第四〇話 サヴァラ・セレナイトという父親
――サヴァラ・セレナイトの半生。
それは、初恋の人のために足掻き続けた道のりだった。
その先に待っているのが、絶望であると知りながら。
初恋をしたのは、サヴァラがずっと昔の、幼き頃だった。
狭い封魔の里の中で、同年代の者は、一緒に育てられるようにして過ごす。
だから彼女と会うのは、生まれてからそう先のことではなかった。
――ナターシャ・セレナイト。
美しい銀の髪に青い瞳。
穏やかな微笑みは、見ているだけで、こちらも安らぐようだった。
封魔の里の、村長の娘。
彼女は、『赤い瞳』の母親に連れられて、広場にやってきた。
それが、最初の出会いだった。
――人生の分かれ道は、約一〇年後にやってきた。
サヴァラは一三歳になっていた。
彼は今日も、日課の修行を行っている。
ナターシャに見守られる中、木刀で素振りし、魔術を鍛える。
たまに大人たちに稽古してもらいながら。怪我をしたときは、ナターシャの治癒魔術の実験台になったりもした。
修行をするのは好きではないが、苦でもなかった。
里に娯楽が少ないことも理由にあったのだろう。
才能もあったのか、もうこの頃には、戦闘経験者とも渡り合えるようになっていた。
今日も、同じように修行をしていた。
だが、そんな日常も、終わるときがきた。
――ナターシャの母が亡くなった、という報せが、耳に入った。
気付けば、サヴァラは駆け出していた。
坂道を駆け上がり、村長宅に向けて、一直線に。
セレナイト家の前には、たくさんの大人たちが集まろうとしていた。
だが、中には入れてもらえないらしく、立ち往生している。
どういう事情があって、中に入れないのかは知らないし、どうでもよかった。
元来、彼は規則より感情を優先する人間である。
サヴァラは、セレナイト家の裏にある木に向かう。
落ち葉で隠されているが、そこには秘密の抜け口があるのだ。
サヴァラは落ち葉をどかし、隠し扉を開ける。
中は狭い通路で、ただの緊急用であることがわかる。
そんな通路を進むと、セレナイト家の屋内にある書庫に辿り着く。
物音から、ナターシャは寝室にいるはずだ。
と、進もうとするサヴァラの足が、書物を踏みつけてしまった。
不味いと冷や汗を掻きながら、書物の無事を確認する。
「《操魔》イヴ……?」
――そして、彼は知ってしまった。
「神聖歴五九〇年、エインルードは当時の《虚心》の使徒と強力することで、『ライヴ・テイカー』を生み出すことに成功する。しかし、イヴを殺すには至らず」
読み進めてしまう。
「そのため『ライヴ・テイカー』を、初期の運用方法から変更。《操魔》の資質保有者に、イヴを封印することを決定」
そこには、誰も教えてくれなかったことが、記されている。
「ウラナ大森林の奥に里を作り、《操魔》の家系、セレナイトを縛る。いつか、イヴを殺害する手段が見つかる、そのときまで――――」
封魔の里の、真実。
サヴァラは、狭い屋内を駆けた。
嫌な予感があった。そしてその予感は、現実のものとなる。
扉を開け、寝室に跳び込む。
そこに広がっていた光景、それは、
――口周りをべったりと赤く濡らした、ナターシャの姿。
そんな彼女の目の前に、仰向けに倒れている女性が――ナターシャの母がいる。
胸が、赤く染められていた。ぽっかりと、空洞ができあがってしまっている。
寝室内にいるほかの人物は、ナターシャの父親のほかにもう一人、見知らぬ人物がいる。
金髪と青い瞳を持った、二〇代ほどの青年だ。
「サヴァラくん、どうしてここに!?」
第一声に、ナターシャの父が怒鳴った。
が、怒声より反応が大きかったのは、ナターシャのほうだ。
ぼろぼろと涙を流して、えずく。
「サヴァラ……。わた、わたし……っ。おかあさんを……!」
使徒、並びに《操魔》の継承――それは、先代の生きた心臓を喰らうことで成し遂げられる。
つまりこの状況は、ナターシャが……この先は、考えたくなかった。
ナターシャの涙腺は決壊し、サヴァラの胸元に跳び付いてくる。
抱き締めたサヴァラは、見知らぬ男を睨み付けた。
「テメェ……誰だ」
