第二五話 憎悪に狂える獣
「さっきはわりぃな、サーシャ」
部屋を出て廊下を歩きながら、ミコトはサーシャに謝った。
なんのことかと言うと、もちろんそれは、サーシャの首を絞めたことだ。
「ミコトが謝ることないよ。わたしが頼んだことなんだから」
「それでもな……」
ミコトの内心は複雑だ。
別の、もっと効果の出る作戦があったのではないかと、どうしても思ってしまう。
だがあのときは、サーシャが考えたあんな作戦しか、思い浮かばなかった。
「それに、あんまり訊き出せなかったし……」
いくらか訊くことはできたが、核心は知れないままだ。
少しばかり自信のあった話術は、フリージスにはあまり通用しなかったように思える。
「そんなこと言ったら、一年間一緒にいたのに訊き出せなかったわたしは、どうなるの?」
「うぇ!? いやいや、そもそもこんな状況にならなきゃ、あんな作戦する必要もねえんだから。だいたいそういうのは、役割ってもんがあってだなぁ。俺はその役割をこなせなかったわけでだなぁ」
危機が迫らなければ、首を差し出す行動など取れるはずがない。
誘導尋問のようなことも、サーシャの話術レベルを考えると、できないと言わざるを得ない。
サーシャの言葉に、ミコトは『自分』というものに気付かされた。心に訴えかける言葉の数々が、ミコトを救い上げた。
だが、それはサーシャの話術が上手いというわけではない。
そんな少女一人が、飄々と本心を見せないフリージスから何かを訊き出せるとは思えない。
「もう、ミコトは頑固だよ。そんなに自分を卑下しないの」
「お前が言うかよ、ったく」
「言うよ。何度でも」
「……ったく」
そう真正面から言われると、照れ臭いものがある。
ミコトは照れを誤魔化すために苦笑する。
ミコトが自分を偽らなくなったおかげか、見方を変えたおかげか。サーシャからは、遠慮のようなものが消えた。
『強い主人公』から『弱い少年』になったことで、以前よりも信頼されるとは、なんという皮肉だろうか。
「ったく、ほんとに……」
二人、示し合わせたように階段の前で立ち止まる。
独りではないことで。誰かが傍にいることで、こんなにも安心する日が来るとは。
この世界に落ちて、主人公のようになると決めたときには、思いもしなかった。
その誰かが、抱きしめれば折れてしまうのではないかと錯覚してしまうような、年下の華奢な少女だなんて。
きっと数日前にタイムスリップして『ミコト・クロミヤ』に教えたところで、信じなかったに違いない。
「悪くねえな、こういうの」
ミコトはぽつりと、小さく呟いた。
「なにか言った? ミコト」
「いんや、なんでもねえよ」
苦笑して、ミコトは。
「んじゃ、第二の交渉に行くか」
二人は階段を、並んで降りていく。
向かう先は宿屋の一の食堂。その一角にいる、一人の男の元へ。
視線を向ければ……いない。
先ほど宿屋に戻って来たときはいたのに。
ミコトはグランの行方を知るため、カウンターの向こうにいた男に話かけた。
少し前、ミコトたちに文句を言ってきた人だ。
「さっきまであの場所にいた人、どこに行ったかわかります?」
「……ああ、あの人ですか。先ほど出ていきましたよ」
その言葉を聞いて、ミコトは表情を焦燥で歪めた。
「サーシャ、行くぞ!」
「ど、どこに?」
「とりあえず、プラムの門まで走る!」
ミコトはサーシャの手を引っ張って、走り始めた。宿屋の扉を乱暴に開け放ち、視線を周囲に巡らす。
