第六話 魔術教本より、アレコレ
昼食後、ミコトとサーシャはしばらく町を歩いた。ものを見て回り、冷やかしをしたり、買い物をした。
それからしばらく経ち、もう日も暮れるということで宿に戻ってきた。
結局、夕食時までレイラの尾行は絶えることがなかった。のだが、宿に帰ると何食わぬ顔で食堂にいた。カウンターで頬杖をついて座っている。
「おかえり、サーシャ」
「うん、ただいま」
挨拶するのはサーシャに対してだけ。こちらには睨みつけてくる。ミコトは嘆息。
やはり、レイラが自分をどう見ているのか、さっぱりわからなかった。
女将がレイラの席に夕食を運んできた。美味しそうな匂いが鼻腔を刺激し、空腹感が膨れ上がった。
「歩き回ってたから腹減ったよ。女将さーん、俺にも頂戴!」
「あ、わたしも」
「はいはーい、待ってなー」
女将は元気よく返事すると、奥に引っ込んでいった。もうすでに準備はできていたのか、すぐに料理は運ばれてきた。
サーシャがレイラの左隣に座ったので、ミコトはサーシャの左隣に座る。
『いただきます』を告げて、脂が乗った肉に噛り付く。肉汁が口の中に溢れ、味覚を刺激する。
一つ不満があるとするなら、塩のみで香辛料が使われていないことぐらいだ。
「そういや、ほかのみんなは?」
辺りに見当たらないことに疑問を持ち、サーシャ越しでレイラに尋ねる。
「フリージスとリースは、手紙を出しに商会に行ったわ。外で食べてくるって言ってたから、しばらく戻らないんじゃない? グランは――」
「――ここだ」
「うわぁ!?」
背後から暗い低音ボイス。驚き振り返ると、すぐ背後に外套を着てフードを被った巨漢がいた。グランである。
「びっくりしたぜ。町の外に行ってたんだっけか。何してたんだ?」
「修行だ」
グランは簡潔に答えて、ミコトの左隣の席に腰を下ろした。女将に料理を頼みすぐ運ばれてきたのを、腹が減っていたのかガツガツと食す。
もうすでにお代わりを要求しているグランを横目に、ミコトは「ふうん」と、料理を口に運んだ。
修行と言えば、と。ミコトは魔術を学ばなければならないのを思い出した。
ミコトは知らず、拳を握りしめた。
――俺は、強くならねばならないのだから。
夕食後。サーシャ、レイラと別れたミコトは、自室に戻った。
テーブルの上のランプが白い光を発することで、部屋の中は明るくなっていた。
眩しくて見ずらいが、ランプの中心には青い石が嵌め込まれ、ガラスの内側には奇妙な文字が刻まれているのがわかった。
『ノーフォン』と同じような機構からするに、魔道具だろう。
「ただいまー」
「……戻ったか」
部屋の中には先に食べ終わったグランが、床の上で胡坐をかいて座っていた。左腕の包帯を残し、フードや外套も脱いで全裸になっている。すっぽんぽんだ。
男二人きりの部屋。待ち受けていたのは、がっしりした体付きのいい男。
ヒヤリとした寒気を覚えたミコトだったが、グランの前の水が入った桶と布を見て、体を拭いているのだとわかって安心した。
この宿には風呂がない。町に大衆浴場はあるが、とても混むらしい。
ミコトは日本人ではあるが、そこまで風呂好きでもない。一日二日風呂に入らずとも別に構わない。
……白髪が進行しないよう、頭皮のマッサージを欠かすつもりはないが。
まあとにかく、一応年頃の少女の近くにいるのだし、汗臭くはしたくない。
グランが体を拭き終えたようなので、ミコトも洗わせてもらうことにした。
ん、と未使用の布をミコトに渡したグランは、桶の水を消滅させた。
「魔術で消したのか?」
「いや。あの水は創造したものだ。スロットへの魔力注入をやめれば、自然と消失する」
「ふうん」
見れば、グランの体についていた水も、完全に消えている。
服を着たグランは、無言で桶の中に水を生み出した。
「サンキュ」
「ん」
憮然としたままのグランは、ベッドに座って目を閉じると腕を組み、何やら集中し始めた。まるで瞑想のようだ。
観察していると、グランの周囲が青く発光し始めた。いや、違う。青い光は、グランの体から立ち上っているのだ。
――魔力。正確に言えば、オド。
何をしているのか気になったが、集中しているグランに声をかけることは少し戸惑われた。だが自分の興味を優先し、尋ねることにする。
「何やってんの? 獣族って発光できんの?」
「魔力精製の修行だ。より効率よく、素早く魔力を作り出すためのな」
グランは苛立ちもなくすらりと答えた。魔力精製にも変化がない。
修行尽くしで、よく頑張るなぁ、とグランの評価を上方修正する。
ミコトはパンツ一丁になって、体を濡らした布で拭いた。
一度体を拭いた布を水に浸けた。汚れが水全体に広がっていく。思っていたより、汚れていたらしい。
考えれば当然か。昨日の一件から、まったく洗っていなかったのだから。
