第九話 身体強化のアレコレ
「へえ。ミコト、もう初級魔術を使えるようになったんだ」
朝食後の食堂で。
フードを目深に被ったサーシャに修行の成果を話したところ、そのようなことを言われた。
「そんなすげえの? 俺すげえの?」
ミコトの質問に、サーシャはうんうんと、大きく頷いた。
この八日間で、サーシャとの距離もだいぶ縮まってきたと思う。もう赤眼を見せることを怖がって、目を逸らすことはなくなった。
しかし一方、まったく距離を縮められなかったレイラはというと、サーシャを挟んだ向こうに座って、眉根を寄せていた。
「魔力制御能力に任せたごり押しでしょうが」
「……まあ、否定はできねえな」
レイラの言う通りだ。ミコトは苦笑いした。
そこに、サーシャが「でも」と切り出す。
「一週間で初級魔術は、とってもすごいことなんだよ?」
「そ、そうなのかしらね、へへ」
裏もなく純粋無垢に褒められると照れ臭くて、頬が緩んでしまう。
ミコトは緩んだ顔を見せないように席を立ち上がった。
「んじゃ、勉強してくるか」
「がんばってねー」
手を振ってくるサーシャに対し、ミコト手を振り返し、表情を引き締め直す。
レイラは終始、不機嫌そうにしていた。
◇
ミコトは自室に戻ってきた。
クレイモアの手入れをしているグランの横で、魔術教本を読みながら今朝の修行に思いを馳せる。
生活級魔術は、もう使える。たった五つのルーンだけなら、すぐに演算できるようになった。
初級魔術も使えた。しかしそれは、魔力制御の才能に依存しただけの、稚拙なものだった。
ミコトが完璧に演算できるのは、現状では七が限界だ。一〇のルーンを扱えば、その術式は欠陥だらけになる。
その欠陥を、魔力制御で克服しているだけなのだ。
これほどの魔力制御能力があれば、上級魔術も楽々と使えるはずだ。しかし、たとえ魔力制御能力が高くても、演算力が低ければ意味がない。
どちらかが突出していようと、片方が素人並みでは宝の持ち腐れだ。
「…………」
ガルムの谷で起こした大爆発を、思い返す。
『イグニスリース』。魔術教本に載っていたそれが、おそらくその魔術の名前。
干渉系統・火属性・上級・災害系に分類される、火災魔術『イグニスリース』。
使用するルーンが五〇以上の、上級魔術の中でも最高クラスの魔術。
あのときは『頭痛』と『声』に助けられた。しかしそれらのイレギュラーは、非常に不確定なものだ。いつ起こるのかも把握できていない。
不快感はあるが、あれらの現象を自分の意思で使えるようになれば、演算能力という欠点を補えるはずだ。
必要な知識と、必要な技術。そして、最適を導き出す――『最適化』の力。
(ま、そう簡単に使えりゃ、苦労しないわな)
嘆息したミコトは、隣のサーシャとレイラの部屋へ向かう。
ノックして数秒後、出てきたのはレイラだ。ミコトの顔を見た瞬間、盛大に顔を顰めた。
「おっす、オラ――」
「帰れ」
すぐさま閉められる扉。しかしそれは、ミコトが足を差し込むことで抑えられた。
傍目から見れば完全に変質者だが、それは気にしない。
「ちょっといいか?」
「よくないってのがわからない?」
「魔術とか教えてほしいんだけどさー」
「話聞けよアンタ」
ため息をこぼすレイラ。その奥からサーシャが、ひょっこりと顔を出した。
「あれ、ミコト?」
「よっす。ちょっと魔術、教えてくんね? 弾丸魔術とかなんだけど」
「いいけど……わたし、攻撃魔術が苦手だから。フリージスに教えてもらえばどうかな?」
サーシャが攻撃魔術を使えないというのも、仕入れた知識と照らし合わせれば考えられる話だ。
魔術には精神が深く関わるため、精神性によって向き不向きが生まれる。それは属性や系統よりも、攻撃や防御といった使用方法のほうが影響が大きい。
一週間しか関わりがないが、サーシャが優しい、悪く言えば甘い性格というのはわかった。だからサーシャの攻撃魔術が苦手という言葉も、すぐに納得できた。
「フリージスに?」
「アルフェリア王国最強の魔術師って呼ばれてるんだって」
「へえ」
そういえば一週間前。ミコトが着ていた地球産の衣服を、手元から離れた地点で燃やしていた。
何気ない動作で、起きた現象も地味だが、素人ながらも知識がある今ならその難易度がわかる。
魔術は術者から離れるに連れ、格段に術式が難しくなる。座標設定の難易度が上がるためだ。
なるほど、それを簡単にやってのけるフリージスなら、最強と呼ばれるわけもわかる。
「そっか。サンキュな」
「力になれなくてごめんね」
「いんや、助かったよ。じゃな」
扉が閉められる。
