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第四三話 暴走

 そのとき。

 上層東区の、王城前では――――。


 その戦場では、三人が戦っていた。


《公平狂》ドラシヴァ。

 狂った思想を持った、鱗族の男だ。


 ラ・モールのルシャ。

 ドラシヴァを目の敵にする、羽族の男だ。


 そして、王族を守護する近衛騎士、リッター・シュヴァリエット。

 彼はドラシヴァを討つため、ここに来た。


「死ねッ、死ねェェェエエッ!!」


 ルシャが、端正な顔立ちを殺意に歪んる。

 空から降り注ぐ風の刃。が、ドラシヴァには効かない。


 なぜなら、そもそもの質量が違う。

 もうドラシヴァは、ヒトとしての原型を留めていなかった。


「ガァァッァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!」


 深緑の鱗に、コウモリのような翼。

 縦に割れた赤い瞳は、魔族の証左だ。


 全長は三〇メートルはある。

 その、巨大なドラコンこそ、現在のドラシヴァの姿だった。


 硬い鱗に、初級程度の魔術は弾かれた。


 獣のような咆哮は、大気を震わせる。

 それは風の流れを乱し、ルシャの飛行を乱す。


 巨大な咢が、容易くルシャを飲み込んだ。

 咀嚼する。肉が潰れる気持ち悪い音、絶叫と悲鳴が響く。


 ルシャは戦場からリタイアした。

 だがそれは、リッターの不利にはならない。


 ルシャに協調性はなく、リッターとともに戦おうとはしなかった。

 そんな邪魔者がいなくなったからこそ、こちらも暴れられるというものだ。


「フ――ッ!」


 リッターは駆けた。


 巨大な足による蹴りが放たれた。

 それを避けて、膝に乗る。


 鱗があるから、足を引っ掛けるのは楽だ。

 鱗を足場として、ドラシヴァの体を駆け登る。


 目指すは顎の下。

 そこ鱗はない。攻撃が通るのはそこしかない。


「邪魔臭いィ!」


 体をドラゴンと変えても、まだ人語を話せるらしい。

 ドラシヴァはコウモリのような翼を羽ばたかせた。


 薄い翼、しかしドラシヴァの巨体は宙へと上がる。

 何か、魔力の力が働いているのかもしれない。


 ドラシヴァは王都の真上を旋回した。

 風圧に、リッターは吹き飛ばされないよう、鱗にしがみ付くことしかできない。


「ほォら、地面だぞぉ?」


 高度が下がる。

 次第に、建物のある高さまで下がった。


 ドラシヴァは飛行したまま、体を建物に擦り付けようとする。リッターも巻き込んで。


「く、ぁ――っ!?」


 直前、リッターは跳び下りた。

 馬が走る速度は容易く超えたまま、上空から墜落する。それは落馬のレベルではない、致命的な危機だ。


 幸運だったのは、落ちるまでの間に、態勢を整える暇があったことか。

 最初に足を付ける。すぐさま膝を折り、尻を付け、背中を付け、首を丸めて、転がっていく。


 全身を使って衝撃を殺そうとした。

 魔力を全開に、体への衝撃を抑える。


 しかし、回転が止まった頃には、リッターの体はズタボロだった。

 四肢の骨は折れ、動けそうにない。激痛に、今にも気絶しそうだ。


「貴様は惜しいところまで来たよ。素晴らしい実力だ。才能だ。腕前だ。――だから、劣等にしよう。等しく、劣らせよう」


 ドラシヴァが咢を開く。

 鋭い牙が生えた、真っ赤な口だ。


「どこを剥ぎ取るのがイイか……。そうだなぁ、うん、そうだ。――芋虫にしよう」


 ドラシヴァの足が動いた。

 足の爪が、リッターの足に圧し掛かる。次第に力が加わっていく。


「さようなら、優れた人――」


 そして、



 ――ドラシヴァの上半身が、抉り取られた。



「……は?」


 霞む意識の中、リッターは見た。

 ドラシヴァの下半身から鮮血の噴水が噴き出る中、それはいた。


 赤く、黒い、人型の化け物。

 肌はなく、浮き彫りの血管が脈動している。


 全身に目があり、口があるそれは、もはや生物として認められないほど醜悪だ。


 赤い瞳が、殺意に輝く。

 赤い涙を流して、咆哮する。


 狂ったように、嗤っている。


 それを最後に、リッターは意識を落とした。




 下層南区。

 そこでは、大量のハエ――ブルゼが暴食を繰り返していた。


 人々は逃げ惑い、騎士たちも応戦する。

 しかし、圧倒的な数を前に、まったく歯が立たなかった。


 もう駄目だと、その場の誰もが思った。

 雨を避けられるか? 傘があっても、まったく濡れずにいられるのか?

 これは、そういう次元の戦いだった。


 だが。

 あらゆるモノを吹き飛ばす、暴風が吹き荒れたなら?

 豪雨も、雨雲も、全てを消し飛ばす理不尽な存在があったら?


