クソババアをなんとかして、囮になっている馬鹿を回収して、フリージスと合流して……。いくつか、きっついのがあるわね。っていうかこの作戦、無茶しすぎでしょ……」


 これを考えたミコトという奴は、きっと頭がおかしいに違いない。


「フリージスが頷いてくれたから、勝算はあると思うんだけど」


「あのフリージスが……。なんか裏がありそうだけど、気にしている暇はないわね」


 とにかく、早く仲間たちに合流しなければ。

 今、洞穴の外で何が起こっているのか、早く知る必要がある。


「って、何これ」


 レイラは奇妙な形状の壁を見つけ、立ち止まった。突然であったのでサーシャは勢いを殺しきれず、レイラを少し追い越す。


「どうしたの?」


「ほら、これ」


 レイラが指差した先には、綺麗な穴の開いた壁があった。

 ごつごつした洞穴とは合致しない。まるで鋭利な刃物で切り取られたかのような断面だ。

 底は浅いが、何かがあるようには見えない。


「こんな穴、来たときになかった」


「……よくわからないけど、さっさと行きましょう」


 危険を感じず、急がねばならなかったので、悩むのも早々に切り上げた。

 レイラはサーシャを促し、再び走り始めた。


 先ほどの穴は、いくつかある内に一つにしかすぎなかったらしい。

 外へ外へと向かうに連れ、綺麗な断面の穴は、次第に増えていった。


「……!」


 曲がり角を曲がり、その先の景色を見て、レイラは息を飲んだ。

 狭い洞穴に、突如として現れた円形の大空洞。その中心に倒れる人影があった。


「リース!」


 サーシャが駆け出して、レイラも後を追う。

 リースを抱き起す。どうやら気絶しているようだった。

 呼びかけると小さく身じろぎして、ゆっくりと目を覚ました。


「大丈夫、リース! 怪我してない!?」


 サーシャは答えを聞くこともなく、治癒魔術の魔法陣を展開すると、リースに押し付けた。

 その傍ら、意識がハッキリしてきたらしいリースに、レイラは訊く。


「で、大丈夫なの?」


「……ええ、問題ありません。過度の疲労で、眠ってしまっただけでございます」


「それは大丈夫なのか疑問だけど……。何があったの?」


 レイラがぽっかりと空いた空間を見やって訊くと、リースは一瞬だけ押し黙った。


「……魔術が暴走しました」


 それを聞いて、レイラは納得した。消滅魔術ならば、この空間も説明できる。

 暴走したというが、リース自身が巻き込まれなかったのは幸いだ。


「立てる?」


 サーシャが治癒魔術を終えて安堵したのを横目に、レイラは尋ねた。

 疲労しているところを動かすのは申し訳ないが、ここに放置するわけにもいかない。


「行動に支障はありません。ですが戦闘は困難で、魔術はしばらく使えないでしょう」


「そう、なら問題ないわ。ここから出たら、安全なところで待機しておいて」


「かしこまりました」


 リースは了承すると、すっと立ち上がった。その様子や、いつもと変わらぬ無表情を見る限り、問題なく動けるのは本当だろう。

 だが心なしか、いつもより存在感が希薄になったような気もする。


 生命力は常に微量ながらも魔力に精製されている。

 生命力が少なくなれば、魔力の精製量は少なくなり、存在感が希薄になる。

 つまりリースは、かなりの命を削ったのだ。


「……ごめん」


「なぜ、謝るのですか?」


