第三九話 頭痛
「やっと、出会えた」
そうして出た安堵には、万感の想いが込められていた。
嬉しいも、悲しいも。正も負も一緒にして。
サーシャ・セレナイトは、倒れ伏しているミコトに近付き、手を差し出す。
だが、ミコトがその手を掴み取ることはなかった。
パシン、という乾いた音が響く。
サーシャの手を叩き、ミコトはサーシャを睨み付ける。
「どういう、つもりだ……! なんの真似だ、それは!?」
「なにって、」
「敵っ、なんだろうが!!」
歯を食いしばって、ミコトは立ち上がる。
その姿を、サーシャは知っていた。
大切なもののために戦う。
そのためなら、自分のことをどこまでも犠牲にしてしまう。
左腕を失っても、致命傷を負っても戦う、その姿を。
「それは違う!」
何もかも忘れた自分を前にした、レイラもこんな気持ちだったのだろうかと、心の隅で思った。
伝えたい言葉が伝わらない。
「アクィナを傷付けておいて、よくもまぁ、まだそう言える!」
「ミコトは、シェルア・スピルスに騙されている!」
「アイツは俺の妹だ!」
知っているのだ。
ミコトは何よりも、身近な人を優先する。たとえその人が悪人だろうと、肯定してしまう。
そんな盲目さを、彼は持っていた。
だから彼は、シェルア・スピルスを信じている。
そんな状況さえ、シェルアが仕組んだこととも知らないで。
「知ってんだぞ、俺は」
彼の口振りは、確信を持った響きだった。
そして続けられた言葉に、サーシャは絶句することになる。
「――テメェら、俺を殺す算段を付けてるんだってな!」
「な、ん……」
ミコトが言うことに、心当たりがあった。
サーシャがいない間に行われていたらしい、話し合いの内容。それを、ミコトは聞いていたのか。
「誰も殺させやしねえよ。アクィナも、シェルアも、ユミルもバッサんも、みんな。俺も、無駄死にだけはしない」
擦れ違いが、ミコトとサーシャの距離を生んでいる。
ミコトに、サーシャと分かり合おうとする意志は欠片もない。
だからミコトは、その決意が間違っていることに気付かない。
「テメェがなんで、俺を騙そうとしてるかは知らねえ。けど、残念だったな。――俺は一人、殺したぞ」
「ぁ……」
「《無霊の民》の男だ。首を突き刺したから、どうやっても生きられねえだろうよ!」
サーシャは、目の前が真っ暗になるような気がした。
ミコトが言っているのはおそらく、テッドのことだ。
仲間をまた、失ってしまった。
悲しい。それ以上に、ミコトを心配する。
何も憶えていない彼は、そのせいで、手を出してしまった。
もし、記憶を取り戻してしまったら……。
「ミコト!」
気付けばサーシャは、ミコトを抱きしめていた。
同時に、治癒魔術も行使する。
欠損した左腕はどうにもならなかったが、腹部の裂傷は塞がっていった。
「な、んで……」
ミコトの胸に顔を埋めるサーシャには、彼がどんな顔をしているかがわからない。
だが、なぜと問うミコトの声は、震えてた。
「なんで……敵なんだろ!? 敵だったら敵らしくしていろよ! なんなんだよお前!」
今なら、簡単に殺せるはずだ。
なのに、ミコトはそうしない。
もしかしたら、どこか心の隅で、微かに記憶が残っているかもしれない。
それが、ほんの少しだけ、救いだった。
「……つかないで」
――だけど、何もかも、手放さなきゃいけない。
「もう、傷付かないで!」
「なに、言って、」
「何もかも忘れていいから! 忘れて、逃げて!」
こうする覚悟は、すで決めてきた。
「クガ・ユウマって人がいる! ミコトの友達が迎えに来てる! ミコトは、故郷に帰るべきなんだよ!!」
「こ、きょう……?」
「ニホンって、平和なところなんだよね? ミコトがそう言ったんだよ。そこならきっと、ミコトは救われる」
「知ら、ない。知らない、知らない知らない知らない!!」
「ミコトはもう、わたしと関わるべきじゃない。だってそのほうが、ミコトは幸せになれるから」
「黙れぇぇぇえええええええ――――!!」