 それは天災であると同時に、救いとなるのだ。


「ケキ――」


 肌を剥がすような嗤いが、辺りに響いた。

 その、次の瞬間、それは現れた。


 黒い泥。

 漆黒の闇。

『死』そのもの。


『黒死』が、ハエを飲み込む。

 それは生命だけでなく、存在そのものを殺し尽していく。


 個のしてのハエではなく。

 群のしての魔獣を。


 直後、


 すべてのブルゼが、灰と化す。


 瞬きの間もなく、たったの一瞬で、呆気なく。


「ケキッ、砉けきゃか、ぐひゃははははっははっははははっはははははははははっはっははああああああ!!」


 空に、それは浮かんでいた。


 肌が剥かれたような赤い姿に、赤い瞳の化け物だ。

 全身の口が、狂笑を作る。全身にある血色の眼が、ぎょろりと世界を睥睨した。


「死ねっ、死ねェェェエエ! 全部、何もかも、死ね、死ね死ね死ね死ね死ねッ、死ねェェェェエエエエエエエエエエエエエエエ――――ッ!!」


 呪詛は、悪夢となって人々の頭に焼き付く。

 実際に、ブルゼに食い殺されそうになっていたとき以上の、死の気配。


 それは殺気と呼ばれるもの。

 殺意を乗せた魔力が、王都中に振り撒かれている。


 至近で浴びた、魔力資質の低い者は、睨まれただけで死んだ。

 嗤い声を聞いて気絶する者もいた。




 たった一瞬の内に、王都を移動し、ドラシヴァを食い殺し、ブルゼを殲滅する、その力。


 死賜の怪物。

《黒死》の使徒。


 それこそが今の、ミコト・クロミヤだった。



     ◆



 咆哮を上げ、ミコトは飛び立った。

 引き留める間もなく、彼は消えてしまった。


 中層北区の旧城壁付近に、大きく罅割れた地面がある。

 それはミコトが飛び立つ瞬間、足蹴にした場所だった。


 衝撃に建物は半壊し、草木は死の気配によって枯れた。

 魔力資質がそう高くないレイラは、至近で殺意の塊を叩き付けられ、顔を青白くして気絶した。


 ミコトが存在するだけで、そんな有様になった。

 もう彼は、自分を抑えない。抑えようとしないし、抑えられない。


「あ……ぁっぁぁぁぁぁああああああああああああああああ……!!」


 サーシャは膝を付いて、絶叫を上げた。


 こうしないために、戦ったのに。

 自分の選択で仲間たちを巻き込んで。そして、死なせてしまったのに。


 結局、こうなってしまった。


「なんで……っ、なんで……!」


 傷付いてほしくなかった。

 だけどミコトは傷付いた。


 体よりも、心が。

 彼は、失った仲間に泣き、殺すことを嗤っていた。


 感情が滅茶苦茶で、支離滅裂で。

 サーシャは気付いてしまった。


 ミコト・クロミヤは、致命的に壊れてしまったのだと。


 もう、大好きだったあの人は、帰ってこないのだと。



「予定調和、といったところかな」



 声が、響いた。

 こちらに歩み寄る、少女の姿があった。


 純白の髪と、白い服、白い肌。

 ネックレスに付いた邪晶石と、赤い瞳を除けば、全てが白く彩られた人物。


《虚心》の使徒――シェルア・スピルス。


「本領……とは言えないかもしれないけれども。心のある《黒死》は、ほかの使徒とも格が違うよねぇ。ボクも瞬殺されそう」


 壊滅したこの場には似合わない、お気楽そうな口調だ。

 声は、途切れることなく紡がれる。


「でも、ミコトお兄さんにも、多少の慈悲が残っていたみたいだ。運がよかった、間に合ってよかった」


 シェルアが歩み寄ったのは、傷付くことなく息を引き取った、アクィナの元だ。

 アクィナの額に手を触れる。淡く発光し、やがて消えた。


「ようこそ、ボクの『世界』へ。歓迎するよ、アクィナ」


 さて、とシェルアが吐息を漏らした。

 そして、サーシャのほうを見つめて、――嘲笑を浮かべる。


「あはっ、あはははっははははははははははは! 無様だねぇ《操魔》ァ! 泣いているのかい? 怒っているのかい? いやはや怖いねぇ……いひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」


 あぁ……。サーシャは吐息を漏らす。

 少しだけ、シェルアには感謝しよう。錯乱した感情が、今、ようやく定まった。


 今、必要なのは、苛立ちと憎しみと怒り。

 向けられるべきなのは、たった二人しか生存していない。


 サーシャ自身と。


 今、目の前にいる、シェルア・スピルスという女が――!


