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第七話 終⇐旅の後期誤最⇐経発絶









 魔王教の乱が終わった、その翌日。

 下冬の一四日の、深夜のことであった。


 王都の上層北区に存在する、シュヴァリエット家の別宅。

 その内の一室にで、唐突に一人の少年が現れた。


 癖のある茶髪を掻く彼の名は、空閑悠真。

 今代の《千空》の使徒であり、異世界人の少年だ。


 悠真は青い眼を細めて、目の前で眠る人物を睨み付ける。

 その人物とは、銀髪の少女のことであった。


 サーシャ・セレナイト。

 その身に魔王の半身を宿した、今代――そして、末代になる《操魔》の少女だ。


 ベッドで、静かな――静かすぎる寝息を立てる。

 顔色も青白く、まるで死にかけの病人のような状態だ。


 無理もない。彼女は昨日、心臓を貫かれたのだから。

 今も生きているのは、ある存在の捨て身によるものだ。


「く、そが……」


 ギリ、と歯を食いしばる。

 今、この少女を殺せば。もしかすれば、親友は戻ってきてくれるのではないか。


 そんな想いを抱き、殺意を向けた。

 その瞬間だった。


 サーシャの体が、不自然に痙攣した。掛けられた布団が盛り上がる。

 右腕が膨張した、のではない。そこに、サーシャの内側から、新たな存在が現れたのだ。


 夜闇の中、黒衣が揺れる。

 ぞっとするほど空虚な黒い眼が、悠真を捉えた。


「……よう、尊。久しぶり」


 悠真は一瞬だけ沈黙したのちに、普段通りに話しかけた。

 日本語で。日本で、いつも話していたように。


「……悠、真…………」


 少年――黒宮尊の反応は薄い。

 その体が作り物であるために、表情の変化すら存在しない。

 いや、もしも本物の体であったとしても、あまり変わらないのかもしれない。


「どうしたんだよ、しけた面してさ。ほら、笑えって」


「…………」


「ってかお前、ちょっと若白髪増えたか? 半々に近いぞ、もう」


「…………」


 悠真の作り笑いに、やがて罅が入り、崩壊する。

 だいたい、彼は話し上手ではない。尊のコンプレックスである若白髪を突いても駄目となれば、もはや明るい話のタネはなくなってしまう。


 だから、悠真は本題に移ることにした。

 もう一度笑みを作って、手を伸ばす。


「日本に、帰ろう」


 そう言うために、この大嫌いな世界に来た。

 これで、尊が手を取ってくれたら、それで終わりなのに、


「――それは、できない」


 即答だった。

 悠真の微笑みは崩れ、伸ばした手は空を切る。


「俺はサーシャの心臓だ。俺が日本に帰れば、サーシャが死ぬ。それとも――」


 尊の虚ろな瞳に、僅かな希望を滲ませて、


「――サーシャごと、日本に行くことはできるか?」


「そ、れは……できない。異世界転移の負荷はでかいんだ。跳べるのは……自分を含めて、どれだけ頑張っても二人だけだ」


 それに、日常へ異物を持ち込みたくない、という思いもあった。

 尊は「そうか」と、小さく呟く。瞳もまた、空虚なものへ戻った。元々、あまり期待していなかったのかもしれない。


 悠真の力では、言葉では、尊をどうすることもできない。

 だからと言って、諦めることなどできはしない。


「……玲貴が、心配してたぞ」


 口に出したのは、ここにいない者の名前。

 尊の幼馴染であり、尊を思う女の子。


 ピクリと、サーシャの体が痙攣した。


「玲貴さ。お前の家に行って、掃除してるんだよ。異世界のことなんか何も知らないで、もしかしたらお前が死んでるのかもしれないって思い詰めて、それでも! いつかお前が帰ってきてもいいように、誰もいない家に、毎日通い詰めて――!」


「……誰も、いない?」


 ハッと、悠真は熱くなった頭を冷やす。

 それだけは、言わないつもりでいたのに。いや、言うべきなのかもしれない。


 深呼吸して、決心した。

 そして、悠真は口を開き、


「お前の母親は――――!」


 言い切った。

 言い切って、しまった。 


 尊は、


「……ぁ、ぇ」


 ここに来て初めて、尊が戸惑う。

 しかしそれは、悠真の告げた真実に、尊が動揺したということではなく、




「なんて言ったんだ?」




 聞いていなかった。


 尊がふざけているとは思わなかった。

 それよりも最悪な想像に、悠真の背を嫌な汗が伝う。


 認識の取捨選択か、記憶の削除。

 都合の悪いことを排除して、今の在り方を損なわないようにしている。

 あるいは、尊の感情がサーシャの容体に直結しているために施された、セーフティのようなものなのかもしれない。


 どちらにせよ。

 どんな言葉をかけようが、どんな転機が訪れようが。


 黒宮尊が正気に戻ることは、ない。


「なんでもいい。つまりテメェは――」


 絶句している悠真に、初めてミコトが、自分から話しかける。

 そこに親愛の感情はなく、先ほどまでは存在しなかった、拒絶の色を浮かべて。



「――俺にサーシャを、見殺しさせたいわけだ」



 己の在り方を捻じ曲げようとする他者を、排除するために。


「な、ぁ……ち、違う!」


「違うわけねえだろ。サーシャと一緒に日本に帰れない、それでも日本に帰れ――それはつまり、サーシャの心臓をやめろ、ということだろ」


「そん、な……」


 言い返す言葉もなく、悠真は絶句する。


「空閑悠真は人一倍倫理観が強い。特に嫌うのは殺人だ。そのはずだったろ? だけど今、テメェは俺に、サーシャを見殺しにしろと言う。それも直接的な発言は避けて。それも玲貴を理由にして。……なぁ、それはさ――あんまりにも、卑怯なんじゃねえか?」