「その……、アタシのせいで、無茶させちゃって」


「構いません。わたくしは役割を貫いただけです。……謝罪なら、フリージス様にお願いします」


「アンタは相変わらず、変わんないわね」


 そこが少し、羨ましくある。

 ともかく、リースとは合流できた。視線を上げれば、太陽の光が見えた。

 ようやくこの暗闇から抜け出せるのだ。


「行こう、みんな」


 サーシャの声に、レイラとリースは頷いた。

 そして、外へと踏み出す。


 ずいぶん遠回りした。

 でも、迷って歩き回った分、いろんなものを見れた。


 仲間たちに、たくさん迷惑をかけた。

 帰ったら、みんなに謝ろう。


 ――また、サーシャの料理を食べたいな。


 そのために、


 ――さあ、全員で乗り切ろう。



     ◇



「チッ。ウザいウザいウザいんだよねえ獣の分際でェ! 『バート・イグニスト』!」


 世界が改変される。

 禁断術式を合成された火弾が、凶悪な熱量を秘めて現出する。

 スロットで暴れ狂う術式を、化け物じみた演算能力で制御しているのだろう。バーバラの額に太い血管が浮かび上がり、汗が大量に滲み出ていた。


 それでもバーバラは、禁断を制御してみせた。

 自身にまったく害を及ぼすことなく、中級の魔力量で上級に並ぶ魔術を発動する。


 火弾が撃ち出された。膨大な熱量が大気を焼き、そこらの岩や石が赤くなる。

 避けること敵わぬ速度で、必殺の炎が突き進む。


 ――その巨大な炎を待ち受ける、一人の男がいた。


 赤い外套を被った、褐色肌の獣族――グラン・ガーネットが、二メートルを超えるクレイモアを振り上げる。

 グランと剣を包んでいた赤いオーラが、その輝きをさらに増した。


 チリチリと肌が焼ける痛みを感じながら、グランは力を溜めて待ち続ける。

 まだ……まだ……まだ……、……今――ッ!


「ハァァァアアア!!」


 火弾がグランの間合いに入った瞬間、クレイモアが燃える大気を切り裂いて振り下ろされた。

 ズガン! と轟音。クレイモアを叩き付けられ、大地が爆ぜた。

 圧縮された熱の解放、剣の斬撃。それらの要因が重なって、ガルムの谷が強震する。


 グランは外套で熱から体を庇う。

 バーバラと視線が絡み合い、頭を掴み取られるような錯覚を覚えた。が、錯覚は錯覚だ。不快感を抑えて、巻き上がった砂塵に隠れて移動する。


 隠れる前に確認したバーバラの位置。獣の五感で捉えた、バーバラの足音。

 グランは狩りのごとく気配を隠し、ケリを付けるべく動いた。


「……!」


 この位置、このタイミング。バーバラは背を向け、魔術の準備をしているはずだ。

 グランは殺意を行動に秘めて、砂塵から跳び出した。


 ――そして、絡み合う視線。


 首だけぐるりと回したバーバラと、目が合った。

 そして撃ち出される、禁断術式が合成された風の刃。周囲の砂塵を吹き飛ばし、カマイタチのごとく空気を切り裂いてグランへと迫る。


 グランはそれを、クレイモアの腹で滑らせるように、上空へと流した。

 風刃は背後にある谷の斜面に激突し、軽い土砂崩れが発生。グランは巻き上がった砂塵に、再び身を隠す。


 近付こうとして、察知され、迎撃され、対処し、隠れる。先ほどから、似たような攻防の繰り返しだ。

 視線が重なったバーバラの口角が、凶悪に吊り上がった。


(まずい……)