入念の体を拭き終えたあと、グランに水を消してもらう。
やはりグランが纏う青い光に、一切の変化は見られない。
感心の溜め息を漏らしたミコトは、自分も頑張るか! と気合を入れた。
服を着て、ベッドの上で胡坐を掻く。本の山から魔術教本を選び出し、ベッドの上に広げた。
この世界では、力が必要だ。
自分の身を守るためにも。誰かを守るためにも。
強くならなければならないのだ。
◇魔術教本より◇
魔術。
それはスロットに展開した術式に魔力を流し込むことで発生する、技術の一つだ。
魔術は勇者が発明したものだ。《白命》メシアスが魔力精製法を発見し、《虚心》スピルスがスロットを発見。
そして、それぞれほかの属性の勇者の能力や自然現象を解析し、ルーンを作り出した。
それがきちんと体系化されたのが、新世歴三〇年である。
魔力は生命力から精製される。術式は精神内のどこかにあるスロットで、ルーンを組み合わせて演算する。
このやり方を掴むことで、人間は魔術を使うことができる。最初からコツがわかっている天才もいれば、切っ掛け次第の凡人もいる。
魔術を発現したあとだが、数年単位の時間をかけなければ碌に使えない。生活に便利な程度――生活級ぐらいなら、教育環境の整った凡人なら二、三年が平均した習得速度である。
庶民であれば一〇年近くはかかるだろう。
生活級の次のステップに進むには、才能が必要になる。その上で、努力もしなければならない。
この次元に入ってようやく、初級魔術と呼ばれるようになるのだ。
魔術には階級が存在する。
組み合わせるルーンが増えれば増えるほど難しくなるので、効力よりもルーン数が判定の基準になる。
まず先ほど挙げた、生活級魔術。
ルーン数は五以下。最も低い階級で、物を温めたり、少量の水を作り出す程度。
初級魔術では、ルーン数は二〇未満。
生活級に比べて効力が断然に違う。他人を害することができるので、習得には注意しよう。
中級魔術では、ルーン数は五〇未満。
初級魔術に一工夫を加えたものが多く該当する。合成術式という、魔術を強化する術式が組み込まれたものだ。
上級魔術では、ルーン数は一〇〇未満。
ものによっては、大きく地形を変えることすらできる。山の一部を切り崩すことだって可能だ。
特級魔術は、ルーン数は一〇〇以上。
術式だけなら開発されているものの、演算能力を異常に必要とするため、発動できた者は歴史を見ても数少ない。
最後に、特殊な階級である神級魔術。魔術が体系化される前、勇者たちが作り出した、原初の魔術である。
これは先ほど挙げた階級とはまったく違い、使用するルーンはたった一つ。魔術の数も八つしか存在せず、効果も術者によって変わる。
単一ルーンの魔術。聞くだけなら簡単に発動できそうに思えるが、神級とまで呼ばれる理由はある。
単純に、使える人間がほとんどいないのだ。才能や努力は関係なく、素養だけが必要となる。その素養がある者も、気付ける者も、ほとんどいない。
八つのルーン。八つの魔術。その理由は、これが八つある属性の、基本ルーンだからだ。
基本ルーンとは、術式に絶対一つは組み込まなければならない、必要不可欠なルーンのことである。
『メシアス』『スピルス』『テンパス』『シリオス』『イグニス』『アクエス』『エアリス』『グロウス』。
ある例外を除き、絶対に術式に組み込まれているため、魔術の名前には基本ルーンの名残があるものが多い。
属性についてだが、大きく三つに分けられる。
自然属性、上位属性、神域属性。
例外を加えれば、無属性。
自然属性は火属性、水属性、風属性、地属性という、一般的な属性だ。
現代では、最もメジャーな属性として扱われている。
上位属性は時属性、空属性がある。時間と空間の属性だ。強力そうに聞こえるが、現状ではそうではない。なぜなら開発された魔術が少なすぎて、そのどれもが戦闘では使えないものばかりだからだ。
その理由には、これらの上位属性の術式開発が難しいというのがあった。最初に開発された神級以外の魔術にしても、ようやく近年にできたのだ。
神域属性には命属性、心属性がある。文字通り、命と心だ。
現状のこれらの開発は、取っ掛かりすら掴めないのだという。
それでも、もしも開発すればさらなる発展が望めるため、国家も魔術研究者のために予算を割いているのだとか。
命と心は、魔術に密接に関わる属性だ。命属性についてわかれば、魔力精製で。心属性がわかれば、スロットが。そのメリットは計り知れない。
計八つの属性。それぞれ、八人の勇者の属性だ。
勇者の能力を分析して基本ルーンが生み出されたというので、勇者の名が付いたのだ。
最後の無属性だが、これは基本ルーンを使用しない魔術だ。本来、すべての魔術に含まれるはずのルーンが存在しないこれは、非常に特殊な属性である。
