第二話 残されたもの
案の定、帰るのが遅れたせいで、レイラにはこっ酷く叱られた。
ぷんぷんと怒っている。病み上がりだから安静にしていろ、と言いたげな雰囲気である。
ごめんなさい、明日も外出します。
ということで翌日、サーシャたちは外出した。
ミコトは姿を現したまま、一緒に向かう。
今回は、リッターが付いてきている。彼がいなければ通れない場所なのだ。
道中、目的地へ先導するリッターが振り向く。顔を顰めて。
その理由は、包帯で吊られた腕が痛む、という肉体的なものではなくて、
「その、手を繋いでいるの、なんとかなりませんか?」
「ならねえな」
「貴様に言ってるんじゃない」
「ちょっと無理かな」
「そうか、なら仕方ない」
「オイ」
ミコトとリッターの仲が険悪なのは知っていたが、こうも小気味いいと苦笑するほかない。
口元を笑みにしながらも、サーシャは「どうして?」と問いかける。
リッターは顔を顰め、躊躇しながらも答えた。
「そこの男が心的外傷を負っている、という話を聞いていなければ――つまり、前情報なく見れば恋人同士だな、と」
ミコトが心的障害を負っている、というのは正しいのだが、手を繋いでいる理由とはまた別である。
まさか、本当のことを言うわけにもいかない。ただの虚偽報告だった。
それはともかくとして、サーシャは顔を赤くする。
「こ、こここ、恋人って、そんな……っ」
「そんな君たちの前に立って歩く自分の存在はなんなんだろうな、と」
肩を落とす今のリッターは、とても近衛騎士とは思えないほど沈んでいた。
体の至る所を包帯で巻いているのもあって、さらに哀愁が漂う。
そんな彼に、ミコトが一言。
「負け犬」
「な、は、はぁ……!? こっ、このっ、こいつぅ! 自分にはちゃんと妻がいてだなぁ!」
「ドラシヴァにズタボロにされてたじゃねえか」
「あー、そっちかー、そっちを言うかー! ……あぁ、そうだよ、自分はドラシヴァに敵わなかった。あの化け物いなかったら、今頃は芋虫みたいになっていただろうな」
リッターは拳を握り、悔しそうに顔を歪めた。
その後の『というかどうしてコイツは知っているんだ?』という視線に、ミコトは何も言わない。
何を隠そう、リッターが言う『化け物』がミコトなのである。
ドラシヴァは命を取る気はなかったようなので、この場合は『体の恩人』と言うべきだろうか。
「体の恩人だね!」
言ってみた。
リッターはものすごく嫌そうな顔をした。
「それの調査って、どうなってるの?」
「……あれは、レッド・デッドと呼称することになった。魔王教の秘密兵器が暴走した結果、というのが会議の見解だ」
それ以上のことはわからないらしい。
サーシャはリッターにばれないように安堵した。
リッターは「対策が……」などと、暗い表情でぶつぶつ呟いていた。
しばらくしてリッターは、わざとらしく言った。
「あ、そうだ、思い出した」
はい、と。リッターが懐から小包を取り出し、ミコトに投げ渡した。
開けてみると、入っていたのはクッキーだ。
「『餞別』だ。やろう」
ミコトが食べる。ガリガリ、じゅわじゅわ、ごくん。
どう考えてもクッキーを食べる音ではないが、ミコトは顔色ひとつ変えない。
「な、そんな、馬鹿な……いやまさか、ゼス隊長の料理が上達したとでも言うのか……!?」
小包を奪い返したリッターが、クッキーを一口含む。
ガリガリ、じゅわじゅわ……、
「……、――」
リッターは白目を剥いた。
リッターをミコトが叩き起こしたのち、サーシャたちは目的地に到着した。
ここは上層北区の一画。監獄である。
厳重かつ頑丈に作られたはずの監獄は、今や見る影もなく、半壊されていた。
天井はぶち抜かれ、内部への侵入も容易いだろう。辺りは騎士が警備している。
「侵入者が現れまして。《ラ・モール》のロト・アパシーが脱獄したんです」
「シェルアの仕業だろうね」
リッターが警備の騎士に許可をもらう。
騎士に付き添われながら、サーシャたちは地下への階段を下る。
半壊しているといっても、監獄の全機能が使えなくなったわけではない。
魔王教の乱という大事件もあって、囚人の移送する余裕もないのだ。
なので、この惨状であるが、未だ監獄として使われていた。
幾人か脱走した罪人はいるものの、それらは監獄帰りすることなく討伐されてる。
「ここです」
騎士は一つの檻の前で立ち止まると、横にどく。
そうして、サーシャとミコトは檻の前に立った。
どくんと、心臓が疼く。
「どうも、久しぶりっす、ミコトさん。……それと、あんたも」
そこにいたのは、 白い髪の少年だった。
