第二四話 第一歩
宿屋へ向かいながら、ミコトとサーシャは話し合う。
問題は山積みであった。
一つ。敵との力関係。
ミコトが精神的な安定を得たところで、魔王教徒より強くなったわけではない。
スロットが精神内にあるため、精神的な成長はパワーアップに繋がる。が、それで物量差、質量差が埋まるほど、敵は弱くない。
二つ。仲間との亀裂。
フリージスはレイラ救出に協力的ではない。フリージスに付き従うリースも同様だ。
グランは《浄火》への復讐に執着、レイラを二の次にして、レイラ救出を第一に掲げているサーシャの意志に反している。
グランと《浄火》を戦わせるわけにはいかない。
ミコトは決断したのだ。思いついていた攻略法を使うと。その作戦に、グランは必要ではない。できればレイラのほうへ向かってほしいところだ。
力関係はどうしようもないので、まずは仲間の協力を得るべきか。
「フリージスを説得するのは、難しいだろうな」
「そうだよね……」
飄々として告げたフリージスの、損得による判断は硬い。
フリージスの目的は、サーシャの保護だ。首を縦に振らせるのは、難しい。
「じゃあ、グランからにする?」
「まあ、そうだな……」
しばし黙考してから、ミコトは頷く。
「先に説得するのはグラン……それはもう決まりだ。多数決方式ってわけじゃねえけど、レイラ救出を主張する人数のほうが多くなりゃ、フリージスを説得できる可能性も高まんだろ」
「なるほど……」
「だけど、どうやってグランを説得するんだ?」
問題はそこだ。
フリージスと違い、グランは戦うことに賛成している。しかし、戦う相手が違う。
グランと《浄火》が戦い、グランが敗れれば、戦力低下だ。
なんとか矛先を変えようにも、グランが自らの手で討つと言っている以上、なかなか難しい。
「鳥肌ビクンビクンだぜ。手詰まり感がやべえな。アレだ、水浸してくる箱の中で鍵開けしようと四苦八苦してる感じ」
「ど、どんな状態……」
「テレビじゃきちんと脱出してたよ。あんときゃヒヤヒヤしたもんだぜ」
軽口を叩くミコト。それは演技じみた口調であったが、彼自身には演じたつもりは一切ない。
おふざけ気質はもともと。今までのミコトは『別人』というより、『平常の自分自身』を演じていただけに過ぎないのだ。
どちらにしても、今は置いておこう。
余裕がないのはわかってた。
追い詰められているのはわかっていた。
それでも、なんとかしてみせる、と――なんとかしたいという願望と、なんとかできるという、根拠はのない頼もしい確信があった。
「……ん?」
ふと気づき、視線を前に向けた。
視線の先、プラムの門前に、メイド服を着た女性がいる。
メイドはミコトたちがプラムに戻ろうとしているのを見ると、町に戻っていった。
(やっぱり、監視してたか……)
距離があったから、会話が聞こえていたかどうかは怪しいところだが。
聞かれていたからといって、立ち止まったりしない。
「先に、フリージスに会う」
「え、だってさっきは、グランが先だって……」
「説得するのは、もちろんグランが先だ。けどそれにゃあ、説得材料が足りねえわけだ。――だったら、訳知り顔の奴に訊くのが手っ取り早い」
もちろん、素直に教えてくれるとは思えない。
フリージスには秘密があるようだったし、そこを訊き出すための材料がない以上、深くは探れないだろう。
「とりあえず、サーシャが知ってる範囲を教えてくれないか? 昨日、俺がいない間に何があったかとか。ほかにも使徒とかわけのわかんねえ奴らのこととか」
ミコトは人差し指を立てて、ニヤリと笑った。が、不安が残って、少し情けない顔になる。
フリージスをどうやって説得するか。その作戦が、これっぽっちも考え浮かばない。
しかし、サーシャは自信ありげに笑った。
「大丈夫だよ、ミコト」
ミコトと同じように、サーシャが左手の人差し指を立てた。
「作戦ならバッチリだぜ!」
自信満々といった風に告げたサーシャに、しばし考え込んでいたミコトが、意を決したように言った。
「その口調、似合ってないぜ!」
◇
コンコン、とノックする。
「入っているよ」
「トイレじゃねえよ」