ミコトに突き飛ばされて、サーシャは尻もちを付く。
見上げると、ミコトは頭痛を堪えるかのように、右手で頭を押さえていた。
「なんの、はなしだ。わからんねえ、わからない、知るかよぉ! 俺は、おれはっ、助けるためにぃ……!」
錯乱したミコトは、ついには膝を付いた。
「約束、して。から、針飲む。頼、ラカ、を。だ、ら、リー……ジスを。死な、い、俺は、死ん、なきゃ。救、のは、ァ……ャ」
ぶつぶつと、支離滅裂な呟きが漏れている。
壊れかけている。なんとかして落ち着けないと、本当に壊れてしまいそうで。
サーシャはミコトに近付く。――直前、
「ようやく、見つけたわよ」
レイラ・セレナイト。
誰よりも信頼している姉が、サーシャが大好きな少年に向けて、火弾を射出した。
サーシャは、火弾の射線上に割り込み、水の防壁を張った。
水は火を飲み込み、鎮火させる。
「どきなさい、サーシャ」
レイラの体は傷だらけだった。
左手は脇腹に添えて、それでも右手はミコトに向けたまま。
「どかないよ。絶対に」
できることなら、今すぐにでも駆け寄って、治癒魔術をかけたい。
だけど、お互いの決心の違いが、それを許さない。
「ミコトを故郷に帰す。そう決めた」
「そいつが戻ってくれば、最強の戦力が手に入る。元々アタシは、そこの馬鹿を帰すために、ここに来たんじゃない。取り戻すためよ」
「でもそれじゃあ、またミコトが犠牲になる!」
「敵地に来て、生きて帰るには、そいつの力が必要不可欠。わかるでしょ?」
「それでももう、ミコトに傷付いてほしくないの!!」
サーシャは感情を優先する。
レイラは理屈を優先する。
二人とも、こうなるであろうことはわかっていて、その点では通じ合っていた。
だが、その行動は、分かり合えない。
「レイラとは戦いたくない。でも、」
「どうしてもどかないっていうなら、」
「「――捻じ伏せる」」
そして、サーシャとレイラが激突した。
◆
傷付き、歩くのもつらい状況でミコトを見つけられたのは、本当に運がよかった。
そこにサーシャがいなければ、奇跡と呼んでやったくらいには。
ミコト・クロミヤを殺さなければならない。
彼は、ひどく消耗している。きっと今の自分にも、楽に殺せるはずだ。
だが目の前には、サーシャが立ち塞がっている。
感情論でぶつかる相手に、説得は通じない。だからと言って、傷付けたいとも思わない。
だから、
レイラは、ミコトとサーシャが口論している間に集め、魔法陣を刻んだ小さな瓦礫を、辺りにばらまいた。
「――『ウォーミス』」
次の瞬間、大量の霧が発生する。
霧はたちまちにして、辺りを白く染め上げた。
朧げにしか先が見えない中、レイラは足場の悪い瓦礫の上を、ゆったりと移動する。
焦る気持ちはあるが、無理に体を動かして、魔力制御を怠るわけにはいかない。
魔力制御――今の場合は、精製しているのではなく、むしろ精製を極限まで抑えている。
自然に精製される、微小の魔力も含めて、だ。
サーシャの魔力探知は恐ろしいほど正確だ。何も見えなくても、相手がどこにいるか掴めるくらいには。
だが、まったく魔力がなければ、探知はできない。
『ウォーミス』は干渉系統にしたため、魔力供給しなくともしばらくは保てる。もっとも風が吹けば流されてしまうが。
それまでに、サーシャを避けて、ミコトを殺す。
それに、裏をかきでもしなければきっと、自分はサーシャにも負けるだろう。
捻じ伏せるは言ったが――それはこの戦いの勝敗ではなく、感情論を叩き伏せるための宣告だ。
「――――」
魔術は使えない。魔力を精製するわけにはいかないから。
だからレイラは、懐からナイフを取り出す。
……直接、この手で、仲間の命を奪うのだ。
「『エアゲイル』!」
サーシャが突風魔術を使用した。
辺りの大気が移動する。それは霧を巻き込み、散らしていった。
――この瞬間を待っていた。
霧が薄くなった中、微かに黒い人影が目に映る。
それこそがミコトの後ろ姿だ。
レイラは疾駆する。
