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第一〇話 偽り世界なココロセカイ










 サーシャはいつのまにか、丘の上で立ち尽くしていた。


「ぇ……?」


 見下ろすと、丈の低い草原が広がっている。

 頭上には青い空、白い雲。天候は晴れ。


 ここはどこだろう。どうして、こんなところにいるのだろう。

 先ほどまで、世界樹の中にいたはずなのに。


「……って、あれ?」


 右手が自由になっていた。

 ミコトと手を繋いでいたはずなのに。


 慌てて辺りを見渡す。

 ミコトは、存外近くにいた。彼は自分の体を確かめるように、右手を開閉している。


「ねえ、ミコト、ここは……?」


「わからない。けど、現実とも思えない。これは……」


 ミコトは辺りを見渡し、一点に視線を固定させた。


「壁だ」


「え?」


 ミコトが指差す方向を見てみれば、その先に白く巨大な壁がある。

 それに、若干見覚えがあった。


「もしかして、都城壁……?」


 都城壁とは、アルフェリア王国王都アルフォードの、最奥にある城壁だ。


 だとすれば、なぜこんな遠くから、その姿を見ることができるのか。

 旧城壁と新城壁に遮られるはずなのに。


 それに、ここが王都の近くだとしたら、あまりに発展が少ない。

 自然の多くが残されたままだ。


「いったい、ここは……」


 頭がこんがらがりそうだ。

 唸るサーシャに、ミコトが言う。


「その答えは、奴に聞けばいい」


 ミコトが今度視線を向けたのは、背後。

 サーシャとミコトしかいなかったはずの丘の上に、いつの間にか、新たな存在が現れている。


 それは、『無色』の女性だった。


 色白の肌。

 色が抜け落ちたような、白い長髪。

 法衣に似た白い衣服を着込む、白い女。


 瞳の青を覗けば、白以外には何も残らない。

 否、受けた印象は白ではなく、無だ。


「ようこそ、虚構の世界へ。ボクの名前はスピルス――《虚心》の勇者、なんて呼ばれている存在だよ」


 そう言って女――スピルスは、感情の見えない微笑みを浮かべた。



     ◆



 その出現に、ミコトはサーシャの前に出た。

 その眼は射殺さんばかりに、スピルスを睨み付けている。


 実際、ミコトの殺気は冗談抜きに人を殺す。今、ミコトは人を死に至らしめる殺気を叩き付けていた。

 この女がいなければ、勇者がいなければ、使徒を作らなければ。憎悪が、憤怒が、何よりも殺意が、ミコトの思考を赤く染める。


 が、この殺気に、スピルスの顔色は涼しい。


「この程度の殺気は、メシアスで慣れてるんだ。そりゃぁもちろん、ボクは戦闘が苦手だし、真っ向から戦ったら殺されちゃうかもだけれども」


 懐かしいものを語る口振りに、ミコトは敵意を緩める。

 元々、本気で殺す気などなく、威圧できれば御の字と考えていただけ。殺意に意味がないなら、向ける必要はない。


「えっと、スピルスさん……で、いいんですよね?」


 問いかけに、スピルスが初めてサーシャに視線を向ける。

 無表情のまま、目が細くなる。見ようによっては、睨み付けているとも取れた。


「……そうだね。うん、そう呼んでもらって構わないけれども」


 スピルスの返答は、一泊遅れたものだった。

 ミコトは、あまりサーシャと会話させるべきでないと考え、さらに一歩前に出る。


「ここはなんだ?」


「さっき言ったじゃないか。虚構の世界だって。ボクが作った、偽物の世界だよ」


「なるほど。つまりこの光景は、千年前のものというわけだ」


「理解が早くて助かるよ」


 旧城壁も新城壁もなく、王都の周囲の発展も少ない。

 千年前の光景だとすれば、この光景にも納得がいく。


 だが。

 これらの光景を作り出すスピルスは、只者ではない。


 新しい世界を創造したわけではないだろう。おそらく、幻のようなものだ。それでも。

 戦闘は苦手だと言うが、ここは彼女のテリトリー。油断はできない。


 自身の内を探る。それでハッキリした。

 この世界に収まりきるよう、『黒死』はデチューンされている。この世界は、殺せない。


 そもそも、ここは精神世界であり、今は自分を含めた周りの人間も、厳密には生命体ではない。

 生命探知は使えないし、『黒死』で勇者を殺し切れるかすら、現状では不明だ。


「いやぁ、ミコトくん。キミがこの世界に現れた日から、話せる日を夢見ていたよ」


「……俺のことを?」


「それはそれはもう知っているさ。シェオルの中心にいて、霊脈が通った地でわからないことなんて、ほとんどないんだから」


「…………本題に入ろう」


 ミコトは話をぶった切った。

 そうでもしなければ、殺意が暴発しそうだった。


 スピルスの大仰で迂遠な言い回しは、シェルアのことを思い出させる。


 この女は、ミコトやサーシャが苦しむ様を、傍観者気取りで眺めていたに違いない。

 そう思い込んで、本気で殺意に染まりそうだった。


「えぇ、ボクとしてはまだまだお話しがしたかったんだけれども。ミコトくんは、こんな美女のささやかなお願いに付き合ってくれないのかい?」


「めんどくせえな」


