表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イセカイキ - 再生回帰ヒーロー -  作者: はむら タマやん
第一章 異世会来 - 前編 カムオン・パンピー -
3/187

第二話 黒い熊もどき

「クリスマス~、森の中~、熊さんに~、出会った~」


 尊は空元気を出して笑おうとしたが、口から出たのはため息だった。

 現実はいつだって、逃避を許してくれないのだ。


 ――それは、熊のような何かだった。


 体の大きさは、熊としてはそれほど大きくない。せいぜい一メートルぐらいしかない。

 色は真っ黒。一度目を離せば、すぐに見失ってしまいそうだ。


 それだけなら、普通の熊と同じだろう。

 問題は、頭から生えた一本の『角』だ。


(角の生えた熊なんて、聞いたことねえけど……)


 尊も熊に関してあまり詳しくないが、角の生えた熊など聞いたことがない。

 だが、実際目の前に存在するのだから、どうしようもない。

 異世界だから、の一言で済まそう。それで大丈夫だと、安心できるわけではないが。


「こりゃあ、やべえんじゃねえか? まさかの『魔物』って奴かよオイ」


 ただの熊であってもまずいのだが、それは置いておいて。


 魔物とは、よくフィクションで見られる生き物のことだ。

 基本的に敵として、作品によっては味方として活躍していたりする。

 総じて、普通の獣よりも強いのが常だ。


 それにしても、どうしてこんなときにエンカウントしてしまうのか。

 異世界でのファーストコンタクトが熊もどきだなんて、真剣に笑えない。


 尊は一歩後退り、湿った音が響いた。

 このとき、血の匂いが熊を引き付けたのだと気付いた。


(最悪だ……)


 尊は内心で悪態をついた。不良相手の喧嘩なら負けはしないが、熊相手に勝つ自信はない。

 記憶の中から熊の対処法を探る。


 ――熊と接触しないように気を付ける。

 もう出会っている。なう。


 ――死んだフリをする。

 これは俗説だ。意味がない。そのまま食われるのがオチだ。 


 ――木に登る。

 これもデマだ。熊は木登りが得意なのだ。


 ――持ち物を投げて気を逸らす。

 そう、確かこれが正解だ。


 尊は体を探った。が、持ち物なんて財布や携帯電話(折り畳み式)ぐらいしかない。

 なら、着ている物か。


 尊は白黒のジャージの上に、黒いジャンパーを着ていた。

 熊から目を逸らさずに、ゆっくりとジャンパーを脱ぐ。血が染み付いていて、ずっしりとした重さがあった。

 使えるかはわからないが、携帯電話や財布はジャージのポケットに移しておく。


 そして、尊はジャンパーを熊の横に放り投げた。横と言っても、刺激して怒らせるわけにはいかないので、そこそこ距離は開いている。

 熊は興味を持ったらしく、ジャンパーへと歩いていく。――尊から、目を逸らした。


 尊は後退る。音を立てないように、しかし熊が何かのアクションを起こすよりも前に、速く。

 そうして広場の中心から離れ、ついに木々の近くまで移動できた。


 ふう、と安堵のため息を漏らし、木々の影に隠れてもたれかかった。

 だが、安心はできない。尊にはまだ、血がこびり付いているのだ。気を付けなければ、ほかの獣にも見つかってしまう。


 尊は息を吐くと、もたれかかった木に力を加え、体勢を戻そうとして――できなかった。


「……あ?」


 思わず、間抜けな声が出る。が、そんなことは気にならなかった。


 尊の体が、徐々に後ろに崩れていく。

 木にもたれかかっているはずなのに。現に今も、背中に感触がするのに。


 だというのに、尊は夜空を見上げるように、仰向けに倒れていく。

 バキバキ、という音を聞きながら、


(……バキバキ?)


