第一一話 友nt偽blv
・本編内で詳しく説明できなかったこと。なぜ《風月》が『黒死』に強いのか。
『黒死』は、生を死に、モノを終わらせる能力である。
生命を殺し、現象を終わらせ、あらゆるモノを砂に還すことができる。
が、大気のように、殺しても消えないものもある。また、大気の流れそのものを消滅させるには、物量で負けてしまう。
以上が、ミコトが《風月》との相性が悪い理由。
周囲の景色――エインルード領であろう街並みは、記憶の中にあるものと似通っていた。
当主の屋敷を中心として広がる、石造りの街並み。
町の大きさも、城壁も健在だ。
「グロウスの末裔は、勇者たちを美化しすぎていた面があるからね。できるだけ千年前の形を残そう、なんて考えていたのさ」
「自分で説明するために、さらっと現れたね、スピルス」
いつの間に現れたのやら、ミコトの隣で説明し出すスピルスに、テンパスは苦笑した。
テンパスの『転移』について来れるのは、やはりここがスピルスの世界だからだろうと、ミコトはサーシャに警戒を促していた。
「さて、それじゃあ中を案内するよ」
「俺たちの目的は、わかってるんだろうな?」
「もちろん。で、この屋敷にはアクエスがいる」
ミコトの眼が細まり、屋敷が見据えられた。
ここに、サーシャを治せるモノがいる。そう思えば、逸る気持ちを抑えられない。
「連れていけ」
「気持ちはわかるけどね。焦ってもいいことはないよ、いやほんと」
殺意が込められたミコトの視線に、テンパスは肩を竦めた。
やれやれと言いながら、その表情は懐かしげだ。
「一途というか、愚直というか。そういうところ、メシアスにそっくりだよ」
テンパスは屋敷の扉を開き、中へと案内する。
彼は「ここが厨房」「ここが食堂」「ここが応接室」と、一室一室、懇切丁寧にいらない説明をする。苛立つミコトを、からかっているようだった。
「あの……」
「なにか? 《操魔》の……えーっと、ダーシャちゃんだっけ?」
「サーシャです」
「ん。それで、どうかした?」
まったく気負いなく、サーシャの言を待つテンパス。
そんな彼に、サーシャは疑問をぶつける。
「あなたは、その……《操魔》に、恨みがないんですか?」
「――――」
テンパスは歩みをピタリと止めて、振り返った。
彼の無言は、呆気に取られているようだった。
「直球で聞いてくるね」
「ご、ごめんなさい! 上手い言い方が見つからなくて……」
「いやいや、別に気に障ったわけじゃないよ。ただ、猛獣の手綱は、ちゃんと握っていてほしいかな」
ハッとサーシャが横を向けば、ミコトが臨戦態勢になっていた。
サーシャはペコペコと頭を下げるが、ミコトが話を続ける。
「確かに、気になるところだ。テメェはエアリスやグロウスと違って、まったく敵対行動を取らない。油断させて――この先に、罠があるのか」
「フリージス・グロウス・エインルードみたいなこと、僕はしないさ。ただ僕は、本気で魔王を嫌っているわけじゃないんでね」
テンパスは一泊置くと、思い出すように視線を宙へ向ける。
「イグニスは愛に狂い、アクエスは孤独に狂い、エアリスは憎悪に狂い、グロウスは使命に狂った。狂気の度合いはそれぞれだけど、瘴気に心を侵されたのは、主にその四人だ」
「そのあと、テンパスが魔王を二つに裂いて、最後の力で世界樹に跳んだんだ。シリオスが殿を務めて、勇者の力の大部分を引き換えにして、テンパスとボクを逃がした。そしてボクが、勇者たちの『心』を収集して、この世界を創った」
「スピルスの蛇足な説明は横に置いておいて。要は、僕とシリオスとテンパスは狂っていない、ということ。まぁ、イヴを宿すサーシャくんに思うところがないわけじゃないけど、ね」
実際のところ、テンパスがどう考えているかは、ミコトにはわからなかった。
だが少なくとも今は、彼に殺意がないこともわかっている。
殺意を引っ込めたミコトに、テンパスはにこやかに微笑むと、歩みを再開した。
彼はもう、からかおうとはしなかった。明らかに目的地を定めて、まっすぐ向かう。
「この扉の先に、アクエスはいる」
テンパスが指し示す。
行き着いたのは、二階の一番奥にある部屋だった。
スピルスが、困ったように苦笑する。
「そこはかつて、メシアスのために宛がわれた一室で、今はアクエスが占拠しているんだ」
「占拠って、物騒ですね……」
「テンパスが『転移』で一瞬だけ。と、このセカイのほぼ全権限を所有するボクぐらいしか入れないようになってるんだよね。困ったことに」
「どうやって入るんですか?」
「鍵自体は開いてるよ、入ったら迎撃されるだけで。まぁ、ミコトだけは通してくれるんじゃないかな? 《操魔》を宿すキミは……おそらくきっと八つ裂きにされるかも。うん、間違いなく殺されるね、ボク確信してる」
