第一一話 旅立ちの日
――――。
『親父』
『……あ、ああ。どうしたんだ?』
『……いや、やっぱなんでもない』
――怖い。
『なんで浮気したの!?』
『そ、それは……』
『ま、まあ待ってよ母さん。なんか事情があったんだろうしさ、な?』
――痛い。
『誠さん……事故で、死んだって』
『……っ!? そん、な!』
『どうして、こんなことに……』
『…………。――母さんは、俺が守るよ』
――重い。
『俺、学校やめるよ』
『え、なんで!?』
『お前、本気で言ってんのか?』
『ああ。バイトしなきゃなんねえしな』
――誰か。
『そっか……。がんばってね』
『卑屈になるなよ? なんとかなるさ』
『……ああ、サンキューな』
――止めてくれよ。
『娘から聞いたよ。高校、やめるんだってね』
『ああ。まあ高校の勉強ぐらいやらなくたって、どうってことねえよ!』
『……そうか。頑張ってね』
――気付いてくれ。
『母さん、料理できたよー!』
『…………』
『……母さんにも食べやすいように、水物にしてるんだ。テーブルに置いとくから、腹減ったら食ってよ』
――怠い。
『初めてのバイトで不安もあるけど、頑張っていきまーす!』
『おー、元気のいい奴がきたなー。なあ先輩?』
『うぇ? ぁう、うんそ、そうだね。と、ところで君、アニメとか興味、ある?』
『……あんま知らないけど、興味ありますぜ!』
――逃げたい。
『尊!』
『ごめん、な……』
――ああ、助かった。
――――。
――――。
――――。
『あ、起きた?』
――――。
『そう、よかった』
――――。
『当たり前のことをしただけだから』
――――。
『わたしはサーシャ。サーシャ・セレナイトだよ』
――――。
『俺の名前は……』
――俺は、この世界で――
『――ミコト・クロミヤだ』
――変わるんだ――
◇
「さて、おはよっと」
起床。ミコトは完全に意識を覚醒させた。
汗で僅かな不快感。普段なら、睡眠のプロフェッショナルを自称するだけあって、寝汗はあまりかかないのだが。
そういえば何か、夢を見ていた気がするが……。
「ま、いっか」
ミコトは跳ね起き、軽くストレッチ。ポキポキと骨の鳴る音が心地いい。
さて、汗を流そうか。消えるとはいえ、あまり宿の中で水を創造したくない。
「どこへ行く?」
突然グランに声をかけられ、驚くミコト。少なくとも先ほどまでは寝ていたはずだが……。どうやら、獣族の察知能力はかなり高いようだ。
「ちょっち汗を流しにな」
そう言って庭に出たミコト。頭上に伸ばした右腕の先に、水が創造された。
形状設定も、位置設定もされていない、魔術であることを除けばただの水だ。当然重力に従い、ミコトは水を被ることになる。
それを何度か繰り返し、ミコトはスロットへの魔力供給を停止。水がすぅっと消えていった。当然、濡れた衣服も乾いていく。
いや、乾くという表現は間違いで、実際には消えるが正しいのだろうが。
まあそんなことはどうでもいい。
「さって、と」
ミコトは空を仰いだ。東の空が、徐々に明るくなっていく。
今日は上春・青の三五日。
「空気は澄み、空は晴れ渡り……ってな。旅立ちにゃあ、絶好の日だろ?」
確認するように呟いて、ミコトは口元に笑みを作った。
旅立ちの日であるが、宿屋にとってはそこまで重要なことではなく、いつもと変わらぬ朝食であった。
それも食べ終え、今は荷物の点検をしていた。
ミコトはグランとともに、自室で荷物の整理を終えたところだ。二人ともあまり荷物がなかったため、それほど時間はかからなかった。
バッグ一つに纏められた荷物は、グランが背負っている。
魔道ランプはフリージスの私物なので、ケースに入れてバッグの中だ。
そこまで大きくないバッグだが、実はこれはただのバッグではなく、『スペースバッグ』――通称、魔道バッグと呼ばれる魔道具だ。
数少ない空属性の術式が使われており、内臓可能量は見た目の五倍で、さらに重量も軽減できる。時間の流れは変わらないので食べ物を入れっぱなしにすると腐るが、それでも当然高級品だ。
術式が破損しないようにバッグを二重にして、内側に刻まれている構造だ。魔力供給をやめれば中身が溢れ出してしまうので、魔鉱石も取り付けられている。
魔鉱石交換時は魔力供給しながらか、中身を一旦すべて出さなければならない。手順を間違えれば、内側から弾け飛ぶことになる。
ミコトたちは食堂に戻ると、先にフリージスがいた。しかしそこに、クールなメイドの姿はない。
「リースは?」
「ジュレイド商会支部に預けていた馬車を、受け取りに行っているところだよ」
「ふうん。サーシャたちは?」
「まだ来ていないよ。もう少ししたら……ああ、来たみたいだ」
フリージスの言葉とともに、ドタバタと階段を降りる音が聞こえた。
