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第一四話 等活地獄

「ぁ、ぐぃ……が、あぁァアっ!!」


 脇腹を貫かれ、叫んで――ミコトは懐に潜り込んできた襲撃者の後頭部に、高く振りかぶった肘を落とした。

 ガン、と鈍い音が響き、襲撃者がくぐもった声を上げて体勢を崩す。体を折り曲げた襲撃者の顔面へと膝蹴りを放つが、脇腹の激痛で動きが阻害された。

 結果、ミコトはうずくまり、襲撃者は距離を取られることとなった。


「ぐっ……そ、がァ」


 絞り出した悪態は掠れた声音だった。襲撃者はそんなミコトを見て、嘲るように笑みを歪めた。

 ミコトは怒りを糧に、なんとか声を紡ぐ。


「テ……めェ、ナニモンだクソ野郎」


 ミコトの誰何。しかし襲撃者は応じず、前傾姿勢を取った。

 ――来る。


「……っ!?」


 襲撃者が地面と水平に跳んだ。腰より低い位置から迫ってくる襲撃者へ向けて、ミコトは矯めた右拳を放った。

 経験した『死』と、危機的状況によって発揮された死力を尽くした一撃。頭部に当たれば、ほぼ確実に意識を奪う攻撃。

 しかしそれは――襲撃者が体を捻ったことによって、いとも簡単に避けられた。


 ミコトの右拳と襲撃者が交差する瞬間、襲撃者が体を捻った勢いのまま、体を横回転させた。短刀を握った右腕を、慣性のままに振り回す。

 一転、二転、三転。たった一瞬の交錯で、ミコトの右腕が三度も切り裂かれた。


「ぐ、ぎぃぁ……!」


 襲い掛かる激痛に呻き、歯を食いしばって耐えるミコト。その大きすぎる隙を、襲撃者が見逃すはずがない。

 すれ違う瞬間、襲撃者がミコトの脚を、自身の脚で絡め取る。


 ミコトの右足が地面から浮く。それだけで終わらず、右足が後ろに引っ張られたことで、ミコトを顔面から地面へ叩き付けられた。

 ぐぎり、と鼻が折れる激痛。溢れ出す生臭く、生温かい液体の感触。


 無意識下からの一撃と激痛は、ミコトの冷静さを容易く奪い去った。思わず鼻を抑えたミコトの、短刀で貫かられた腹部を、襲撃者が蹴り飛ばした。


 口から何かが溢れた。黄色く、酸っぱい匂いのするそれは、胃液であった。先ほど食べていたシチューまでこぼれだし、ミコト自身の顔を汚す。

 もったいない。そう感じる時間が、やけに遠いことのように感じた。


 何度も蹴られ、転がされ――朦朧とした意識の中で、ミコトは仰向けに倒れながら、疑問を口にする。


「……ダんで、ごろざなぃ」


 こんなにも簡単に、ミコトを下せるくせに。

 その気になれば、一瞬で片付けられるはずなのに。

 ――この男はなぜ、俺を殺さない?