スピルスとテンパスが、意外にも友好的であったから失念していたが、目前まで来て治療者が一番の問題とは。
「脅すか?」
「アクエスの人格破綻っぷりからして、ミコトくんからもらえるものは苦痛も死も大歓迎だろうけれどもね」
「サディズムにマゾヒズムにスカトロ、さらにはカニバリズムすら理解できるのに、放置プレイは駄目だっていう子だよ。狂う以前から似たり寄ったりだったから、僕もすっかり慣れちゃった」
比較的まともな勇者二人からの、この酷評である。
これから会わねばならない存在を前に、ミコトは眉間に皺を寄せる。
「話を付けるしかない……か」
「聞いてもらえるのそれ!? すかとろ? とか、かにばなんとかの意味はわからないけど、ニュアンスからしてちょっとすごく度が過ぎる変態じゃないかな!?」
「問題ない。アクエスがアクィナと同じっていうなら、考えはある」
ミコトの口から出てきた名前――アクィナという少女に、サーシャは口ごもる。
アクィナは、ミコトに理解してもらえている。そう思うと、黒い感情が湧き上がりそうで。その感情が嫉妬だと、今のサーシャは理解している。
「サーシャに手を出すなよ」
「もちろんだとも」
ミコトが、サーシャのそばを離れる際に告げた警告に、スピルスは大きく頷き、テンパスが肩を竦めた。
と、テンパスは、自身に視線が向けられているのを感じた。
「……ひとつ、聞きたいことがある」
「何かな?」
「……どうして悠真を使徒にした」
ミコトとテンパスの視線が絡み合う。
テンパスの表情に、微笑みはない。苦悩しても、ふざけてもいない。
ただ、真摯に、ミコトに向き合っている。誤魔化しはない。
「《黒死》の使徒を監視するためだよ」
「――――」
「その動向、人格、素質。これらは、スピルスでも読み取れない。なぜなら、別世界の人物なのだから。霊脈上の物事しかわからないスピルスでは、限界だったんだ。……これが、クガユウマを僕の使徒にした理由だよ」
その言葉を聞いて、ミコトがどうするかと思えば。
何もしなかった。
表情も変わらなかった。
殺意は、どこか名残惜しそうに、萎むように霞んでいく。
「ひとつだけ弁明しよう」
何も言わずに扉へ向かうミコトに、テンパスは声をかけた。
「ユウマへの干渉は、君と巡り合うための思考誘導のみだよ。君と親友になったのも、大嫌いなシェオルに来てまで君を取り戻そうとしているのも、すべて彼の意志だ」
だから、と。
扉を開ける寸前のミコトに、言う。
「ユウマを信じてやってくれ。仲間を、大切な人を、そして自分自身を――信じるんだ」
言うべきことを言った。もう、用はない。なら、名残惜しく彼のそばにいるわけにもいくまい。
テンパスは『転移』で、その場を立ち去った。
ミコトは見送ることなく、部屋に入る。
◆
室内には光が灯っておらず、カーテンの隙間から差し込む陽光だけが、この部屋を薄暗く照らしている。
その部屋の内装は、過去に魔女になる人物が住んでいて、現在勇者が住んでいると言うわりには、変哲のないものだった。
部屋が広いことや、カーペットが敷かれ、姿見が置かれている、その他諸々は、貴族ならば備えていて当然のものだ。
ただ、一点だけ、不可思議な部分がある。
ぺちょ、ぺちょ。水滴が落ちる音。
ベッドのほうから聞こえてきていた。
大量の水気を含んだベッドに、身じろぎする人影がひとつ。
「――め、し……あ、す?」
か細い声がした。
闇の中、二対の瞳が青と赤に明滅する。
「めしあす……! めしあす、めしあすめしあすめしあすめしあすっ!!」
ぐん! と、一瞬にしてミコトの体中に張り付いた液体が、ベッドへと引き寄せる。
ベッドの端から端までいっぱいに広げられた、明らかに本人の背丈を超える薄青の長髪が、ミコトを包み込む。謎の液体が、ミコトの体を濡らした。
長身痩躯の女だった。背の高さはミコトよりも高い。
そんな女性が、蔓のようにミコトに纏わりつく。抱き締め、足を絡ませる。
「帰ってきてくれたのね、めしあす!」
ミコトが逡巡したのは一瞬だった。
彼女は、ミコトのことをメシアスと勘違いしている。なら、
「ああ、帰ってきたよ。――ただいま、アクエス」
彼女を。《聖水》の勇者を、騙そう。利用しよう。
抱き締める力が強まった。抱き締め返すミコトの表情に、感情はない。
「ずっと、ずっと待ってた、ずっとずっと待ってたの! さみしかったっ! さみしかったのっ!!」
「悪い」
「だーめ! ゆるしてあげない! これからずっと、いつまでも、わたしをいっしょにいる――そう約束してくれなきゃ、ぜーったいに許さないんだから!」
「ぁ――、」
約束しようとして。直後、心臓に激痛が走った。
約束を交わすのが、怖い。 他人を騙って、弄びたくない。
それが、破ると決まった嘘偽りのものなら、なおさらだ。
騙して、利用しようと思った。
