第八話 仲間-(切離+手零)=?
「あれが我が故郷、霊泉大陸じゃ」
霊泉大陸の全貌が見えたとき、サーシャとレイラは感嘆した。
夕方、もうすぐ夜であるというのに明るい。
宙を舞う青い光は、高濃度の魔力による発光現象だ。この状態だと、資質のない者でも魔力が見えるようになる。
「もしかして、あれが世界樹……?」
「その通りじゃ、サーシャ」
霊泉大陸の上空を覆っている、巨大な枝葉。それは世界樹の、ほんの一端でしかない。
一端だけで家の大きさを容易く超え、それがひとつの大陸を覆っているというのだから、とんでもない大きさだ。
枝葉から漏れる優しい光が、雪のように降り注ぎ、地に落ちる前に霧散する。
その光景は、目を見開くほど幻想的だった。
「それで、見えるかの? あの、ずっと奥にあるのが世界樹の幹じゃ」
目を細めると大陸の奥に、地から天まで伸びる何かが、霞んで見えた。
あれが、世界樹の幹。
「霊泉大陸の三割が、世界樹の根元で占領されておる。実質使える土地は、大陸というより、すごく大きな『島』じゃな」
「降りるぞ。衝撃に備えてくれ」
話していると、すぐに浜辺に到着した。
ドラゴンの姿で人間の声を出す。その忠告に鱗を掴むが、衝撃はなかった。
ドラゴンの『変異』が解かれ、現れるのは白髪混じりの少年だ。
その姿を見て、アドレヤは唸る。
「うみゅ……。半年前に会ったときには、今頃死んでいるだろうと思っていたが……まさかこのようなことになっているとはのう。というか、おぬしが使徒だったとはのう。数奇な巡り合わせもあるものじゃ」
「何回するのよ、その話? ぼけたお婆ちゃんじゃないんだから」
レイラは呆れた様子で肩を竦める。
アドレヤは溜息をこぼすと、先頭に立って歩き出す。
「霊泉大陸のある港は、たったひとつだけじゃ。今日はそこの港町に泊まろうと思う。夜も遅いしの」
「まだ明るいよ?」
「徹夜で歩くつもりかの?」
あまりに明るいから、今が夜ということを忘れてしまう。
指摘されて、サーシャは「うっ」と縮こまる。
「悪いが、ドラゴンで空から行くのは却下じゃ。わしら神族に、外敵と見なされたくなければの」
ミコトは素直に頷いた。
実際のところ、神族が束になってかかったところで、ミコトを殺すことは不可能だ。
最悪、殺意を持った瞬間には死んでいる、ということさえありうるのだ。
「そろそろ見えてきたな。あれが港町じゃ」
アドレヤが指差す方向に、その光景が見えてきた。
町人として住まうことは考慮されていないのだろう、一般の家々は少ない。代わりに倉庫と宿屋が充実しているようだった。
港は、普通の砂浜に毛が生えた程度の状態だ。工事されていることもなく、大型船を沖に置いたまま、小船で行き交う形になっている。
砂浜を踏み締める足音と、波の音を背後に、アドレヤは説明する。
「霊泉大陸で、あの港町が唯一、中央大陸の者が踏み入ることを許された境界線上じゃ」
「……思ったよりも、賑わってないね」
「大量に押し掛けられれば、わしら神族が許さんからな。それに、偏屈な族長が認めた商会以外とは取引せぬし、輸出する聖晶石にも制限をかけておるのじゃ」
神族は、勇者スピルスから一番初めに、魔術という技術を教えられたらしい。
彼らは中央大陸と隔離された環境で過ごしたために、独自の魔術体系を作り出した。
その能力は、文字通り百人力だ。神族が皆、魔力資質が高いという理由もある。
人間の強者が百人相手に、神族は一人だけで拮抗する。
さらに霊泉大陸には、魔力を浴びて突然変異した、魔族の反対――聖獣がいる。
下手に開拓することもできないのだ。
船で運べる兵士だけで、霊泉大陸を乗っ取れるわけがない。
それでも霊泉大陸には、中央大陸の者にとっては喉から手が出るほどほしい資源がある。
神族に有利な商談になるのも、自然なこと。