 ミコトの素っ気ない態度に、なぜか笑みを深めるスピルス。


「偶然か、資質か、使徒化の影響か。やっぱり勇者と使徒って似るものなんだよねぇ。まぁ、『死』の濃さで言えばメシアスに軍配が上がるんだけれども」


「……」


「だからと言って、使徒が勇者を越えられない道理はない。使徒に与えられる神の力とは、半分に分裂した細胞の片割れ。勇者と使徒の関係は言わば、親と子のようなもの。もちろん主導権は大きく勇者に委ねられるけれども、越えられない一線じゃぁないんだよね。今は亡き《風月》のヘレンが、一瞬でもエアリスを上回ったように」


「……」


「もっとも、キミが《黒死》に傾倒してしまうことは、ボクとしても望むところではないんだけれどもね」


「……」


 本当に、シェルアのことを思い出させる女だ。

 説明好きなところも、よく似ている。


 ここで、スピルスはあからさまな溜息をこぼした。

 くつくつと笑って、表面上だけで悲しそうな表情を浮かべる。


「本格的に、話しに付き合ってくれそうにないみたいだね。それじゃあ、そろそろお話し、聞かせてくれないかな?」


「俺たちの事情は把握してるんじゃなかったのか?」


「うん。キミたちの事情は知っている。その心も読んでいる。けれど、人の思惑にただただ『虚心』に従うのは、在りし日に受けたメシアスの説教に反してしまうんだ。だから誰かの望みは、ちゃんと声として聞きたいんだよ」


 追懐するスピルス。

《白命》だった頃のメシアスとの関係性は、敵を同じくした仲間、というわけではない。もっと、深い絆で結ばれた間柄だったのかもしれない。


 ――そんなことはどうでもいい。


「《聖水》のアクエスなら、サーシャを治せると聞いた。治してもらいたい」


「仮にも勇者であるボクが、魔王の半身である娘に手を貸すと、本気で考えているのかい?」


 その瞬間、ほんの一瞬だけだが、スピルスの表情が歪んだ。


「うんうんうん。まぁ、まぁ、いいよ。アクエスのところに案内するから」


 一転して笑顔を浮かべるスピルスは、次いで告げる。



「だけど、みんなキミに会いたがってる。――道中で何かあっても、それはボクの関知するところじゃないなぁ?」



 最適化による頭痛と、ミコトの直感が働いたのは、ほぼ同時だった。

 サーシャを抱きかかえ、その場を退避する。


 直後――空が落ちた。


 それは異様な光景だった。

 空とは、大地の上方にあるものだ。それが、大地に向かって落ちてきたのだ。

 否、大地が空を引き落とした、と言ったほうが正しいのかもしれない。


 空と大地の狭間にあった雲は、空気との摩擦によって高温に熱された水蒸気だ。

 プレスされた雲は、全方向に白い猛威を振り撒く。


「な、ん……!?」


「問題ない」


 もっとも、その程度の現象など、ミコトにとっては障害と成り得ない。

 ミコトとサーシャを包み込む黒衣は、蒸気の一切を通さない。



 けれど。

 あらゆるモノを吹き飛ばす、暴虐の存在があったなら。



 轟、と大気が蠢いた。

 風に晒されたすべては、その全貌を曝される。蒸気はもちろん、黒衣すらも例外ではない。


「く、そが!」


 瞬時に『変異』によって肉塊となったミコトは、サーシャを包み込むようにして、その場で耐え忍ぶ。


 空は元に戻り、暴風は吹き止む。

 しばらくの静寂に、ミコトは肉塊の肉体を人型に変える。


 守るために、より硬く。

 殺すために、より強く。


「ミコト、あれ!」


 サーシャの指差した先に、二人の存在を視認した。


 一人は、金髪をオールバックにした男。

 生真面目そうな顔立ちをしかめっ面に、苛立たしげな様子だ。


 もう一人は、緑の長髪を腰の辺りで束ねた女。

 美しい顔は憤怒に染まり、ミコトと、特にサーシャを睨み付けている。


 直感でわかった。あれが勇者なのだと。

 頭痛が教えてくれた。二人の正体を。


「《地天》と《風月》か……!」


《風月》の勇者、エアリス。

《地天》の勇者、グロウス。


 二人の眼がほんの一瞬、血色に染まる。

 それは彼らが、《悪魔》の狂気に侵されていることの証左だ。


「まったく、忌々しい! 千年経とうとも吾の前に立ち塞がるか、メシアス!!」


 グロウスは、ミコトとメシアスの区別がついていないようだ。

 苛立たしそうに強く地を踏み鳴らす。


「貴方がメシアスの使徒ね。悪いことは言わないわ、その場を退きなさい! そこの《操魔》だけは、何がなんでも私が殺す――!」


 対してエアリスは、きちんとミコトのことが判別できている。

 しかし、彼女の要求は、到底受け入れられるものではない。


 舌打ちしたミコトが視線を向ける先は、スピルスのほうだ。

 暴風にも空落にも巻き込まれた様子がない彼女は、この事態を静観するつもりらしい。


「おい《虚心》! ここで死んだらどうなる!?」


 この質問はつまり、この世界で『再生』は有効なのか、ということ。


「この世界は心のセカイ。今のキミたちは心そのものと言えるね。そんな状態で死ぬということはつまり、精神の死にほかならない。廃人になるのは確定だね。キミほどの精神力でも、完全に心が死んでしまえば、動くことすらできないだろうね」