「……使徒様が――」


 この場に下りた沈黙の中、ようやく襲撃者が口を開いた。

 ミコトの中で、希望が生まれた。


 もし、何か理由があるのだとすれば。

 ミコトを殺さない理由が、あるのだとすれば。

 それを利用して、どうにかしてこの状況から逃げられないか、と思い付いた。


 見っともなくても、どれだけ嘲笑われようと。

 犬の真似をしろと言われたなら、このときのミコトなら、少しの躊躇もなく実行しただろう。


 それでも、生きたかった。その想いが、ミコトの思考を回転させ、ほんの少しの希望を見出した。

 そしてそれは、


「――《操魔》の仲間を、甚振って殺せと仰せられたからだ」


 ――呆気なく崩れ去り、絶望が心を覆う。


 襲撃者がミコトの足を掴み、少し地面から浮くように持ち上げられた。浮いたミコトの膝の上、襲撃者の靴裏が沿うように乗せられる。

 絶望と困惑が入り混じったミコトの意識が、頭をガンガンと鳴らず警報が呼び覚ます。


「な……お。ぎ……でべェ。だぎぃ、やっで……」


 夕焼け空の下、森の中で。

 唇を三日月のように弧を描いて笑った男が、足を高く振りかぶって――落とした。


 ぼぎり、と。

 男の踵落としが、ミコトの右膝を本来曲がらない、曲げてはならない方向に――曲げた。


「がァ、あぎぐあぁぁあアァあああァアァアああああァァアァアあああああ!!」


 足を潰された。再起不可能なほどに、粉々に砕かれた。

 視界が真っ赤に燃えたようだった。激痛と絶望と空白が、ミコトの視界を赤と黒と白に塗り上げる。


 ミコトは見っともなく、もはや力の入らぬ右膝を抱えて泣き喚く。その顔面を襲撃者の足が蹴り砕いた。

 右目が潰れた。舌を噛んだ。歯が折れた。地面と後頭部の衝突で、視界が真っ白に染まる。


 我に返ったとき、今度は左腕が持ち上げられていた。

 痛いと叫んだ。やめてくれと懇願した。しかし襲撃者は、再びその足を振り落す。


「――ァあ――あぁアあ――アアァああ――ああああァアアア――ぁ――――!!」


 ガルム森林の中。

 徐々に暗くなっていく世界の中に、幾度も悲鳴と絶叫が上がる。






 襲撃者が甚振るのをやめた。しかしミコトは解放されても、弱者らしく喜ぶことはなかった。否、できなかった。

 うつ伏せで倒れているミコトの体は、まるで不細工な人形のようだった。


 右膝が真逆に折れて、両腕はまるでタコのように折れ曲がっている。左脚以外の四肢すべてが潰されていた。

 爪は剥がされ肌は剥かれ舌は切り取られ、打撲による青痣や致命傷にはなりえない切創が刻まれている。両耳は半端に削ぎ落とされ、髪は毟られ血が滲む頭皮を露出させていた。


 視界は使えない。右目は最初に潰されて、残った左目も自身の体が壊れていく様を見せつけられたあと、抉られてしまった。

 ミコトは今、暗闇の中にあった。それでも未だ、ミコトは死んでいなかった。


「お前を幾度も切り裂いた短刀には、シュトーノという麻薬が塗られていた」


 ボロボロになりながら、それでも鋭敏になった視覚を除く五感が捉えた。


「堕ちた傭兵がよく使用する麻薬だ。効力は簡単に言えば、五感が鋭敏化、そして精神の異常な高揚によって気絶しなくなる。頭か心臓でも潰すか、徹底的に致命傷を負わないと死なないだろうな」