けど、守れない約束を守るのは、
「……それは、できない」
苦渋に顔を歪めて、そう告げる。
そして――アクエスの雰囲気が変わった。
「…………なんで? なんでなんでなんでなんでなんでっ? どうして、なの? めしあすは、わたしのともだちでしょ? ゆすさないよ? めしあすはわたしと、ずっとずーっといっしょなんだよ?」
アクエスの瞳が、赤に振り切れている。
ミコトは歯噛みしながら、言い訳を絞り出す。
「早とちりはやめろ。まだ俺には、やらなきゃいけないことがあるだけだ」
「いますぐがいい! いまからがいい! これからじゃなきゃいや!」
「それはできない。だから謝罪として――俺の左腕を喰っていいよ」
突如として放たれた、猟奇的な了承。
普通ならそれは、受け入れられるものではない。
しかし。
アクエスの眼が見開かれる。
それは驚愕から、徐々に喜色へ変わっていく。
「――いいの?」
「ああ」
アクエスが、ミコトの肉を好んで食したアクィナと同じなら。大好きなメシアスの肉を、喜んで食うのではないか。
その推論は、幸運なことに当たっていたようだ。
「じゃあ――いただきます」
直後。
ミコトの左肩が、引き千切られた。
「ぐ、ぅ……ぁっ!?」
肉体が精神で構成されている、この精神世界。肉体を欠損することは、すなわち精神の欠損である。
切断された断面が、修復しようと蠢いている辺り、遅々ではあるが回復はするのだろう。しかし、『変異』で治すことはできなかった。
しかし、ベッドの水に触れた瞬間、回復速度が急速になる。
これが、《聖水》の力。これならきっと、サーシャの心臓も――。
左肩を押さえるミコトの横で、メシアスは肉にかぶりつく。
「ぉい――しィ! いままで、たべたこと、なかったけどォ! やっぱりィ、めしあすはおいしいねっ!」
「そりゃあよかった。喜んでくれると、俺も嬉しいよ。そうだな、それじゃあお願いだ」
口の端から血を垂らすアクエスに、ミコトは微笑む。
「もう二本、腕をあげるから――とある少女を治してくれ」
「うん、わかった。やくそくだよ?」
直後、ミコトの両腕は引き千切られた。
◆
部屋の扉が中途半端に開けられたときには、アクエスは腕を食べ終わり、ミコトの両腕も修復されていた。
中での出来事は、サーシャは知らないはずだ。なのに彼女は、心配そうにミコトに駆け寄る。
「大丈夫? 変なことされてない? どこにも変なところはない?」
体中を確認するサーシャを、ミコトはやんわりと止める。
そして扉を完全に開き、陰に隠れていたアクエスを表に出す。
「ヒューッ! アクエスを部屋から連れ出すなんて、なかなかできることじゃぁないよ」
「おおげさだよ、すぴるす」
長い髪を引きずり、長身痩躯を猫背に、アクエスは廊下に出た。
彼女の青い瞳が、じろりとサーシャに向けられる。
「どろぼうねこ……」
「えっ!?」
さらりと吐かれた毒には、満天の殺意が込められていて、サーシャは狼狽える。
ミコトはアクエスの視線を遮るように、サーシャの前に出た。
「治してほしいのは、彼女の心臓だ」
「えぇー……」
「約束しただろ? 俺はもう対価を払ったぞ」
「むぅ~」
アクエスはひどく、ひどく不満そうだったが、やがて小さく頷いた。
サーシャの元に歩み寄り、胸に手を付ける。
「すぴるす」
「うん、わかったよ。現実に干渉できるようにするね」
ふ、と。ミコトとサーシャは、意識が遠ざかるような感覚を覚えた。
偽りの世界と現実の境界線が曖昧になり、目覚めかけようとしているのだ。
霞む視界の中、アクエスから溢れ出した水が、サーシャを包み込むのが見えた。
その後、サーシャとの肉体的な繋がりが断たれる感覚。現実で、ミコトの心臓が、サーシャの中から排出された。
そして、意識は偽りのセカイに帰ってくる。
ミコトは酩酊する中、倒れるサーシャを焦燥のまま抱き留める。
「お、おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!!」
ミコトの背中を、嫌な汗が伝った。
自身の心臓が取り除かれたということは、サーシャの心臓が治って、不要になったからか。それとも、まさか、アクエスが約束を破った――?
「頼む、お願いだ! 返事をしてくれ!」
嘘はいけないことだ。約束を破る奴は万回殴られて千本針を飲んで指を切り落とされて死んで死んで死んで死んで死んで死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬべきなのだから殺す――――、
「……み、こと」
ミコトの悲痛が、殺意が、憎悪が、引っ込んだ。
サーシャは、生きていた。心臓が、治ったのだ。
「よかった――本当に、よかった――――」
ミコトは強く、サーシャを抱きしめる。
サーシャも優しく、ミコトを抱きしめ返した。