その男は、一人の女性の死を前にして、動揺ひとつしていない。
里の者たちが入れられない中、親密な関係にない余所者が、この場にいること。
サヴァラの勘は、的中した。
「愚生の名はヴィストーク・グロウス・エインルード」
「……っ!?」
エインルード。その家名を、先ほどの書物で見た。
実質的な、封魔の里の支配者である。
ヴィストークは名乗ったあと、興味を失くしたようにサヴァラから目を逸らした。
「《操魔》の継承を確認した。愚生は領に戻るとしよう」
言うと、ヴィストークは家を出て行った。その背中を、サヴァラは睨み続ける。
胸の中では、ナターシャが泣き続けていた。
あの書物の通りなら、ナターシャもいつか、心臓を喰わせることになる。
もしイヴを殺すできる手段ができたら、ナターシャごと殺害されるだろう。
ナターシャに、未来はない。
だが、それでも、
「ナターシャ。俺は、お前が好きだよ」
困惑するように、ナターシャが見上げる。
サヴァラは微笑んで、彼女の口元に付いた血を拭いながら、告げる。
「だから、絶対に守るから」
しばらくして、後を追うように、ナターシャの父親も死んだ。
親を失う悲しみは、物心付く前に両親が他界していたサヴァラにはわからなかったが、同郷の者として同じく泣いた。
ナターシャは、一人切りになってしまった。
そんな彼女を見ていられず、一緒に住むようになって、気付けばいつの間にか、男女の関係になっていた。
サヴァラの家名はセレナイトになる。
こうして、サヴァラ・セレナイトが誕生した。
ナターシャの気持ちも落ち着いてきた頃、サヴァラは封魔の里を何度か出るようになった。
《操魔》やエインルードの調査のためだ。腕に自信があったので、傭兵にでもなって出稼ぎする気もあった。
ナターシャのことは心配だが、近所の人たちが面倒を見てくれるので、後ろ髪引かれながらも出立した。
そうして知ったのは、《操魔》を取り巻く現状だ。
勢力は二つ。
一つは言わずもがな、《地天》の末裔たち、エインルード。
問題はもう一つ。魔王教、と呼ばれる組織の存在だった。
数十に渡る遠征で、サヴァラは専ら、魔王教を相手にすることなった。
魔王教徒たちを倒して、尋問し、殺し。
調査した情報を、魔王教の勢力を減らすために、騎士団にリークしたこともあった。
そうしている内、《シロオニ》という通り名で呼ばれることも多くなっていった。
もっともその活動は、二〇を過ぎると激減することになるのだが。
別に不都合があったわけではなく――そう、むしろ喜ばしいことに。
サヴァラが捨て子を拾うのと同じ日、子供が生まれる。
拾った子を、レイラ。
生まれた子を、サーシャと名付けた。
ナターシャのために生きた。
全身全霊を、そのために注いでいた。
世界なんてどうでもよかった。
ナターシャを守れさえすれば、そのそばに一緒にいられれば、それでいい。
そう、本気で思っていた。
それが、いつからだろう、変わってしまったのは。
いつの間にか、というように。
――サヴァラは、子供を見殺しにできなかった。
轟々と炎が燃える。
封魔の里が焼け落ちていく。
魔王教が攻めてきたのだ。
サヴァラのそばには、気を失ったレイラと、死にかけのサーシャと、死相を浮かべるナターシャがいる。
サヴァラの手には、心臓が握られている。
イヴが宿る、愛する女性の核が。
この日、《操魔》は継承された。
レイラとサーシャを逃がして、サヴァラは殿を徹して、戦い続けた。
戦っている間は、自分が妻を殺したという事実から、目を逸らしていられたからだ。
そして、運悪くというべきか。サヴァラは生き残ってしまった。
勝手に死ぬことは許されない。
妻を殺した己の罪は、残りの人生すべてを消費して、償わなければならない。
それからサヴァラは、子供たちを探す日々を送る。
結局、再会には三年も掛かってしまった。
《黒死》の使徒がいる。
そのことを知って、愕然とした。
千年前の資料を調査したことのあるサヴァラは、到底、魔女の選んだ人間は信用できない。
サーシャやレイラは、ミコト・クロミヤという存在のことを信頼しているらしい。
