表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
173/187

第二話 残されたもの




 案の定、帰るのが遅れたせいで、レイラにはこっ酷く叱られた。

 ぷんぷんと怒っている。病み上がりだから安静にしていろ、と言いたげな雰囲気である。


 ごめんなさい、明日も外出します。

 ということで翌日、サーシャたちは外出した。


 ミコトは姿を現したまま、一緒に向かう。

 今回は、リッターが付いてきている。彼がいなければ通れない場所なのだ。


 道中、目的地へ先導するリッターが振り向く。顔を顰めて。

 その理由は、包帯で吊られた腕が痛む、という肉体的なものではなくて、


「その、手を繋いでいるの、なんとかなりませんか?」


「ならねえな」


「貴様に言ってるんじゃない」


「ちょっと無理かな」


「そうか、なら仕方ない」


「オイ」


 ミコトとリッターの仲が険悪なのは知っていたが、こうも小気味いいと苦笑するほかない。

 口元を笑みにしながらも、サーシャは「どうして?」と問いかける。


 リッターは顔を顰め、躊躇しながらも答えた。


「そこの男が心的外傷を負っている、という話を聞いていなければ――つまり、前情報なく見れば恋人同士だな、と」


 ミコトが心的障害を負っている、というのは正しいのだが、手を繋いでいる理由とはまた別である。

 まさか、本当のことを言うわけにもいかない。ただの虚偽報告だった。


 それはともかくとして、サーシャは顔を赤くする。


「こ、こここ、恋人って、そんな……っ」


「そんな君たちの前に立って歩く自分の存在はなんなんだろうな、と」


 肩を落とす今のリッターは、とても近衛騎士とは思えないほど沈んでいた。

 体の至る所を包帯で巻いているのもあって、さらに哀愁が漂う。


 そんな彼に、ミコトが一言。


「負け犬」


「な、は、はぁ……!? こっ、このっ、こいつぅ! 自分にはちゃんと妻がいてだなぁ!」


「ドラシヴァにズタボロにされてたじゃねえか」


「あー、そっちかー、そっちを言うかー! ……あぁ、そうだよ、自分はドラシヴァに敵わなかった。あの化け物いなかったら、今頃は芋虫みたいになっていただろうな」


 リッターは拳を握り、悔しそうに顔を歪めた。

 その後の『というかどうしてコイツは知っているんだ?』という視線に、ミコトは何も言わない。


 何を隠そう、リッターが言う『化け物』がミコトなのである。

 ドラシヴァは命を取る気はなかったようなので、この場合は『体の恩人』と言うべきだろうか。


「体の恩人だね!」


 言ってみた。

 リッターはものすごく嫌そうな顔をした。


「それの調査って、どうなってるの?」


「……あれは、レッド・デッドと呼称することになった。魔王教の秘密兵器が暴走した結果、というのが会議の見解だ」


 それ以上のことはわからないらしい。

 サーシャはリッターにばれないように安堵した。

 リッターは「対策が……」などと、暗い表情でぶつぶつ呟いていた。


 しばらくしてリッターは、わざとらしく言った。


「あ、そうだ、思い出した」


 はい、と。リッターが懐から小包を取り出し、ミコトに投げ渡した。

 開けてみると、入っていたのはクッキーだ。


「『餞別』だ。やろう」


 ミコトが食べる。ガリガリ、じゅわじゅわ、ごくん。

 どう考えてもクッキーを食べる音ではないが、ミコトは顔色ひとつ変えない。


「な、そんな、馬鹿な……いやまさか、ゼス隊長の料理が上達したとでも言うのか……!?」


 小包を奪い返したリッターが、クッキーを一口含む。

 ガリガリ、じゅわじゅわ……、


「……、――」


 リッターは白目を剥いた。




 リッターをミコトが叩き起こしたのち、サーシャたちは目的地に到着した。

 ここは上層北区の一画。監獄である。


 厳重かつ頑丈に作られたはずの監獄は、今や見る影もなく、半壊されていた。

 天井はぶち抜かれ、内部への侵入も容易いだろう。辺りは騎士が警備している。


「侵入者が現れまして。《ラ・モール》のロト・アパシーが脱獄したんです」


「シェルアの仕業だろうね」


 リッターが警備の騎士に許可をもらう。

 騎士に付き添われながら、サーシャたちは地下への階段を下る。


 半壊しているといっても、監獄の全機能が使えなくなったわけではない。

 魔王教の乱という大事件もあって、囚人の移送する余裕もないのだ。


 なので、この惨状であるが、未だ監獄として使われていた。

 幾人か脱走した罪人はいるものの、それらは監獄帰りすることなく討伐されてる。


「ここです」


 騎士は一つの檻の前で立ち止まると、横にどく。

 そうして、サーシャとミコトは檻の前に立った。


 どくんと、心臓が疼く。


「どうも、久しぶりっす、ミコトさん。……それと、あんたも」


 そこにいたのは、 白い髪の少年だった。

 魔王教徒、《ラ・モール》の一人。透明化『シェリダー』の無属性魔術師――ルキ。

 赤い瞳が、気まずそうに目を逸らしている。


「今回は、あんたが尋問官か?」


「ううん。ちょっと、話をしたいなって思っただけ。ミコトと。……その、怪我は大丈夫」


