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第一六話 憎悪のココロ

 轟音が鳴り響いた。

 大地が震動し、肌を焼くような衝撃波が通り抜ける。レイラはサーシャを抱きしめ、吹き飛ばされるのをなんとか耐える。

 その衝撃は、ガルムの谷でミコトが引き起こした大爆発を遥かに超えていた。


「なに、が……?」


 轟音によって一時的に麻痺していた聴覚。それがゆっくりと回復し、レイラは思わず呟いた。

 衝撃の発生源に目を向けた。


 発生源は、ここより少し離れていた。レイラから見て、ガルム森林とは反対方向。バーバラのずっと背後に広がっていた草原から、黒い煙が立ち上っている。

 黒煙の中から、一つの人影が出てくる。


 異様な容貌の男だ。


 薄汚れた、ぼろきれのような火鼠の革でできた、赤い服を着ている。裸足の足はずっと歩いていたのか傷だらけ。

 痩せてひょろりとした長い体格は、ひどい猫背で前に倒れており、炎のような朱色の髪が乱雑に伸ばされている。


 それだけならば、別に異様ではない。大きな町のスラム街ならよく見かける姿だ。

 しかし異様というならば、当然それだけではない。


 まず、不自然なほどに火傷をしている。包帯などなんの処置もしていないようで、焼け爛れた醜い肌が、露出度の高い服から覗いてる。両手はさらにひどく、炭化し骨も見えていた。

 俯いている頭の、焼け爛れた醜い顔のパーツ。癒着して開かない左目。ぎょろりと、今にもこぼれ落ちそうな右の眼球は瞬きもしない。


 そして、何よりも異常なのが。

 男の、右眼――瞳が、血のような赤であること。


「ナー……ぅ、がぁぇ……」


 がくんと落ちた顎。言葉は呂律が回っておらず、意味が伝わらない。男の口から大量の唾液がこぼれ、地面に染みを作る。

 堪え難い嫌悪感。レイラは鳥肌が立つのを抑えられない。


「彼こそが《浄火》の使徒! 彼こそが欲望の権化! 彼こそが醜く美しいココロの体現者!! ボクの願いへの過程、夢までの道筋に必要な駒! ああ、なんと素晴らしい! なんと甘美な醜悪のココロ! 美味しい!! 気ン持ちいいィ!!」


 バーバラは頬を紅潮させ、天を仰いだ。焦点の合わない瞳が、空を睨む。その先にある何かを睨んだ。

 次いでバーバラは、焦点の合っていない視線をグランに向けた。


「彼は《浄火》の使徒! 君がずぅっと探していた者が、今! 目の前にいるのが、想い人の仇だ!」


 その、言葉を聞いて。

 それが、最後の一押しとなって。


「――ぉ」


 グランの瞳に、赤い狂気が宿る。炎の憎悪が燃え盛る。

 理性はなく、本能と復讐心のみの獣へと変じる。

 そして――殺意が爆発した。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――!!」


 グランが纏う『イグニモート』と、クレイモアに宿っていた『イグニエント』の赤いオーラが、荒々しく膨れ上がった。直後、地面が爆発した。否、爆発したと錯覚するほどの衝撃が、地面を抉った。