そういや普通のノックは三回だったか、とぼやきながら、ミコトたちはフリージスの部屋に入った。
窓の側に花瓶がある程度の、殺風景な部屋の中。見渡す必要もなく、目的の人物は見つかった。
扉を開けた先、部屋の真ん中で、最強の魔術師と呼ばれる青年がいる。
まるでミコトたちが来ることを見越していたかのように、背後にリースを仕えさせ、イスに座って本を読んでいた。
フリージスが顔を上げた。表情は興味深そうな笑みを浮かべているが、瞳には感情の色がまったくない。
「まったく、嫌なタイミングで来てくれたね。ちょうど今、主人公が《魔法使い》を名乗る場面だったというのにさ」
「そんじゃ、続きが読みたくて悶々しながらでいいから、ちょっちお話しましょうぜ」
「フリージスには、訊きたいことがいっぱいあるの」
ミコトとサーシャの強引な言葉に、フリージスはわざとらしい溜め息をこぼした。
「たとえば?」
「なんちゃらの使徒どものことだ」
「……君たちが知るべきことじゃあない。僕から言うことは、何もない」
そうか、とミコトは呟く。
そうさ、とフリージスが返した。
できればさらっと答えてくれるとありがたかったが、さすがにそれはないようだ。
――だから、告げた。
「じゃあ俺はここで、サーシャを人質に取る」
直後、ミコトはサーシャの背後に回り込み、首を絞めた。つま先立ちになるくらいまで持ち上げる。
ぐっ、というサーシャの苦しそうな呻き声。
自分で自分の首を絞めたくなる罪悪感があったが、そうしたら『作戦』が失敗するので、できる限り感情を排斥する。
そう、これは作戦だ。サーシャが考え付いた作戦。
ミコトも反対したが、サーシャの堅い決意に負けて実行した。
「……何を、してるんだい?」
「見てわかんない? さっきも言ったけど、人質に取ってんの、サーシャを」
言って、少しだけ絞める力を強める。
後ろから絞めているミコトにはわからないが、前から見ているフリージスたちの目には、苦しげに顔を歪めたサーシャの姿が映っているはずだ。
サーシャの演技は下手くそだ。そしてフリージスの観察眼は、最強と呼ばれるだけあって高いはずだ。
本気でやらなければ、確実にばれる。
「演技だろう? 君には……ミコトくんは絶対に、《操魔》を殺せない」
「根拠はなんだ? 本気になった俺は、やると言ったらやり遂げる男だぜ」
「それでも、殺せない」
フリージスの頑なな態度。
フリージス・G・エインルードという男は、合理的な人間だ。そんな人物が、ミコトがサーシャの首を絞めているのに、確信を持って『殺さない』と断言できる理由は……。
「あるんだな。俺が絶対、サーシャを殺さないっていう根拠が。たとえば……『再生』と『操魔』の関係性、とか」
「…………」
「その沈黙、肯定って捉えるけど、いいよな?」
本をテーブルに置いて、深く考え込んでいたフリージスが、しばらくして顔を上げた。
「大まかには、そうなるね」
「やっぱりか……」
この世界には、特殊能力というものはない。せいぜい無属性魔術ぐらいで、『再生』や『操魔』のような特異な力など存在しない。
フリージスから借りた本に書かれていなかったのだとしても、それもおかしい。あれらの本は、本屋で売られていた安物よりも、さらに緻密に書き込まれていた。
ということは、本当に特殊能力なんてものは、世界的に知れ渡ることもないぐらい数少ないのだ。
だから『再生』と『操魔』になんらかの繋がりがあったとしても、おかしくない。
その予測は、だいたい当たっていたらしい。
「仕方ない、か。あまり《操魔》を刺激したくはないしね」
隠し通せないと踏んだのか、フリージスが目を伏せた。
しばらくして目蓋が上がったとき、フリージスの瞳は人間らしさのない、機械のように無機質なものになっていた。
「訊かれたことには答えよう。ただし、答えられないこともあれば、知らないこともある。それはわかってほしい」
フリージスが頷いた。
ミコトはすぐにサーシャを絞める右腕を緩めた。
崩れ落ちるサーシャを、ミコトは倒れる前に抱き留めた。
「わ、わりぃ。頷かせるのに時間がかかった。大丈夫だったか?」
