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第一二話 火心力⇒ぁぁぁぁぁ










 サーシャの心臓は治った。

 これで霊泉大陸に来た目的は達成された。


 これから何をするべきか。それは、今は置いておこう。

 やるべきことは、逃亡生活を続けながら考えていこう。


「ありがとう、アクエス」


「ひゃっ!?」


 ミコトがアクエスの頭を撫でると、彼女は顔を真っ赤にして、扉の陰に隠れた。


「い、いきなりは反則だよぅ……」


「ともかく。サーシャを治してくれて、本当にありがとう」


 一度は、サーシャが死ぬかもしれないと恐れた。

 次に、ミコトがいなければ保たれない生命を危惧した。


 けれど、これでようやく、本腰を入れられる。

 今度こそ、本当の本気で、全てを殺しに行ける――。


「じゃあ、俺はもう行くよ」


「うん。……また、いつか」


 扉に隠れながら、アクエスが手を振る。

 ミコトは返答せず、手を振り返しただけだった。


「それじゃあ、お別れといこうかな」


 スピルスが地を踏み鳴らす。

 すると、周囲の景色が白く染まっていく。

 徐々に、ペンキで絵を描くように、世界が移っていく。



     ◆



「ここは……?」


 サーシャが辺りを見渡す。

 彼らはいつの間にか、水面の上に立っていた。


 視界いっぱいに広がる水平線。

 水面は覗き込む者を反射して、底を見せない。


 足踏みすると、波紋がゆっくりと広がっていった。


「どういうことだ、スピルス」


 ミコトの疑問に、スピルスはわくわくするように微笑む。


「キミが現実に帰ってしまう前に、ボクから贈り物をしようと思ってね」


「贈り物……?」


「何かほしいものはあるかな? 知識? 力? ボクがあげられるものなら、なんだってあげるよ。なんでもね」


 そう、なんでもね。とからかうように、意味深に微笑むスピルスに、ミコトはまったく視線を向けない。顎に手を添えて、しばらく悩む。

 ちら、とサーシャに視線を向ける。と、すかさずスピルスが口を挟む。


「残念だけど、彼女に聞くのはなしだよ。ボクは、キミの願いを叶えたいんだ」


「……なら、そうだな。ひとつ、聞いてもらいたいことがある」


「言ってごらん」


 促され、ミコトは告げる。



「――ユミルを救いたい」



 ユミル・スピルス。

《虚心》の勇者スピルスの末裔であり――今は、シェルアに憑依されている少女の名だ。


『お願いします! ユミルを助けてください! 私の、たった一人の、大切な家族なんです……!』


 一ヶ月間、ともに暮らしたシェルア……の、体。同じ顔。

 悲痛に歪んで、妹を救ってほしいと懇願する――その姿を憶えている。


 フィラム・スピルス。

 彼女が、シェルアとまったくの別人であることは、もちろんわかっている。


 それでも。

 こんな状況でも。

 その願いを叶えたい――そう思ったのだ。


「何か、方法はないのか? ユミルの体を殺さずに、シェルアだけを……殺す、方法が」


 ミコトの、その問いに。

 スピルスは、笑みをさらに深めた。


「ふふ、ふふふふ、ふふ、ふ。ああ、うん、うん、そうだね。たとえ、天秤の傾きによっては苦痛に叫びながらも迷いなく切り捨てる善意であったとしても――キミのそれは、ボクにはとても好ましい」


 スピルスはミコトのそばに歩み寄ると、ミコトの右手を取った。

 ミコトの右手を、スピルスの両手が包み込む。


「キミに、ボクの力を託そう。どうか、受け取ってほしい」


 直後、右手の甲に激痛が走った。

 無理やり、異物を植え付けられるような感覚。


「思った通りだけど、キミには《虚心》の資質はまったくないようだね。まぁ、それでも植え付けるけど」


 そして。

 力を、刻み付けられた。


 スピルスが手を放すと、ミコトの手の甲には、白い心臓のような紋章が描かれていた。


「簡単に説明すると、外付けの術式演算領域みたいなものかな。キミの魔術行使を補助してくれるよ。そして、これが頼まれたものだけど――その右手を相手の額に当てることで、憑依している精神を切り離すことができる。そうしてしまったら、その紋章は消えるんだけどね」


