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第三〇話 レイラ・セレナイトという少女

 封魔の里と呼ばれる、森の奥にひっそりと存在する地。

 木造の家が閑散と建ち、畑の側を流れる細い川が、ゆっくりと流れていた。

 人口も少なく、文明的にも外界に劣る空間だ。


 そんな里で、二人の少女が駆けていた。


「待ちなさい、サーシャ!」


「へっへん。こっこまーでおーいでー!」


 先頭を走るのは、サーシャ・セレナイト。

 長い銀髪と青い瞳を持った、もうすぐ一一歳になる少女である。


 サーシャを追いかけるのは、レイラ・セレナイト。

 亜麻色の髪と緑の瞳の、一三歳の少女だ。


 何をやっているのかと言えば、ただの追いかけっこだ。

 この里は娯楽が少なく、やることはこんな追いかけっこか、修行しかないのだ。


 実は、レイラは修行が、けっこう好きだったりする。

 尊敬するセレナイト家の大黒柱であり、義父である男が教えてくれるのだ。やる気が出るというものだ。

 その熱意あってかレイラの伸びは早く、魔力に目覚めた一〇歳から、一年で生活魔術を習得した。


 対してサーシャは、修行に苦手意識があるようだった。

 魔力資質が優れる証である青い瞳を持ち、実際魔力を視覚的に捉えることができるというのに、魔力精製に違和感を持っているそうなのだ。

 決して修行が嫌いではなく、魔術は好きらしいのだが。


 まあとにかく、今日はサヴァラが里から出かけているため、追いかけっこをしているわけだ。

 今日中にサヴァラは帰ると、レイラは聞いている。きっと食料品を買い込んでいるのだろう。

 様々な調味料、味気ない野菜と質素な肉も、義母ナターシャの手にかかれば絶品に変わる。


 じゅるり、と妄想に暮れていると、いつの間にかサーシャとの距離が離されていた。

 危ない危ない。口の中にいっぱいになった唾を飲み込むと、慌てて後を追いかける。


 サーシャは運動があまり得意でなく、レイラはこの年齢での平均より運動神経が高い。

 二人の距離がどんどんと詰まる。


「おや、サーシャちゃんにレイラちゃんじゃないか」


 と、もうすぐ追いつくというところで、横から声をかけられた。

 サーシャに集中して周囲を気にしていなかったレイラは、びっくりして足を止めてしまう。


 横を見れば、そこには銀髪と青い瞳の老女がいた。

 サーシャの出産に手を貸してくれた人――ドーリャ・シスバだ。


「ドーリャお婆さん、こんにちは!」


「はいよ、こんにちはー」


 封魔の里に住人は、ほとんどが女性だ。そして封魔の血を引く住人は、銀髪と青い瞳を持つ者が多い。

 しかし、外から拾ってくる子供も多いので、住人すべてがそういうわけではない。


 レイラも拾われてきた身だが、みんな優しくしてくれる。

 だからレイラは、この里と住人たちを心から愛していた。


 丁寧に頭を下げてから、再び走り出す。

 サーシャとの距離は、レイラが立ち止まっている間にずいぶんと離されていた。


 絶対に追いついてやる。

 レイラは胸の苦しみを我慢して、サーシャに追いすがる。


 サーシャは森へ向かって走っていた。

 でこぼこな山道を走るのはつらい。なんとかそれまでに捕まえようと、レイラ足を速めた。


 さあ、もうすぐ追いつく――


「お、レイラじゃん。どうしたんだ?」


 といったところで、再び声をかけられた。

 二度目だが、レイラの驚きは一度目の比ではなかった。


「あ、アリュン……!」


 アリュンはサーシャに気付いてないのか、レイラにしか注目していない。

 レイラはおどおどしている間に、サーシャは森の奥に踏み入ってしまった。

 だが、レイラはそれに気にかけている暇はなかった。


(ど、どうしよ、アリュンだ、アリュンだ……!)