ちょうどフードを目深に被ったサーシャと、魔道バッグを背負ったレイラが降りてきた。
再び食堂に集まったミコトたちは、チェックアウトして宿を出た。
外にはすでに、一台の馬車が停められていた。
一目見て高級だとわかった。
この一週間、町を出入りする馬車を眺めていた。それら馬車は洒落っ気がなかった。
それに対し、目の前の馬車は白を基調に、金の装飾が施されている。側面には家紋らしき紋章が刻まれている。
先端が大剣、細剣、刀、槍、斧、杖、矢の七つに分裂した武具が、大地に突き立てられている、奇妙な紋章だ。
大きさはワゴン車ほど。見るからに重量そうだが、なんらかの対策は施されているはずだ。
多くの魔道具を持つフリージスだ。この馬車もどこかに、軽量化の術式でも刻まれているのだろう。
御者台にはリースが座っていた。メイド服姿の美女が御者というのも、なかなかシュールであった。
だが、頬を引きつらせたミコトの意識は、別のところへと視線を向いている。視線の先には、馬車を動かすにおいてもっとも重要である馬がいた。
その馬が、問題であったのだ。
「……ありゃ、なんだ?」
四足で立つ生物。それは確かに馬とよく似ていたが、知っているものとずいぶん違う。
鱗で覆われた体。ギラギラと輝く金色の瞳。体長は二メートル超えで、グランよりも大きい。
馬というか、UMAだ。地球上の生物とは明らかにかけ離れている。
「あれは鱗馬よ」
レイラが簡潔に教えてくれた。引き継ぐように、フリージスが補足する。
「中央大陸の北東部で、霊地の影響を受けて生まれた変異種さ」
「へえ、そりゃまたすげえもんを……」
呆然と呟くミコトだが、周りはミコトの感慨に付き合わない。次々と馬車に乗り込んでいくので、ミコトも馬車に入った。
馬車の構造は前後で別れている。後部は荷物置き場で、前部が人の乗る、といったふうにだ。イスはふかふかで柔らかそうなソファーだった。
ソファーは二つあり、一つにフリージスとグランとミコトが。もう一つにはサーシャとレイラが座り、空いたところにに手持ちの荷物を置く。
御者のリースを除けば、綺麗に男女と別れた形だ。
「では、出発いたします」
リースの掛け声。同時に鞭の音が響き、鱗馬が嘶いた。
いろいろ迷惑をかけ、お世話になった宿屋の女将に見送られ、馬車がゆっくりと動き出す。
その動きは、巨体に見合わずスムーズであった。予想通り、なんらかの仕掛けが施されているのだろう。
ミコトは取り付けられた窓から、外の景色を眺める。
ミコトにとって、ファルマは異世界シェオルの地において、初めての町である。だからか、少しの寂寥感を覚えていた。
一週間ほど暮らした町の景色が、どんどん過ぎ去っていく。
服飾店を通り過ぎた。
老婆はしわしわに細めた目でミコトを見つけると、手を振ってきた。ミコトも手を振り返した。
飲食店を通り過ぎた。
古めかしい雰囲気のある店構えは、ミコトを興奮させたものだった。
ほかにも気のいいおっちゃんがやっている屋台や、混みあった大衆浴場を通り過ぎる。
そのどれもが懐かしく、もうしばらくここにいたいと思わせる。
過ぎ行く街並みを眺めていると、すぐ橋に着いた。リースと警備員が少し話すと、再び馬車が進み始めた。
一週間過ごしたファルマを出て、馬車は加速する。
ミコトは窓に頬を押し付けるようにして、馬車の後ろを見る。
どんどんと遠ざかっていくファルマ。この町に戻ってくることは、もうないのだろう。
ミコトは旅というものを知らない。旅行やキャンプ程度ならやったことはあるが、本格的にやった経験はない。
正直、不安はいっぱいだ。しかし同時に、期待も感じていた。頬が緩むのがわかった。
今度は、馬車の前方に目を向ける。
草原の先、バルム街道が続くその向こうに、ガルム森林が見える。
最終的な目的地はエインルード領。
次の目的地はプラム。
さあ、これからだ。
これから、変わるのだ。
◇
少し進むと、すぐにガルム森林に入った。ガルム森林を切り開いて作った道は、まるで緑のトンネルのようだった。
しばらくすると、道が二つに別れていた。一つは真っ直ぐ、一つは左に向かう道だ。
設置されていた看板によると真っ直ぐの道が、ファルマとバーニルという町を繋ぐバルマ街道。左はプラムに行くためのプルームル街道らしい。
馬車は方向を変えると、左のプルームル街道へと進んでいく。
そこまで見届けて、ミコトは窓から顔を離した。
横の席を見ると、フリージスは本を読み、グランは腕を組んで目を閉じている。
レイラは外の景色を頬杖をついて眺め、サーシャは船を漕いでいる。
御者台には、任された仕事を全うしようとするリースの姿が見える。
さて、これからどうしようか、とミコトは頭を悩ませた。