 ルキは投獄されてから今まで、何度か尋問を受けている。上半身裸の彼の白い肌に、鞭の痕があることから、かなりキツイものだったのだろう。

 それでも彼は、まったくと言っていいほど、王国側に情報を渡していない。


 ルキは卑屈に笑った。


「この程度、シェルア様に拾われる前までは日常だったよ。ったく、尋問官の野郎も赤眼だのなんだのと」


「…………」


 下冬の一三日、サーシャとルキは衝突し。結果、ルキの願いを折った。

 それが間違いだったとは思わない。


 しかし、本当にルキという少年は、倒されるべき存在だったのだろうか。

 違う、と思う。『迫害のない世界』。その願いは決して、間違いではないのに。


「おい、あんた」


 赤い瞳が、まっすぐこちらを射抜く。

 目を逸らすことができない。彼の眼が、それを許さない。


「同情でもしているつもりか? ふざけんなよ。おれはこの結果に、『どっちかというと』納得してる」


 最後に曖昧な表現をしてしまって気まずくなったのか。元々から目を合わせるのは苦手なのもあってか、すぐに視線は逸れた。


「おれには、シェルア様に付いていくという選択肢があった。だけど監獄に残った。そっちのほうが、『どっちかというと』後悔がないと判断したからだ」


 彼が言う通り。その表情には、確かに後悔があった。

 監獄に残った後悔。シェルアに付いていきたかったという未練。


「人生、絶対に後悔するんだよ。すべての選択肢が絶望なんてざらなんだ。なら、どれが一番楽かを見定めて、そこに逃げるしかないんだよ。魔王教徒たちはみんな、まぁ例外はあるけど、見定めるのを間違えた。楽な逃げ道だと思ったその先で、耐えられない後悔にぶつかって、さらに魔王教に逃げた」


 人として当然の弱さに屈し、その後悔から逃げ出すために、後悔そのものをなかったことにする。

 それが、ほとんどの魔王教徒の行動原理だと、ルキは言った。


「ナヘマは失恋の憎悪で初恋の人を殺した。パアルは火事から逃げるために子供を見捨てた。ドラシヴァは人を救うことの難しさに絶望して、強者を蹴落とすことにした。アスモは確か、両親の遺骨を焼かなかったことにしたい、だったな」


 ドラシヴァを筆頭とした敵勢力の、そんな苦悩は知りたくなかった。ただの狂人・悪人でいてほしかったのだろう。

 リッターの顔が歪んだ。


「そして、おれは……あの子の死を、無駄にしちゃった……。おれは……君が庇ってくれた『やさしい男の子』じゃあ、なかったよ……」


 その言葉に込められていたのは、とても深い後悔。

 彼はその詳細を語らなかったが、それがきっと、彼が『迫害のない世界』を目指した原点。


 そこまで語って、ルキは諦めたように肩を竦める。


「まあともかくだ。おれは今、監獄にいることに納得してるんだ。だから、同情とかはしないでくれ」


「……うん」


「あと……まあ、なんだ。後悔が少ない選択肢を選べよ。――あんたは、おれとは違うだろうけど」


 ルキの眼は、眩しいものを見るそれだ。

 違う、と否定したくなる。


 自分は後悔ばかりで、未練ばかりで。

 自分自身が、嫌いだ。


 けれど、『自分に似ながらも違う存在』を希望にする彼に、どうしてそれを言えるだろう。

 結局サーシャは何も言えず、沈黙を続けた。




「ふぅ、ちょっと話し過ぎたな……」


 ルキは溜息をこぼした。

 牢獄の中に沈黙が下りる。気まずい静寂だった。

 それを壊したのは、リッターである。


「それで……魔王教の情報は、渡してもらえるか?」


「……ぶっちゃけ言わせてもらえば、魔王教の情報なんて知らない」


 口を割ったのは、ここにサーシャとミコトがいたからかもしれない。ただ、その内容は期待外れに尽きた。

 リッターは眉を顰める。


「おれが話せる情報で、シェルア様の邪魔になるものはない。けど、それでよければ、聞かれたことには答えるよ」


 それが最大限の譲歩だ、とルキは言った。

 ならば、とリッターは言う。


「魔王教の目的は?」


「新世界の創造。ありとあらゆる者の、ありとあらゆる願いが叶う理想郷への到達」


 その話はすでに、ミコトから伝えられている。

 そのため絶句はしなかったものの、やはり与太話にしか聞こえない。


「そ、それって、できるの? どうやって?」


「できるんじゃないかな? 詳しいことは知らないけど。確か、魔王の復活が第一歩だ、とか」


「ま、魔王!? 千年前の怪物を、蘇らせるつもりなのか!?」


 リッターは、千年前から連なる現状況をまったく知らない。魔王も、伝説通りに死んだものと考えているらしい。

 その勘違いは、ここにいる全員、訂正する気はない。それには、サーシャの《操魔》も説明しなければならないからだ。


 ともかく、とリッターは首を振る。

 魔王教は狂人だらけの集団だ。世迷言も信じるだろう、と自身に言い聞かせてから、質問を続ける。


「魔王教の内部情報は?」


「金銭面はナヘマに一任されてたし、統率は直々にシェルア様か、ロトが代理でやっていた。詳しいことを知っていたのは、あの三人くらいだ。……まあ、教えてほしいって言えば、教えてくれたんだろうけど。個人で動くことが多かったおれには必要なかったし」


