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第一三話 日常の終わり

 あれからまた数時間が経った。

 時折鱗馬を休息させるため停車していたものの、馬車に乗りっぱなしは体力を消耗する。

 ミコトもさすがに、いつまでも集中することはできなかった。


 サーシャと、あとレイラを巻き込んで指を用いた遊びをしていたミコトたちだったが、赤く染まり始めた空を見て、夕食の準備にかかることになった。

 今度は馬車内での食事ではなく、きちんと調理するらしい。


 プラムの閉門は二一時らしく、このペースならそれまでには到着できるそうだ。

 ようやくきちんとした休息と食事がとれる。昼間のパンは大きめだったとはいえ、さすがに一つだけでは物足りなかったのだ。


 馬車はプルームル街道の端で停止した。少し前方には森のほうへと入る、石畳で舗装されていない土が剥き出しの分かれ道があった。

 T字路の交差点近くでの路上駐車なのだが、もともと馬車二台分は通れる道幅で人通りもないので大丈夫だろう。そもそもこの世界に交通ルールなんてないか

もしれないのだし。

 ゲスい考えだが、こちらには貴族のフリージスがいるのだし、問題なんて起きても問題ない。……なんて強引な矛盾。

 そのフリージスは、未だ寝ているのだが。


「では、お食事の準備に取り掛かります。しばらくお待ちくださいませ」


 御者台から降り、寝ているフリージスに向けて律儀に頭を下げたリースは、魔道バッグから鍋などの調理道具を取り出し、次々と設置していく。

 かまどを作らない、焚き火をしないのは、加熱用の魔道具があるためだ。


 馬車の中から観察していると、サーシャが外に出ていった。


「わたしも手伝うよ」


「助かります」


 サーシャが調理に加わった。リースの的確な指示による分担作業が始まる。

 サーシャが調理担当で、リースは調理環境を整え調理をサポートする係りだ。誰も何も言わないことからして、サーシャは料理ができるらしい。


 調理が開始された。


 サーシャの手際のよさに、ミコトは思わず感嘆の声を上げた。

 ミコトもそこそこに料理はできるのだが、基本的に作るのは水物か自分用のみで、雑な出来なのだ。

 どうやら、手伝う余地はないようだ。


「んー……」


 ふと、女性のみの調理メンバーに、一人の少女がいないことを思い至った。

 ミコトは横目で視線を向ける。その先にいたのは、一六歳亜麻色髪の少女。まあつまりは、レイラだ。


 レイラは向けられた視線に気付いたレイラが、不機嫌になって半眼でミコトを睨む。


「なによ?」


「いんやー、べつにー」


 ミコトはソファーに座りながら、前に上体を倒して右腕を膝に乗せ、頬杖をついてレイラから目を逸らした。あからさまな挑発だ。


「おいコラちゃんとモノ言いなさいよ」


「言っていいのん?」


「やっぱり言わなくていいわ」


「レイラ、料理できねえの?」


「あァ?」


 途端、レイラが凶悪な形相で睨み付けてきた。年頃の女の子が出すような声でも、表情でもない。

 これ以上弄ると火弾が飛んできそうだったので、引きつった笑みを浮かべてミコトは謝る。


「わりぃわりぃ。それにしても、サーシャは姉と違って料理、上手いんだな」


「てめえちょっと誠意見せろよオラ」


 ゴウ、と熱気が生まれる。

 眼前に現れた火球が、ミコトの前髪をチリチリと焼く。


「ちょっ、待っ、それはマズいって!?」


「汚らしい髪を焼いてあげようっていう、アタシ最大の親切心よ」


「なんて嫌な優しさ!?」


 ミコトは叫び、水を創造して火球に被る。火球は相性の問題もあって、水の干渉によって状態を保てなくなって消失した。

 慌てて前髪を見ると、少し短くなっていた。焦げた匂いもする。


「へっ、へん。そろそろ散髪しようと思っていたところだったんだ、サンキューだぜっ。……っていうか汚らしいってなんだよ、若白髪のことか!?」


 髪を侮蔑する奴ァ許さんぜ、と息巻くミコトに、レイラは絶対零度の眼差しを向けた。


「その減らず口、顔を焼いて縫い付けてもいいのよ?」


「やめてください死んでしまいます『再生』するけどな」


「…………」


 レイラは無言で、ミコトの腹部を殴り付けた。グーで。

「ふごぉ!?」とミコトは呻いた。肺の中の空気を絞り出され、入ろうとする空気と出ようとする空気が激突。大きくむせた。


「サーシャの料理の腕に敵う奴なんていないわよ」


 相手の評価を引き上げることで、自分の腕は普通であるという言い訳をしているのか、と少し思ったミコトだったが。

 怒りの形相から誇らしげな表情へと変えたレイラを見ると、とてもそんなことは言えなかった。


(姉妹愛、あるんじゃねえか)