「杞憂かもしれないけど、グランが先走りやがったかもしれない!」
「でも、明日って言ってたよ?」
「あんなの、口約束よりも信用できねえよ。憎しみ任せて前言撤回しやがったらやべえぞ!」
そう伝えると、サーシャも表情に焦りを浮かべた。
人の心に聡いのに、コロっと騙されやすそうな少女である。
「ああくそ、いねえな!」
包帯だらけで隻腕の少年が、見目麗しい少女とともに村内を走り回っている情景は、さぞかし異様なのだろう。町人たちは困惑しながらも、道を開けてくれた。
都合がいい。ミコトは彼らに内心で謝罪すると、そのまま門まで走っていき――見つけられないまま到着してしまった。
「くっそ、どこにもいねえ。まさか、もう出ちまったのか」
歯噛みするミコトに、サーシャが伝えた。
「ミコト、あそこ!」
サーシャが指差した先を見る。プラムの外、草原に向けている。
目を凝らすと、小さな赤い点が見えた。
「まさか、あれがグラン。……目ぇいいな」
「そんなこと言ってないで、さっさと行くよ!」
「ちょっ、ホントに遠慮なくなったなお前!」
「遠慮してほしい?」
「いや、もういらん!」
顔を見合わせて笑ったミコトとサーシャは、一転、気持ちを切り替える。
「行くべさ」
「うん! ……べさ?」
グランの元に辿り着いたとき、二人は肩で息をしていた。
元から体力の上限が低いサーシャは当然。ミコトも体がボロボロで、体力が低下していたためだ。
そうでなければこんな距離、どうということはない。
幸いなのは、グランが移動していなかったことか。まるでミコトたちが来るのを待っていたようだった。
いや、クレイモアを地に突き立てて仁王立ちしているのを見るに、本当に待っていたのだろう。
「わざわざ待っててくれるなんて、良心的だな」
「勘違いするな」
ミコトの軽口を、グランは短く切って捨てた。
「お前たち……特にミコト。宿屋に戻って来たお前を見たぞ。ずいぶんと空気が変わったな」
「おっ、わかる? ほらほらサーシャ、やっぱ俺変わったってさ」
「…………」
「ちょ、そうジトっと見ないで、俺のガラスハートが割れちゃう。……と、真面目にやるか」
ミコトとサーシャの掛け合いを見ても、グランからなんの反応も引き出せなかった。
だから、ここから先は本当の真面目にする。
「話を切って悪かったな。ほら、続きどうぞ?」
ミコトはテヘペロすると、手で『どーぞどーぞ』する。
少しだけグランの眉が、苛立ちでピクリと動いた。
「……説得を諦めていないと確信した俺は、ここで待つことにした」
「もし居場所がわからなかったらどうするつもりだったんだよ?」
「…………お前が聡いのは、この数日間でわかっていた」
「おい今の間はなんだ今の間は。考えてなかったんだなそうなんだな?」
「……結果として、お前たちは来た。それで問題ないだろう」
語気を強めたグランに、ミコトは苦笑いした。
「結果オーライ。いいね、嫌いじゃない。最後に目指した場所に立ってりゃ勝ちなんだからな」
「ああ、そうだ。だからこそ決闘だ」
「……待て! それはいろいろ飛躍してる! ホワイ!? なぜゆえ決闘!?」
ミコトの問いに、グランは懐かしそうに視線を遠くに向けた。
「獣族は男社会で、序列は単純な強さで決まる。そして、序列は絶対だ。下の者は、基本的に上に従順になる」
「……それで?」
「俺を使いたいのなら、戦え、ミコト。そして勝て。一対一でな」
真っ直ぐこちらを見つめる視線に、ミコトは深くため息をこぼした。
内心思う。無理ゲーじゃね?