次に向かったのは、言われた通りフリージスとリースの部屋。
ノックをして出てきたのは、予想通りメイドのリースだった。相変わらずの無表情で、感情がわからない冷たい瞳を向けてくる。
「どういったご用でしょうか?」
「フリージス、いる?」
「フリージス様はただいま、ジュレイド商会支部に出かけております。わたくしから伝えましょうか?」
ミコトの中に落胆が生まれた。それを表に出すことはなく、代わりに疑問が表情に浮かぶ。
リースはフリージスに付きっきりという印象があった。どうして今、別行動をしているのだろうか。いや、特に不思議な話ではないとはわかっているが……。
少ない隙間からリースの後ろを、部屋の中を覗く。衣服や荷物がベッドや床に並べられていた。
疑問に思ったが、特段興味も湧かなかったため、話題には出さない。
「いや、俺から言うよ。頼み事すんのはこっちだしな。んじゃ」
「はい。では」
慇懃に頭を下げられ、扉が閉められた。
部屋の中から、ごそごそという物音が聞こえる。何やら忙しいときに来てしまったらしい。
さて、当てにしていたフリージスがいなかったわけだが、またサーシャかレイラのところに赴いて、教えてもらおうか。
そう考えたところで、一人の男を思い出した。
褐色の肌と、赤い短髪。鋭い目と、赤みを帯びたブラウンの瞳の男。グラン・ガーネット。
彼の修行を見ていたミコトは考える。
このシェオルという世界で、ミコトが見た中で最も強い男がグランだ。
大気を叩き斬る力強い剣捌き、憎しみに心を燃やす精神性も。最強と呼ばれるフリージスが見せない、苛烈さがあった。
グランから身体強化を学ぶのもいい。ものにできずとも、身体干渉系統のコツぐらいなら教えてもらえるかもしれない。
だだ、少し訊きづらかった。朝の一件は、ミコトを戦慄させた。
だが悩んでも仕方ない。怖がってはいけない。
何度も何度も、自身に言い聞かせる。
――強くならなければ、いけないのだから。
扉をノックしようとして、そこが自分の部屋であることを思い出して苦笑した。どうやら思っていた以上に緊張しているらしい。
幸い、間抜けをすることで心の余裕ができた。深く深呼吸したミコトは、意を決して部屋に入った。
「グラン、ちょっとい……い、か……?」
ミコトが部屋に入って見たのは、鋭利な刃物で斬られたような傷がある壁と、冷や汗をかいて唸るグランの姿だった。その手にはクレイモアが握られている。
ミコトに気付いていたのか、グランがこちらを見る。その眼は焦燥で揺れて、側頭部に生える獣耳は萎れている。
ミコトは推測する。
おそらく手入れを終えたグランは、出来を確かめるために剣を振ったのだ。しかし注意不足で、壁を傷つけてしまった、ということだろう。
「……弁償するしか、ないっしょ」
「そう……だな……」
無駄に重々しく頷いたグランは、ミコトの脇を通り抜けて部屋から出て、一階に降りていった。
階段を降りていくグランの哀愁漂う背中を、ミコトは名状しがたい思いを胸に秘めて見送る。
(強さって、なんだっけ?)
あるいはそんなもの、この世には存在しないのかもしれない。なんて哲学なことを、ミコトは思った。
◇
そんなこんなで。
トントン、という何かが叩かれる音がする中、ミコトは『イグニスト』の術式を演算していた。
ミコトは魔力制御能力に比べて、演算能力が圧倒的に低い。ならば、演算能力を上げようとするのは自然なことだ。
新たな魔術は、今のところ学ぶつもりはない。多くの手段は必要だが、現状のミコトでは器用貧乏にもなれない。
だからこそ、一つのことだけでも完璧に。
いろいろ説明したが、しているのは単なる反復練習だ。しかし、反復練習は基礎力を上げるのに重要だ。特に、今のミコトには。
幸い、魔力制御能力とは比べものにならないが、演算の才能もミコトにはあった。
初級魔術のコツを掴んだだけで、上達速度は一変した。術式演算を繰り返すたび、より正確に、より高速に演算できるようになってきていた。
今ならば『イグニスト』の術式も、もう少し上方修正しても大丈夫だろう。
トントンと音が響く中、速度設定を上げ、形状設定を強化しておく。
トントン、トントン、トントン、トントン……
「うっせえな!」
「……すまん」
ミコトの怒鳴り声で、壁の修繕をしていたグランが真摯に謝った。
グランは一階に降りて女将に事情を話したところ、大変叱られていた。
そして、弁償代を少なくする条件として、修繕すること言いつけられたのだと言う。
修繕用具はこの宿に置かれていた物以外、すべてグランの出費からだ。なかったのは板材だけなので、そこまで金はかからなかったそうだが。