 獣族という種族の特性上、体力は常人より上回るグランだが、無尽蔵ではない。

 常に行使しなければならない身体強化と付与の魔術により、生命力が急速に消耗する。

 バーバラが撃ち出す変幻自在の攻撃と、まったく攻撃が通用しない焦燥感、心を見透かされるような不快感のせいで、精神が疲労が早い。


 バーバラが消耗しているのは間違いない。

 生命力が少ないというのは確からしい。でなければ、一歩間違えれば死に至る禁断術式を使ってまで、魔力を節約するわけがない。

 禁断術式というのは、暴走を前提とした魔術だ。それを扱うのは、どれほど神経をすり減らす行いなのか、想像を超える。


 グランとバーバラ。どちらの生命力か、精神力が尽きるのが先か。

 後にも先にも進まない攻防は、そのどちらかで決まる。いや、僅かにバーバラが有利かもしれない。

 だからこそ、どうにかしなければならないと思う。


 もしもグランが負けてしまえば、どうなる。

 きっとバーバラは次に、洞穴へと向かうだろう。サーシャを捕らえ、リースとレイラを殺して。


 勝つ……せめて、相討ちに持ち込まなければならない。

 早くフリージスが参戦してくれれば、問題ないのだが……。


 グランはチラリと、フリージスがいるはずの方法へ視線をやった。

 陥没した谷ではフリージスと、異形と化した《無霊の民》にトドメを刺したところだった。


 グランが期待した次の瞬間、フリージスが片膝を付いた。

 ずいぶんと疲労しているらしく、肩で息をしていた。ついに耐え切ることができなかったのか、戦場で地面に手を付く始末だ。

 あの様子では、魔力を精製するのは困難だろう。参戦を期待するのは、無理そうだ。


「…………」


 先ほどから、バーバラのテンポが上がっている。頬が紅潮して、疲れがまったく浮かんでこなくなった。

 そして臭い始める、醜悪な香り。瘴気がバーバラの体から滲み出てきた。


「魔族化、か」


「あらあらあら、獣のくせに知っているんだねえ」


 バーバラが魔術を止めて目を丸くし、嬉しそうに言った。

 グランは顔を顰めながらも、体力を回復させるために、一時的に立ち止まる。


 周囲に瘴気がないのに、魔族へと変貌する。その理由に、心当たりがあった。

 目が合うと、バーバラは嬉々と笑みを歪めた。


「なるほどなるほどなるほどなるほど! あ・な・た! も、なんだねぇ。……どうだろう? ボクと一緒に来ないかい」


「…………」


 グランは無言のままクレイモアを振り上げると、再びバーバラへと向かっていく。

 戦うこと――それが、グランの答えだった。






「すごい……」


 と、それらの光景を離れたところから、岩陰に隠れて観察していたサーシャは、呆然と呟いた。

 そんなサーシャに同意するように、隣のレイラも苦々しげに呟いた。


 ちらりと、レイラはフリージスのほうを見る。

 酷く消耗しているらしく、しばらく動く様子はない。ただ《無霊の民》相手に、フリージスがここまで苦戦しないはずだが……。


 フリージスの近くで倒れる、いくつかの異形の亡骸。

 裂けた真っ赤な口から覗く、肉食動物のような獰猛な歯。はち切れそうな服からもわかる、膨張した筋肉。何より、見開かれた目は、血のような深紅だった。

 もっとも、サーシャの赤眼と比べると、その瞳は狂気に濁っていたが。


(もしかして、あれって魔族なんじゃ……)


 魔族。瘴気の影響を受けた人間、獣、異形の総称だ。

 だがこの近辺に、人が魔族化するほどの瘴気はない。ならばなぜ、《無霊の民》は魔族化したのか……。


(今こんなこと考えても、意味ないわね)


 思考を打ち切ると、改めて目の前の戦闘に向き直る。

 グランとバーバラの攻防は一進一退。何かの要因を加えれば変わるが、半端なモノでは逆に足を引っ張ってしまう。


「疑問なのですが」


 歯噛みしていると、背後のリースに声をかけられた。

 先を促すと、リースは続けて口を開いた。


「なぜバーバラは、グラン様の居場所がわかるのでしょうか」


「地面の震動とか、大気の流れを感じ取って、とかじゃないの?」


「いえ、サーシャ様。バーバラはグラン様が襲い掛かる地点に、あらかじめ視線を向けています」


 レイラはもう一度、攻防を観察する。

 駆けるグラン。魔術を避け、視線が絡み、砂塵に隠れ――


「目……?」


 引っかかりを覚えて、レイラは記憶を探る。

 ファルマからプルマへと向かう道中、プルームル街道で襲撃を受けたときの、バーバラの言葉、視線。

 檻に捕らえられていたレイラを、散々痛め付けたバーバラの言動、目。


 目が合い、視線が絡み合ったときの、見透かされるような不快感。

 何度か聞いた《虚心》という名。レイラを追憶させた異能。サーシャから聞き及んだ、心に関する能力という情報。


 ハッと目を見開いたレイラは、改めてバーバラを観察する。

 予期する、魔術を放つ。そして、視線を、絡める――!


