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第九話 混線【赤銀】【白黒】









 やがて彼らは、森を抜ける。

 そしてすぐそこには、巨大な湖が広がっている。


 世界樹は、そんな湖の中心に聳え立っていた。


「世界樹と陸地の間に、橋は掛けられておりません。ですので、小船での移動をお願いします」


 神族が引っ張ってきた小船は、三人で乗るのが精一杯の、小さいものだった。


「アドレヤ。彼らの案内を頼みましたよ」


「うみゅ。任された」


 アドレヤは軽やかに飛び乗る。

 ミコトが先に乗り込み、サーシャが小船に乗るのを支えた。


 櫂を漕いで、湖を渡る。

 もう夜も近いというのに、魔力の影響で、やはり明るい。

 湖の底が光って見えた。


 世界樹付近ということもあるのだろう。魔力濃度は、霊泉大陸の外周部とは比べものにならない。

 レイラを連れてこなくてよかった。


 レイラの症状は、別におかしくなどない。

 ここまで来ることができる、サーシャとミコトが異常なのだ。


「――――」


 陸地と世界樹まで、およそ半分まで来て。

 唐突に、ミコトが立ち上がる。


 直後。

 数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の枝葉が、小船に向かって急襲する。


 否、頭上だけではない。

 湖の底に広がる世界樹の根が、小船を狙う。


 転覆を狙ったものではない。

 どこまでも殺意が込められた、一撃必殺。

 全ての枝葉が、小船に乗る彼らを殺さんと迫りくる。


「ぬ、ぉ……!?」


「ぃ……っ」


 その現象を前に、アドレヤとサーシャは絶句する。

 本来ならそれは、致命的な隙となっただろう。だが今、それはありえない。なぜなら――


「死ね」


 ――ここには、死の体現者がいる。


 ミコトの体から溢れ出る黒い泥が、小船とアドレヤとサーシャの隙間を縫って、全方位三六〇度すべてに拡散する。

 それは外から見れば、闇色の球体だっただろう。一ミリの隙間もなく、絶対の壁として立ち塞がる。


 守りの壁ではない。

 襲い来るものを必殺する、死と生の境界線。


 世界樹の枝葉と『黒死』が激突する。

 勝敗の差は歴然。触れた先から枝葉が枯れ果て、殺していく。


 しばらく膠着状態が続いた。

 しかし、世界樹はやがて諦めたのか、枝葉を引いて行った。


 周囲の殺意が失せたことを確認し、『黒死』の防壁は解かれた。

 ミコトが小船を確認すると、安堵の溜息をこぼすサーシャと、腰を抜かし掛けたアドレヤの姿が目に入った。


「失禁するなら、船の中じゃなくて湖に垂らせよ」


「誰が漏らすか!」


 アドレヤは内股になって座り直した。そして顔を赤くしながら、眉根を寄せる。


「……しかし、なぜじゃ? 世界樹が直接攻撃してくるなど……」


「わかりきっている。シェオロードの仕業だろう」


 この世界――シェオルを創造した存在、神。

 その名を聞いて、アドレヤは目を見開いたあと、納得したように頷いた。


「ふみゅ、なるほど。懐に魔王の半身が入り込もうとしているわけじゃ。それはもちろん、抵抗するじゃろうなぁ。攻撃をやめたのは、おぬしらに敵対の意志が見られなかったためじゃろう」