 ようやく、尊は気付いた。

 木が折れて、倒れようとしているのだ。いや――今、倒れた。


 ドン、と後頭部に衝撃を受けた。地面から木、木から頭へ、衝撃が伝わったのだ。

 後頭部の激痛で、尊は頭を抱えて悶えた。


 ――熊の存在など、頭から消して。


 ハッとして、尊は痛みをこらえて立ち上がった。

 熊を探して、すぐに見つかった。


 熊はジャンパー置いたところから、真っ直ぐこちらを睨んでいた。

 尊の視線が、熊の持つジャンパーに向く。憐れ囮となったジャンパーは、熊の手によって無残にも引き裂かれていた。


 咽喉が一瞬で干上がった。

 尊の中で、明確なイメージが浮かんだ。――熊に四肢を押さえ付けられ、生きながら食われる自分の姿を。


 ――死。


 恐怖で感情が支配され、心が真っ白に染まる。

 気付けば軽口を叩くこともできず、尊は熊に背を向けて走り出していた。


 これが悪手が好手かなんて、考えていなかった。

 ただ、目の前の死から逃げたかった。


 背後で熊が吠えたのが聞こえた。

 血が染み付いたジャージが重い。足が絡まって転がりそうだ。


 足が地面を這う根に引っかかった。

 体が投げ出され、空中で体が半回転する。なんとか頭を守ろうと体を丸めて、背中から地面に打ち付けた。


 それでも、止まるわけにはいかない。


 斜面をゴロゴロと転がって、体中の痛みに耐えながら立ち上がった。

 そのまま急斜面を転がり落ちるように走るが、目に汗が入ったせいで、思わず目を閉じてしまった。


 直後、右肩に衝撃が走った。木にぶつかったのだ。

 左半身が前に出た。足を止めたせいで、そのまま地面に倒れた。


 痛い。苦しい。けれど、止まるわけにはいかない。死にたくない。


 尊は歯を食いしばって、手を地面に付けながら走り出した。クラウチングスタート、なんて綺麗なものではない。もっと泥臭く、意地汚いものだ。


「はあ、はあ、はあ、はあ……!」


 そうして、どれくらい走っただろうか。

 かなり長い間走った気がする。


 もうそろそろ、大丈夫なんじゃないか。

 熊だって、諦めているだろう。


 尊は意を決すると、首だけ回して後ろを振り向いた。


 ――すぐ目の前に、黒い影があった。


 夜の闇、ではない。

 何かが尊の視界を遮っている。


 呆然した思考の中で、尊はその正体を突き止めた。

 影の正体は、二本の足で立って尊に襲い掛かろうとしていた――真っ黒い、熊。


 そもそもの話、人間が科学の叡智もなく、熊から逃げられるはずがない。

 尊はただ、弄ばれていただけだったのだ。必死に命を守ろうとする人間を、無様に逃げ回るその姿を、上位者の位置から嘲笑っていたのだ。


「……ぁ」


 熊が振り下ろした右前脚が、尊の左肩を叩いた。それだけで、地面に体を打ち付けた。

 遅れて感じる、強烈な激痛。


「ぐぁ、がぁぁぁぁあああああああああああああ!?」


 全身が痛い。特に左肩がひどい。

 まるで熱だ。真っ赤になるほど熱した鉄が、体の内側に入れられたかのようだ。

 骨が砕けたのだ。


「い、だぁ! が、がふ、ぐえぁ……!」


 痛みで悶える尊の腹部を、熊は無情に踏み付けた。

 体重が加えられ、肺から空気を漏らす。苦しいのに、熊が乗っているせいで呼吸できない。

 息が、苦しい。


 ――死ぬ。


 突如、強烈な頭痛が尊を襲った。

 脳に直接刃を突き立てられたのかと思うほどの激痛だ。ほかの痛みを感じられなくなるぐらいに、脳みそをぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