「……ぉ、す」


「えぇー? なんてーぇ? 聞ーこーえーな-ぁい!」


 絶対に。

 何がなんでも。

 目の前の女だけは。


 許さない。



「――殺してやるッ!!」



《操魔》サーシャ・セレナイトと、《虚心》シェルア・スピルス。

 二つの存在が、激突する。




 シェルア・スピルスは、嘲笑を浮かべていた。

 間違いなくサーシャに勝てるという、確信があったからだ。


 彼女に、使徒であるという自負はない。が、己の強さには自信がある。

 使徒の中でも、直接の戦闘力は低いだろう。それでも、《操魔》に負けるとは思わない。


 半年前、シェルアがバーバラとして活動していた頃、サーシャとは戦っている。

 そのときの経験が、記憶が、確信を生んでいた。


 だからシェルアは、咆哮を上げながら迫りくるサーシャを、嘲笑っていた。

 魔術戦を不利と判断したのか。だが、それは下策だ。


 魔術さえあれば、シェルアにも近接戦ができるのだから。

 そう判断して、術式を練る。魔力を精製しようとする。


 ――その、直前だった。


 シェルアは、サーシャの目を見た。

 必ず勝つという、強い感情を宿した目を。


 そして読み取った、彼女の策を。


「……っ!?」


「乱せぇぇぇぇええええええ!」


 辺りの魔力が――乱れ狂う。

 オドもマナも瘴気も関係なく、全てが。


 それは、制御を放棄した暴走だった。

 だからこそ、少量だけ精製した魔力だろうが、全てを掻っ攫われる。


《操魔》の暴走か。いや、違う。

 サーシャ・セレナイトは、狙ってこの状況を作り出した。


「あなたの魔力制御が下手くそなことは、もう知っている」


 過剰な『操魔』の行使に、額に脂汗を滲ませながらも、サーシャは告げる。


「さぁ。もう魔力は使えないよ」


 サーシャも、シェルアも、どちらも。

 そんな状況を、狙って作り出したサーシャは、拳を構えて走り出す。


「舐めているんじゃないかなぁ、《操魔》ぁ……。このボクが、魔術が使えないから、なんだってぇぇぇぇ!?」


「黙れ運動音痴ぃぃぃ!」


「ぶへぇっ!」


 サーシャの拳が、シェルアの頬に突き刺さった。


 シェルアの、半歩遅れて突き出した拳は届かない。

 拳は空を切り、シェルアは殴り飛ばされた。




『わたしにひとつ、考えがあるんだけど――』


 もう何日も前のことになる。

 王都に来て、最初に魔王教と激突した、その後のこと。


 サーシャは仲間たちに、自分の作戦を話していた。

 それは、シェルア・スピルスを撃退する方法。


 シェルアは、おそらく『憑依』と思われる能力によって、体を変えている。

 以前はバーバラという老女。今は、名も知れぬ少女のものに。


 最悪の能力だ。体を殺しても意味がないのだから。

 ミコトの不死性と同等に、厄介なもの。


 だが、そうして体を取っ替え引っ替えしているからこそだろう。

 シェルアの魔力制御能力は、ひどく雑なものであった。バーバラのときと比べても、顕著に下手くそになっている。


 自分の体ではないから。馴染んでいないから。

 だから、魔術は術式演算頼みになる。


 魔力制御頼りのミコトとは正反対だ。