と、アドレヤは語る。
「さて、港町に泊まる理由じゃがの。実はもう一つあるのじゃ」
アドレヤが言う、その最中のことであった。
「な、ぁ……?」
「ふみゅ、予想通りじゃな」
怪訝そうな声。それは、アドレヤに向けられたものではない。
アドレヤが振り向くと、ミコトに支えられたレイラの姿があった。
「ど、どういうこと!?」
「慌てるでない。ほれ、ミコト、説明せい」
「魔力酔いだ」
サーシャが目を瞬かせた。その後、「確かに」と呟き、宙へ視線を向ける。
この魔力濃度は、ウラナ大森林の十倍はある。並みの魔力資質では、魔力酔いを起こすのも当たり前だ。
「先ほど説明は省いたがの。これも霊泉大陸の侵略において、神族側が有利になる要因の一つじゃ」
こんな濃度の中では、魔力酔いもなかなか治らないだろう。
それに、霊泉大陸の外周部でこれだ。世界樹付近の魔力濃度は、ここの比ではない。
「そう、これが宿を取る理由じゃ。――そやつは、港町に残していく」
「ふざ、けんじゃ、ないわよ……! ここまで来て、二人だけで行かせるわけにはいかないでしょ!」
理屈の上で理解しながら、レイラが激昂することはあまりない。
感情に折り合いをつけながら、理屈に沿って動く。今までそうしてきたはずだ。
そう、レイラは自覚していた。これは駄々を捏ねているだけだと。
だが、今だけは否定する。とても、不安なのだ。
「今にも吐きそうな面をしたおぬしが、なんとか付いていったところで、どうなるというんじゃ?」
「そ、れは……で、でも!」
今のサーシャとミコトを、二人きりにさせてはいけない。
理由はわからなかった。しかし、確信めいた悪感を覚えている。
「アタシは――!」
だから、なんとしてでも付いていく。
そう、叫ぼうとして――急速に眠気に襲われる。
「な、ん……?」
ミコトの腕から生えた針が、レイラの肌を浅く刺している。
遠ざかる意識の中、レイラはミコトを睨み付けた。
ミコトはただ、無表情で。
サーシャだけは、心臓を押さえていた。
翌日。
レイラが目を覚ましたのは、港町の宿屋だった。
彼女の周りには、仲間たちの姿はなく。
しばらく港町で過ごすための、資金が残されていただけだった。
◆
切り捨てていく。
急速に取りこぼしていく。
――それは、承知の上だった。
自分の手の平が、誰かを掴めるだけの大きさがないことが、わかってしまった。
どんなに力を得たところで、この腕は知り合った者全員を包み込むことができないと、わかってしまった。
だから、たった一つのものだけでも守り抜こうと。
そう、決めたのだ。
なぜなら、彼女を救いたいという、この想いだけは。
偽りだらけのセカイで、唯一、自身を形作る『本物』だから。
――この想いだけは、正しいのだから。
◆
レイラが宿屋で目を覚ました頃。
アドレヤを先頭に、サーシャとミコトは森の中を歩いていた。
木々の感覚は広く、一本一本の太さが人の身長よりも大きい。
草木や倒木はあまりなく、歩くのに苦労はなかった。
朝日と魔力光が木々の隙間から差し込み、幻想的な光景を作り出す。けれど、決して眩しくはない。
この世界を生きる者に優しい、この世界の魔力だ。
けれど今は、それが恨めしい。
「レイラ……」
港町に置き去りにしてしまった姉を思い、サーシャは下唇を噛む。
怒られるのは、まだいい。けど、これは悲しませる。悲しませるのは、嫌だった。
「仕方のないことじゃ」
「そうなのかも、しれないけど……」
魔力酔いを甘く見るわけにはいかない。
平衡感覚の乱れは優しいほうで、頭痛や吐き気を起こす。最悪、狂った感覚が二度と戻らないこともありうるのだから。
仕方のないことだ。
けれど、納得できるかどうかは別だ。
「わたしの『操魔』なら」
「俺が心臓になっている現状、あまり酷使するべきじゃない。何が起こるかわからないからな」