グランは傭兵業界では有名らしく、《ヒドラ》の通り名を持つほどの獣族だ。
身体強化で補助された運動能力は、常識を超える。そこから繰り出されるクレイモアの斬撃の前には、人の体など脆すぎる。
対してミコトは、戦闘に関しては素人にちょっと長い毛が生えた程度である。魔術も素の力では初級までだ。
さらに言うなら、左腕がない。
これでどうやって勝てと言うのだ。
「ミコト、ここはわたしが」
「グランが指名したのは俺だぞ。男尊女卑みてえなこと言ってるアイツが、認めるか?」
「でも……」
心配そうなサーシャを見て、弱気になってばかりでもいられないな、と覚悟を決めた。
「いいぜ、やろう」
「ミコト……!」
「わりぃサーシャ。お前が体張ったおかげで引き出せた説得材料、使えねえかも」
「そんなこと、別にいいから!」
サーシャを見やり、心配するな、と強気に言おうとして、やめた。
代わりに出たのは、別の言葉。
「俺を信じろ! 応援頼むぜ、サーシャ!」
「……、――うん!」
そして、ミコトとグランに向く。
グランは腕を組んで、目を逸らすことなくミコトを睨んでいた。
「戦おうか」
「まあ待ちんさい。まずはルールを決めよう」
「……ルール?」
小さく眉根を寄せるグランに、ミコトは短い時間で頭を回し始めた。
「勝利と敗北の条件はどうする? 降参か? ……それとも、絶命?」
「…………」
「命のやり取りなら、こっちが戦う意味がなくなる。俺たちは、生きて戦ってくれる仲間を求めてんだからな。死んだ奴はいらねえんだよ」
グランが黙することをいいこと、ミコトは一気にまくし立てる。
「そうなると、こっちは殺傷レベルのことができないんだが……獣族の決闘じゃ、不公平な条件ってありか?」
「ないな」
「だったらグラン、お前は剣を使うな。魔術もなしだ。素手でやれ。俺も素手でやる」
ミコトは右手を握りしめて、グランに突き付けた。グランは頷いて了承した。
ミコトはそのあと、気まずそうに、
「ちなみに俺、左腕がないわけなんだけど、そこら不公平じゃね?」
「それはお前の弱さが招いたことだろう。それに付き合うつもりはない」
「だろうな。それはなんとなくわかってた」
だが、期待していなかったと言うと嘘になる。
落胆を振り払い、ミコトは気持ちを引き締めた。
「で、残りは降参ってわけなんだけど」
「それでいい」
「おっけ」
ミコトとグランは頷き合い、距離を取り始める。
互いに背を向けて歩く。ザ、ザ、ザ、という足音が遠ざかっていく。
短い時間で、ミコトは空を見上げた。
青い空だ。雲は見渡す限り、どこにもない。ただ、斜め上から爛々と照り付ける太陽だけがあった。
初めてこの世界の空が、ミコトの気持ちに合わせてくれたようだと錯覚した。
グランという強敵と戦う直前で、それを超えても問題だらけだというのに、ミコトの心は晴れやかだった。
ミコトは足を止めた。示し合わせたように、背後の足音も同時に止まった。
ゆっくりと振り向いた。目測で一五メートル先に、赤い男がいる。
殺意に近い敵意で、肌がピリピリとする錯覚があった。思わず、膝を震わせそうになる。
……けれど。
ミコトは横を見た。ここから少し離れたサーシャが、見守ってくれている。
彼女がミコトに向ける心配は、いつの間にか信頼の比重が勝るようになっていた。
そのことが――とても、誇らしい。
「さあ、やろうぜ、グラン!」
「ああ。決闘を始めよう」
そして、ミコトとグランが相対した。
「己の執念を賭けて! バステート集落出身、グラン・ガーネット!」
「えっ、なにその名乗りかっこいい! じゃねえ、えっと、そう! 己の想いを賭けて! 異世界地球日本東京、母さんのお腹出身、黒宮尊! もしくはミコト・クロミヤ!」
『参る――ッ!!』
◇
グランとの決闘を条件付きながらも受けたのは、勝算があったからだ。
