第六話 誓イ不守≒背反犯々∥#
飛行船。
それは、魔鉱石の魔力を動力源とし、魔術で空を飛ぶ船のことだ。
形状としては、一般的な大船の左右に、翼が付けられてあるのを想像するといいだろう。
その両翼や船底やマストなどに、飛行、平衡を保たせる魔術の刻印が刻まれている。
これは近代になって発明されたものな上に、造船と運用には莫大な資金が必要となる。
個人で作れるはずもなく、造船された全ては国有だ。さらに、保有する国も少ないときている。
そのため、飛行船を保有していることは、国家のステータスになる。
逆説的に、全世界で最も栄えているアルフェリア王国が、飛行船を保有していないわけがない。
五隻。
それが、アルフェリア王国が保有する飛行船の数である。
一隻は、有事に備えて待機。
一隻は、国内の移動、運輸に。
一隻は、近隣諸国の移動、輸出入に。
一隻は、世界各国を巡る貿易に。
一隻は、上記らの飛行船の整備、修繕の間に使われる。
現在、王都アルフォードに残っているのは三隻。
有事に備えたものと、スペア用のもの、世界各国との貿易用のものだ。
魔王教の乱の三日後、世界貿易用の飛行船は帰還し、現在は整備中だ。
そして今日。謁見の日から一週間が過ぎた、下冬の三二日。スペアの飛行船が、代わりに飛び立つことになる。
ミコト・クロミヤ。
サーシャ・セレナイト。
レイラ・セレナイト。
ラカ・ルカ・ムレイ。
飛行船の港には、上記の四名の姿があった。
「では、手筈通りに行おう」
「お願いします」
ミコトが何やら、船長だと思われる者と話をしている。
何かを確認し合ったあとミコトは、レイラとラカの元にやってくる。
「昨日も言ったけど……本当にいいの?」
「ああ」
手を繋いでいたサーシャは、当然話を聞いていたのだろう。
いや、先ほど彼らの会話を聞くに、サーシャは『ミコトへの報酬』を知らされているらしい。
「で、こんなところまで連れてきて、どういうつもり?」
レイラは眉根を寄せて、彼らを連れてきたミコトに尋ねた。
ラカも同様に、ミコトに大して不信感を持っている。
サーシャが胸を押さえている。それが、ミコトが何かをやらかすのだと、直感を抱かせていた。
「もしかして、この国の外に逃げるつもり?」
レイラの発言は、『逃げる』という行為から目を背ければ、魅力的に思えた。
けど、とラカは唸る。もしミコトがそのつもりなら、事前に伝えないのはおかしい。
ミコトも「できればそうしたかった」と言うが、「けど」と続ける。
「どうもサーシャの精神に、発信機らしい異物が付いている」
「ハッシンキ……?」
聞き覚えのない言葉に、ラカは眉根を寄せた。
「シェルアの心の一部が植え付けられている。サーシャの精神状態に影響はないが……どこにいても居場所がばれている」
レイラとラカの表情が、強張った。
「たぶん、殴り合ってたときに仕掛けられたんだと思う」
「俺が心臓になって、ようやく気付けたくらいだ。かなり巧妙に仕掛けられている。外すこともできない状態だ」
つまるところ、どこに逃げても追いかけられる。
どこまでも、地の果てまでも。
そして今度こそ、シェルアは容赦しないだろう。時間を与えてしまえば、余計に状況は悪化する。
もしかしたら、魔王教が壊滅に追いかけられてる今が、攻め時であるのかもしれない。
「どちらにしても、俺は逃げるつもりはない。――シェルアは俺が、死、死ん死ぃんでも殺す」
ミコトの眼が狂気に赤く濁るも、それは一瞬。すぐに空虚なものに戻る。
そして、彼は告げた。
「だから逃げるのは、俺じゃない。――ラカ、お前だよ」
「……は?」
ミコトが何を言っているのか。
ラカはしばらく、意味がわからなかった。
「この飛行船は、無霊大陸に最も近いエルナト帝国にも通るらしい。お前はそこで降りて、故郷に帰るといい」