無属性を使える人間は非常に少ないため、研究は進んでいない。わかっているのは、無属性魔術師は通常の魔術を使えないことぐらいだ。
系統に関してはいろいろと派生するが、だいたいは二つ。創造系統と干渉系統である。
ラウスが使っていた『エアリモート』などの身体強化魔術は、干渉系統から派生した身体干渉系統と呼ばれるものだ。
魔術の発動方法は、それほど多くはない。
今までに挙げた、術式演算による発動。声にルーンを込めることで、小さな修正を加えて発動させる詠唱。スロットの代用となる魔法陣。
この三つを、魔術師は自分の使いやすいように組み合わせ、より効率よく発動させる。
これらいくつものルーン、階級、属性、手法から自分に合ったものを選び出し、自分用にカスタマイズする。
そうすることでようやく、一人前の魔術師と呼ばれるようになるのだ。
さて、魔術の概要を知ってもらった上で、次は似た術式を使い続けることで生じるスロットの変化を――――
◇
さて、これでだいたいの内容は掴んだ。
魔術を使うには、術式を演算する必要がある。術式を演算するには、ルーンを憶えなければならない。
幸い基礎的な魔術やルーンは、この魔術教本に載っているようだ。でなければ……。
ミコトはちらりと、脇に置いてある本の山を見る。積まれた本の中でも、最も分厚い本、というか広辞苑。その題名がルーン目録となっている。
魔術教本によると、必要なのは自分がよく使うルーンをだけで、あのすべてを憶えなくてもいいそうだが――そのためには、あの厚さの本を何度も読み返し、役立つものを選ばなければならないのだろう。
うへえ。
まずは魔術教本に載っているものを憶えよう。
いや待て。そもそも魔力精製とか、できるのだろうか。これができなければ、ルーンなど憶えても意味がない。
ガルムの谷で使ったことはある。だがあれは『頭痛』と『声』に押されてのことだったので、通常状態の今、できるかどうかわからない。
とにかく、やってみるしかない。
ミコトはグランを真似て、胡坐をかいて腕を組み、目を閉じる。
集中する。自身の内側に意識を向ける。
生命力は、精神はどこだ。さっぱりわからない。
思い出せ。
生物は常に微量の魔力を精製して生きている。つまり命とその外側を繋ぐ『門』――ゲートは、自分にもあるはずだ。
そうだ。魔術を使った、あのときの感覚を思い出せ。
あのときの感覚をなぞれ。
――死。
ゾワリ、と悪寒を感じた。だが、それ以外に命を感じる要素は見つからない。
ミコトはキリキリと、心が引き絞られる感覚を覚えながらも探す。そうして見つけた。命と外側を繋ぐゲート。――それを、押し広げる。
「――――!」
ぽわり、と。
何かが溢れたのがわかった。
体を包む安心感。熱はないのに、どこか温かみを感じる、この感覚。
憶えている。これは、サーシャの治癒魔術を受けたときに似ている。違うのは、治癒魔術が誰かに優しく抱きしめられているような感触なのに対して、これは体温と同じ温度の水に体を浸けたような感じだ。
ゆっくり、薄らと目を開ける。果たして目の前に広がっていた先には、青く輝く世界が広がっていた。
今まで何度か見てきた、サーシャが『操魔』を使ったときの光景。それはそれで、サーシャの美しさを引き立てる幻想性があった。身が震えるほどの神秘性があった。
しかし今回は、自分が中心という違いがあった。
この青い世界に、引き立てられる存在はいない。いや、きっと、魔力が見える他者からすれば、ミコトを引き立てる光景なのだ。
グランは魔力こそ見えないが、何か感じるものでもあるのか獣耳をピクピクとさせ、薄目でミコトを見ている。けれどその瞳に、青い世界は映していない。
グランには、見えない。だから今、この青い世界には、何者もいない。引き立てるものなど何もない、自身が中心の幻想だ。
純粋に、美しかった。日の出の太陽よりも、空で輝く星々よりも、この異世界の青い月よりも。
ほう、とため息を漏らした。
しばらくこうして、この光景を生み出し続けて眺め続けていると、隣の部屋からバタバタという音が聞こえた。
そして、扉がバンと開く音。そのあと、ドタドタと足音が近付いてきて、部屋の扉が壊れるのではないかと危惧してしまう勢いで開かれた。
開く。しかし、扉に与えられた運動エネルギーは消えなかった。限界まで開き切ると、壁にぶつかって、反射。閉まる。サーシャの鼻を強打した。
ミコトがポカンと口を開けていると、もう一度扉が開いた。今度はゆっくり、恐る恐るといった風なのが、なんとも言えない笑いを誘う。笑みは心の中で留めたが。
扉の向こうには、サーシャとレイラがいた。レイラも驚いていたが、サーシャはさらに目を見張っていた。
「すごい……」
青い世界の外側で、鼻を真っ赤にしたサーシャが、そうこぼしたのだった。