「ずいぶんと適当なんだな」


「シェルア様からして、けっこうブレの多い組織だからな」


 妄信と言っていい信頼を寄せていながら、彼は自身が所属していた組織の長を、そう評した。


「なぜ王都で争いを起こした」


「千年続いた無駄に不壊な遺物を壊そう、ってシェルア様は言ってたな」


「遺物?」


「不朽魔法『アンヴィーク』が掛かった都城壁だ。――まぁ、深く考える必要はないよ、どうせいつもの気まぐれだから。《無霊の民》ばっかりの部隊に《浄火》を連れていってたのだって、たぶんお遊びだし」


 都城壁はアルフェリア王国創設――つまり、千年前から存在する。

 初代国王アルカディアが、自身の無属性魔術である不朽魔術『アンヴィーク』で王都を守った、というのは歴史を齧った者なら誰でも知っている。


 そして、その守りは現代まで続いていたはず、だった。正確には、十日までは。

 魔王教の乱の中、特級魔術『ムスペルヘイム』によって、都城壁の一画が破壊されたのは記憶に新しい。


 それはともかく。

 サーシャは、ルキの言いぐさが気になった。


「さっきから聞いてれば。実はシェルアって、魔王教徒に信用されてない?」


「そういうわけじゃない。そりゃあ善人じゃないけど、根っからの極悪人じゃない」


 無茶苦茶不審そうに、サーシャは顔を顰めた。

 それを見てルキが苦笑するのは、そういう反応が来るのも仕方ないと思っているかららしい。


「まぁ、そうだな。ぶっちゃけ言うと、おれにはシェルア様のことがわからない。衝動的になることはあるけど、感情を継続している姿は見たこと……いや、一度だけ。――ミコトさん」


 ルキは、ミコトを見つめる。

 ミコトの眼は黒く、感情はなく、何を考えているかわからない。

 その姿は、時たま能面のような表情を浮かべるシェルアのようで……しかし何か、決定的に違う。


「ミコトさんが、初めてなんっすよ。ミコトさんについてだけ、シェルア様がおれの前で、初めて執着を見せたんすよ」


「……」


「だから、お願いします」


 ルキは、檻を挟んだ向こうで、深く頭を下げた。

 額が床に付くほど、深く。


「――シェルア様を、助けてください」


「……」


 ミコトはしばらく、黙ったままだった。

 しかし、一言。



「あの日々は、偽物だったのか?」



 ぞっ、と。

 濃厚な殺気が、牢獄を満たす。

 その殺意は、嘘を許さない。


 いつの間にか、牢獄の床を黒い泥が這っている。

 それはルキの周りを蠢き、一切の身動きもさせない。


「言い訳はしないっすよ」


 そんな状況にあって、ルキは気弱そうに笑ったまま。

 きっと、死ぬことを受け入れている。ミコトになら殺されてもいいと。

 嘘とも、真実とも、言わぬまま。


「偽物なんかじゃないよ」


 そのとき、サーシャがミコトの手を強く握った。


「ルキの口調、わたしに向けるものと、ミコトに向けるもの。全然違うもの。たぶん、他人と話すときは強がってる。でも、」


「……」


「きっと。ミコトと話してるときが、素なんだよ」


 しばらくして――泥が、去っていく。

『黒死』は虚空に消え、殺気は掻き消えた。


 ミコトは何も言わず、牢獄を去っていく。

 この結果に安堵し微笑みながら、サーシャはミコトに付いていった。


「先ほどのは、いったい……」


 リッターはしばらく、あの黒い泥について思索していたが、やがて牢獄から出て行った。

 牢屋の中で一人、ルキは溜息をこぼす。


「前途多難っすなぁ……」


 もっとも、他人を心配する暇などないかもしれない。

 死刑だけは回避したい。もっと言えば自由の身になりたいなぁ。けれど、罰は受けなければならない。


 ――そうでなければきっと、自分は二度と現実と向き合えない。


 牢屋の中で、ぼんやりと。けれど、確かな想いを紡ぐ。


「最悪、この世界は滅びるかもしれないっすけどね」









 さすが《ラ・モール》一番の常識人。

 六章において絶望しながらも、唯一希望を与えられた存在です。


 希望を与えた本人は鬱ってるがなぁ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