 ミコトは頬を緩めた。殴られたことに怒りはないし、レイラの妹自慢アシストでもしよう。


「へえ。そんなにすげえのか?」


 まあそれが失敗だったんだろう。


「ええすごいわよ。特にケーキ作りなんてすごいんだから。本職だってサーシャには勝てないわね。王宮専属の料理人にだって匹敵する、いやそれ以上、神域神級の領域よ、アレは。あの美味しさはとても言葉なんかじゃ表せなかったホント、将来はきっと素晴らしい料理人になれるわよ! ああ、思い出したらまた食べたくなってきた。サーシャもケーキを食べるときは、とっても可愛い顔をして……、もうとにかく可愛かったんだから! エインルード領、でなくても、王都でまた作ってもらいたいわね。一緒に食べるのが楽しみだわぁ。妄想してたらすごく楽しみ!」


「お、おう……」


 ご機嫌レイラのマシンガントーク。その内容はサーシャ贔屓の、完全にシスコンなセリフであった。


(姉妹愛、やべえじゃねえか……)


 ミコト、ドン引きである。


「じゃ、じゃあ俺も、いつか食ってみたいなー」


「アンタには食べさせない。絶対によ」


「そっすかー。……俺はお前のキャラがわかんなくなってきた」


 機嫌が直ったのだし、まあいいか。

 引きつった笑みを浮かべたミコトは、乾いた笑い声を出した。


 レイラから目を逸らして、改めて調理風景を見る。

 どうやらメニューはシチューらしい。グツグツと煮込まれたシチューはとても美味しそうで、唾が湧いてくる。


 しばらくぼうっとしながら夕食を楽しみにして待っていると、リースがサーシャに一声かけてから、馬車のほうへ歩いてきた。


「お食事が完成いたしました。フリージス様は起きていらっしゃいますか?」


「いや、まだ寝ている」


「おーい、起きろよフリージス。隕石が降ってくるぞー」


 リースの質問にグランが簡潔に答え、ミコトがフリージスに声をかける。が、起きる気配はない。

 不健康そうなフリージスだ。もしかしたら彼も、寝起きに弱いのかもしれない。


「仕方ありませんね」と、無表情にどこか喜びらしきものを浮かべて、リースは馬車の中に入る。

「失礼いたします」と声をかけてフリージスの肩を優しくつかむと、緩やかなリズムをとって揺すり始めた。


 そんなことで起きるのか、とミコトは疑念を持って眺めていたのだが、予想に反してフリージスはすぐに目を覚ました。

 しばらくぼうっとしていたフリージスだが、リースに一声かけられたことで完全に覚醒した。


「フリージス様。お食事が完成いたしました。こちらに来ていただけますか?」


「ああ、もう夕食かい? ずいぶんと寝たものだ。最近は疲れが取れなくてつらいな」


「肩をお貸しいたしましょうか?」


「いや、大丈夫さ。気持ちだけ受け取っておこう。ありがとう」


 フリージスが立ち上がる。立ちくらみを起こしたのか頭を押さえたが、すぐに体勢も安定してきた。

 リースの無表情が、心配げなものに変わっている。フリージスが関わるとまるで別人だと、ミコトは感じた。


 ぞろぞろと馬車から出る。

 鍋の周りにはいつの間にか、サーシャが地属性魔術で作ったのであろう、六つの土製のイスが生まれていた。そのイスの上には、シチューの入った木製の器があった。


 そのシチューが非常に美味しそうに思い、ミコトは実際に声に出した。


「おー、美味そうだな」


「そ、そうかな?」


 えへへ、と照れ笑いしたサーシャから、この世界において高級らしい『普通』のパンを手渡される。

 右手にパン、左手にシチュー入りの器を持ち、イスに座る。膝にパンを置いてスプーンに持ち替え、シチューに差し入れる。


「いただきます」を告げ、とろりとしたシチューを口に運び、


「――――っ!」


 その瞬間、口内にまろやかな味が広がった。

 シチューの味が具にほどよく染み込んで、じゃが芋や人参を噛むと味わいがさらに溢れる。

 なんと言っても、一番はこの肉だ。肉のシチューの味が踊り、お口の中がハーモニー。


 地球で過ごした期間も含めて、こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだ。

 食べにくく味の薄いものではない。相手を選ばないコンビニ弁当や冷凍食品オンパレードなものとも、面倒に思いながら自作した料理とも違う。

 それには人の手によって込められた、真心が含まれていた。


 ミコトは我を忘れて、がつがつとシチューを掻き込んだ。

 一気に食べるのがもったいないと思いつつ、しかし口は止まらない。


 器に入っていたシチューはすくになくなって、空っぽになっていた。

 それを残念に感じていると、綺麗な手が器を絡めとった。驚き見ると、サーシャが微笑んでこちらを見ていた。その手には、ミコトの器がある。

 サーシャは鍋からシチューを入れると、ミコトに手渡した。


「えぇっと、あんがと」


「ふふっ。ミコトが気に入ってくれて、わたしも嬉しいよ」


 そう言われて、恥も外見もなく頬張っていたことを意識して、ミコトは頬を掻いた。


「あー、ははは。ああ、すげえ美味かったよ」