 耳鳴りがうるさい。黒板を引っ掻いた不快音を、何百倍にも圧縮したかのようだ。


 不意に、頭痛が消えた。まるで最初から、頭痛などなかったかのように。

 体は相変わらず痛い。だが、耐えられる。


 不思議な感覚を覚えていた。頭が冴え渡っていくのを感じた。

 死に際の錯覚などではない。


 尊は右手を、ジャージのポケットに突っ込み、引き出した。その手には、携帯電話が握られている。

 携帯電話の側面に付けられたポタンを押して自動で携帯を開かせ、素早く指を動かして操作する。


 そして、カメラを熊へ向け、最後の操作を終えた。

 眩い光が、夜の森を照らした。

 カシャカシャという連続して撮影音が鳴るたび、フラッシュが熊の顔を照らす。


 熊は怯んで、尊から脚を退いた。

 瞬間、


「ら、ァァアァァアアアアアア!」


 携帯電話を放り出した尊の右手で作った手刀が、槍のようにして熊の首に突いた。

 熊が苦しんだように、さらに一歩後退る。

 だが、貫けない。尊は超人ではないのだ。


 だから。

 尊は、連続で突きを放った。


 爪が剥がれるのがわかったが、止まるわけにはいかない。

 苦しみに耐えて、痛みに耐えて、尊は突き続けた。


 だが、所詮は人間の膂力。火事場の馬鹿力を起こしたとしても、素手で熊に勝てるはずがない。

 熊が尊の頬を殴り付けた。爪を立てていなかったからか、顔は抉れていないが、歯が折れ右目が潰れ、鮮血が飛び散る。首が嫌な音を立てた。


「ぐ、ぐぁ。ぁ……」


 立ち上がろうとして、それだけの力すら出ず、地面に倒れる。

 熊が、死が近付いてきているというのに、体はまったく動こうとしない。

 もう、力尽きてしまったのだ。


(死ん、だな……)


 熊が歩いてくるのを見ながら、尊はぼやいた。

 もう、諦めた。


「はあ……」


 死んだと思ったら生きていて。異世界にいた。

 かと思えば、すぐに死にそうになっている。


 なんだこれは。いつもよりずっと不幸だ。間違いなく厄日だ。

 今日のこの日、クリスマス。どうやら自分は、キリスト様の誕生日に死んでしまうらしい。


 強烈な眠気が、尊を襲った。それに抗うことなく、目を閉じる。


 もう、いい。疲れた。

 休ませてくれ……。


『    』


 誰かの声が聞こえた。おそらく、女性らしい高く、綺麗な声だった。

 近くに、誰かがいるのだ。


 尊の中に活力が芽生えた。


 このままでは、女性も危ない。

 熊は自分が連れてきてしまったのだ。誰かを巻き込むなんて、真っ平ごめんだ。


 歯を食いしばって、四肢に力を入れた、尊は目を開けた。


 ――青い世界が、広がっていた。


「――――」


 尊は絶句した。


 周囲の空気中で、青い光の粒子が輝いていた。青い月と同色の、幻想的な輝きだ。

 それはまるで、世界そのものが青く染まっているかのようだった。


 すべての青い光の粒子が、移動を始めた。それは一点に集まる軌道を描いていた。

 どこかに、集められているのだ。


 尊は目で光を追って――そして、青い光の渦の中心で、彼女を見つけた。


 美しい少女だった。


 腰までストレートに伸ばした銀髪は、風でなびくと輝いて見える。優しげに下がった目尻は緊張に震えているが、覚悟に燃えている。真紅の瞳は、まるで宝石を連想させる。


 肌は新雪のように真っ白で、汚れなど知らないかのようだ。

 服は白を基調としたものを着ていて、銀髪と合わせてよく似合っている。


 そんな、ひ弱そうな少女が突き出した左手に、青い光の粒子が収束していき――少女が詩を紡いだ。


『    』


 ――世界が変わった。


 尊が妙な感覚を感じたその瞬間、少女の左手に収束された光が消え、その代わりに直径一メートルは超える水の塊が現れた。

 瞬きなんてしていない。いつの間にか、それは存在していた。


 少女が何かを呟いた。そして、尊の目にギリギリ捉えられる速度で、水の塊が射出された。


 水の塊が、唖然とした尊の頭上を通過した直後、熊の悲鳴が聞こえた。

 振り向くと、水の塊に巻き込まれた熊が、木に背中を叩き付けられたところだった。そのまま地面に崩れ落ちて、動かなくなった。


 死んだのか、気絶しただけなのか。

 どちらにせよ、すぐに起きる気配はない。


(助かった、のか……?)


 尊は安堵した。が、力が抜けたせいか、意識が薄くなっていく。

 ぼやけた視界の中で、こちらに駆け寄る少女の姿が見えた。


『    』


 少女が何かを言っている。

 日本語ではない。聞き覚えのない言語だ。英語でもないだろう。


「ぐ、ぅあ……!」


 突然、体中の痛みがぶり返してきた。先ほど痛覚を感じなかったのは、アドレナリンの大量分泌だったのか。


『    』


 少女が何かを言っている。当然、意味など理解できない。

 ああ、もう無理だ。意識を保てそうにない。


 そして、尊は目を閉じた。

 なぜか、痛みが引いていくのを感じながら。


 尊の意識が、闇へと沈んでいく。――鈍い頭痛に後押しされて。







主人公はとことん虐める。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