瓦礫を降るように接近し、腰に構えたナイフを突き出した。
「そ、こかぁ……!」
直前に気付いたミコトが、ナイフに応じて右手を盾にする。
鋭い刃は、薄い皮と肉の壁を突き破り、手を貫通させた。
「ぁ、ァァアアアアアアアアアアアアアッ!」
「くっ、ぅぁ……!」
ナイフを引き抜かないまま、勢い同じく突き進む。
咄嗟に構えた右腕一本。ほとんど落下するように突進した約五〇キロを、受け止められるはずがない。
貫通させたナイフの先を、首に突き刺そうとして、
「させない! ――ミコト!」
サーシャが選択したのは、発動に時間がかかる魔術ではなく、すぐに使える体当たりだった。
真横からの激突に、レイラの狙いは逸れた。
最後の抵抗に、ナイフを引き抜くのではなく、横に突き抜かせた。
ミコトの手の平半分を切断した。これで、拳は握れない。
そしてレイラは、サーシャと一緒になって、瓦礫の山を転がり落ちていく。
「サーシャ! レイラ!」
憶えていないはずなのに。
二人を案じて叫ぶ、ミコトの声が聞こえた。
咄嗟に。
本当に、思わず。
レイラはわざと、サーシャの下敷きになった。
元々ぼろぼろだった上に、転落の衝撃により、肩の骨は砕ける。
「う、ぐぅぅぅ!」
「サーシャ!?」
あぁ。
感情論を捻じ伏せると言って、最後には自分も、感情に流されてしまったか。
サーシャを傷付けられなくて、戦いの最中に庇ってしまった。
もう自分には、ミコトを殺せない。
そうしなければ、高確率で死ぬというのに、どこか心の隅で安堵している。
「もう、どうにでもなれ……」
ほとほと呆れたという調子で、レイラはぼやいた。
胃痛は、すっかりなくなっていた。
◆
頭痛
「なんで……だよ……」
亜麻色髪の少女と、銀髪の少女が、言い合いになっていた。
新たに現れた少女に見覚えはなく、声にも聞き覚えがない。
それは、録音の魔道具にない声であった。だが会話から察するに、銀髪の仲間であり、俺を殺すつもりらしかった。
……そういえば、銀髪の声も、録音されていなかった。
頭痛がした。
思い出すべきだと、心の奥底が告げている。
思い出したくないと、一ヶ月の間に培った記憶が叫んでいる。
いつの間にか、銀髪と亜麻色髪が敵対していた。
そうあってはならないと、心が悲鳴を上げていた。
「どうして……」
どうしてだ。
どうして、こんなことを想う。
「仲間なんだろ、お前ら……」
目の前の銀髪は、どうして仲間を裏切って、俺の味方をしてくれている。
わけがわからない。
「俺は、どうでもいい人間だろ……?」
たとえ、記憶を失う前の俺と、本当に仲間だったとして。
どうして、俺なんかを優先してしまう。
「いくら死んだって、構いやしない。それが当たり前だろ……そうじゃなきゃいけないのに……」
なんで、なんで、なんで。
そうやって、守られてしまったら、
「――生きていてもいいって、勘違いしちまうだろうが」
頭痛
突風が吹き、霧が晴れる。
その瞬間、動き出す命を感じ取った。
振り向けば、すぐそばに■■ラが迫っている。
咄嗟に翳した右手を、ナイフが貫通した。
貫通したまま、首を刺し殺そうと、力が込められる。
俺の怪力なら、押し返すことはできるだろう。
だが、できなかった。
殺されそうだと思ったその瞬間、確かに安堵があったのだ。
やはり、俺は死ぬべきなのだと。
価値のない人間なのだと。
命を守ることはできても、心を守ることはできないから。
俺のために涙を流す人なんかいないと思うことは、とても安心できるから。
だから、殺されそうになったとき、それでいいと肯定しようとして――、
少女の顔が見えた。
苦痛に歪んだ顔だった。
体ではなく、心の傷に、表情を歪めている。
どうしてだ。
あと一歩でその刃は、この首に届くのに。
なぜ、そんなつらそうな顔をする。
もっと、こう、違うだろ。
彼女はツッコミ担当で。
俺の冗談に、呆れたような顔を向けてきて。
ちょっと冷たいところはあるけど。
だけどけっこう、面倒見がよくて。