「ゲホッ、ゴホッ……。だ、だいじょ、ぅぶ」
「あとは、俺だけでなんとかするから、お前は横で休んでてくれ」
サーシャを壁に寄りかからせるように座らせたあと、ミコトは再びフリージスと相対した。
「その『言えないこと』ってのは、いつか言ってくれるか?」
「ふむ。エインルード領に着いたあとにでも、教えようじゃないか」
「……言質はとったぞ」
フリージスの意味ありげな言動に眉をひそめるが、今は追及している場合ではない。
ゴホンと咳払いして、ミコトは切り出した。
「じゃあ、《浄火》とか《虚心》だかだ。使徒って言うからには、遣わした相手がいるんだろ?」
「まあ、そうなるね」
「そいつらは誰だ? 目的はなんなんだ? なんでサーシャを狙ってる」
沈黙があった。
フリージスはどう答えるか、悩んだ仕草を見せたあと、ぽつりと。
「――勇者、だ」
「ゆうしゃ……?」
「君も読んだだろう? 勇者伝説を。その登場人物を思い出してみるといい」
《浄火》のイグニス。
《虚心》のスピルス。
「まさか……敵はもう死んだはずの勇者だってのか?」
「その使徒全員が目的を同じくするわけじゃないし、勇者の意図に従うわけじゃあない。《浄火》と《虚心》が魔王教にいる以上、わかるだろうけどね。彼らが《操魔》を狙うのは、あれが魔王の力の一つだからさ」
「魔王の?」
魔王教が絡んでくる時点で予想はしていたが、まさか本当にそうだったとは。
横目で見ると、落ち着いてきたサーシャも、初めて知ったという風に驚いていた。
「世界の魔力を操る《操魔》。そして、周囲の魔力を己の色に染め上げ――瘴気に堕とす《悪魔》。これら二つが合わさって、双頭の魔王《神喰い》エデンなのさ」
「……そう、か。じゃあ魔王教の目的は、サーシャを魔王にでもすることか?」
「……さあ、それはどうだろうね。魔大陸に連れて行くつもりではあるだろうけど、この先は言えないな」
「そっかよ」
落胆のため息をこぼす。
が、これもやはり今、優先すべきことではない。
「話を切り替えて、だ。次はグランと《浄火》の因縁について、話してもらうぞ」
誰かの事情に踏み入ることに、本人のいないところで他人から聞き出す罪悪感はあったが、それより『なんとかしたい』という想いが勝った。
「それなら、知っている限りのことは、すべて話してもいい」
対してフリージスは、なんの抵抗感を出すこともなく、話し出した。人が心のうちに秘めた傷を。
それを狙っていたはずなのに、少しばかり苛立ってしまう。この大事な場面で、表に出すことはしないが。
「アルフェリア王国の南西にある、獣族の住処の森が、グランの出身らしい。もっとも、今はないけど」
「それは……?」
「二年ほど前に、燃やし尽くされたのさ、《浄火》にね。家族も友人も、想い人も。すべて殺された」
下手に脚色しない、淡々としたフリージスの語りに、ミコトは言葉が出なかった。
もしも、地球に残してきた大切な人たちやサーシャが、殺されてしまったとしたら。ミコトは己を保てる自信が、まったくなかった。
グランの復讐心も、少しだけわかるような気がした。
「僕がグランに出会ったのは、サーシャくんを保護してすぐ。接近戦に強い護衛を探していたとき……リース、あれって何年前だったかな?」
「およそ一年前になります」
「ああ、そうだそうだ、その頃だ。そこでグランが《浄火》を恨んでいることを知って、低賃金で護衛に雇い込んだ、ということになるね」
「足元に付け込んだ、いやーなやり方だ」
「グランは《浄火》の餌である《操魔》を護衛する。その過程で、望みを果たす。これはどちらにとっても得なのさ」
「Win-Winってか? 冗談じゃねえ。だいたいテメェ、このまま逃げるつもりなんだろ?」
「では、せっかく助けたわけだが、グランとの契約はここまでにしよう。このあと彼が何をするかは、僕にはなんの関係もない」
「……ほんと、いやーなやり方だよ」
ミコトは吐息をこぼす。
ほかにも訊きたいことはあったが、一先ずはこれくらいにする。
フリージスの様子を見て、これ以上突っ込んだ質問をしても無駄だと判断したのだ。
「もういいよ」