ミコト・クロミヤも、悪意あって動いているわけではないのかもしれない。
それでも。
ほんの少しのリスクも軽減しなければならない。
サーシャとレイラだけは、絶対に守り抜くのだ。
《黒死》が魔王教に囚われているという現状は、最悪のものだ。
もし、敵に回れば――勝ち目はない。
だから、《黒死》は対処しなければならない。だが殺せない。
そして、《黒死》の力は最強で、できれば味方に引き入れたい。
その二つを満たす、醜悪な方法を、サヴァラは知っている。
幸い、その資質が、彼にはあった。
◆
「魔女が選んだ使徒――テメェは、危険だ」
フリージスと《千空》使徒が争っている隙を突き、ミコトの背後に接近し、貫手を放つ。
胸を正確に抉り、その奥にある核を抜き出す。
サーシャとレイラが、信じられないものを見るかのように、目を見開いていた。
すまない。言葉にせず、サヴァラは目を伏せる。
それでも、立ち止まるわけにはいかないのだ。
自身に命属性の資質があると気づいたのは、ほとんど直感のようなものだ。
自分にも適合すると、確信してしまったのだ。
そしてサヴァラは、ミコト・クロミヤの心臓を喰らった。
血生臭い食感。
確かに《黒死》の心臓は、サヴァラの中に納められた。
心臓を失ったミコト・クロミヤが、力を失う。
体勢が崩れる。瓦礫の山を転がり落ちて行って、娘たちのところで止まる。
身動きひとつしない、ミコト・クロミヤ。
心臓を喰われ、使徒でなくなった彼に、生き返る力はない。
あぁ、自分はまた、子供たちの大切なモノを奪ってしまったのか。
――その直後。
サヴァラの中で、漆黒の『力』が荒れ狂う。
それは《黒死》が、サヴァラの中に流れ込む感覚だった。
気持ちの悪い全能感だった。
正気を削られる喪失感だった。
狂気による、存在の支配だった。
こんなものを、ミコト・クロミヤという少年は、今まで抑え込んでいたのか。
彼は、生まれた瞬間から《黒死》に侵されていたのだ。
まともな精神じゃない。心のどこかが間違いなく欠けている。そうでなければ死んでしまう。
この狂気と、これから死ぬまでずっと、サヴァラは向き合っていかなければならないのだ。
だが、やり遂げてみせる。
絶対に、イヴを――――。
「な……ん、だ?」
なぜ、イヴについて考えてしまった。
大切なのは子供たち。そのはずだ。
おかしイ。
思考が侵さレていク。
頭痛
「ぐっ――――ァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
中身が変質していく。
外身も変形していく。
命が侵食されていく。
心に侵入されていく。
魂が――『変異』していく。
ぼきぼきと、肉体が作り変えられる。
顔が目が耳が口が髪が頭が手が指が腕が足が太ももが肘が爪が内臓が脳が骨が血が記憶が心が命が魂が存在が。
サヴァラという存在に、急速に上書きされていく、他人の全て。
そして、彼は知る。
――ミコト・クロミヤは、まだ死んでいない。
激痛は、喪失が進んでいくほどに、薄くなっていく。
意識が薄れていく。それは、サヴァラという存在そのものの消失だ。
もはや、子供たちの姿を見ることさえ叶わない。
声さえ聞こえない。
代わりに、ミコト・クロミヤが、その姿を見る。
ミコト・クロミヤが、声を聞く。
まるで、《黒死》の使徒で在れるのはミコト・クロミヤだけだ、とでも言うように。
サヴァラそのものが、軽く握り潰されていく。
そこは、暗い、黒い、世界だった。
そこにぽつんと、サヴァラの意識は浮かんでいる。
もはや体さえ保つことはできなくなった。
そんな彼の目の前に、白髪混じりの黒髪を持った、赤い瞳の女性がいる。
「……足りない……テメェは……死ね……」
黒い靄が、サヴァラを包み込む。
それは、絶対的な死。
触れたモノすべてを殺し尽す、『黒死』の力。
あぁ、と思う。
こんな力、少し命属性の資質があった程度で、扱えるはずがなかったのだ。
最期、この体を受け渡すその瞬間、彼は願う。
――どうか、子供たちを――――
そして、サヴァラ・セレナイトは消えた。
その消失は、死と同義である。