「まさか……あのババア、心を読んでるってわけ……?」


「心を……?」


「嘘みたいよ、まったく」


 心を読む。どこまで読めるかは不明だが、とにかく危険だ。

 他人の行動を、術式演算領域『スロット』を、その目を合わせるだけで読み取るのだから。


「けど種がわかってたら、対処だってできるのよ」


 レイラは纏めた作戦を、サーシャとリースに伝えた。


「本当に、うまくいくの?」


 伝えると、サーシャが不安げに尋ねてきた。


「穴だらけの作戦だけど、策もなく参戦するよりずっと確率は高い、はず」


 消耗したリースに待機しておくよう言ってから、レイラとサーシャは戦いへ赴く。



     ◇



「そぉろそろ、面倒になってきたなぁ」


 グランの攻撃を捌きながら、つまらなそうに呟き、大きくため息をこぼす。

 体力が減ってきている。節約したとは言え、魔力精製をしすぎた。

 普通に行使可能な生命力が、もう心許ない。


 バーバラのスペックは《虚心》の末裔の中でも破格だが、扱うことができていない。

 やはり老人の体というのは、なかなかに面倒だ。慣らすこともできず、生命力も不足していて持久戦は困難である。


「んー、そうだなぁ」


 少し悩んだが、まあいいかと結論を出した。

 もともと使いにくかったし。どうせ、予備もある。

 だから、紡ぐ。


 水属性の身体強化。それに禁断術式を組み込んだ、禁忌の魔術。

 今度は精神力を削ってまで、無理やり術式制御をするつもりはない。というより、意味がない。


 この魔術は、本当に壊れるための魔術なのだから。


「――『バート・アクエモート』」


 限界まで解放する。

 頭蓋の奥で、何かがプツリと途切れる感覚。同時に激痛と、それを上回る開放感が、全身を支配した。


「ああ! アハッハハハッ! アッァハハハフヒャハハハハハハハハハ!! 初めてこれを使ったけれども、なかなかに素晴らしいねえ! 一回で消費しちゃうから、使うつもりはなかったんだけれどもぉ! アハッ、癖になっちゃいそォ!」


 そして、使ったからには、もう節約する必要もない。


「吹き飛べ!」


 腕を振るうのに合わせて、無詠唱魔術を発動。

 暴風が吹き荒れ砂塵を吹き飛ばし、隠れていたグランの姿を暴く。


「最後通告しようかな。どうだい、魔王教に入ろうよ。キミは逸材だ。きっと素晴らしい心を見せてくれるゥ」


「貴様の都合に付き合うつもりは、ない」


 暴風をものともせず、グランはこちらに向かってくる。

 だが、もう太刀打ちできない。本気を出した使徒と渡り合うなら、その程度ではもう足りない。


「設定開始。『属性』決定……、『系統』指定……、『座標』把握……、『範囲』掌握……、『出力』調整。術式演算開始……完了。――沈め、『イラヴィティ』!」


 次の瞬間、グランの立っていた地面が、押しつぶされたように陥没する。

 いや、押しつぶされたのは地面だけではない。その上にいたグランにも影響を与えた。


 倒れ伏し、呻くグラン。うつ伏せの状態で、額が硬い地面に押し付けられ、血が滲む。

 なんとか立ち上がろうともがいていたが、どうしようもないと諦めたのか、動かなくなった。


「この魔術の出来はどうだろうか? 実はこれ、ボクが発明したんだよねぇ。干渉系統・火属性・上級で強力なんだけれども、これがなかなか魔力消費がすごくてねぇ」


「ただの……かん、しょう? 身体干渉でもなく、他生物に干渉したというのか!?」


 干渉系統を他生物にかけるには、特級クラスの技量がいるとされる。自身以外の、生命力を豊富に持つ物体に干渉することは、それだけ難しいのだ。

 身体干渉は言葉通り、体に干渉することが目的の系統だ。専用に特化したそれは、繊細な干渉を行うのと同時に、他者への干渉も可能にしているのだ。


 だが、この魔術が、ただの干渉だと……?


「うんぅ? ああ、違う違うそれ勘違い。別に体に干渉したわけじゃないからね? ボクが干渉したのは、重力というエネルギー」


 火属性の根本は、エネルギーを司る属性だ。運動エネルギーだろうがなんだろうが、理論的には干渉できる。

 もっとも、それはあくまでそれは机上の空論であった。しかし、


「でもでもでもねぇ! 《虚心》の使徒たるこのボクを、こぉんなちっぽけでくそっかすなセカイの物差しで測られると、すごォく困るんだよねぇ!」


 右腕を掲げる。術式を構築し、慣れない魔力を制御する。

 平行して重力を制御しているが、スロットの余裕はまだまだある。


 直後、世界が改変される。

 バチバチバチ! と大気を焼く閃光が迸る。バーバラの右手の先に生じたのは、雷。


「こんなくっだらないセカイだけど、電撃魔術を発明した《魔法使い》は、素直に称賛するよ。このボクから見ても、完璧な術式だ。複雑だけど、ボクからすれば児戯だしね。仲間に引き込みたいけれども、彼は西にいるからなぁ」