グランも器用なもので、ペースを乱さず慣れた手つきで釘を打っていく。
「大工やってたことあんの?」
「昔、自宅を作ろうとしたことがある」
「おお、すげえ!」
「大黒柱を忘れて、崩壊させた」
「おお、なんてこと……」
「次は成功させたがな」
「そ、そか。よかたよ、うん」
誇らしげに胸を張るグラン。
ミコトは曖昧な笑みを作った。が、ハッとして表情を改める。
自分は雑談をしに来たのではない。魔術の修行をしなければならないのだ。
「そうだ。なあグラン、魔術とか教えてくれよ」
「フリージスに訊けばいいだろう?」
「いないんだってさ」
「そうか。……俺でいいなら教えよう」
「サンキュー!」
礼を言ったミコト。しかし、グランは頬を掻きながら「だが」と続ける。
「俺は魔術が得意ではない」
「ん? 身体強化してたじゃねえか。あれ、中級魔術だろ?」
「まあ、そうだが……」
グランは首を横に振った。会話が得意でないのか、途切れ途切れに説明する。
魔術の上達方法には、二つある。そのどちらを選ぶかで、どんな魔術師になるのかが決まると言っていい。
一つはミコトがしているような、一般的な魔術師の修行。
もう一つが、体を鍛えることによって上達する方法。体を鍛え、戦いの中で心を見極め、精神統一をする。そうすることで、できることは偏るが、魔術が上達するらしい。
グランの選んだのは後者だ。というか、それしかできなかったそうだ。もともと魔術の才悩はなかったらしい。
強くなるには魔術が必要だが、魔術を使うには強くならなければいけないという、矛盾。
戦いの中で上達した力だからこそ、戦い以外の才能はない。遠距離攻撃の魔術は使えず、他者の治癒も防御もできない。できるのは、自身を鍛え上げる魔術、身体干渉系統や武器強化のみ。
例を挙げるなら、身体強化や自分専用の治癒魔術だ。グランには初級魔術すら満足に使えないのだ。
しかし、身体干渉系統に限れば、その能力は普通の魔術師を超える。
「なるほど」
説明を受けたミコトは、その内容を咀嚼する。
「身体強化に関してなら、教えられないことはないが……」
「頼む。身体強化は修得したいしな」
遠距離攻撃は遠距離から敵を倒せる魅力的な手段だが、地球での生活が長いミコトには、身体強化による喧嘩の方がやりやすく思えたのだ。
身体強化は、一番わかりやすく強くなれる手段だと判断した。
「修繕中だから、口頭のみの説明にするぞ」
ミコトは頷く。
初級魔術すら満足に扱えない現状、中級魔術を使えるはずがないことなど、最初からわかっている。
だから今は、いつか来るときのために知識を蓄えるのだ。
「身体強化魔術には、四つの種類がある」
火・水・風・地の四つ。
火が『イグニモート』、水が『アクエモート』、風が『エアリモート』、地が『グロウモート』である。
「それぞれの属性によって、効果が異なる」
火は『力』。体に力の纏うことにより、攻守一帯の力を生み出す。
風は『速度』。空気抵抗をなくし、体に風を纏って移動の補助をする。
地が『硬さ』。体を強靭にすることにより、防御力を上げる。
水は少し特殊で、体内に干渉して身体能力を増す。創作ではよく見られる、脳のリミッターを外すことによる身体強化だ。
「二つの身体強化を使うことはできない」
できないことはないらしいが、身体干渉系統は非常にデリケートな魔術だ。少し調整を間違えるだけで、体を崩壊させる危険性がある。
たとえば『イグニモート』。攻守を逆にしてしまえば、術者はミンチになるだろう。『エアリモート』なら大気に押しつぶされるし、『グロウモート』ならまったく動けなくなる、といったふうに。
『アクエモート』では調整を間違えずとも、長時間行使すれば後遺症が残るのだ。間違えた結果は、ほぼ死しかない。
そもそも、一つの物体に二つの魔術をかけること自体、難易度が高いのだ。どちらか、もしくは両方の術式が崩壊するのがオチだ。
「ていうかそもそもさ、干渉系統と身体干渉系統って、どう違うんだ?」
「一言で言えば、細かさだな」
干渉系統には、干渉物に対する配慮というものがない。硬くする、柔らかくするなどはできるが、それは体にかけていいものではない。
その点、身体干渉系統は、いろいろ細かく設定できるらしい。その分難易度も上がるため、中級以下の身体干渉系統魔術は存在しない。
「こんなところだな」
「どうやって使うのさ」
「体を鍛えろ。とにかく戦え」
「考えるな、感じろ……ってことですねわかりましたー」
結局、脳筋思考じゃないですか、ヤダー。