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第一話 失ったもの




 サーシャの肉体は、心臓ミコトによって大幅に強化されていた。

 体力や筋力はもちろん、治癒能力はあらゆる怪我を治し、後遺症は皆無。

 一週間も眠っていた翌日だが、サーシャは完全に復帰した。


 現在、サーシャたちが泊めてもらっているのは、王都にあるシュヴァリエット家の別宅だ。

 もっとも、家主のマルセラやリッターは忙しいらしく、ここ何日も屋敷には帰ってきていない。


 当然、サーシャの状態は、仲間やユウマしか知らない。ユウマも、サーシャが起きる前に行方知れずとなった。

 色々あって、話す余裕がなかったというか、話せるはずがないというか。


(言えるわけないもんね……)


 フードを目深に被ったサーシャは、左手で右手を撫でた。

 そこには、グランの形見である、赤いマフラーが巻かれている。


 溜息をこぼして、サーシャは前を見据える。

 そこでは、旧城壁の瓦礫が積み上がっている。


 シェルアのムスペルヘイムによって破壊された、北区の下層と中層を隔てる城壁跡だ。


「着いたよ、ミコト」


 突如、サーシャの右手の平が、こそばゆい感触に襲われた。直後、自身の中身が大幅に減る感覚。

 右手から噴出した『それ』は、赤いマフラーを巻き込みながら、急速に形作られていく。


 黒衣を纏った人型へ。その右腕に、グランのマフラーを巻き付けて。

 そうして、ミコト・クロミヤは現れた。


 彼らは何も言わず、その場に立ち尽くす。

 瓦礫が積み上がったこの場所で、たくさんものを失った。


 ミコトの《黒死》を自身へ移動させようとしたサヴァラは、逆に存在を上書きされて消滅した。

 仲間を守ろうとしたグランは、アクィナによって引き裂かれた。

 ミコトを殺したアクィナは、『再生』したミコトによって殺された。


 サヴァラの死体が存在するはずもなく。グランとアクィナの死体は、すでに片付けられている。

 きっと、まとめて燃やされたのだろう。遺骨さえ回収できない。


 どこが現実感がない中、心臓が痛む。


 やがて彼らは、歩みを進めた。




 辿り着いたのは、半壊した屋敷だ。


 場所は下層北区。

 目の前にあるのは、ミコトが一ヶ月過ごした、仮初の家。


「行こう、ミコト」


「……あぁ」


 身体的に繋がった手を引っ張り、サーシャは屋敷へ歩む。

 無表情のミコトは、躊躇と逡巡の様子を見せながらも、サーシャに連れられるままに歩き出した。


 屋敷に来たいと言ったのはミコトだ。だが、いざ目の前にして怖気づいてしまっている。

 そんな彼を、サーシャは急かさなかった。前に立ち、ゆっくり導いていく。


 ミコトの部屋。アクィナの部屋。シェルアの部屋。バッサの部屋。

 中庭、居間、食堂。

 ミコトは屋敷の中を、じっくりと眺めて回っていた。


 ――痛い。


 サーシャは胸を抑える。

 その奥にある心臓が、不規則に脈動する。


 それはすなわち、ミコトの感情が乱れているということ。

 彼が感じていることは、サーシャにも伝わってくる。


 目の前にあるミコトは本体じゃないから、涙を流すこともできなくて。

 サーシャは泣きそうになる。それを見たミコトは、すぐに感情を抑えてしまう。


 サーシャは、ミコトの代わりに泣いてあげることすら、できないのだ。




 屋敷の中を見て回って、最後に残ったのは、地下だけとなった。

 ミコトも存在を知らなかった。この屋敷の中での、たった一つの不明瞭。


「手掛かりがあるとすれば、ここだ」


 そう。

 元々、この屋敷にやってきたのは、そのためだった。


 警戒もせず、地下へと踏み込んでいく。

 すでにミコトの生命探知で、誰もいないことは把握済みだ。


 階段を下りると通路が続いている。

 扉を一つ一つ開け、中を確かめ、先に進む。


 ある部屋では、魔王教に関する資料を見つけた。

 ある部屋では、バッサの本体の亡骸を見つけた。


 そして。


『ミコトお兄さんへ』


 その部屋では、シェルアの置手紙を見つけた。


『お兄さんがこの手紙を見ている頃には、ボクはユミルの体を乗っ取って、王都から出ているだろうと思う。たぶん、エインルードが面倒になるからね。まぁ、ちょちょいと撒いてくるよ』