「うん、よかったぁ。ミコトに料理を振る舞うのは初めてだから、ちょっと緊張してたんだ」


 てへへと笑うと、サーシャもイスに座って食事を取り始めた。

 ミコトも、また掻き込むつもりはないので、ゆっくり味わって食事を取った。

 パンと一緒に食べると新たな食感があって、飽きることなんてありえない。


 視線を感じてその方向を見ると、自慢げにない胸を張るレイラがいた。

 お前が作ったわけじゃないだろうに、と思ったが、言わなかった。確かにこれほど料理が上手い妹がいれば、さぞ鼻も高かろう。

 レイラの視線による自慢を、ミコトは納得とともに受け入れた。



     ◇



 グランに次ぎ、ミコトは二番目に夕食を食べ終えた。

 サーシャとリースの合作シチューは、非常に美味しかった。できれば毎日食したいものだが、そういうわけにもいかないのだろう。


 日も暮れ始め、夕焼け空になっている。もうそろそろ夜の闇に包まれる頃だ。

 だいたい今が一八時だから、あと三時間でプラムに到着できればいいわけだ。フリージスいわく、よほどゆっくり進まなければ間に合うそうなので、野宿の心配はなさそうだ。


 今、サーシャとリースが食器を片付けている。

 レイラは参加していない。彼女はハッキリとは言わなかったが、どうやら家事や整理整頓が苦手らしい。ファルマで過ごしていたときも、そういうことはサーシャに任せていたのだろう。


 確かにミコトが見た限りでは、簡単な買い物をしていたところしか知らない。

 レイラの苦手項目はともかくとして、もうじき出発というとき、ミコトは尿意を覚えた。


「……ふむぅ」


 さて、どうやってみんなに伝えようかと考えたとき、ミコトのくだらない思考回路が回る。


『お花摘み』という言葉は登山用語だと言われている。女性が用を足す姿が花を摘んでいるように見えるためだ。

 そう、女性専用の隠語である。あまり有名ではないが、当然反対の、男性用の隠語も存在する。確か、『雉撃ち』だったか。

 そこまで思考して、途端に考えるのが面倒になった。というか、どうでもよくなった。


「んじゃ俺、トイレ行ってくる」


 結局ミコトはストレートに告げた。

 特別おかしな行為をしたわけではないのでツッコミを受けることはなく、仲間たちの疎らな挨拶を背に早歩き。

 視線が切れたことで、ミコトはダッシュ。舗装されていない森へと続く道を走る。


 そのとき、川が流れる音が聞こえた。ガルム森林の川と言えば、谷の川だろう。気になって、音のほうへ歩いていく。

 たどり着いたのは、やはりガルムの谷であった。眼下では十数メートル先、岩と岩の間を縫うように流れる川がある。下流方面らしく、川岸があった。


 ガルムの谷。ガルム森林を分断するようにある渓谷だ。

 そしてミコトがこの世界で、初めて死に、生き返った場所でもある。


 視線が動く。見つめるずっと先に、大きく抉られた地面があるはずだ。

 ミコトが『声』に従い、大爆発を引き起こした場所。その近くには、一夜明かした洞穴もあるだろう。


 あれから一〇日ほどしか経っていないというのに、ずいぶんと懐かく感じた。

 ミコトの頬が自然と緩む。


 と、思い出した。ここには排尿に来たのだ。早く終えた戻らないと。

 ミコトは森の中へと踏み入る。迷子になってはいけないので、そこまで深入りしない。


 しばらくして、ほうっとため息をこぼすミコトの姿があった。

 創造した水で手を洗う。


「さってと、そんじゃまあ、戻るか」


 術式への魔力供給を止めて水を消し、ミコトは道に向けて歩む。

 手をぶるぶる振っているのに気付いて、こういうのは癖だな、ミコトは苦笑。


 そのとき唐突に、木々がガサガサと揺れ動いた。疑問に思って辺りを見回すミコトだが、原因はわからない。


 気のせいか、と再び歩みを再開し――今度こそ、何かの気配を感じた。

 まさか角熊か。慌てて振り向くミコトの視界に、それはいた。


 予想していた角熊ではなかった。それは人間だった。

 しかし、果たしてそれは、幸運ではなかった。もっと悪意に塗れた不運であった。


 その人間は黒装束をまとっていた。灰色の髪と黄色の瞳をしている。性別は体格から考えて、男か。

 明らかな不審人物の出現。だが驚き、思考に停滞を生んだミコトは動けない。


 気付いたときには、もう遅い。男が音も立てず接近し、ミコトの懐深くまで潜り込んできた。

 ようやく我を取り戻すミコトだが、間に合わない。


 ミコトは気付く。男の手に握られている、艶消しされた黒い短刀に。

 世界がゆっくりに感じられるのに、もどかしく思うほどに体は動かなくて。

 自身の腹部に迫る凶刃を、ただ眺めることしかできず。


 そして――ブチュリと凶刃が、ミコトの腹部に突き立てられた。


 違和感が。衝撃が。驚愕が。焦燥が。激痛が。熱が。寒気が。

 それら苦痛を構成する要素が、一瞬の間に次々と襲われて。


 ガルム森林に、絶叫が響いた。

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