 アリュン・ルメニア。銀の短髪の少年で、歳はレイラと同じ一三歳。

 彼は前から里に住んでいた住人と、外から拾われてきた住人の間から生まれてきた子供だ。

 封魔の血は強く、いくらほかの血と交わろうが、高確率で銀髪で生まれてくるのだ。


 だが今は、そんなことはどうでもいい。重要なことではない。

 とにかく、高鳴った心を落ち着かせなければ。


「どうしたんだ、レイラ。熱でもあるのか?」


 焦っていると、アリュンが左手をレイラへ伸ばした。

 固く目蓋を閉じたレイラ。次に感じたのは、額に触れた人の温もり。

 目を開けると目の前に、アリュンの小難しそうな顔が目に入った。


「ふんふん、熱はない……? いや、やっぱ熱い? わっかんね……っておい、どこに行くんだ!?」


「と、トイレー!」


 ……自分は何を言っているんだ?

 レイラは後悔と羞恥によって、顔を真っ赤にして逃げ出した。


 アリュンはレイラが風邪でないことを察したのか、それとも引いてしまったのか、追いかけてはこなかった。

 顔が熱い。心臓が飛び跳ねて、口から出るかと思った。


「平常心、平常心……」


 アリュン・ルメニア。

 何を隠そう、いや隠せてなどいないが、いや本人には気付かれてないし――ともかく! 何を隠そう彼は、レイラの初恋の相手である。


「落ち着けアタシ、落ち着けアタシ、落ち着けアタシ……」


 そう自己暗示をかけながら全力疾走のレイラ。間違いなく冷静になれていない。

 そうして鬼気迫る雰囲気を漂わせていると、


「ばぁ!」


「ぎゃあああああああああああああ!?」


 突然横の茂みから突撃かましてきたサーシャに、レイラは絶叫を上げた。

 なんということはない。一つの思考に囚われていたところで驚かされ、レイラが犯人の思惑以上にびっくりしただけである。


 ぽふ、と腹部に、柔らかい衝撃。それでも、腰を抜かしかけていたレイラに、耐えられるはずもない。

 レイラは抵抗もできず、尻餅をつかされた。


「い、ててて……」


 レイラは腹部にまとわりつくサーシャを確認する。そして、大きくため息をこぼした。

 サーシャがレイラに抱き付いて、だらしない笑みを浮かべている。あ、こら、涎が付く。

 レイラは慌ててサーシャを引きはがした。脇に手を添え抱えると、呆気なくサーシャは離れた。


 まったくこの子は。もうすぐ一一歳だというのに、まだまだ子供だ。

 一〇歳過ぎたら『れでぃ』だろうに、まったく。


「ほら、さっさと戻るわよ。今日はサヴァラさんが帰ってくるんだから。料理のお手伝いしないと」


「でもレイラ、料理できないよね?」


「ぐっ……」


「それと掃除と、洗濯と、整理整頓と、あと……」


「もういいやめて、言わないで!」


「家事全般」


「ぐ、ぐぐぐぐぐ……」


 言い返す言葉もない。

 レイラは基本的になんでもそつなくこなせるが、家事だけはどうしようもないのだ。

 対してサーシャは、ナターシャの才能を引き継いで、家事万能であった。


 乙女として、勝るところが見つからない。

 いや、でも、しかし。ここはオトナとして、姉として、れでぃの威厳を見せねばなるまい。


「あ、アタシだって、卵の殻ぐらい割れるわよ!」


「よく失敗して、殻が入っちゃうよね」


「…………」


 完敗だった。






 ふ、ふん。べ、別に気にしてないわよ。

 だ、だいたいアタシが本気出せば、イチコロよイチコロ。

 け、経験だってこっちのほうがあるんだから。恋してるのよ、恋。

 サーシャはしたことないでしょう? アタシはあるわ。オトナでしょ!


