第一三話 終、好――回回回帰
サーシャを組み伏せた。
それの、何が問題だったのかと言えば、それは、
体を操られた――わけではない、ということ。
無理やり行動させられたわけでも、空気を読まない悪戯心が芽生えたわけでも、人の感情を考慮しない出来心に突き動かされたわけでも、ない。
あくまでミコトは、自分の意志で動き。そして、サーシャの行動を封じた。
そうしなければならないと思ったのだ。
そこに、なんの疑いもなかった。
正しいことをしているのだと考えた。
それが、『最適化』が消えた途端、なんだ? これは?
おかしい。ありえない。こんなの間違っている。間違ってなきゃこんなの嘘だひどい駄目くそくそぁぁぁぁぁあ何がどうなってどういうことだとふざけんな約束が違うだろチクショウ針飲め指切れ殴り殺すぞおおおおおぁぁぁああわけわかんねえ頭がこんがらがって回る回って死にそうな死にたい死んだ気分のまままままmmmm回る回死回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回回――――。
「さぁ、これでわかったかな」
『最適化』を解かれ、正気に……? 正気ってなんだ? そもそもどこからおかしくなっていた? 俺の考えはどこまで正しい? どこまで俺の考えだ?
とにかくサーシャの上からどかなくちゃ。
「ミコトお兄さんなら、これがどういうことか……わからないわけがないよね?」
転んで、後ずさりして、サーシャを見る。
信じられないものを見る目。現実を疑う様子。
「……違う……ちがう……」
疑心? 疑惑? 悲痛? 絶望?
やめろ。そんな目で見ないでくれ。
「違う! 違う違う! 違う違う違う違う違う! ちがぁうっ、チガウッ!!」
どこから違った。
何をどこで間違えた。掛け違った。勘違いしていた。
俺の行動は、想いは、どこまで本当だった? どこから狂わされた?
今この瞬間?
サーシャの心臓を代替したときから?
それとも、サーシャの命を庇ったときから?
もしかして、サーシャを守ろうとしたときから?
まさか。
サーシャに出会ったときから?
俺の想いなんでどこにもなくて。
最初から偽物の感情で動いていたんだとしたら?
あんなに死んで、あんなに苦しんで、心なんかなければいいと思うくらいに叫んだ、あの意味は?
守るためじゃ、なく。
救うためじゃ、なく。
「ぁ、ぁぁぁああ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁあっぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ」
俺が望んだことだと思ったから、これまで耐えてきた。
そうしたいと思ったから。守りたいと、救いたいと、頑張ってこれた。
だから死んでも、死んでも、死んでも、死んでも、死んでも、死んでも、死んでも死んでも死んでも死んでも死んでも死んでも。
何度何度何度、死んだほうがマシだという地獄を乗り越えて。
ずっとずっとずっと、これまで我慢し続けて。
いつか辿り着けるはずだと。みんなを幸せにできるはずだと。
そう、信じ続けて。
――それさえ、自分の想いだったのか?
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
まさか。
――サーシャを守りたいという想いさえ、偽物なのだとしたら。
すべて、イヴを守り切るためのもので。
仲間のためとか言っておいて、全然そんなことなくて。
自分の手の平は小さいから、全てを取りこぼすから、一番大切なものだけは守れるようにと、それ以外の全てを手元から放した。
それが、イヴを守るために邪魔なものを切り捨てる、薄っぺらく嘘っぱちな方便で。
勘違いして、利用されてきたというのか?
サーシャを、犠牲にするために?