 と、そう説明して、ふとスピルスが顔を上げた。

 ミコトとサーシャの背後を見る。


「やっと会う気になったみたいだね」


 その瞬間。ミコトは、背後に異様な存在感が現れるのを感知した。

 ミコトは咄嗟にサーシャの前に出て、それへ向く。


 その男は、赤い髪と青い瞳の青年だった。

 男はミコトの存在を認める。敵意はない。殺意も、憎悪も。

 彼は水面に波紋を広げながら、歩み寄る。


「紹介するよ。彼が《浄火》の使徒――イグニスだよ」


 スピルスが、その人物の名を告げる。


「今まで現れなかったのは、なんとか狂気を封じ込めていたからなんだね」


「ああ。だが、正気を保てるのは時間の問題だ。だから、さっさと用事を済ませよう」


 それは、張り詰めた糸のような感覚。

 コップいっぱいになった水が、なんとか表面張力で保たれているような、危うい正気だ。


 イグニスはミコトの右手を掴み取ろうとする。

 が、ミコトはその手を振り払った。


「何しやがる」


「いや、俺からも餞別を送ろうかと」


 その言葉に、ミコトは眉根を寄せた。

《浄火》と聞いて思い出すのは、《浄火》の使徒の狂態だ。


 ミコトに対して一番最初に、真に死の苦しみを味合わせたのは、ほかでもないあの男だった。

 無意識ながら、ミコトは《浄火》を忌避していた。


「そうだ。それに時間がない。抑えが効かなくなれば、俺もメティオのように暴走するぞ」


「彼の言っていることに嘘はないよ。キミが《浄火》を受け入れるまで、このセカイから出す気もないかな」


 イグニスの焦燥と、スピルスの後押しもあって、ようやくミコトは頷いて右手を差し出す。


「こうも信じてもらえないと、悲しいものがあるなぁ」


 イグニスは苦笑しながら、スピルスが刻んだ紋章をなぞる。


 熱い。それは、炎で焼かれるような痛みだ。

 だが今回は、スピルスに刻まれたときと違って、異物感はない。


《浄火》の力は、すんなりと右手に染み込んだ。どうやら自分は、《虚心》より《浄火》の資質に優れているらしい。

 右手を見れば、白い心臓の紋章は、赤色に変わっていた。


「三回だ。三回だけ、お前は《浄火》を使えるようになる。火力は低いが、火属性以外の魔術はすべて防いでくれる」


 ミコトとサーシャは息を飲む。


 ガルムの谷で猛威を振るった、《浄火》の使徒の力の一端。

 恐ろしい力だが、味方についたときのなんと頼もしいことか。


「じゃあな。イヴの宿主と、メシアスの使徒」


 去り行く赤い背中に、ミコトは問い掛ける。


「どうしてそこまで、協力してくれるんだ……?」


 背を向けたまま、イグニスは空を見上げる。


「メシアスを救って――――いや、なんでもねえ、忘れてくれ」


 瞬きする間に、イグニスは消え去った。

 ミコトも空を見上げ、スピルスの世界で出会った者たちを反芻する。


 グロウスとエアリスとは、まともに話せなかった。

 敵意だらけだったのだから、当然と言えば当然かもしれないが、惜しい気持ちもある。


 テンパスにも、悪意はないようだった。

 アクエスには、サーシャの心臓を治してもらった。


 そして今、イグニスとスピルスには、力をもらった。

 絶大で、頼もしい能力。これさえあれば、きっとこれからも大丈夫。


 思えば、ここに来るまでの勇者への悪感情はなくなっている。

 とても好意と呼べるものではないが、少なくとも感謝はある。


「……そろそろ、帰るのかい?」


「ああ」


「名残惜しい気もするけれど、それがキミの選択だと言うのなら、ボクはそれを肯定しよう」


 世界が白く染められていく。

 精神世界と現実の境界線が曖昧になり、意識が浮上していくのがわかった。


「ありがとうございました!」


 サーシャが頭を下げるので、ミコトも軽く下げた。

 スピルスは手を振って、ミコトとサーシャを見送った。


 ――そして彼らは、現実世界へ帰還する。



     ◆



 目覚めると、そこは世界樹の内部だった。

 目の前には巨大な聖晶石と、その中には女性が、スピルスが眠っている。


「帰ってきた……みたい?」


 ミコトはこくりと頷いた。

 右手の甲を確認すると、赤い心臓の紋章が、確かに刻まれていた。


 振り向くと、水面の上に立ちながら、退屈そうに水面を蹴るアドレヤの姿が目に入る。