「まだ、実ってないや……」


 ついでに言うと、胸もない。

 惨めったらしく言い訳を続けていたレイラだったが、その結論を出して絶望して、考えるのをやめた。

 ここまま続けても虚しいだけだ。

 レイラは小さくため息をこぼした。


「どうしたの、レイラ?」


「なんでもないわよ……」


 レイラとサーシャは森の中、里を目指して歩いていた。

 まだ日は高いが、サヴァラがいつ帰ってくるかはわからないので、早く家に戻っておきたい。


 レイラはサーシャの左手を取って、歩みを速めた。

 サーシャは左利きだ。これも、封魔の血を継ぐ者の多くに現れる特徴である。


 森に入ったが、そこまで深いところまでは行っていない。

 歩いてすぐに、木々の隙間から里が見えてきた。


 やっぱり、ここは安心する。

 レイラは小さく微笑んだ。そんな彼女を見て、サーシャは思い出したように、懐から何かを取り出し、レイラに突き出す。


「レイラ、これ!」


「なに……ってこれ、アオツメじゃない!」


 サーシャの手にある黒いクローバーの葉と茎、その先の青い花を見て、レイラは驚きの声を上げた。

 そんなレイラを見て、サーシャはニヤリと、似合わない不敵な笑みを浮かべた。


 アオツメ。

 幾重にも爪を重ね合わせたような、青い花を咲かせることから、そう名付けられた。


 アオツメは、治療薬の一種である。

 治療薬と言っても、怪我や病気を治すわけではない。いや、副次効果として治ることはあるが、本当の効果は違う。


 ――生命力を回復させる。


 それが、この花の本当の効果だ。

 すり潰したアオツメを水に溶かして飲めば、生命力を回復させることができるのだ。

 効果は絶大。健康にも美容にも効く、まさに奇跡の花。生命花と呼ばれるほどだ。


 しかしアオツメは非常に希少で、澄んだ魔力が満ちた地にしか生えない。

 霊泉大陸に渡ったことがあると言うサヴァラが言うには、雑草と思えるくらい大量に群生しているそうだが。


 ここは中央大陸南東部。すべての霊脈の始まりである霊泉大陸に一番近い。

 だが、たとえ優れた探検家だろうと、一生の内に見られる可能性は少ない。それくらい、アオツメは希少なのだ。


「これ、どこにあったの?」


「さっき、わたしが隠れていたところの茂みに生えてたよ」


 レイラは沸き立つ心を抑えられなかった。

 アオツメを売れば、どれだけの金になるだろうか。田舎者ということで足元を見られても、一本で金貨一枚は下らないだろう。

 この里だって、もっと裕福になる。


「さ、サーシャは先に帰ってて!」


「え? でも、早く帰ろうって……」


「事情が変わったの! サプライズよ! アタシがアオツメを集めてくる。サーシャはサヴァラさんが帰ってたら、なんとか誤魔化しておいて!」


「さぷらいず……うん、わかった!」


 レイラはサーシャの頷きを聞くなり、すぐに今来た道を戻る。

 心は晴れやかで、希望で満ち溢れていて、まだ手に入れていないというのに、達成感が溢れてくる。


 この里に貢献すること。

 それがこの里に拾われたレイラの、人生最大の恩返しだと思っていた。

 ようやくチャンスが来たと、思ったのだ。


 ……そのはずだったのに。






「……ふう、こんなものかしらね」


 ざっと地面に積み上げたアオツメの束を見て、レイラはほくほく顔だ。

 見える範囲にまだ生えているが、すべて摘んでしまうわけにもいかない。とりあえず今運べる分だけを持っていく。


 質素な服をめくり、そこにアオツメを入れていく。

 お腹が見えるが、仕方ない。こちとら一三の子供なのだ。ちょっとぐらいのやんちゃは見逃してほしい。

 オトナ? れでぃ? 子供だから、難しい言葉わかんない! 金の前では、みな餓鬼でしょ?


「おっとと」


 アオツメを落とさないよう、しっかりと服にアオツメを積み上げ、焦らず走る。

 空はいつの間にか、夕暮れで赤く染まっていた。今の今まで気づかなかった。ずいぶんと集中していたらしい。

 もしかしたら、もうサヴァラが帰っているかもしれない。サーシャはちゃんと誤魔化せているだろうか。


 不安と、それを上回る幸福感で、レイラは頬を紅潮させていた。

 早く早く、と気持ちが急いている。アオツメは、少したりとも落としたくない。ゆっくりゆっくり、と理性で抑え込んだ。


 しばらくして、里が見えてきた。

 夕焼けに赤く染まった里が、目に入る。……?