 グランの姿が掻き消える。次の瞬間にはすでに、《浄火》の背後でクレイモアを振りかぶっていた。

 大気を切り裂く大剣が、《浄火》の体を両断しようとする。


「お、ぇ……ち、ぁ……ナ…………ぁぁ――」


 しかし、《浄火》振り向くこともなく狂気的に、醜悪に笑い、足で地面を蹴り、


「ぁひゃ、ひひゃははああぁぁぁぁぁぁあぁぁあああぁっぁぁぁぁあぁぁぁっぁぁぁぁぁっぁあぁぁあぁぁぁぁぁあ!!」


 ――大地が爆発した。


 今度こそ、比喩ではない。

《浄火》が蹴った地面が、爆炎を上げた。爆炎は《浄火》の背後へと広がる。

 轟! と、瞬く間に草原は焼け野原へと変貌し、斬りかかろうとしていたグランをあっさりと飲み込んだ。


「なっ……!」


「グランっ!」


 レイラは戦慄と恐怖を露わにし、サーシャが悲痛な声を上げる。

 咽喉が干上がった。目の前の光景を処理することができない。理性が理解を拒む。

 だって、こんなこと。あり得るはずがない。あり得ていいはずがない。


 たった一瞬で、この惨状を作り出した《浄火》の使徒。その力は、レイラの常識から逸脱していた。

 レイラからすれば、フリージスでさえ高すぎる壁なのだ。そのフリージスを超える存在に対する畏怖と恐怖と無理解が、レイラの思考を滞らせる。


「グラン……!」


 遅れてレイラも、グランの名を叫んだ。絶望が沸き立つ中で、ふいに芽生えた希望に縋る。

 グランは火耐性のある火鼠の革でできた、赤い外套を着ていた。簡単に燃やし尽くされてはいないはずだ。

 グランはまだ、生きているはずだ。戦えるはずだ。


 傭兵というものは、基本的に生き汚い生き物だ。どんな絶望的な状況からでも、惨めな行為をしてでも勝利する。それが傭兵だ。

 グランだって傭兵だ。それも通り名持ちの。だから、きっと、なんとかなるはず……。


「あ……」


 そんなレイラの希望的な考えは、一応は、その通りだった。

 爆炎からグランが跳び出す。外套を頭まで被った状態で地面を転がる。

 外套の赤はほとんどは燃え尽き、もしくは炭化して、本来の効力は発揮できそうにない。


 それでも、生きていた。

 五体満足だ。戦える。戦ってくれる。


「お前、だけは……」


 レイラの希望通り、グランは立ち上がった。再び赤いオーラで体を包み込む。

 憎悪が爆発した。殺意が膨張した。狂気的とも言える瞳で《浄火》を睨む。

 停滞は一瞬。《浄火》へ突進する。


「お前は、殺すぅぅぅうううううぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 理性を感じさせない獣の咆哮。激情の宿った暴力が、《浄火》に襲い掛かる。

 それを眺めて、バーバラが哄笑を上げた。


「感動的な再開! 嘘偽りのない、憎悪のココロをぶつける姿! ああ、素晴らしい! 快ッ感ンぅ!!」


 フリージスと相対しているにも関わらず、バーバラは余裕そうにしている。魔王教徒も攻撃に移らない。それはフリージスもであった。

 この戦闘は、実質はフリージスと補佐のリース、そしてグランで保たれている。レイラとサーシャの貢献は、この戦闘では微々たるものであった。


 二人とも一対一では負けないが、多人数を相手にするにはレイラに火力はなく、サーシャは相性が悪い。

 そして、グランが暴走している今、フリージスは周囲三六〇度すべてに対処になければならないのだ。そのため、迂闊に行動を移せなくなっている。

 力が足りない。レイラは歯を食いしばった。


「ハァァァアア!」


 グランの動きが加速した。力が上昇した。

 憎しみに囚われた心が、元から高かったグランの実力を底上げする。

 そこに傭兵らしい生き汚さはなかったが、自身の命を燃やし尽くすような『想い』があった。


 ――しかし、それでもまだ足りない。


「ちぁ、ぅ。れは、ナ……ま、ぉり……ァァァアアァァァアァァァアァアァァ!」


 頭を抱えて絶叫した《浄火》の使徒。

 膝を付いて叫び、両手を地面に振り下ろした。自身の手を砕くほどの力で地面に叩き付け――直後、大地が隆起した。


《浄火》を取り囲むように、土砂が天高く昇る。その大地の上にいたグランも打ち上げられて、赤く熱された岩盤に直撃した。

 何が起こったのか。大地を見れば、すぐにわかった。


《浄火》がやったことは簡単だ。

 ――地中で、爆炎を噴き上げたのだ。爆発的に膨れ上がったエネルギーが、岩盤を砕いて大地に打ち上げたのだ。


 続いて、《浄火》がグランに手を向けた。それだけが前兆だった。

 爆炎が迸る。大気を焦がして天を昇り――ついに、グランを飲み込んだ。


 爆炎が過ぎ去った。空に一点、人の影。

 赤い外套は燃え尽き、体中に火傷を負ったグランの姿が現れた。纏っていた赤いオーラもなく、気絶しているのか、体は空中で弛緩していた。


 グランが落下する。我を取り戻したレイラが、咄嗟に風魔術で勢いを殺した。距離が離れていたためあまり減速せず、グランは地面に叩き付けられる。

 ピクリとも動かないグランを中心に、血の海が広がっていく。それが落下の衝撃によるものだけではないことは、新たに焼け付いた火傷の痕を見ればわかった。


 ――グランが、負けた。


「化け物……」


 自然と吐き出されたレイラの言葉は、まさしく《浄火》の使徒を表していた。

 状況は圧倒的不利。フリージスが魔王教徒とバーバラを抑えられなくなった瞬間が、レイラたちの最期だ。


(……いや)


 バーバラが言っていた言葉が、脳裏によぎる。


『「操魔」を捕らえろ。それ以外は、十分に甚振って犯し蹂躙し、殺せ』


 その言葉が真実なのだとすれば、少なくともサーシャは助かる。

 サーシャ、だけは。

 ……自分は、その範疇にない。


 ――恨めしい。


(……ッ! アタシは、何を考えて!)