一つは、剣術と魔術も封じて、相手の力を削ぐことができたこと。
しかし。
「くっ……」
決闘開始直後、グランが瞬く間にミコトと距離を詰める。フェイントもない、ストレートの拳が迫る。
凄まじい速度に、ミコトは慌てて避けた。
グランは身体能力に優れた獣族である。
そのことを魔術の理不尽さを目の当たりにして、ミコトは魔術という存在に囚われすぎた。失念していたのだ。
今度は両方の拳を使ったラッシュだ。
頭を傾け、腹を引っ込ませ、体を捻らせることで避けようとするが、一秒の間に何発も放たれる拳を、いつまでも回避できるはずがない。
腹部に一撃が入り、一瞬だけ息が止まる。ミコトは咄嗟に腹部に手を這わせ、体を折る。
隙を見せたミコトに、グランは容赦しない。
体を前に倒したミコトの顔面目がけ、膝を突き入れようとする。
ミコトの眼前に膝が迫る。
幸い、ラッシュのため一撃一撃が軽かったおかげで、意識が飛ぶほどではない。
ミコトは激痛を我慢して、横っ飛びに膝蹴りを避けた。
たった数秒の攻防で、すでに戦いの形勢は傾いている。
ミコトは改めて不利を悟った。
だが。
まだ、勝算が消えたわけではない。
「――――」
停滞した世界の中、ミコトは目を閉じる。
己の内へ、『意識』が入り込んでいく。
『眼』が、それを視認する。
夢想の『手』を伸ばす。
そして――『黒い塊』に触れた。
瞬間、全身を覆い尽くすような鈍い激痛が走った。
『最適化』が発動する。
「――――」
目を見開いた。
視界にモノクロの世界が広がる。
何度も死を経験したからか、自分自身を受け入れたことが切っ掛けか。
ミコトはいつの間にか、『最適化』を不完全ながらも制御できるようになっていた。
『最適化』にはミコトが把握する限り、二つの種類がある。
強制的にミコトの体を操る『行動の最適化』。
そして、知識や超感覚などを与える『状態の最適化』。
ミコトは後者を、不完全ながらも使えるようになっていた。
白黒の色彩のグランが迫る。その速度は先ほどと比べて、ずいぶんと緩やかになっていた。
いや、グランだけではない。世界のすべてが遅滞していた。
ダッ、と駆け出す。踏み出す衝撃はなく、滑らかにグランに懐に入り込んだ。
隙だらけの腹部に、右の拳を叩き込む。しかしギリギリのところで、グランの左腕が滑り込んできて、ミコトの拳を払った。
いきなり動きにキレが出たミコトに、グランの反射神経が追いついたのだ。
さらに言うと、ミコトの体感時間に変化が生じたところで、グランが実際に遅くなったわけではない。
ミコトが獣族の身体能力を超える速度を手に入れたわけではないのだ。
がら空きになったミコトに、グランの右脚による回し蹴りが迫る。左腕のないミコトには、対処しにくい攻撃だ。
直撃の瞬間、ミコトが屈みこんだ。ミコトの頭上を回し蹴りが通過する。
ミコトが沈み込む勢いは消えない。地面に右手を付いて、ハンドスプリングの要領で蹴りを叩き込む。
最初のラウスとの遭遇時に発動した『行動の最適化』。そのときの攻撃を模倣した形だ。
グランは目を見開いて驚くも、一瞬だけだ。すぐに冷静さを取り戻し、眼前に迫る蹴りを跳び退ることで回避した。
ミコトとグランは、互いに距離を取り合った。目測五メートルの間合いで、相手の隙を探し出そうとする。
草原に、沈黙が広がる。音を立てるのは、風で草が擦れる音だけだ。
「……ッ」
先に動いたのはミコトだ。拳一本握りしめ、グランに向かって駆け出す。
冷めた思考の中に、焦りが生まれたからだ。
ミコトが『最適化』を自由に制御できる時間は限られる。
なぜなら『最適化』は、ミコトの精神に多大な負荷をかける。加えて肉体を限界近くまで行使するため、体力もすぐに消えていく。
初めての制御であるため使用時間は不明だが、一五分は確実に持たない。それまでに、グランに勝たなければならないのだ。