「あれ……?」


 おかしいな。

 家が。

 畑が。

 里が。




 火。火。火。火。

 火、火、火、火、火、火、火、火、火、火。

 炎、炎、炎、炎、炎、炎火炎炎火火火火煙炎火炎炎煙火炎――――。




 ――炎に包まれ、燃えているように見える。


 目が、おかしくなったのだろうか。

 脳が、狂ってしまったのだろうか。

 夢を、見ているのだろうか。


 だって、そんな、こんなの。

 現実であるはずが、ない。

 現実であっていいはずが、ない。


 見間違いだ。

 勘違いだ。

 幻覚だ。

 悪夢だ。


 絶対にそうに決まっている。

 そうでなければ、おかしい。

 そうでなければ、いけない。

 そうでなければ、だめだ。


「――ぁ?」


 いくつもの人影が見えた。五人ほどで、地面にぽっかりと空いた穴を囲んでいるようだった。

 何をやっているのだろうか。

 呆然と眺めていると、穴から何かが這い出てきた。しわしわの肌の老女――ドーリャ・シスバだった。


 もうすぐ、穴から這い出ることができる。その瞬間、灰髪の男がドーリャを蹴落とした。

 一人が、何やら指示を出した。周囲の人影は頷くと、近くに積み上げていた土の山を、穴へと蹴落としていく。


「……ゃ、やめ…………」


 レイラが呆然と紡いだ言葉は小さく、そもそも遅かった。

 穴は完全に埋まってしまった。その上を、黒装束の男たちが踏み均す。


 レイラは助けに行くこともできず、しかしこの場から逃げ出すこともできず。

 服に入れていたアオツメを取り落して、我武者羅に炎に包まれた里へと駆け出した。


 これは夢だ。

 これは現実じゃない。

 自分にそう言い聞かせて、このまま行けばセレナイト長老宅があるのだと日常を思い起こして、走って走って走って。


 レイラは見た。


 大きなかめがある。黒装束の男が、誰かを甕の中に押し入れている。

 抵抗したのか、その誰かは甕から顔を出した。ドーリャ・シスバの夫の、老人だった。

 しかし抵抗虚しく、再び甕の中に押し入れられた。やがて力尽きたのか、動かなくなった。


 現実じゃない! 現実じゃない! 現実じゃない!


 恐怖を現実逃避で誤魔化して、レイラは見捨てる。

 見捨てて、走った。間もなく、何かに躓いて転んだ。

 それが何か、確認した。


 レイラは見た。


 友達の少女だった。首から上を除いて、焼かれていた。

 ゆっくりと焼き殺されたのか、顔は血液が沸騰したかのようにぶくぶくと膨らんでいた。


「夢だ夢だ夢だ夢だ夢だ、夢、夢夢ゆめ夢ゆめ、夢、ゆめだ……っ!」


 認めない。

 認められるわけがない。

 こんなの嘘だ。偽物だ。

 夢を見ているんだ。これは悪夢なんだ。


 現実では、酷くうなされているんだろう。

 サヴァラさん、ナターシャさん、サーシャ、早くアタシを起こして!


「ぎゃ、がぁ、ぐぎぃぃぁあああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 絶叫が聞こえた。少年の声だった。聞き覚えがあったけれど、一瞬誰のものかわからなかった。