 それはともかく、ここで大事なのは、シェルアの魔力制御が下手くそだということ。


 手を触れずとも、ある程度他者のオドに干渉できるようになった、今の『操魔』なら。

 自身の魔術を犠牲にし、魔力に関するあらゆるリソースを『操魔』に注げば。


 ――その空間で、シェルアは魔術を使えない。


『でも、アンタが体術で勝てると思えないわ』


 心配そうな姉に、サーシャは大丈夫だと頷いた。


『わたしにはわかる。――シェルア・スピルスは、体を動かし慣れていない』




 体を動かし慣れていない――そのことがここに来て、運動音痴として現れた。


『操魔』による魔術の完全阻害は、短時間とはいえルキとの戦いで実証している。

 シェルア・スピルスは魔力制御が稚拙な上に、ドが付くほど運動神経がない。なら、できないはずがなかった。


 体力、足の速さや腕力は並み以下で。

 そんなサーシャにすら劣る、すべての身体スペックが底辺の、貧弱もやし女。

 それが、魔術という得意分野を剥ぎ取られた、シェルア・スピルスの本性だ。


「ふんっ!」


「か、ぁ……っ!?」


 サーシャのビンタが、乾いた音を響かせ、


「やぁぁあああ!」


「こ、の……!」


 サーシャの爪が、シェルアの首を掻き毟ろうとする。

 爪が肌に食い込んだまま、思いっきり振り下ろす。撒き散らされる血が、サーシャとシェルアの顔を赤く染める。


「あなた、だけはぁ!」


「調子に、乗るなァ!」


 馬乗りになったサーシャは、叫びを上げて両手を振り下ろす。

 しかし、両手を空けたために、防御が疎かになる。サーシャの腹部に、シェルアの拳が突き刺さる。


 怯んだサーシャを転がし、今度はシェルアがマウントを取った。

 シェルアが拳を振り下ろす。掴み取ったサーシャは、マウントを取り返そうとする。


 瓦礫だらけのフィールドで、お互いに背中をぶつけ合いながら、彼女たちは転がる。


『操魔』と魔術を頼りにしてきたサーシャも。

《虚心》の力と魔術を頼りに、四〇〇年生きながらえてきたシェルアも。

 肉体だけの戦いは、初めてだった。


 経験はなく、技術もなく、頼れるのは自分の肉体だけ。

 泥臭い、素人の戦いだ。


 シェルアは怒号した。


「この泥棒猫がぁぁぁぁあ!」


 サーシャも怒号した。


「お前が――言うなぁぁあああああああああああああ!」


 ついに、サーシャがマウントを取った。


「くそっ、食らえ!」


 この泥臭く醜い戦いに、正々堂々などというものはない。

 シェルアは嗚咽を堪えながら、サーシャの顔面目掛けて、砂を投げ付けた。


 目に入ったのか、サーシャは馬乗りになったままよろめく。

 その隙に、シェルアはサーシャを突き飛ばした。


「がふ、はぁ……、はぁ……」


「く、うぅ……っ」


 やがて両者は地面に倒れた状態になる。

 二人とも疲労困憊で、立ち上がることすら億劫だ。


 戦いは、終わりに近付こうとしていた。


 先に立ち上がった者が、勝利を掴める。





すごく書きたかった、キャットファイト……。

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