「終わったよ」


「うみゅ。いやぁ、待ちくたびれたわい。ほれ、さっさと帰るとするのじゃ」


 アドレヤは、子供のように拗ねた顔のままで小船に乗ると、急ぐように手で招く。

 それを見て、サーシャは気が晴れたように笑っていた。


 手は、離せるようになっていた。

 サーシャの心臓はこれで、疑いようもなく治ったことになる。


 けれどサーシャは手を繋いだまま、ミコトを小船に引っ張った。


 サーシャは、強く、話さないように握っていて。

 ミコトも、弱いながらも、握り返したのだった。


 再び魔力濃度の濃い場所を通ったが、夢を見ることはなかった。

 世界樹から出ても、枝葉に襲われることはない。


 彼らは順調に、帰還の道程を進んでいた。


 ふと、遠くにある岸部を見る。




 ――森が、燃えていた。




 赤く、赤く、染め上げられていて。


 絶叫が、悲鳴が、聞こえてくる。


「な……ぁ……」


 アドレヤとサーシャは、言葉が出ない。

 一瞬にして思考を切り替えたミコトが、『変異』によってその姿をドラゴンに変える。


「乗れ!」


「う、うん」


「急ぐのじゃ! 早くっ!」


 背中にサーシャとアドレヤを乗せ、神族たちがいる森へと飛翔する。

 そこで彼らが見たものは――倒れ伏した神族たち。

 ミコトの『変異』が解かれ、地に降りたアドレヤは、倒れた神族たちに駆け寄る。


「こん、な……」


 顔面を蒼白にされるアドレヤの横を、一つの影が勢いよく過る。

 大木に打ち付けられ、頭から血を流す彼は――神族の族長だった。


「ジジイ!」


「あ、ど……れあ、か。おまえは……に、げろ…………」


 そこまで言って、族長は目を伏せた。

 取り乱すアドレヤに、ミコトは「気を失っただけだ」と告げる。


 さて、だ。

 族長が吹き飛んできたほうを見れば、襲撃者に反抗していた僅かな者さえ、叩きのめされる光景が広がっていた。


 命に別状はない者や、早く治療しなければならない者と――死人。

 手加減もなく、徹底した殺意もない。無遠慮に放たれた攻撃は、一切の生死を問うていない。


 一瞬にして、襲撃者を囲っていた炎の渦が消失する。

 そこにいたのは――二人の男女だった。


 一人は、ロト。

 黒い肌と目、白い髪と瞳の、異様な容姿の少年だ。

 牢獄から脱した、《ラ・モール》の生き残り。


 もう一人は、白い髪の幼い少女――ユミルの姿。

 だが、それはユミルであってユミルでない。その精神は、別の存在が乗っ取っている。


 赤い瞳を剥いて、『無色』の存在――《虚心》の使徒が、嗤う。


 霊泉大陸に、シェルア・スピルスが襲来した。






「久しぶりだね、ミコトお兄さん」


 耳鳴りがする。

 頭痛がする。


 痛い。痛い。痛い。

 これは『最適化』の痛み。何もかもが至らない俺を、正しく導き、引き上げる力。


「さて、それじゃあ手紙に書いたことを、ここで言わせてもらおうかな」


 どうでもいい。

 俺は成すべきことする。


 それが俺の存在意義。

 それが俺の使命。


 ――使徒になった理由。


「そろそろ時期だし、とある真実を教えてあげる。それが魔女様の望みみたいだから、さ」


 あぁ、これからだ。

 さぁ、やろう。


「ケ、キッ――――」




 そして、『最適化』は切れて、




「さてと。それじゃあ、問題です」




 ミコト・クロミヤは、




「お兄さんが今していることはぁ……なんでしょぉぉぉかぁ?」




 気付いた。




「ぅ……。み、こ……と?」



 その呻き声は、なんだ?


 誰のモノだ?


 俺は何をしている?


 俺の下にいるのは誰だ?



「……………………。」



 艶やかな銀髪は、地面の上で無造作に広げられて。


 捕まえられた手首は、真っ赤になるほど握りしめられていて。


 困惑した赤い瞳が、呆然とミコトを見上げている。



「……………………、」



 ミコト・クロミヤは、



「……………………ぁ?」





 サーシャ・セレナイトを、組み伏せていた。












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