 なぜならその絶叫には、今まで聞いたことのない、深い絶望が込められていたから。


 こんなの嘘だ。こんなの嘘だ。こんなの嘘だ。

 レイラはうわ言のように繰り返し、声の発生源へと向かう。


 レイラは見た。


 目を抉られて、何もない眼窩。

 髪を毟られ、血が滲み出る頭皮。

 鼻を落とされ、平らになった顔。

 耳を削がれ、丸くなった頭。


 それが誰だか、わからなかった。

 だが、それも一瞬。赤く染まった服、それを今日、目にしている。


 彼は、レイラの初恋の少年――アリュン・ルメニアだった。


「さあさあさあさあ、ジェイド・エイド・ムレイ。彼を壊してしまいなさい! 憎悪を、憤怒を! それを上回る絶望を、ボクに見せて!」


「了解しました、使徒様」


 アリュンの横に佇んでいた二人が、何かを言っている。その意味が、理解できない。

 レイラには、何がなんだかわからない。


 ジェイドが足を振り上げ、アリュンの膝に振り下ろした。

 ぐぎり、と何かが砕ける音がした。


「ぎゃ、あああ、あああああアアアあああアアアああアアアアアアアアアアア!? いだい、いだいぃぃぃ! ――――ァアっ!?」


 叫んでいたアリュンの顔を、老女が踏み付けた。

 ばぎり、という音。


「まだお残しがあったではないですか、ジェイド・エイド・ムレイ。歯が残っていたよ」


「これは、申し訳ありません。失念していました」


「っと、ああ、力加減を間違えちゃった。もうココロを感じないなぁ。つまらない。さてさてさて、次に行こうか」


 二人がどこかへ立ち去っていく。

 また、誰かを殺しに行くのだろうか。そう考え付いても、立ち向かう勇気は出てこない。

 現実感が、まったくない。


 レイラは呆然と、アリュンの元へ向かう。

 アリュンはまだ息があった。しかし、それも少しだけだろう。


「アリュン……」


 体を揺する。


「アリュン、アリュン、……アリュン!」


「……れぃ、ら?」


 アリュンが返事をした。レイラは彼の震える手を握る。


「はやぐ、にげろ……」


「そんなの、できるわけないでしょ!」


「れぃら……」


「何よ!?」


 彼は言った。


「おれ、じづは、さ。おまえのごと……」


 アリュンは最後まで言い切ることなく。

 震えていた手から、力が抜けた。


 アリュンが何を言いたかったのかも、わからないまま。

 彼の体が、次第に冷たくなっていく。


「あああ、あああああああ、ああああああああああああああ……」


 傍にいれば、胸が温かくなった。

 苦しくて、はち切れそうで……それが、心地よかった。

 彼の隣は、いつも温かかった。


 ……もう、何も感じない。

 彼は、アリュン・ルメニアは。

 今この瞬間、死んだのだ。


「ああ!! ああああああああああああああ!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 現実と夢も、何もわからない。

 逃避する余裕すらなくなった。


 そして悲しみに暮れる彼女に、声がかかった。


「おやぁ? おやおやおやおや。やっぱりこの手でトドメを刺そうかと戻ってきてみれば……。生存者ぁ、見ぃつけたぁ」


 背後から、老女の声がした。

 もう、自分も終わるのだ。……こんな地獄、死んだほうがマシだ。

 レイラは諦めて、目を閉じて、


「レイラ――!」


 体が誰かに抱えられた。

 この温もりは、知っている。この声を、知っている。


 目を開ける。

 そこにいたのは、くすんだ銀髪と青い瞳の男。


「無事で、よかった」


「ざヴァラ、ざん……!」


 いつの間に涙を流していたのか、レイラの声は震えていた。目からは溢れる涙が止まらない。

 サヴァラは安心させる笑みを作ってレイラを見ると、次いで目の前の老女を睨み付けた。


「《虚心》の使徒……テメェ、ずいぶんなことをしてくれたじゃねえか! この借りは、死で償ってもらうぞ!」


「まあ、そうだよねぇ、サヴァラ・セレナイト。君の怒りはもっともだ。里を失って、世界が終わらせるために、妻をボクらに差し出すよりもさ。里も無事で、世界を救う代わりに妻を死なせるほうが、ぜーったいにいいもんねえ」