プラムは今日の夜には到着する予定らしい。それまで何をするかと言えば、何もすることがない。
だから、馬車に乗っている間は暇になってしまう。外を見ても同じ景色しか続かないため、すぐに飽きてしまった。
ミコトは基本的に、暇な時間というのを嫌う。活動的というわけではないが、何もしていないと落ち着かないタチなのだ。
ここ最近も、サーシャの誘いで少しの気分転換を入れたことはあったが、基本的に勉強と修行ばかり。何もしていないときはなかった。
考えた結果、魔術の修行をすることに決めた。
決めて、一つ思いついた。
「なあサーシャ。ちょいと訊いてオッケぇ?」
「うぇ? ね、寝てないよ……?」
「うんうん、寝てなかった。寝てないってことで、ちょっちご教授ください」
サーシャは眠たげに目をこする。
「うん? なに?」
「魔法陣ってどう作るんだ?」
考えたのは、魔法陣を使用することによって、術式の演算処理を高速化する方法、魔法陣魔術。
ミコトは魔力制御能力が高い。しかし、演算能力は才能はあると言われたが、現状では素人に毛が生えた程度でしかない。
手っ取り早く強くなろうと考えれば、魔法陣魔術に行き着くのは当然の流れだった。
そしてミコトは、サーシャの魔法陣魔術しか見たことがなかった。最も教えを乞いやすいのが、サーシャということもある。
「うん、こうやって……」
頼られたサーシャは眠たげな表情を消した。頼られたからか、ワクワクして実践する。
サーシャの差し出した人差し指に、周囲から少しだけ現れた青い光が収束する。
集まった光は、形を変えていく。まず輪を作り、その中に幾何学的な線を入れていき、ルーンが書き込まれる。
出来上がったのは二重の円に、二つの正方形を交差したような魔法陣で、ルーンが要所要所に配置されている。
完成した瞬間、その人差し指の先に、目に見える風が生じた。
無詠唱と魔法陣による干渉系統・風属性・生活級の微風魔術『エアリ』だ。
「はい、できた」
「ふぅむ」
じっくり観察していたミコトは、右手に顎を乗せて唸る。
先ほどの光景と、感じ取った魔力の動きを、頭の中で反芻する。
「さすがにそれでできるのは、サーシャだけよ」
「そ、そうなの……?」
見かねたレイラが、視線を景色からサーシャに移して言い、サーシャを困惑させた。
『操魔』を持つサーシャは、魔力制御に苦慮しない。常人の感覚とは違うのだ。困ったようにぎこちない笑みを浮かべるサーシャ。
ミコトはそれらを見ることなく、意識を自身に向けていた。一度のめり込めば周りが見えなくなる性格は、集中力が高いということでもあるのだ。
(まず、魔力を精製……)
ゲートを通じて、生命力が魔力に変わる。右手のみから魔力を放出。
体内、スロット内での魔力制御は容易にできたが、体外での制御はやったことがない。
最初は感覚がつかめなかったが、時間をかけていくほどに理解を深めていく。
魔法陣は、先ほどサーシャのを見てわかった。円を描き、線を通し、ルーンを刻む。
初めはぐちゃぐちゃだったそれが、時間をかけて確実に形になっていく。
そして、魔法陣が完成する。
魔法陣が消える。直後、『エアリ』が発動。目に見える風が出現した。
「で、できてるし……」
「やったね、ミコト!」
レイラの唖然とした呟き。サーシャはまるで自分のことのように、満面の笑みを浮かべて喜んでいる。
ミコトは呆然と、右手の先に生まれた微風を見る。まさか、最初から成功するとは思わなかった。
「やったぜ。成し遂げたぜ」
難しさで言うなら演算と変わらない。が、使えるのと使えないのでは違う。
魔術の発動方法なんていうのは、ひとそれぞれだ。魔術師はみな、自分の能力と状況に合った手法を選ぶ。
とは言え、たいていの魔術師だと難易度の問題から、魔法陣は使わず詠唱・演算だけの手法になる。これに魔法陣を加えることができれば術式を分担し、術式構築を高速化できる。
さらに利点を上げるなら、魔法陣は体外で構築するため、スロット内での演算ほど精神状態に左右されない。
心が弱ろうが、精神性の問題で苦手とする系統・属性だろうが、関係なく構築できる。
魔法陣魔術の可能性を見て、ミコトの手法はだいたい決まったと言っていい。
魔法陣が四、演算が五、詠唱が一の割合での術式構築。完全に習得できれば、魔術の早打ちができるようになるはずだ。
そうと決まれば、鍛錬だ。
「サンキュ、サーシャ。助かった!」
えへへ、だらしない笑みを浮かべるサーシャ。
ミコトもニヤリと不敵な笑みを返してから、自身の内面に意識を向けた。
この前に考えておいた弾丸魔術『イグニスト』の術式を、再び組み直していく。
同時、掌で魔法陣構築の修行もする。
着実に強くなっている。
俺は、変わっていける。
ミコトの内面は、歓喜に震えていた。
そうして午前の時間は過ぎていった。