魔王教徒、《ラ・モール》の一人。透明化『シェリダー』の無属性魔術師――ルキ。
赤い瞳が、気まずそうに目を逸らしている。
「今回は、あんたが尋問官か?」
「ううん。ちょっと、話をしたいなって思っただけ。ミコトと。……その、怪我は大丈夫」
ルキは投獄されてから今まで、何度か尋問を受けている。上半身裸の彼の白い肌に、鞭の痕があることから、かなりキツイものだったのだろう。
それでも彼は、まったくと言っていいほど、王国側に情報を渡していない。
ルキは卑屈に笑った。
「この程度、シェルア様に拾われる前までは日常だったよ。ったく、尋問官の野郎も赤眼だのなんだのと」
「…………」
下冬の一三日、サーシャとルキは衝突し。結果、ルキの願いを折った。
それが間違いだったとは思わない。
しかし、本当にルキという少年は、倒されるべき存在だったのだろうか。
違う、と思う。『迫害のない世界』。その願いは決して、間違いではないのに。
「おい、あんた」
赤い瞳が、まっすぐこちらを射抜く。
目を逸らすことができない。彼の眼が、それを許さない。
「同情でもしているつもりか? ふざけんなよ。おれはこの結果に、『どっちかというと』納得してる」
最後に曖昧な表現をしてしまって気まずくなったのか。元々から目を合わせるのは苦手なのもあってか、すぐに視線は逸れた。
「おれには、シェルア様に付いていくという選択肢があった。だけど監獄に残った。そっちのほうが、『どっちかというと』後悔がないと判断したからだ」
彼が言う通り。その表情には、確かに後悔があった。
監獄に残った後悔。シェルアに付いていきたかったという未練。
「人生、絶対に後悔するんだよ。すべての選択肢が絶望なんてざらなんだ。なら、どれが一番楽かを見定めて、そこに逃げるしかないんだよ。魔王教徒たちはみんな、まぁ例外はあるけど、見定めるのを間違えた。楽な逃げ道だと思ったその先で、耐えられない後悔にぶつかって、さらに魔王教に逃げた」
人として当然の弱さに屈し、その後悔から逃げ出すために、後悔そのものをなかったことにする。
それが、ほとんどの魔王教徒の行動原理だと、ルキは言った。
「ナヘマは失恋の憎悪で初恋の人を殺した。パアルは火事から逃げるために子供を見捨てた。ドラシヴァは人を救うことの難しさに絶望して、強者を蹴落とすことにした。アスモは確か、両親の遺骨を焼かなかったことにしたい、だったな」
ドラシヴァを筆頭とした敵勢力の、そんな苦悩は知りたくなかった。ただの狂人・悪人でいてほしかったのだろう。
リッターの顔が歪んだ。
「そして、おれは……あの子の死を、無駄にしちゃった……。おれは……君が庇ってくれた『やさしい男の子』じゃあ、なかったよ……」
その言葉に込められていたのは、とても深い後悔。
彼はその詳細を語らなかったが、それがきっと、彼が『迫害のない世界』を目指した原点。
そこまで語って、ルキは諦めたように肩を竦める。
「まあともかくだ。おれは今、監獄にいることに納得してるんだ。だから、同情とかはしないでくれ」
「……うん」
「あと……まあ、なんだ。後悔が少ない選択肢を選べよ。――あんたは、おれとは違うだろうけど」
ルキの眼は、眩しいものを見るそれだ。
違う、と否定したくなる。
自分は後悔ばかりで、未練ばかりで。
自分自身が、嫌いだ。
けれど、『自分に似ながらも違う存在』を希望にする彼に、どうしてそれを言えるだろう。
結局サーシャは何も言えず、沈黙を続けた。
「ふぅ、ちょっと話し過ぎたな……」
ルキは溜息をこぼした。
牢獄の中に沈黙が下りる。気まずい静寂だった。
それを壊したのは、リッターである。
「それで……魔王教の情報は、渡してもらえるか?」
「……ぶっちゃけ言わせてもらえば、魔王教の情報なんて知らない」
口を割ったのは、ここにサーシャとミコトがいたからかもしれない。ただ、その内容は期待外れに尽きた。
リッターは眉を顰める。
「おれが話せる情報で、シェルア様の邪魔になるものはない。けど、それでよければ、聞かれたことには答えるよ」
それが最大限の譲歩だ、とルキは言った。
ならば、とリッターは言う。
「魔王教の目的は?」
「新世界の創造。ありとあらゆる者の、ありとあらゆる願いが叶う理想郷への到達」
その話はすでに、ミコトから伝えられている。
そのため絶句はしなかったものの、やはり与太話にしか聞こえない。
「そ、それって、できるの? どうやって?」
「できるんじゃないかな? 詳しいことは知らないけど。確か、魔王の復活が第一歩だ、とか」
「ま、魔王!? 千年前の怪物を、蘇らせるつもりなのか!?」