しかし、グランは魔術のない肉弾戦でも強い。『最適化』を使用したミコトと同格である。
さらに言えばミコトに実戦経験は乏しく、グランは豊富。ミコトも知らない、なんらかの弱点を突いてくる可能性もある。
だからこその、短期決戦だ。
できるだけ短い時間で、最大限の効果を発揮させる。
『最適化』のレベルが引き上がる。ガンガンと響く『頭痛』が、さらにひどくなった。
ミコトは右拳を腰に構えた。
グランは迎え撃つように腰を落とし、左腕を矯める。
そして、二人は激突する。
リーチの長さから、先に攻撃を放ったのはグランだ。左の剛腕が、対処しずらい左側の脇腹を狙う。
だが、ミコトは怯まない。体を右斜め前方にずらしながら、前へと踏み出す。グランの拳が、ミコトの左側に逸れていく。
全力で拳を突き出したからか、グランの体勢が勢い余って横を向く。ミコトはがら空きになったグランの左の脇腹に拳を突き入れようとして――違和感。
グランの体が、さらに傾いていく。終いには背中を見せるほどだ。いくら勢い余ってとはいえ、これは明らかにおかしい。
そのとき、ミコトは見た。先ほどグランが放った左拳が、ミコトがいる方向とは見当違いの真横に突き出している。
思えば、どうして利き腕でもない左腕を使った? 対処しづらい位置とはいえ、なぜ左腕で狙いにくい左脇腹を狙った?
――ミコトが避けることを予測したグランが、わざと『体を回す』ためにだ。
その先を予測して、ミコトは慌てて突き出した拳を引き戻そうとする。しかし、勢い付いた攻撃は簡単に戻せない。
そして。
ミコトの右の側頭部に、グランの右脚による後ろ回し蹴りが炸裂した。
◇
ミコトの体から力が抜け、ぐらりと傾く。しかし、ミコトに体勢を立て直す力は残されていない。
そのまま地面に崩れ落ちた。
「終わった、か……」
グランはぽつりと呟いた。
急にミコトの動きにキレが出てきたときは驚いたが、それだけだ。危ないところもあったが、本気を出せばこんなもの。
そもそも、単純な身体能力で獣族に勝ろうとすること自体が、愚かしいことだ。
決闘はグランと勝利と、ミコトの敗北で終わった。
呆気ないと思うと同時、なぜか落胆を覚えたが……まあいい。勝利は勝利。揺らぐことはない。
それで、終わりだ。
グランは吐息をこぼすと、ミコトに背を向けた。地に突き立てたクレイモアの回収に向かう。
そのときだった。
「ミコト!」
草原に、少女の声が広がった。
グランは億劫と、そちらを見る。
銀髪赤眼の少女が、何度もミコトの名を呼ぶ。
無駄なことを、とグランは思う。
脳震盪を起こしたのだ。そう簡単に起き上がれるはずがない。
しかし、グランはサーシャから目が離せなかった。
サーシャ・セレナイト。魔族のような赤い瞳と、『操魔』を持った少女。
彼女と出会ったのは、一年前だ。
酒場で飲んだくれていたところをフリージスに雇われ、そして引き合わされたのが最初の出会いだ。
サーシャは使徒を引き付ける。
フリージスからそう聞いて、護衛として雇われることを承諾した。
それが真実かはわからなかったが、グランには復讐しか縋るものがなかった。
あのときのサーシャは、自己嫌悪に暮れていたように思う。
自分の無力を呪う気持ちは、グランにはよくわかるつもりだった。
集落の獣族たちが炎に飲まれ、セリアンが殺された二年前。グランは里から出て行っていて、守る行為すらできなかった。
だからこそ、奴を殺さなければならない。力を蓄え、どうにかして復讐するのだと、憎悪を心に刻み込んで。
そう。
グランは、強くあろうとしているのだ。
今のサーシャは、自分の弱さを乗り越えようとしていることが、顔を見ればわかった。決意を秘めた戦士の顔付きだ。
グランとサーシャは同じ顔付きをしている……はずだった。
なのに、なぜ違う?
同じ覚悟を秘めた顔ならば、なぜ違いが生まれるというのだ?