 世界樹はこの世界の核である。人間で言うところの心臓に当たる器官である。

 あらゆる霊脈は世界樹が源泉だ。魔力は巡り、行き着いた先の大地に沈み、やがて世界樹の根によって引き上げられ、また巡回する。


 その機能が失われたとき世界は、無霊大陸とは比べものにならないほどに枯れ果てる。すべての命が潰えるほどに。

 そして世界は滅ぶのだ。


 否、たった一つだけ滅ばぬ存在がいる。

 それこそが、シェオルを喰らわんとする世界の異物――魔王なのだ。


「って、そんな存在なわたしを世界樹に連れていってもいいの?」


「構わん構わん。ぶっちゃけわしら、神よりも魔王を信頼しているしの」


「えぇ……」


 仮にも頭に『神』が付く種族とは思えない発言である。

 族長は確か、崇めているのは勇者だと言っていた。神族総勢、神への忠誠心なんて欠片もないのだろう。というより、不信か。


「そろそろ世界樹じゃぞ」


 手が触れられる距離から見た世界樹は、ほとんど壁のようだった。そんな壁に、巨大な亀裂が入っている。

 小船が進み、亀裂の中に入っていく。そこは大空洞のようだった。


 魔力の発光は、いよいよ最高潮を迎えようとしていた。


「言っておらんかったがの。ここから先は魔力濃度が非常に濃い。――心するのじゃ」


 アドレヤが言った、次の瞬間、目の前の景色が揺らいだ。

 その揺らぎは急速にひどくなっていく。


 魔力酔い、ではない。

 そもそも、異常を起こしているのは身体ではなく、周囲だ。


「魔力濃度、ほぼ百パーセント。――精神は身体だけでなく、世界にも影響を及ぼすぞ?」


 魔力が、心を映し出す。



     ◆



 駆けっこをしている。

 幼い、何も知らなかった頃の、子供の姿で。瞳は、青かった。


 どこかで見た景色だと、他人事のようにサーシャは思った。

 そこは、ウラナ大森林だった。


 なぜ山を登っているのだろう。

 そう、確か、頂上に辿り着きたかったのだ。


 そこに行けば、希望があると信じたから。

 またみんなで笑えると思って。


 ――気付けば瞳は、赤く変わっていた。


 今度こそ大丈夫だと望んだ。

 もう誰も傷付かないよう願った。


 けど、きっと、信じてはいなかった。

 心のどこかで、諦めていた。ただ、意地になって、惰性に生き続けていただけで。


 ――歩みはいつしか、苦しくなっていた。


 前だけを見て――後ろを見たくない。

 山を駆け上って――登り続けなければいけない。


 ――けど、急に体が重くなって。


 頂上に至る、その一歩前で、振り返ってみた。

 今まで歩んできた道を、見下ろしてみた。


 赤い。赤い。赤い。

 すべてが血色に染まっている。


 封魔の里は、炎に赤く燃えていた。

 母はそこで、死んでいた。


 山道に、血の跡が伸びている。


 オーデが死んでいた。


 テッドが死んでいた。


 グランが死んでいた。


 父が、死んでいた。



 ――いつしかサーシャは、真っ赤に染まった、現在の身体になっていた。



 すぐ真下に倒れている者に気が付いた。

 そこで、ミコトは死んでいた。



 そんな景色を、慟哭するサーシャを。

 死体になったミコトは、いつまでも見つめ続けていた。



     混線



 確かなものがほしかった。


 変わらないものなんてないと知っていたから。だから、確かなものに、刻み付けたかったのだ。

 変化の過程を。成長の軌跡を。過去の証明を。


 絵を残してみた。家族を描いたものだった。下手くそだった。

 少し成長して、恥ずかしくなって、どこかに隠してしまった。

 いったい、どこに仕舞ったんだっけ。


 体の成長を確かめたくて、帰り道にある塀で、身長の高さの場所を傷を付けてみた。

 中学に上がる頃には、身長は塀の高さを超えてしまった。もうその壁に、刻むことはできなくなった。


 これからは写真を撮り続けよう。

 そう思い至った頃には、何もかも遅すぎて。

 あぁ、残しておけばよかったなぁ。


 確かなものがほしかった。

 二度の失われず、確証が持てる。そんな、真実がほしかった。


 ――けど、今度こそ、これだけは、絶対に本物だから。


 過ぎ去っていく景色の中、黒髪に若白髪を生やした少年は、胸を押さえる。

 そこにあるものを、確かめるように。


「この想いだけは、絶対に――――」



 その景色を、振り向くことを忘れたミコトを。

 サーシャは後ろから、いつまでも見つめ続けていた。



     ◆



「そろそろ起きるのじゃ」


 その声に、サーシャの意識は現実に引き戻された。

 ハッと目を見開くと、先ほどまでの景色は消え失せていた。


 二つの景色を、同時に見せられていた。

 体感型のものと、もうひとつ、


「わたしは……ミコトを見た」


「俺はサーシャを見ていた」


 ミコトとサーシャはお互いに見つめ合う。

 先ほどの不可思議な現象に、どちらも答えが出ない。


「お互いの繋がりが深ければ、意識が混線することもあるじゃろう。ここはそういう場所じゃからの」


 そう言って、アドレヤは伸びをする。ぽきぽきと骨が鳴る。


「さて、では行くかの」


 アドレヤはぴょんと小船を飛び出した。

 飛び込むのかと思われたが、違う。小さい波紋を作り、水面に降り立ったのだ。


「世界樹内部の法則は、精神がすべてじゃ。できると思ってできないことはないぞ?」


 サーシャも試しに、『できる』と念じながら、ゆっくりと足を下ろしていく。

 不安定だが、立てた。ミコトも同様のようだ。


 少し歩くと、岸(世界樹の内部だが)が見えてくる。


「あれは――――」


 そして、目に入る。

 巨大な魔晶石と、その中に眠る女性の姿が。


 ――《虚心》の勇者、スピルス。


「では、ここから先は二人で行くといいのじゃ。魔晶石に触れるだけでよいぞ?」


 アドレヤは岸に上がると腰を下ろし、ひらひらと手を振った。

 サーシャは頷くと、魔晶石に寄っていく。


 ミコトを見た。頷きが返ってくる。

 深呼吸をした。意を決する。


 そして、サーシャとミコトが魔晶石に触れ――――意識が暗転した。









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