「わかったようなこと、言ってんじゃねえよ!」


 サヴァラは怒鳴り返した。

 誰かが駆け寄ってきた。首を回して見てみると、そこにはナターシャがいた。


「サーシャは!?」


「レイラは見つけたが、サーシャは見つけられなかった! チクショウ、魔王教のクソッタレどもが!」


 二人の会話を聞いて、サーシャがまだ見つかっていないのだと悟った。

 早く見つけなければ、サーシャもみんなのように――


「――みんなのように、殺してあげましょうかねえ」


 言葉を紡いだ老女。その横に、ジェイドと呼ばれた男が立つ。

 レイラが注目したのは老女やジェイドではなく、ジェイドに両手首をつかまれ、動くことのできない少女の姿。


「お父さん! お母さん! レイラ!」


「ほら、返してあげましょう」


 サーシャが高く放り投げられた。空中で回転し、老女たちとサヴァラたちの間に落ちていく。

 サヴァラはレイラを抱えていて、すぐに動けない。代わりに駆け出したのは、ナターシャだ。


 ナターシャが、サーシャの落下点に移動した。どういうわけか、レイラであっても目にできる魔力が、ナターシャの左腕に集っていく。

 そのとき、老女が魔術の風を放った。


 狙いはナターシャではない。

 この場の全員の注目を集める、サーシャに向かって――


 ――バシュ。


 骨肉を裂く音。

 血。


 レイラはもう、耐えられなかった。

 朦朧としていた意識が、完全に途絶える。


 最後に見えたのは、ナターシャに抱きしめられたサーシャ。

 そして、地面に落ちていく、サーシャの左腕……。






 レイラは意識を取り戻した。

 あれからしばらく経ったようで、空は暗くなっている。


 自身の姿を確認する。

 服は泥と、アリュンの血で染まっていた。

 悪夢では、なかったのだ……。


 吐いた。


 横を見ると、サーシャが眠っていた。

 左腕は――あった。

 あの景色は、あの景色だけは、幻だったのだろう。


「レイラ!」


 目の前のサヴァラに声をかけられ、そのときようやく、この場にサヴァラがいたことに気が付いた。

 サヴァラは右目を怪我しているらしく、血を垂らしたまま開かない。

 レイラは周囲を見回す。ここは森の中のようだった。


「ナターシャさんは?」


 この場にいなければならない人物の居場所を尋ねる。

 サヴァラは顔を悲しみに歪めた。サヴァラはナターシャについて、何も言わない。


「レイラ、よく聞け」


「ねえ、ナターシャさんは!?」


「サーシャを連れて、遠くまで逃げるんだ! ……遠くまで、逃げるんだ」


「ナターシャさんはどこ!? みんなで一緒に逃げるの!」


「レイラ……」


「一緒だよ! ナターシャさんもサヴァラさんも、一緒に……」


「――レイラ!」


 サヴァラの気迫に、レイラはビクリと体を震わせた。

 罪悪感に染まるサヴァラの表情。それも、すぐに真剣な面持ちに変わる。


「逃げるんだ、レイラ。お願いだ……逃げてくれ」


 レイラはもう、何も言えなかった。

 サヴァラは覚悟を秘めた目をして、駆け出して行った。

 義父の後ろ姿が、次第に遠ざかっていき……木々に隠れて見えなくなった。


「サーシャを……連れて……。アタシが……守る……」


 ナターシャが守った娘。

 サヴァラが託した妹。

 彼らの願いに、彼らが大好きなレイラが、断れるはずがなかった。


「……サーシャ。起きて、サーシャ」


 サーシャの体を揺する。

 サヴァラの頼みを聞き入れたのだ。絶対に、破ったりしない。

 とにかく、ここから離れなければならない。どこか、遠くへ。


「う、ううんぅ……」


 サーシャが目を覚ましたようだ。ゆっくりと、目蓋が開かれる。

 生きているとわかっていたはずなのに、レイラは安堵した。


「ほら、サーシャ、起きるわよ」


 里のみんなはいない。

 初恋の人は、もういない。

 義母もいない。

 義父もいない。


 けれど、妹さえいれば。家族がいれば。大切で、守りたい人がいれば。

 サーシャさえ傍にいてくれるなら、なんだって耐えてみせる。


 そう、心に誓って、


「……あなた、だれ?」


『誰か』の赤い瞳は、レイラを他人として映していた。



     ◇



 レイラは震動によって、暗い洞穴の中で目を覚ました。

 あの日の夢を見た。すべてが狂った、あの日の夢を。


 あの地獄から逃げ出しても、程度が変わっただけだった。

 村や町を転々と移動する日々。迫害される妹を庇って、いつも逃げていた。


 赤い瞳。遠慮ばかりな妹の、まるで他人を見るような視線。

 いや、彼女にとって自分は、ただの他人だったんだろう。だって、記憶がないんだから。


「……っ」


 じくじくと体が痛んだ。

 打撲の痕には青痣ができている。


 あの日、大切な人をたくさん見殺しにして、助かってしまったから。

 きっと今感じているのは、あの日レイラが与えられるべきものだったんだろう。


 特別な才能も境遇もなくて。

 掟も因縁も何もなくて。

 ただ拾われただけの、平凡な人間なのに。


 どうして自分に関係ないものに、人生を狂わされなければならないのだろう。


「……もう、いや」


 誓いは、自分の手によって裏切られた。

 執念染みた想いもなくなって、感情が薄れていく。

 このまま、抜け殻のようになってしまうのではないか……なってしまいたいと、思うほどで。


 もうこのまま、消えてしまおう。

 レイラは最後の最後で諦めて、目を閉じようとして。


 なのに。


「なんで今、アンタがここに来るのよ……!?」


 檻の外。

 そこに、一人。


 ああ、見間違えるはずがない。

 銀色の髪。赤になってしまった瞳。白く綺麗な肌をした、童顔の少女。


「……レイラ。あなたが今まで、わたしを守ってくれたみたいに――」


 サーシャ・セレナイト。

 三年前、ふざけた彼女がたびたびしていた、不敵な笑みを浮かべた。

 ニヤリ、と。


「――わたしも今日から、あなたを守る」

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