そして、■■■ャを守りたいという一点において、同志だった。
だから彼女は、妹を優先するべきなのに。
頭痛
「――ミコト!」
■■シャが叫ぶ。
そうして名を呼ばれる声を、何度聞いただろう。
憶えていないのに、憶えている。
名前を呼ばれ、微笑まれたことがあった。叱られたことがあった。励まされたことがあった。
救われたことが、あった。
そうして、彼女に名を呼ばれたいと思った。
つらい目に遭ってほしくないと思った。
――俺が救われた分、救いたいと想った。
なのに、この状況はなんだ。
俺は、何をしている。
二人の少女が、瓦礫の山を転がり落ちていく。
その瞬間、知らず俺は、叫んでいた。
「サーシャ! レイラ!」
知らない名前を、憶えてる。
掛け替えもなく大切なこと。
――あぁ、その名を知っている。
頭痛
頭が痛い。痛い、痛い痛い痛い痛い痛い。
ズキンと、脳神経が千切れたのではないかというくらい、激痛が走る。
それは全身に広がって、そして、心に届く寸前で止まってしまう。
思い出さなければならない。
あともう一歩で、『忘却』の呪縛から抜け出せるのに。
頭痛
「――『アヴリース』」
直後、紫紺の極光がこちらに放たれ、
「――『空孔』」
空間の孔が、極光を飲み込む。
そして、出口となる二つ目の孔から、紫紺の極光が出現する。
極光は、術者――『最強』に届く前に、魔力供給を切られて消失した。
女性の上半身――■■スが付いた左腕を、聖晶石で覆う異様の姿。
金の長髪に、青い瞳を持った青年――■リー■ス。
彼は目を細めて、空間に孔を開けた人物を睨んでいる。
癖のある茶髪に、青い瞳を持った少年だ。
その姿に見覚えがある。アクィナを傷付けた敵――いや、違う、もっと前、ずっと前から、アイツとは……。
「……ぅ、ま?」
どうしてここにいる。どうやって? どうして?
名前が出ない。
誰だ。思い出せない。知っている。わからない!
「《千空》の使徒か」
「誰だっていいだろ、使命狂いの犬っころがァ!」
そして、二人は激突した。
直線的な攻撃である極光に対して、全方向に瞬時に出現できる『転移』は、非常に相性がいいようだった。
極光に掠りもせず、■真は『最強』を翻弄する。
「気に入らないが――そいつを頼んだぞ、《操魔》」
■真はサ■シャにそう告げると、『最強』を追い払うようにして、姿を消していった。
いきなり現れて、いきなりいなくなった。
たった一瞬のことだった。だというのに、前会ったときと、なぜか印象が違う。
茶髪の少年は敵、……違う。わからない。
だけど知っている。忘れてはいけないのに。大切なことなのに。どうして俺は覚えていない。
頭痛
金髪の青年は仇、……? 誰の? どうして思い出せない。魂に焼き付けたはずなのに。
深く深く、殺意となって刻まれている。仲間だった頃の幸せな思い出を塗りたくるように、赤と黒でごちゃごちゃに汚して。
殺さなきゃいけない。殺して殺して殺して、殺して殺して殺して、
……でも、殺したくない。
わからない。わからない。わからない、わからない、わからない!
誰がどいつで俺の家族と仲間と友人に、誰だどいつもこいつもわからねぇ!
ああああああああああああああ頭が痛痛痛痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい――――。
頭痛
「――――ぁ」
ブズリ、という音が聞こえた。
胸の辺りから、何かを引き抜かれる感触がする。
大事な核が、失われたのを、実感する。
「魔女が選んだ使徒――テメェは、危険だ」
その男は、背後に立っていた。
■真と■リー■スが戦っていた、その隙を突いて。誰にも気付かれないように、その男は現れた。
くすんだ銀髪に、体中に魔法陣を刻んだ男。
その手には、引き抜かれながらも、未だ脈動するモノが握られている。
遠ざかる意識の中で、男が心臓を喰らうのを見た。
その光景を最後に、俺の意識は遠ざかっていって――。
頭痛