『操魔』が使えなくなった場合、レイラは高濃度の魔力の奔流に、なすすべなく飲まれることになるのだから、とミコトは言う。
サーシャは深い溜息をこぼした。そして、考えを切り替える。
「早く先に進もう、アドレヤ。早く心臓を治して、ミコトの体をちゃんとしてから、レイラに謝りに行こう」
サーシャにはそれしか、報いる方法が思いつかなかった。
歩き、川を越え。
朝日はとっくに頂点を過ぎている。
「ミコト、『変異』でわたしの体に何かしてる?」
「多少の肉体強化ぐらいは。何か不調でもあったか?」
「そうじゃないんだけど……。えっとね、なんだか、あんまり疲れないんだよね。お腹も減らないし」
普段のサーシャなら、体力が切れていただろう。
しかし今、疲労感や空腹感はあるものの、増す気配は感じられない。
疑問になるサーシャに、アドレヤは前方を見ながら、
「高濃度な魔力の恩恵じゃよ。あまりに濃い魔力の中では、身体の役割を精神がこなせるようになる」
動こうという意志がある限り動けるし、精神状態が良好であれば、睡眠欲・食欲・性欲の三大欲求さえ必要なくなるのだと、アドレヤは言う。
「じゃから、世界樹付近で精神を乱すでないぞ? 最悪、死に等しい苦しみを味わうことじゃろう」
「き、気を付けるよ……」
サーシャはふと、ミコトを見る。
心臓を押さえてみる。今のところ、違和感はない、が。
「問題ない。なぜなら、前に進もうという意志さえあれば、前に進めるんだろ?」
「それでも、苦しくないはずがないよ……」
「それこそ問題ない。痛みには慣れてる」
ミコトの手を、ぎゅっと握りしめる。
彼の手は、死体のように冷たかった。
野生の聖獣に襲われることはなかった。アドレヤは、神族である自身がいたからだ、と誇らしげにしている。
実際のところ、彼女がいなければ、森の踏破はもっと時間がかかったはずだ。
――やがて夕日になる頃、彼らは辿り着く。
森の奥で、サーシャたちを待ち構える人影が大勢。
近付くと、彼らの正体が判明する。
尖った耳を持つ、神族たち。
真ん中に立つ青年が、一歩前に出た。
「おお、族長。久しぶりじゃの」
アドレヤが手を振ると、青年はにこやかな笑みを返した。
まさか、その青年が族長なのか。
驚くサーシャに、ミコトが「六百歳だ」と耳打ちする。サーシャは目を瞬かせた。
「世界樹の根元まで、ようこそお越しくださいました。《操魔》サーシャ・セレナイト様。《黒死》の使徒、ミコト・クロミヤ様」
正体を知られていたら、敵対されるかもしれない。
そう危惧していたサーシャは、思わぬ好待遇に目を丸くする。
「えっと……わたしたちって、貴方たちにとって敵じゃないの?」
「わたくしどもが崇めるは、神ではなく勇者様であります。その一柱であらせられるシリオス様からは、『彼らの行く道を遮るな』とのお言葉をいただいております。どうして逆らうことができましょうか」
《時眼》の勇者シリオス。
彼は、ミコトとサーシャがこの地に来ることを、事前に予知していたのだ。
「時間もあまりないでしょう。さっそく勇者たちの下へ、ご案内いたします。……その前に、お食事は必要ですかな?」
「えっと、まだ大丈夫です」
「左様ですか」
族長は一礼すると、先頭に立って歩き始める。
「これ族長、わしの仕事を取るでないわっ!」
「ああ、失礼。背が小さくて見えませんでした。いやはやまったく、三百歳も過ぎたというのに幼いことで」
「ぶん殴るぞ糞ジジイ!」
神族たちの人垣が割れ、一礼。
サーシャは居心地悪そうにしながらも、口喧嘩する族長とアドレヤの後ろを付いて行った。
歩きながら周りを観察していたが、神族の住居というのは建築物ではなく、大木の根元らしい。
話に聞いた、グランの故郷に似ていると、サーシャはぼんやりと思った。