「……っ」


「だいたい、殺人嫌うのも今さらすぎるだろ? アクィナを殺そうとしただろ? その戦いで、どれだけの人間が巻き添えになって死んだ? まぁ、それはいいんだけど」


 突き付けられる真実に、悠真は後ずさる。

 尊は決して、殺人の罪を問うているのではない。むしろ肯定してさえいる。


 元々、日本にいたときから、そんな予兆はあったのかもしれない。

 殺人などのニュースに憤る悠真に、尊の反応は芳しくなく。犯人側に正当性があると思えば、むしろ殺人を肯定したこともある。


 そのことで、軽い口論をしたことが一回。

 玲貴に宥められて、そのときは落ち着いたのだ。


 だが、しかし。

 もはや擦れ違いは、決定的なものとなった。

 ここに、喧嘩を仲裁してくれるような存在は、いない。


「眼を逸らすのをやめて、サーシャを殺しに来るか? だとしたら仕方ない。――たとえテメェでも、魂まで殺すぞ」





 その日のことを夢に見て、空閑悠真は跳び起きた。

 嫌な、最悪な夢だった。


 ――尊と決定的に擦れ違ってから、かなりの日にちが過ぎた。

 今日はこの世界で言う、下冬の三七日だ。


 ひどい汗で服が濡れていて、不快感に顔を顰める。

 荒い息を整えて、悠真は窓の外を見やった。


 石レンガの街並みの、見慣れない光景。

 この異世界の景色が、悠真は嫌いだった。


 悠真は現在、安物の宿屋に泊まっている。

 本当なら日本に帰りたいのだが、行き返りには多大な負荷がかかるため、毎日やるわけにもいかない。


 それに、監視をしなければならないのだから。


「……ついに、動くのか……」


 今日、尊たちは新たな旅に出る。

 悠真は気付かれないように、後ろからついていくことになる。


 もっとも尊には、空間を司る《千空》顔負けの生命探知がある。

 自分の存在も、きっと気付かれているのだろう。それでも見逃されているのは、まだ尊にも親友と思われているから――だと思いたい。


 宿をチェックアウトしながら、悠真は深い溜息をこぼした。


 この貨幣は盗んだものではなく、日雇いの荷運びの仕事で稼いだものだ。

『転移』があれば、そのくらいは簡単なこと。


「やっぱり俺って、小市民なのかなぁ」


 再度、溜息をこぼす。



     ◆



 下冬の三七日。

 新世祭の開催日まで、あと三日。


 王都では、国民総出で準備が進められていた。


 上層ではパーティが毎昼夜開かれ、中・下層では市場が賑わうのだろう。

 屋台の店主は、いつも以上に声を張り上げるのだろう。

 貧民街で暮らす者でさえ、精一杯稼いだお金を手に、笑いながら屋台を見て回るのだろう。


 みんな、新世祭に期待している。嫌な過去など吹き飛ばせと、明日を見ている。

 笑顔だった。


 以前にアスティアから、この景色はサーシャが守ったものだと、功績なのだと言われた。

 けれど、この笑顔の街並みにいると――どうしても、置いて行かれたような気持ちになるのだ。


 眩しくて、羨ましくて、手を伸ばす。

 だけど自分は、作り物の笑顔しか浮かべることができなくて。


 結局、新世祭を楽しみたい。ミコトやレイラと一緒に見て回りたい。

 などと、そんなことも、望めない。


 きっと頼めば、新世祭の間だけは、王都にいることが許されるだろう。

 けれど、そこに、本当の笑顔はない。


 誰に言われるでもなく、サーシャは自分から諦めた。


 ――サーシャたちは今日、王都を発つ。


 シュヴァリエット家に別れを告げて。

 グランとテッドが眠る共同墓地に、祈りを捧げて。


 そうして。


 笑顔の街に、背を向けて。

 この先に希望があると願って、進む。





 王都へ入ろうと、多くの荷馬車が長蛇の列を作っていた。

 その流れを横目に、反対へ進む者たちがいる。


 サーシャ、レイラ、ミコト。

 そして、案内人であるアドレヤ・ゴードローズの四名だ。


 馬車は必要なかった。


 しばらく歩き、人通りがなくなったところで、彼らは横道に逸れる。

 誰の目にも触れない場所で、ミコトの体が『変異』した。


 そうして現れたのは、闇色のドラゴンだった。

 背中には、鱗で作った座席がある。


 サーシャは、ミコトが『変異』した瞬間から、すでに背中に乗っている。

 レイラとアドレヤがドラゴンの背に乗ると、三対の翼が羽ばたきを始めた。

 魔力的な補助も加わり、ふわりと浮遊する巨体。その体が、周囲の景色に合わせて色を変える。


 誰にも見つからないように。

 ひっそりと、次の街――ナーサル港を目指す。


 アルフェリア王国という広い国土。王都と海はかけ離れた距離にある。

 それでも、ミコトにとっては狭すぎた。背中の三人に配慮しても、一日で辿り着く。


 ナーサル港で一晩過ごして、再び彼らは、ドラゴンに乗って行く。

 旅にかけた時間は、たったの二日だった。


 そうして彼らは、辿り着く。




 世界の極東、霊泉大陸。

 世界の核たる世界樹が存在する、勇者が眠る地。


 ――ここが、一つの終着点。









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