「な……、ぁ……?」
思考を凍り付かせた間にも、彼は当然という風に続ける。
「元々お前には、俺たちに付いてくる理由なんてないはずだ。義理なんてものも、もうないだろ? そもそもラカは、俺を殺すべきなんだからさ。悪いけど、サーシャの心臓になっている今は、死んでやれないが」
確かにテッドは、ミコトに殺された。
オーデの死も、もしかしたら回避できたのかもしれない。
「オレがテメーを殺すはず、ねーだろうがよ……。そんなことをしちまったら――」
けど。
けれど。
「――テメーが守ってくれた、オレの誇りが! 意味が! 穢れちまうんだよ!!」
ミコトがいなければ、きっと自分は落ちぶれていた。
オーデと再開できないまま、周りに反発して、ムキになったまま。
エインルードに連れて行かれて、サーシャを殺す兵器を作るための、たくさんいる生贄の一人にされていた。テッドもその内の一人になっていただろう。
それの、なんと無意味なことか。
王都に残されたオーデも、体のパーツを死ぬまで剥ぎ取られていたかもしれない。
それと比べれば、仲間を庇って死ぬことの、なんと意義のあることか。
「だいたい義理ってなんだよ!? そんな貸し借りだけ関係だと思ってたのか、テメーは!? オレは! オレたちは――!」
感情が荒れ狂って、知らずラカは、ミコトの胸倉を掴み上げた。
腹の内側から、気持ち悪く熱いものが込み上げてくる。反対に体は、凍えそうなほど寒い。
「――仲間なんじゃねーのかよぉ!?」
憎悪や憤怒ではないのだ。復讐心でもない。
ただ、ただ、悲しかった。
「そう思ってたのはオレだけなのか!? テメーにとっちゃ、お守りしなきゃなんねーガキだってのか!?」
思いっきり揺さぶるが、ミコトの表情はまったく動かない。
そもそも、ラカが睨んでいるモノは、人形でしかない。ラカの行動は、ただ、無為。
「ああ、そりゃそーだよな! テメーは滅茶苦茶強えーよ、オレなんて足手纏いだったろーさ! そんなの、オレだってわかりきってんだよ!!」
それでも、と。
ラカは叫ぶ。
「――仲間の助けになりたかったんだよ!!」
そして。
一切の躊躇なく、ラカの拳が振り抜かれた。
拳はミコトの顔面に激突する。ミコトは後ずさるが、しかしラカは胸倉を掴み込み、離れることを許さない。
ラカの拳から、血が滲み出る。
ミコトの血だけでなく、それはラカ自身の血液だ。
「不意打ちでもなきゃ、テメーをまとも殴れねーだろ。……一発殴っても、テメーはもう、正気に戻らないみてーだがな」
「…………」
ミコトの沈黙は長かった。
やがて彼は、一言だけ、告げた。
ラカの右手に、優しく手を添えて、
「……ごめん」
チクリとした、小さな痛み。
一瞬でラカの視界は眩み、平衡感覚がおかしくなる。
「そう、かよ……」
崩れ落ちるラカの体を、ミコトが抱き留める。
独善で、独りよがりな、この男は、どこまでも、
「……ひとり、ぼっち、め…………」
そして、ラカの意識は闇に落ちた。
次に目を覚ましたとき、彼女は空にいる。
故郷の無霊大陸に、運ばれていく。
◆
ラカの受け渡しと、飛行船の出航。
飛行船が、遠い空の果てに霞んでいく姿を、ミコトはずっと見つめ続けている。
「あれでいいわけ……?」
レイラの言葉に、ミコトは何も答えなかった。
飛行船が見えなくなって、彼はゆらりと港から背を向けた。
サーシャに手を引かれ、ミコトはゆっくりと歩き出す。
港から去り、雑踏を抜けて、路地裏に入り、
「あ……ァァアアアアあっぁぁあぁああああああ――――ッ!!」
直後、サーシャが苦痛の絶叫を上げ、倒れ伏した。
胸を押さえ、荒い息を吐き出す。体中から嫌な汗が噴き上がり、血管が脈動した。
崩れ落ちたのは、サーシャだけではない。