 レイラは湧き上がった、どす黒い感情に蓋をする。身を裂くような自己嫌悪を、首を振って振り払う。

 その、とき。バーバラと、目が合った。


 頭の中を、不快な違和感が通り抜けていった。

 そして、まさにレイラの感情と同調するように、バーバラの口角が凶悪な笑みに変じた。


「そうそうそうそう、そういえば。久しぶりに会うことになるのかな、君たちとは。うんうんうんうん、三年ぶりだね、本当」


「さん、ねん……?」


 記憶が呼び起される。

 三年前に起きたことと言えば――サーシャが記憶を失う切っ掛けとなった、虐殺劇しか思い浮かばない。


「ええ、ええ、ええ、ええ。貴方のご想像通り!」


「アンタ……。あのときに、いた……?」


「ええ、ええ、ええ、ええ。いたよ見てたよ聞いてたよ! そう、いたんだよボクは、あの喜劇な虐殺劇の中心に!」


「……ま、さか。アンタは……?」


 嫌な予感がした。

 最悪の前兆を感じた。

 それでも、目は見開いてバーバラから目を離せなくて。

 耳は一言一句聞き逃さないように、鋭く感覚を伸ばしていて。


 そして、バーバラが言った。


「ボクはずっと、ずう……っと前から、魔王教徒のボスみたいな立場だった。そう、つまりどういうことか! もうわかってるんじゃあないのかな!? ――そう!《操魔》の記憶を封印し、あの事件を引き起こしたのは、このボクなのさ!」


 ガツン、と頭を殴られたような衝撃が、レイラを襲った。

 レイラの体が、芯をなくしたように揺れる。サーシャに支えられなければ倒れていただろう。

 しかしレイラの意識には、サーシャの姿は映らない。


「あ……」


 三年前の記憶。

 赤く燃える木々。薙ぎ倒される家々。

 惨たらしく蹂躙される、知り合いや友達の姿。


 そして。

 ――炎の中で嗤う、白髪と青い瞳の老女の姿。


 そして。

 ――告げられた『母』の死。死地へ向かう『父』の背中。


 そして。

 ――大切な者から向けられる、他人を見るような視線。


 その、原因が。

 悲劇の、首謀者が。

 あの、虐殺劇の中心にいた、憎き敵が。

 今、アタシの目の前に――!


「…………アアァッ!」


 知らず、レイラはバーバラに向かって駆け出していた。引き止める誰かの手を振り払い、激情のままに走る。

 頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。憎悪と嫌悪と悲哀が、心を赤と黒に染める。


「――――!」


 叫ぶ。怒号する。絶叫する。吠える。咆哮する。

 右手の先に火弾が出現する。射出するだけの演算能力も割かない。


 殺してやる。近所のお婆ちゃんと同じように、生きたまま地面深くへ埋めてやる。

 殺してやる。優しくしてくれたお爺ちゃんと同じように、かめに頭を突っ込んで溺死させてやる。

 殺してやる。また遊ぼうと約束した友達と同じように、ゆっくりと焼き殺してやる。

 殺してやる。初恋の男の子と同じように、尊厳も何もかも奪い去って殺してやる。


 殺してやる。殺してやる。殺してやる。――殺してやる!


「あぁぁァぁぁアぁぁあァぁぁぁァぁぁぁぁアぁぁあァぁぁぁァぁぁぁぁアぁぁぁァぁぁああぁぁアァああぁぁあアあああ――――ッ!!」


 引き絞った右拳を突き出す。熱を溜めた火弾を、バーバラを焼き殺さんと押し付ける。

 バーバラの防御らしい防御態勢は、右腕を前へ突き出しただけだ。

 ――なら、その右腕を焼け落としてから殺してやる!


 そして火弾は、呆気なくバーバラの掌に直撃し、


「はいはい、残念でしたぁぁぁー」


 直後、跡形もなく消え去った。

 殺したという確信から、無理解が脳内を支配する。


 バーバラがしたのは、術式解体『ブレイク』だ。触れた右手が火傷する時間もなく、レイラの火弾を掻き消したのだ。

 しかし、レイラの停止した思考回路では、化け物じみた技術について考察できるはずもなく、――する暇もなかった。


 バーバラの右手がそのまま、レイラの頭部を掴み取った。

 バーバラが何をしているのか。停滞した思考で、ぼんやりと考える。

 当然、答えは出ないままで。


 バーバラは口角を、邪悪な笑みに歪めて。

 瞳の中に、抑えきれない狂気と愉悦を浮かべて。


「さあ――ココロの傷を抉りましょう?」


 レイラの頭部を掴むバーバラが右手に、力が込められる。

 レイラはただそれを、ぼうっと見つめるままで。


 直後――心を犯し尽くす衝撃が走った。


「……っぁ、あぁあぁぁっぁっぁぁぁっぁぁあぁあぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁああっぁああああ……っ!?」


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛イ痛イタ痛イタ痛イタ痛いイイタイイタイタイイタイイタイ!


 頭が熱く沸騰する。脳が冷たく掻き混ぜられる。

 本能が体中を焼き焦がし、理性が爆発四散する。

 神経の糸は肉を断ち、肉は破裂する。


 すべて本物。のようで、すべて偽物?

 何もわからない。何も考えられない。


 感情が暴走した。心が引き裂かれた。

 すべての感覚が幻想に落ちて、自身のすべてを蝕んでいく。


 時が過ぎているのかも、意識があるのかも不明瞭なそんな世界で、キオクがココロを過っていく――――。

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