 しばらく惜しんでいたが、肉体の余裕がなくなっているのも事実。

 どうしようもないと結論を出して、グランに向き直る。その目にはもう、グランに対する興味はなく、失望の色をしていた。


「君の魔力が世界に還元されちゃうのは不満だけど、どうしようもないしねぇ。じゃあ獣の傭兵さん。――ばいばい」


 火鼠の外套も、強靭な肉体も関係ない。

 雷はすべての防御を突き抜け、対象を焼き焦がす。

 この雷を落とせば、真っ黒な炭になるのは確実だ。


 その、雷を。

 振り下ろす――直前。


「……なぁんのつもりかなぁ《操魔》ァ!」


 グランの向こう側。収束される魔力の中心に立つ、銀髪赤眼の少女。

 目合わせて、その心を覗き見ようとした。しかしその前に、魔術は放たれてしまった。

 風弾が地面に直撃。砂塵を巻き上げた。


「まぁたこれぇ!? 通用するわけないのに、ご苦労なごとだよねえ!!」


 この電撃の威力ならば、サーシャを殺すことも可能だ。だが、それでは目的を達成できない。

 舌打ちして雷を調節し、気絶する程度の威力に下げ、射出。しかし手応えはない。


「ああもう、ほんっとうに面倒っ!!」


 バーバラを中心にして吹き荒れる暴風が、砂塵を吹き飛ばしていく。

 晴れる視界。《操魔》はどこだ?

 感覚を研ぎ澄ませる。人が発する熱を、呼吸によって変動する湿度を、行動によって生じる大気の流れ、大地の震動を探る。


 そのとき、バーバラは閃いた。


「そうだよ、左半身さえ残っていればいいんだよ。もし暴走しても、まともに継承できなかったコイツじゃあ高が知れる! アハ、アハハハハハハハハハハハハ! なぁんだそぉかぁわかったよ――たぁっぷり拷問してやるよォ、《操魔》ァ!!」






 この瞬間、バーバラの意識は完全に外へと向いた。自身の周囲への警戒を怠った。

 油断、焦燥、慢心。戦闘において過度に持ち込んではいけないそれらが生じた。

 瞬く間の隙。それを、狩人たる彼が見逃すわけがない。


 ――獣が、グランが、牙を剥く。


「ぉ、ぉぉぉぉ……」


 身体強化『イグニモート』が、たった一点、右腕に集約される。

 装甲を消したことにより、全身に圧し掛かる重力によって、肉体が軋む。


 サーシャが現れた。それはレイラの救出が成功したということ。

 平常のレイラが、考えなしに突撃するとは考え難い。つまり、これは作戦だ。


 何をしようとしているかは知らない。

 だが、きっと、隙を作るぐらいはできる。


 体が軋む。

 全身が押し潰されそうだ。


 それでも。

 この一瞬の、今だけは、動け――ッ!