どちらかが正しく、どちらかが間違いなのだ。
ならば、どちらが正しく、間違いだ?
「……め、ろ」
グランの中に芽生えた、自己疑惑。
それは、復讐に捧げてきた二年間を否定しかねないものだった。
だから、グランは叫ぶ。
「やめろ! もう諦めろ、そいつはもう立ち上がれない!」
否定するわけにはいかない。
否定させるわけにはいかない。
この想いを貫いた果てには、きっと、きっと――
……いったい、何が待っているというのだ?
「ミコト――!」
サーシャが、ミコトの名を呼ぶ。
そのとき。
ミコトの手が、ピクリと動いた。
ぼんやりと、思考が定まらない。今まで何をやっていたのかすら、おぼろげだ。
ただ漠然と、失敗したのだということだけはわかった。
立ち上がらなければいけない。
立ち向かわなくてはならない。
けれど、体は動かない。
何をすればいいのか定まらない。
(……もう、駄目か)
何が駄目なのかもハッキリと理解せず、ミコトはぼやいた。
そして、ゆっくりと目蓋を落として――
「ミコト!」
少女の声が聞こえた。いつかどこかで……今も、ミコトが守りたいと想う少女の、声だ。
その声を聞くだけで、諦めが吹き飛ばされていく。代わりに湧き上がってくるのは、『守りたい』という意思だ。
そうだ。
しなくちゃいけないんじゃない。
誰かに言われて、やっているわけじゃない。
俺が、俺自身が、それを『したい』んだ。
立ち上がりたい。
立ち向かいたい。
もう、逃げるのはごめんだ。
「…………」
思い出した。
ミコトは、この状況も想定していた。
この決闘の決着条件は、どちらかが降参すること。そこに気絶はない。
屁理屈だが、ミコトはまだ負けていない。
そして、気絶同然に倒れているミコトだが、ここから再起する手段もある。
それを思い出すのに、少しだけ手間取ってしまっただけだ。
まだ、諦めてなんかいない。
(こんなときに、役立つなんてな……)
心の中、皮肉げに笑って、ミコトは『目覚まし』を使った。
地球にいた頃から持つ、ミコトの特殊体質。起きようと思ったときに起きられる体質。
今ならこれが、『再生』や『最適化』の付属品なのだとわかる。言わばこれも、特殊能力なのだ。
その力は、半分気絶した状態でも発動した。
これが二つ目の、諦めなない限り負けないという勝算。
意識が目覚めに向かう。
体に力が戻ってきた。同時に激痛が体中を襲ったが、我慢で耐えきった。
――いける!
「ミコト――!」
サーシャが名を呼んでくれた。
それに応えたいと思った。
だから。
「おおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああ――――!!」
ミコトは再び立ち上がる。
頭がガンガンして、今すぐ眠りたい。
けど、それよりも、立ち向かいたいという欲求が勝った。
「な、ぜだ……」
視線の先で、グランがいた。震える声で、現状を否定するように首を振る。
強いと思っていたグランが、酷く弱々しく見えた。
「テメェにとって、復讐がどれだけ大事かなんて知らねえよ。なんとなく共感はできても、今まで平和に暮らしてきた俺が、全部失った苦しみを十全に理解できるわけがない。説得しには来たけど……碌なことは言えねえ。だから俺はこう言ってやる。――テメェの都合なんざ、知ったこっちゃねえ!」
ミコトには、優勢なはずのグランがなぜ怯えているのか、わからなかった。わかろうとするだけの余裕もなかった。
ただただ、己の想いだけを告げる。
「俺は、守りたいんだ!! そのために――死なすぞ、お前の執念を!」
目を見開いたグランに向かって、ミコトは走った。
よろよろしていて、今にも崩れそうな体だ。それでも、立ち止まることはない。
そんなミコトの姿は、グランの目にどう映ったのだろう。
激突の瞬間、グランはどうしてか、懐かしそうにミコトを見ていて。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!!」
ミコトが振るった拳を、グランは避けなかった。