――――ミコト・クロミヤの全ては、偽物だったのだ。
「ああああ ああああああ あ あ ああああ あ あ あ ああ あああ あ あああ ああああ あ ああああああああ あ あああああ ああ ああああ あ ―――― !”#$%&’()=~|ASDFGHJKL+*}ZXCVBNM<>?_●◆▲▼×××× ――――ッ!?!?!?」
折れる。
バキバキと。
致命的に。
『この想いは正しく、自分のもので、自分がしたいことだから』
ミコト・クロミヤを支え続けてきた、その芯は。
この瞬間、完膚なきまでに、死んだ。
◆
「くふ」
嗤い声が響く。
噛み殺すように。けれど、どうしても堪えられなくなって、漏れてしまうように。
「くひゅ、くふひひひひひ」
シェルア・スピルスは、嗤う。
最大の難敵であった、《黒死》の使徒――ミコト・クロミヤは封じた。
全身から力をなくして崩れ去り、ぴくりとも動かない。ただ、うわ言を吐き続けるだけ。
ほかの神族はロトが相手をしている。
シェルアがすでに、神族たちを消耗させている。ロトならじきに、全員片付けるだろう。
そして、《操魔》の宿主であるサーシャ・セレナイトは、地面にへたりこんだまま動かない。
サーシャの精神に襲った衝撃は、計り知れないものだろう。
何せ、今まで自分を守ってくれた者が、その実、裏があったのだ。
嘆き悲しむだろう。泣き喚くだろう。
苦しむのだろう。絶望するのだろう。
その顔を想像するだけで、嗤いが込み上げて――、
「く、くききけかきき……ぁ?」
と。思わずシェルアは、とぼけた声を出した。
シェルアの歩みに我を取り戻したサーシャが、小さく悲鳴を上げて逃げていく。
そこまではよかった。それも想定の内だった。
けれど、
「ミコト! わたしの肩に掴まって! 逃げるよ!!」
なぜ?
どうして、その少年を連れ去ろうとする?
「やめろ……」
普通、そこは見捨てるだろう?
恨み言を吐き捨てて、いい気味だと罵って、尻尾振って逃げるところだろう?
「置いていけ……」
なのに、なんだ、その感情は?
その想いは?
――理解できない。
「ミコトお兄さんを返せっェ! 《操魔》ァァァァア!! 沈めっ、『イラヴィティ』ィィイッ!!」
シェルアが金切声を上げて手を振り下ろし、重力を増加させようとする――のは、新たな第三者が現れるより遅かった。
唐突に現れた《千空》の使徒――ユウマ・クガが、ミコトとサーシャの肩を掴み、『転移』する。
重力がすべてを押し潰すのは、その直後のことだった。
「クソがぁぁあああああ! このタイミングで来るかっ、愚図めぇぇぇえええええ!!」
シェルアはしばらく地団太を踏んだのち、ころりと怒りを収めた。
神族たち全員を戦闘不能に追い込んだロトに、森の捜索を命令する。
「さて。他人二人と一緒にぴょんぴょん跳べるほど、《千空》の使徒は優秀じゃない。そう遠くには行けないはずだよ」
――絶対に追い詰める。
◆
シェルアの推測通り、ユウマは遠くに離れられていない。
だいたい、消耗のことを一切考えずに駆け付けたのだ。――残りは、最大級の目的を達するためだけの体力しか、残されていない。
ミコトはうわ言ばかり吐き続け、目の焦点も合っていない。
体からは一切の力が抜けていて、動けそうにない。
ひとまず大木の陰に寝かせて、悠真はサーシャを見やる。
「えっと、その……助けてくれて、ありが――」
「勘違いするなよ」
「……」
ミコトを救うためと、協力していた頃と、まるで違う。
サーシャに向けられるユウマの眼からは、一切の温もりが失せていた。
敵意。殺意。
心を凍らせている。
「尊。俺は、決めたよ」
サーシャから視線を外し、ミコトだけと向き合う。
そして、若干の迷いさえも切り捨てるように、ユウマは吐き捨てた。
「――サーシャ・セレナイトを見殺しにする」
ユウマは告げた直後、サーシャの胸倉を掴み上げる。
懐をまさぐり、取り出すのはミコトの魔道バッグだ。
サーシャを離し、大木に叩き付けると、魔道バッグの中に手を入れる。
そうして取り出したのは、ぼろぼろになった――確かミコトが、ケイタイデンワと呼んでいたもの。
ユウマはそれを回収すると、魔道バッグをサーシャに投げ返した。
「もうこれで、この世界に残したものはない」
ユウマが、ミコトに肩を貸す。
と、二人の体を青い粒子が包み始めた。
二人が、この世界を去ろうとしているのだと。
サーシャには、わかってしまった。
「あ、の……」
突然のことすぎて、頭がよく回らない。
何を言うべきだろう。
連れ去らないで?