 じっくりと読む、ミコトの表情は揺れ動かず、冷たいまま。

 少し、心臓が疼いた。


『追伸。そろそろ時期だし、今度会ったら、とある真実を教えてあげる。それが魔女様の望みみたいだから、さ』


 くしゃくしゃに折り曲げて、放り捨てた。

 手紙の残骸は部屋の隅にぶつかって、動きを止める。


「もう、ここには何もない」


 もう行こう、とミコトは言う。

 サーシャは小さく頷いて、目につく資料を回収して、屋敷を出た。




 帰りには、下層北区の貧民街に立ち寄った。

 巨大な銀の狼、《ラ・モール》のサンが暴れ回ったこの場所では、多くの人々が殺された。


 惨劇から一週間が過ぎ、王都は復興に向かっている。が、旧城壁付近はともかく、下層北区は後回しにされている。

 そのため、未だ死体も片付け終わっていない。


 騎士の死体は優先的に回収されているのか。それとも、貧民によって死体漁りされているのか。

 騎士らしい装いの死体は見当たらなかった。


 飛び散った鮮血は、辺りを乱雑に赤黒く染めている。

 そんな路地を、ミコトとサーシャは歩いた。


 そのうち、一軒の家屋……否、家屋だった瓦礫に辿り着く。

 それは、サーシャたちが居候させてもらっていた家で――。


 近くに、三つの死体が転がっていた。


 サンに踏み付けられて、体の中身を飛び散らして、潰れた死体が二つ。

 判別しにくいが、それらは確かに、チアとテュアーテであった。


 咽喉を切り裂かれた死体が一つ。

 灰色の髪の少年の、光を宿さない黄色い瞳は、見開かれたまま閉じることがない。


 テッド・エイド・ムレイ。

 エインルードからともに旅をし、ともに戦った仲間である彼は、ミコトによって殺された。


 冬とは言え、死体が何日も持つはずがない。

 三人は腐りかけ、醜くなる寸前だ。


 ――痛い。


 心臓が疼き、サーシャはその場で蹲りそうになる。

 ミコトの悲痛だけではない。サーシャ自身の感情で、この場に泣き崩れそうになる。


 仲間の死体を一つ見て、連鎖的に思い出してしまう。忘れていた現実感が、襲い掛かってくる。

 テッドの死。グランの死。そして父、サヴァラの死。


 そのすべてが、ミコトを救うと選択した、自分が招いたものなのだから。


「ぁ……」


 背後から、戸惑いの声が聞こえた。

 振り向くとそこには、


「ラカ……」


 心臓の痛みが激増する。

 サーシャはその場で崩れ落ちた。


「かっ……はぐ、ぅ……!」


「お、おい、大丈夫かよサーシャ!」


 駆け寄るラカに、サーシャは返事することすらできない。

 息ができない。胸が苦しい。ミコトの悲痛が、サーシャを縛る。


 ミコトも、抑えようとはしてくれているのだろう。

 痛みは緩やかに引いていき、サーシャも息ができるようになる。


「だ、大丈夫、だよ……」


 大きく息を吐き出して、サーシャは呼吸を整える。

 ラカの心配そうな眼差しは、次いでミコトに向けられた。

 複雑そうな表情は、すぐに仏頂面に変わる。


「しっかりしろよミコト。今、サーシャの命を繋いでんのはテメーなんだろうが」


「……あぁ、悪い」


 無表情のミコトに、ラカは諦めたように溜息をこぼした。

 テッドの死体のそばで、膝を立てる。


 しばし、沈黙があった。

 やがて彼女は、独り言のように口を開く。


「すぐに来れなくて、悪かったな」


 否。彼女はテッドたちに語り掛けていた。


「ちょいと寝坊助がいてよ。起きるのを待ってたんだ。……あぁ、別に責めてるわけじゃねーから」


 気まずくなるサーシャに、ラカは慌ててフォローする。

 ラカだって、他人を気遣う余裕なんてないだろうに。


 ラカはテッドに向き直る。が、何を話せばいいのかわからないような、複雑な表情を浮かべて。

 やがてラカは、様々な思いを一言に込めて、放った。


「すまねーな」


 そこに、どんな想いを込められていたのか、サーシャにはわからなかった。


「ここから少し先に行ったところの広場で、死体を一斉に焼却するんだとよ。このままここに放置して、腐らせるわけにもいかねーだろ」


 ラカはテッドを背負う。

 遅れてラカの意図に気付いたサーシャ。それより早くミコトが動き出すが、


「やめろ」


「――――」


 ラカの拒絶に、ミコトの動きが停止する。


「テメーら、病み上がりだろ? それに、手を繋いでちゃ背負いにくい。こいつらは、オレが運ぶ」


 その言葉には、別に意図があったのかもしれない。

 サーシャにはわからない。そしてラカ自身でさえ、わかっていないのかもしれない。

 少なくともミコトは、お前がテッドたちに触れるなと、言われた気がしたのだろう。


 サーシャは胸を抑えた。

 今もまだ、心臓の痛みは続いている。




 広場の中央では、巨大な炎が上がっていた。

 そこでは、数十の死体が積み上げられ、油を掛けられ、燃やされている。


 テッドの死体が燃えていく。

 ラカが往復して、テュアーテとチアが運ばれて、ともに燃える。

 それを、サーシャとミコトはずっと見守った。


 ラカは一筋の涙を流した。


 燃え盛る炎が消えるまで、三人はいつまでも炎を眺めていた。

 日が暮れるまで、ずっと。


 テッドたちの遺骨は他人のものと混ざって、どれが誰のものなのか、わからなくなった。




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