ミコトも同様に、がくりと膝を折る。
「サーシャ! おい、ミコト! だ、大丈夫!? しっかりしてよ……!」
レイラの呼び声に、二人は応える余裕はなかった。
サーシャの苦痛は、今も続いている。それは、ミコトの精神が最悪に乱れているということ。
「これが合理的で道理な選択だろ、そうだろ、そうに違いない、間違ってない、正しいはずだ。ラカは帰るべきなんだ故郷へ、だって、俺のそばにいたら死んで死んで死、死賜死ぬ、じゃうから。だって、だってだってっだた仲間なんだ、からだから、俺が守らなきゃ俺じゃ守れないから俺にそんな余裕はないから切り捨てなきゃいけないんだ、そうでなきゃ今度こそ誰も守れない、オーデもテッドもグランも俺が殺してしまったしまうんだぁああァ誓い破って、針飲まなきゃ殴られなきゃ指切って切って切り捨てて死ななきゃ俺が殺されなきゃいけないィィィァァアア死ねないまだ死ねない、俺は心臓なんだから殺されちゃダメなんだ――――そうだ、心臓ぅ!?」
ばっ! とミコトが顔を上げる。首を痛ませるような急角度で、サーシャの姿を確認した。
倒れている。苦しそうにしている。
それは誰が原因なのか。わかりきっている、ミコトのせいだ。
フラッシュバックする。
雨が降るあの夜、心臓を抉られ、死へ向かおうとするサーシャの姿が。
死。
大切な人を死なせたくない。
守りたい。
救いたい。
力も体も偽物でいい。他人のものでいい。
けれど、この心だけは、その想いだけは本物なのだから。
「ッッッァ! ――平静になれ冷静になれ沈着になれ冷淡になれ! ――冷酷になれ残虐になれ残酷になれ厳酷になれ残忍になれ無慈悲になれ!」
平気になれ。誰に何を言われようとも。
兵器になれ。どんな状況であろうとも。
そうならなきゃいけない。
なのになのになのになのになのになのになのに!
「治まれッ、治まれよ! ラカに何か言われたぐらいでイチイチぐらついてんじゃねえよ! 化け物に徹しろォ!」
ついには、ミコトの人形さえ形を崩し始める。
髪を引き抜き、咽喉を掻き毟り、彼は叫ぶ。
「なんでも、なんでもいいから! サーシャを、助けてくれ……!」
――その叫びに、応える者がいた。
「当てはあるぞ?」
オドによって煌めく金髪に、青い瞳。尖った耳をした、神族の少女。
アドレヤ・ゴッドローズが、そこにいた。
「どう、いう……?」
「サーシャ・セレナイトの心臓を治せる者を知っている、と言っているのじゃ」
なぜ彼女が、自分たちの事情を知っているのか。
そんなのは、もはやどうでもよかった。
彼女は言ったのだ。
サーシャを救える者がいると。
なら、どんなことでも構わない。
どんな過程も関係ない。
――救う。
「教えてくれ! 何をすればいい!? どんな犠牲を払っても構わない、だから――!」
ミコトの剣幕に、アドレヤが顔を顰める。
まさか、そこまで言っておいて、教えないつもりか。
「そ、っそうだ! 前に会ったとき、金貨一枚でなんでもするって言ったよな!? 一枚じゃない、俺が持ってる金、全部やってもいい! だから、お願いだから、教えてくれないなら、俺は――――」
これで無理なら、多少情報量が減ったとしても――脳みそを喰って『変異』で記憶も何もかもすべてを奪うしかない。
ミコトの、殺意さえ込められた視線を受けて、アドレヤは大きなため息をこぼした。
そして彼女は、確かに頷いた。
「うみゅ。危険はあるが、それでもよいのか?」
「その危険を俺が背負う」
「よかろう」
そして、彼女は語り出す。
「その者の名は、アクエス――《聖水》の勇者じゃ」
それは、停滞した彼らの、新たな目的地となる。
「来るか? 世界の核たる世界樹が存在する、勇者たちが眠りし地。我が故郷、霊泉大陸にの」
逃避行は、終わりを迎えようとしていた。