一緒に連れていって?
いいや、違う。
ここで、わたしが言うべきは――――、
「――ミコトを、お願いします」
ハッと、ユウマが振り返った。彼は、今にも泣きそうな顔をしていた。
ユウマの動きと一緒になって、ミコトもこちらへ向く。――顔を、上げた。
それは、偶然だろうか。
それとも、ほんの僅かに残った、ミコトの正気だろうか。
力の失せた黒目だった。
在りし日の、力強い瞳は、どこにもない。
ミコトと過ごした記憶が、脳裏をよぎる。
もう、それは、取り戻せない過去。
「ミコトが話してくれた、故郷の話。わたし、憶えてるよ」
心が悲痛に引き裂かれそうで。
「戦争のない、平和なところで。あにめとか、まんがとか、らのべのか。楽しいものが、いっぱいあって」
それでも、懸命に笑顔を作って。
「……お、幼馴染の、レキさんにも会えるんでしょ?」
けれど、溢れ出す涙は止まらなくて。
「こんな、ひどい世界じゃなくって……、そこでなら、きっと、救われるから……! ミコトなら大丈夫だから! だから、ぁ――!」
最後の最後まで、ミコトの姿を記憶に刻んでおきたいのに、視界が潤む。
声が震えて、鼻水が出て、頭がぐるぐるして、言いたいことがわからなくなっていく。
色んな感情が巡って、頭の中が全部真っ白になって。
だからこそ、本当に言いたいことだけが、最後に残った。
涙を拭い、クリアになった、その一瞬。
溢れ出す感情を、言い出す口を止められなくて、その言葉は溢れ出る。
◇
「 」
◇
ミコト・クロミヤは消失した。
このシェオルという名の世界のどこからも、姿を消した。
青色の粒子が残滓が残る場所には、誰の姿も存在しない。
そのすぐそばで、泣き崩れる少女が一人だけ。
やがて少女は、追手に見つかることになる。
けれど、彼女は逃げなかった。逃げられなかったし、そもそも逃げる気力もなかった。
「お兄さんはどこにやったのか、答えてくれないかなぁ?」
シェルアが少女の銀髪を掴み、ガンガンと大木に頭を叩き付ける。
血を流し、脱力する。少女は、ぼそりと言った。
「……ミコトなら、もういないよ」
「はぁ?」
「故郷に……元の世界に、帰ったよ」
「はぁっ?」
今一度、少女の頭を強く、大木に叩き付けた。
立つ気力すらも失い、少女は崩れ落ちた。
「お前が! お前さえいなければ――!」
顔を、腹を、四肢を蹴る。
罵声を吐き捨て、憎悪を吐き出す。
シェルアの今回の感情は、今までないほどに長く継続した。
少女への暴行をやめても、まだ治まりきらない様子で。
「はぁ……まぁ、仕方ないかなぁ。もう、どうしようもないし」
吐き捨てた言葉は、どこか投げやりだった。
魔大陸から連れてきたドラゴンの背に、シェルアとロトと、銀の少女が乗る。
少女は一切抵抗なく、ドラゴンに乗り込んだ。
飛翔する。
向かう先は、魔大陸。
アダムとイヴが会い、魔王が復活してしまえば、少女の精神は一欠けらさえ残らないだろう。
世界は滅び、封魔の里のみんなや、アスティアやレイラも、死ぬことになる。
そうわかっていても、この無気力だけはどうしようもなくて。
――サーシャ・セレナイトは、死へと向かう。