「そんな……!?」


 最悪の返答に、サーシャは悲鳴を上げる。

 ミコトは苛立ち、地を踏み鳴ら――せない。


 足が、地面から離れない。

 この状態を、前に経験したことがある。


「まさか、『不動』!?」


 サーシャの驚愕、直後に空が落ち始める。


「チィッ」


 ミコトの『黒死』では、この世界に収まるように性能を落とされている。

 当然、空そのものを殺すことなどできない。


 なら、どうするか。

 簡単なことだ。


『空が落ちる』という、現象そのものを殺せばいい。


「砉――ィィァァァ!」


 次の瞬間、『黒死』と空が激突した。

 拮抗することなく、『空が落ちる』という現象は殺された。


 だが、脅威は未だ去らない。


「《操魔》アァァアアアア!」


 暴風が、今度こそミコトたちを取り囲む。

 迫りくる風の壁。触れた瞬間、数多のカマイタチに触れるがごとく、体中が切断されることになる。


 尽きることのない、大気の猛威。

 とても殺し切ることは不可能。


 けれど、しかし。

 今この場にいる強者は、勇者や使徒だけではない。


「『ムスペルヘイム』――――!」


 ミコトが猛攻を凌いでいる間に、サーシャが構成した魔法陣から、灼熱のエネルギーが放たれた。

 それは風の壁の一画をぶち抜き、グロウスとエアリスに襲い掛かる。


 ようやく行えた、勇者への反撃。

 それに対し、エアリスは体に風を纏い、空へ逃げた。グロウスは、一歩前に出ただけ。


 熱線は、グロウスに直撃した。

 土煙が辺りを覆い、風の壁から脱したミコトとサーシャは、その間に後退する。


 これでグロウスがやられたと考えられるほど、楽観的な考えはしていない。

 事実、土煙が晴れたとき、火傷一つないグロウスの姿があった。


「『固定』か」


 それも、カーリストが持っていた能力だ。この分だと、『変動』も使えるかもしれない。

 カーリストの神級魔術よりも優れた空落としの能力に、触れた地にいる者を逃がさない『不動』に、物理に対する絶対防御の『固定』と、防御無視の『変動』。


 カーリストのときとは違う。アレは、《黒死》の使徒でも苦戦する難敵だ。


 それに比べると、エアリスのほうは、ヘレンとそう実力差はないように思える。

 特有の能力はない、もしくは見せていないだけか。『黒死』が封じられて、ミコトにとっては相性の悪い相手だが。


「どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする!?」


 相手の戦力と、こちらの戦力を顧みて。

 ミコトは直感的に、結果がわかってしまう。


 ――勝てない。


 少なくとも、『再生』がなければ。

 さらに、サーシャを守りながらでは。


「ケキ、砉キャ、カカカカカカクカ砉ケキィク」


 力が足りない。

 だから、力が要る。


 寄越せ。

 だから、俺をくれてやる。

 体も命も、全部テメェのモンだ。


 だから、奪わせろ。

 救う力を。守る力を。そして、奪う力を。


「俺に――」


「ミコト!」


 サーシャが悲鳴を上げる。

 彼女が何を感じ取ったのか。その悲痛な眼差しはなんなのか。ミコトにはワカラナイ。


 ただ、一瞬だけ、ミコトの決死の覚悟は鈍り――、



「本当、やんちゃだなぁ。ヘレンとグロウスは」


 ミコトとサーシャの肩に、第三者の手が置かれた。



 彼は前触れなく、唐突に、ミコトたちの後ろに立っていた。

 今の今まで、気配のひとつもなかった。誰一人として、だ。


 驚愕の間もなく、男は薄く笑みを浮かべる。


「ここは危ないから、そうだねぇ、グロウスの家に招待しよう」


 グロウスの悔しそうな、エアリスの苦しげな眼差しが、なぜか目に焼き付いて――頭痛。

 そして世界は暗転し、戦場から消え去った。




 いつの間にか目の前には、大きな屋敷があった。


 門前には、家紋が描かれている。

 先端が大剣、細剣、刀、槍、斧、杖、矢の七つに分裂した武具が、地面に突き立てられている、といった家紋だ。


「旧きエインルード領へ、どうもようこそ」


 癖のある茶髪の青年――《千空》勇者テンパスは、柔らかな笑みを浮かべて、二人を屋敷に招き入れた。










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