リッターは、千年前から連なる現状況をまったく知らない。魔王も、伝説通りに死んだものと考えているらしい。
その勘違いは、ここにいる全員、訂正する気はない。それには、サーシャの《操魔》も説明しなければならないからだ。
ともかく、とリッターは首を振る。
魔王教は狂人だらけの集団だ。世迷言も信じるだろう、と自身に言い聞かせてから、質問を続ける。
「魔王教の内部情報は?」
「金銭面はナヘマに一任されてたし、統率は直々にシェルア様か、ロトが代理でやっていた。詳しいことを知っていたのは、あの三人くらいだ。……まあ、教えてほしいって言えば、教えてくれたんだろうけど。個人で動くことが多かったおれには必要なかったし」
「ずいぶんと適当なんだな」
「シェルア様からして、けっこうブレの多い組織だからな」
妄信と言っていい信頼を寄せていながら、彼は自身が所属していた組織の長を、そう評した。
「なぜ王都で争いを起こした」
「千年続いた無駄に不壊な遺物を壊そう、ってシェルア様は言ってたな」
「遺物?」
「不朽魔法『アンヴィーク』が掛かった都城壁だ。――まぁ、深く考える必要はないよ、どうせいつもの気まぐれだから。《無霊の民》ばっかりの部隊に《浄火》を連れていってたのだって、たぶんお遊びだし」
都城壁はアルフェリア王国創設――つまり、千年前から存在する。
初代国王アルカディアが、自身の無属性魔術である不朽魔術『アンヴィーク』で王都を守った、というのは歴史を齧った者なら誰でも知っている。
そして、その守りは現代まで続いていたはず、だった。正確には、十日までは。
魔王教の乱の中、特級魔術『ムスペルヘイム』によって、都城壁の一画が破壊されたのは記憶に新しい。
それはともかく。
サーシャは、ルキの言いぐさが気になった。
「さっきから聞いてれば。実はシェルアって、魔王教徒に信用されてない?」
「そういうわけじゃない。そりゃあ善人じゃないけど、根っからの極悪人じゃない」
無茶苦茶不審そうに、サーシャは顔を顰めた。
それを見てルキが苦笑するのは、そういう反応が来るのも仕方ないと思っているかららしい。
「まぁ、そうだな。ぶっちゃけ言うと、おれにはシェルア様のことがわからない。衝動的になることはあるけど、感情を継続している姿は見たこと……いや、一度だけ。――ミコトさん」
ルキは、ミコトを見つめる。
ミコトの眼は黒く、感情はなく、何を考えているかわからない。
その姿は、時たま能面のような表情を浮かべるシェルアのようで……しかし何か、決定的に違う。
「ミコトさんが、初めてなんっすよ。ミコトさんについてだけ、シェルア様がおれの前で、初めて執着を見せたんすよ」
「……」
「だから、お願いします」
ルキは、檻を挟んだ向こうで、深く頭を下げた。
額が床に付くほど、深く。
「――シェルア様を、助けてください」
「……」
ミコトはしばらく、黙ったままだった。
しかし、一言。
「あの日々は、偽物だったのか?」
ぞっ、と。
濃厚な殺気が、牢獄を満たす。
その殺意は、嘘を許さない。
いつの間にか、牢獄の床を黒い泥が這っている。
それはルキの周りを蠢き、一切の身動きもさせない。
「言い訳はしないっすよ」
そんな状況にあって、ルキは気弱そうに笑ったまま。
きっと、死ぬことを受け入れている。ミコトになら殺されてもいいと。
嘘とも、真実とも、言わぬまま。
「偽物なんかじゃないよ」
そのとき、サーシャがミコトの手を強く握った。
「ルキの口調、わたしに向けるものと、ミコトに向けるもの。全然違うもの。たぶん、他人と話すときは強がってる。でも、」
「……」
「きっと。ミコトと話してるときが、素なんだよ」
しばらくして――泥が、去っていく。
『黒死』は虚空に消え、殺気は掻き消えた。
ミコトは何も言わず、牢獄を去っていく。
この結果に安堵し微笑みながら、サーシャはミコトに付いていった。
「先ほどのは、いったい……」
リッターはしばらく、あの黒い泥について思索していたが、やがて牢獄から出て行った。
牢屋の中で一人、ルキは溜息をこぼす。
「前途多難っすなぁ……」
もっとも、他人を心配する暇などないかもしれない。
死刑だけは回避したい。もっと言えば自由の身になりたいなぁ。けれど、罰は受けなければならない。
――そうでなければきっと、自分は二度と現実と向き合えない。
牢屋の中で、ぼんやりと。けれど、確かな想いを紡ぐ。
「最悪、この世界は滅びるかもしれないっすけどね」
さすが《ラ・モール》一番の常識人。
六章において絶望しながらも、唯一希望を与えられた存在です。
希望を与えた本人は鬱ってるがなぁ!