ミコトはサーシャに声をかけると、扉を開けて、部屋の外に出る。
立ち上がったサーシャが傍まで来てから、ミコトは振り返った。
「とりあえず最後に訊いとくけど、絶対に協力する気はねえんだな」
「勘違いしてもらっては困るけど、僕は勝てないから合理的な選択を取っているだけさ。勝てる手段があるのなら、協力しないこともない。ここで魔王教に大打撃を与えておけば今後、都合のいい方向に転がるからね」
「それを聞いて安心したぜ」
ミコトはニヤリと笑い、右腕を高く掲げ、人差し指立たせる。
サーシャもハッとしたような顔になると、同じように左腕を掲げ、人差し指を立てた。
「またすぐに来るよ、フリージス、リース」
「グランっつー男を仲間にして、起死回生の作戦を引っ提げてな」
ミコトは右腕を、サーシャは左腕を水平に、人差し指をフリージスへ向けた。
「テメェの賢しい思考、この俺たちが、ぜってー死なせてやる!」
「首を洗って待っていて!」
宣言して、扉を閉めた。
啖呵を切った。覚悟も決めた。フリージス説得の糸口も見つかった。
新しい自分を始めるためじゃない。
今までの自分を否定するのではなく。受け入れて、次なる一歩を踏み出すために。
もう、目を逸らすのは嫌だから。
もう、絶対に逃げたくないから。
次に向かうのは、グランの元。
絶対に仲間に引き入れてみせると、心に決めて。
◇
「はあ……」
ミコトとサーシャが部屋を出ていって、フリージスは大きくため息をこぼした。
次第に、冷たく固定されていた表情に、少しずつ疑問の色が滲んでくる。
「わからない……わからないなぁ。リースはわかるかい?」
今までの問答にもまったく心動かされていない様子のリースに声をかける。
「何がでしょうか?」
「彼らは不確実な選択を取ろうとしている。危険なほうへ進もうとする。それはなぜかと、ね」
姉であるレイラを救出すること。なるほど、それは確かに重要だろう。
しかしそれは、命を投げ出す選択だ。
ミコトはわからないでもない。『再生』は彼を、死から救い上げる。
だがサーシャの命は、たった一つしかないのだ。
「フリージス様」
リースはしばらく考え込んでいたが、ふいに主の名を呼んだ。
「それは、フリージス様が抱く使命と、同じものではないのでしょうか」
「同じ……?」
「はい。フリージス様が使命に殉ずるように、ミコト様やサーシャ様にも、同じものがあるのでしょう」
「……そうか」
なるほど、なるほどね。と頭の中で反芻し、苦笑。
まさか自分が、誰かの存在意義を賭けた行動に疑問を持つ日が来るとは、思いもしなかった。
「……ふむ」
サーシャの目的は、レイラの救出。
それはわかったが……、
「ミコトくんの目的は、いったいなんだ?」
今日、ミコトと最初に話したときは、自分のためという印象を強く受けた。それが彼の本当の意思と違うように感じて、フリージスはミコトを軽くあしらった。
先ほども、自分のためという印象はあった。だが、その根本がまるで違う。
まるで別人のような変わりようだ。フリージスには理解できない。
「リース。何があったか、教えてくれるかい?」
リースにはずっと彼らと、正確にはサーシャを監視するよう、命じてあった。
リースが戻ってきてから、ミコトがここに来るまで時間がなかったから、その報告を聞けていなかった。
「……いえ、特に何もありませんでしたよ」
「そうかい。……まあ、なんでもいいかな」
忠実な従者の報告に、フリージスは疑いなく信じた。
従者の心の裏の本音まで、彼は見通せない。
「では、彼らがまた妙な行動をしないか、見張って来てくれないかい?」
「かしこまりました、フリージス様」
一礼して部屋から出ていくリースを、フリージスはほんの少しの憂いを持って見送った。
扉を閉めたリースには、フリージスの些細な変化を、見通せない。
「フリージス様が第一に願うのは、使命の達成。それ以外は二の次」
扉を閉めて廊下を歩くリースは、呟きを口の中で転がす。
「フリージス様が気になさる必要はありません」
それは、希薄な自分自身を定めるための、再確認という行為。
「わたくしのすべては、フリージス様のために」