「ぉぉぉおおおおおおおおおおおおお――――!!」


 振り上げられた大剣が、バーバラの体を斬り裂いた。

 大量の鮮血が、勢いよく溢れ出す。


 バーバラは自身から漏れていく血液を見ていた。

 愉悦から能面へ、能面から憤怒へ。激情で表情が鬼のように歪んだ。


「うざったいんだよ下等生物ども!! 全員みぃんな、砕け散れェ!!」






 バーバラの体から魔力が迸る。初めて見る赤い魔力が、世界の青を穢していく。

 その圧倒的な魔力は、命を燃やして精製されていた。

 荒々しい魔力制御は、化け物じみた術式演算能力で補う。


 発動する魔術は、特級。

 一〇〇を超えるルーンが組み込まれた、災害を超える天災。

 ガルムの谷ならば容易く崩壊させる、神罰のごとき魔術が構成していき、


「――させない!」


 突然バーバラの横から現れたサーシャが、左腕を伸ばす。

 今までどこにいたのか。驚愕に目を見開くバーバラは、サーシャの姿を確認した。


 サーシャの全身に、茶色く汚れた水が付着していた。湿った音を鳴らし、こちらへ向かってくる。

 戦闘のせいで濁った川に潜んでいたのだと、バーバラは気付いた。


 構成された複雑な術式。スロットへ流れ込んでいく魔力。

 ここで無理やり中断すれば、その反動は凄まじいものになる。

 この魔術は、完成させなければならない。


 バーバラの魔術が先か。

 サーシャの魔術が先か。


 その戦いは、バーバラが勝った。

 サーシャが魔術を発動する前に、バーバラの準備は整った。


 あとは、詩を紡ぐだけだ。

 バーバラは口角を吊り上げ、詩を紡ぎ――直前、サーシャの左手が、バーバラの体に触れた。


「乱せええええええええええええええええええ!!」


 ――次の瞬間、バーバラの体内に蓄積されていた魔力が、暴走した。


 体内で暴れ出す魔力は、すなわち生命力の氾濫だ。

 老人の、ただでさえ酷使されてボロボロになっていた肉体に、そのような現象が発生すれば、どうなるのか。

 それは今、バーバラが身を以て証明する。


「あ、ぁが、はっぁ、ああばがばばがばあばばがあばばあばばがばばあばがばばあばがばばあばがあああああああああああああ……ッ!!」


 頭皮から、鼻から、耳から、毛穴から。どろりとした血液が、人体の穴という穴から溢れ出す。

 肌が、肉が裂ける。そこからさらに血液が漏れ出る。バーバラが立っていた地面に、急速に血溜まりが広がっていく。

 血涙を流して、バーバラは絶叫した。


「《操魔》キザマぁ! ボグの魔力を操っダなァ!!」


 サーシャは魔術を発動させたのではなかった。

『操魔』で、バーバラの魔力を乱したのだ。


 サーシャが自由に扱えるのは世界の魔力、すなわちマナだけだ。

 だが苦手とするだけで、生物の魔力――オドを操れないわけではない。

 身体の接触により、オドの操作を可能としたのだ。


「だゲれどもねェ! この程度じゃあ、ボグはドまらないんだよ!!」


 肉体が崩壊していくのを実感しながら、体内の魔力を狂わせながら、それでも術式は壊れない。

 体外に漏れ出た分を、再び魔力をスロットへ流し込む、今度こそ魔術を発動しようとする。


 オドの操作で集中力を切らしたサーシャには、何もできない。

 だが、ここにいるのはサーシャとグランだけではなかった。


「いっけええええええ、レイラああああああああああああああ!!」






 作戦外のことが、いろいろ起きた。


 グランがやられた。これでは隙が作りにくい。

 バーバラが雷を頭上に生み出すとは思わなかった。これでは作戦は使えない。

 サーシャが咄嗟に魔術を使ってくれたのは幸運としか言えない。


 グランが反撃した。これで、予想よりずっとやりやすくなった。

 バーバラが特大の魔術を使おうとした。そこで、レイラは怯んでしまった。

 サーシャが機転を利かせなければ、この時点で終わっていた。


 そして、今。

 仲間たちの補助を受けた、最高のタイミング。


 魔力は使わない。勘付かれてしまう。

 高速で近づかなければならない。対処されてしまう。


 ならば、どうするか。


「アタシ自身が、砲弾になることだ――――ッ!!」


 ガルムの谷を登って待機していたレイラが、飛び降りる。

 高低差一〇メートルの距離が、加速的に近付いてくる。


 落下地点にいるのは、憎き老女。

 最高の立ち位置だ。


 直前で気付いたバーバラが、驚愕で顔を上げた。

 絡み合う視線。読み取られる想い。だが、もう作戦も何もない。

 心にあるのは、バーバラを倒すという意思のみ。


「ゴんなやヅらにぃぃぃぃィィィィイイイイイイイイイイイイイイ……!!」


 レイラは腕に抱えた頭ほどの岩を、衝突に合わせて振り下ろした。


「おっらああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 どごん、べちゃり。

 岩はあっさりと生身の防御を貫き、鈍い音を立てた。


 地面に衝突しそうになったレイラは、サーシャの風魔術によって助けられる。

 それでも、腕にかかった負荷は相当なもので、異常な痺れを覚えた。もしかしたら、骨に罅が入っているかもしれない。


「ああ、そんな……私は――」


 その声に、レイラは痛みを我慢して、地面に転がったまま振り向いた。

 サーシャが、グランが、レイラが、待機しているリースが見つめる先で。


「フィラム……ユミル……。……ごめん、なさい……、ね…………」


 封魔の里を滅ぼした仇が。

 獣族の里を滅ぼした首謀者が。


 青い瞳をしたバーバラが――その命を絶たれて、地面に崩れ落ちた。

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