 身を裂くような激痛が、体に染み込んだ鈍痛が、頭の中を掻き乱す。

 話の内容も、きちんと把握しているとは言いがたい。歯を折られたミコトには、食いしばって痛みに耐えることすらできない。

 しかし男は関係ないとばかりに、薬の説明を続ける。


「だが、多量接種は禁物だ。……一時間もしないうちに、お前は死ぬことになる」


 土を踏む足音が遠ざかる。ミコトを放置して、どこかに行くらしい。

 とことんミコトを甚振って、それでもトトメを刺さないのは、情けなどではない。ミコトに死の恐怖を味わわせ、惨めな最期を曝させる、そのためだ。


 ミコトは動けなかった。鋭敏になった感覚は激痛を遮断できない。

 それでも麻薬の影響か、それ以外の何かか……ミコトは血反吐を吐きながら、口を開く。


「どゴぇ、ぃぐ……?」


「使徒様のところへ。《操魔》を捕らえに行く」


 それを聞いて、ミコトの中に活力が湧き上がる。

 ――それだけは、許せない。

 死への絶望が、自身すら理解できない渇望へと変わる。


「――――」


 ミコトは意識して、それを使う。

 脳を掻き乱したくなるような『頭痛』。何も見えない暗闇が、真っ赤に染まった。


 感覚と意識が分かたれる。

 感覚が遠ざかった。どろどろの水の中から、外界を感じ取る感覚。思考が離れていく。

 意識が遠ざかった。ずっと一緒だった体から、無理やり剥がされる感覚。思考が消えていく。


 それぞれを把握していながら、それぞれが干渉し合い、阻害することはなく。

 ――そして『最適化』される。


 視界が広がった。否、それは目で見たモノではない。『命』から散っていった残骸、それらが世界の情報を取り入れ送信し、ミコトは受信する。


 青い世界。魔力が溢れる世界。

 青い大地。青い木々。青い大気。――青い人影。その胸から血管のように全身に広がる、赤い血色の蜘蛛の巣。


 ドン、と地面を抉らせ、ミコトは跳ぶ。唯一無事であった左脚を矯め、爆発的に開放した結果だ。

 一瞬の浮遊。その刹那に、世界が書き換えられる。


『バート・アクエモート』


 それは自身に干渉する魔術。脳にかかるリミッターを破壊する、生涯で一度しか使えない必死の禁術。


 折れ曲がったはずの左腕を、動けないことなど関係ないと言うように、器用に操る。地面に手を付け、体を捩じりながら回転させる。

 狙いは襲撃者の後頭部。体の勢いをそのままに、力のすべてを解放させ、左脚を叩き付ける。


 左脚は、途中で気付いて振り向いた襲撃者の右腕によって抑えられた。しかし、その程度で抑えられるような一撃ではなく、そのまま右腕を圧し折った。

 勢いは殺されたものの、蹴りは襲撃者の顎を蹴り飛ばした。同時、ミコトの左脚の筋が断裂し、骨が折れた。


 呻き吹き飛ばされる襲撃者に、『最適化』されたミコトは容赦しない。浮遊した体を捻り、倒れ行く襲撃者の頭上を取って、右腕を振り上げた。

 地面に衝突する瞬間、ミコトの右拳が大気を切り裂き、襲撃者の鼻っ面へ叩き込まれた。地面と右拳に挟み込まれ、襲撃者の頭部から嫌な音が鳴った。


 右拳は完全に粉砕され、筋も断裂した。もう二度と使い物にならないだろう、歪みに歪んで変形している。

 それでもミコトは、左拳を振り上げ、落とす。左腕は、右腕と同じ道筋を辿った。


 それでも、止まらない。止まらない。止まらない。

 振り下ろす。振り下ろす。振り下ろす。


「素人が……調子に、乗るなァ!!」


 振り上げ――その右手が、手首から切り離された。それを無感動に確認したミコトが、今度は左拳を突き出そうとするも、手首から断ち切られる。

 瞬間、強烈な蹴りがミコトの、貫かれた腹部を穿った。突き上げ、内臓を再起不能にまで壊す。


 ミコトは血反吐を吐いて倒れ込んだ。 

『最適化』から外れ、視界が再び暗闇に染まる。『頭痛』がやみ、忘れていた激痛は再び神経を焼き焦がし、感覚という感覚を犯し尽くす。


 絶叫を上げようとして、咽喉に衝撃を受けた。浮き上がった体が落ちたとき、襲撃者に蹴られたのだと、遅まきながらに理解した。


「俺を殴ったな!? よくも殴ってくれたなァ薄汚れたクソニンゲン! 敵だッ、敵だ敵だ敵だ! 使徒様の敵だ魔王の敵だ、敵だァ! ――新たなる世界の敵だ!!」


 蹴られる。蹴られる。蹴られる。蹴られる。

 今度こそ容赦はない。

 頭を、顔を、胸、腹を、肩を、腕を、手を、脚を、足を。

 技術もなく、ただ力のみを込めた衝撃が、ミコトを壊していく。


 襲撃者の気が済んだときには、ミコトは血肉の塊のようになっていた。なんとか人の形を保っているだけの肉塊だ。

 それでもシュトーノという麻薬の効果のおかげか、虫の息ながらもミコトは生きていた。


「ああ、しまった。やりすぎてしまった。これではすぐに死んでしまう。……まあいいか。俺も合流しよう」


 今度こそ、足音が離れていく。遠ざかっていく。

 ミコトは何もできずに見送った。シュトーノの効果による冴えた思考で、現状把握に努める。


 襲撃者は『操魔』の仲間を甚振り殺すと言った。つまりはサーシャの敵だ。

 合流と言っていた。本陣に戻るという意味かもしれないが、サーシャを襲う者たちへ合流するという意味である可能性のほうが高い。


(戻ら……ねえ、と)


 ボロボロになった四肢を操る。滂沱のように血を流しながら、地に這いつくばってでも進んでいく。

 サーシャたちが心配だ。助けなければいけない。早く、早く、早く早く早く早く早く早く早く。


 碌に動かない体が恨めしい。恨み恨んで、恨めしい。

 何もできない自分が憎らしい。憎く憎んで、憎らしい。

 ああ、早く、早く、早く――。


 ミコトは思考を、たった一つに固定化させて、進む。

 命を削る行為へ対する忌避感は、凝り固まった思考回路に上塗りされる。


 進む。進んで進み、進みながら、進む。

 命を削って。心を削って。


 ただ、どうしても消えない焦燥と、鈍く継続する『頭痛』を感じながら。

 進む。

・等活地獄


 八大地獄の中で、最も軽い。

 いたずらに生き物の命を断つ者が堕ちる地獄。懺悔しなければ必ずこの地獄に堕ちる。

 ここに堕ちた罪人は互いに殺し合いをさせられる。そうでない者も獄卒に殺されるが、「活きよ、活きよ」の声で生き返る。という流れが繰り返されるゆえ、等活。


『死んでも再生して何度も繰り返される』現象は、他の八大地獄にも共通している。

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