表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
160/187

第三八話 邂逅

「な、んだよ、クソ! なんだってんだよ、アレは!?」


 出血する腹部を、たった一本の手で押さえながら、ミコト・クロミヤは逃走する。


 背後から追ってきているのは、追跡速度という意味では『最強』よりも厄介だ。

 物理的な障害は意味を成さず、それはゆらめきながら迫ってくる。


 それは、赤い靄――瘴気のようだった。


 その瘴気の中には、三つの顔が浮かんでいる。

 女性と、男性と、子供。それらが一様に、嘲笑を浮かべて。


「『アハハハハ、逃げなさい足掻きなさい、惨めにみっともなく、ねぇ!』『そうだねリリス。もっとも、俺たちから逃げられるわけがないんだがな。そうだろ、リリム』『そうら、鬼ごっこだよ! 逃げろ逃げろー、追いかけるからーァ!』」


 魔物。

 物理的な攻撃が効かず、魔力のみで倒すしかない存在だ。


 ミコトは歯を食いしばり、魔力を精製する。

 ごっそり生命が減る感覚に、体がふらつきそうになる。


 それを耐えて、魔力弾を放つ。

 が、それはあっさりと避けられてしまった。


「く、そ……!」


 本来であればミコトは、魔物との相性が非常にいい。

 ミコトの魔力資質は凄ましい。魔力変換効率、魔力制御、どれもが優れている。


 だが、元となる生命力が激減していたら、話は別だ。


 腹部の出血が致命的だった。

 ただ単に裂傷があるだけではない。確実に内臓を損傷していた。


 この状態で、どれほど走っただろう。

 もはやミコトに、魔力を精製する余力はない。


「『その程度かな、ねぇ、私を愉しませてよ! リリトも何か言いなさいよ』『そうだね、俺から言わせてもらおう。そろそろ飽きてきた!』『そろそろ捕まえちゃおうかなぁ!』」


「死にかけのところで出てきやがって、調子に乗ってんじゃねえぞ!!」


 そう吠えつつも、ミコトには逃げることしかできない。

 さらに目の前には、旧城壁の行き止まりが迫っていた。


 舌打ちしようとしたそのとき、旧城壁の異変に、ミコトは目を見開く。

 旧城壁の大部分が、大きく削れているところがあった。


 そういえば、旧城壁は都城壁と違い、劣化が進んでいるらしい。

 それが何かの影響で、一部が崩れてしまったのだろう。


 すでに精製済みの魔力を、体中に回す。

 原始的な身体強化によって、建物の屋根によじ登ったミコトは、崩れた旧城壁を飛び越える。


 下層北区から、中層北区へ。

 旧城壁の瓦礫の上に乗った彼は、さらに驚愕することになる。


「なんだ、これ……?」


 まるで、災害が起きたようだ。

 下層北区から王城に向けて、一直線にすべてが蒸発し、蹂躙され、破壊されている。


 上級魔術では起こし得ない大破壊。

 まさか、特級魔術なのか。


「……っ」


 と、呆然としている暇はない。

 背後から迫る魔物を避けるため、ミコトは瓦礫の山から跳び下りた。


 周囲の瓦礫を足場に、落下の勢いを殺しながら着地。

 着地の衝撃を殺し切れず、腹部からの出血が増える。


 ただでさえ体勢を崩していた上、足場が悪い。

 ミコトは耐えきれず、その場に倒れ伏した。


 そんなミコトの周囲を、赤い靄が覆う。

 瘴気に全方位を取り囲まれて、完全に逃げ場を塞がれた。


 瘴気の中に、三つの顔が浮かぶ。

 それらがミコトを嘲笑しながら、口を開く。


「『もう終わりですかぁ、はー』『まぁまぁ、リリス。人間にしてはよくやったほうじゃないか。リリムもそう思うだろ?』『鬼ごっこ終わりー! ありがと、楽しかったよ! ……えーっと』『そういえば、まだ自己紹介してないわ、リリム』『そういえばそうだった。まぁ、最期の手向けということで、』」


 口々に紡がれる言葉が、ひどく鬱陶しい。

 ミコトは歯を食いしばる。


 犬死にだけはしたくない。

 なら、最期の力を振り絞ってでも――こいつらは、殺す。


「『俺はリリム』『私はリリス』『僕はリリム』『俺たちは《ラ・モール》――アィーアツブス』『さぁ、君の名前を僕に教えてよ!』」


 全生命力を魔力にしようとした。が、彼らの名乗りに、ミコトは驚愕する。


「《ラ・モール》……?」


 それは、魔王教の内部にある部隊のはずだ。

 つまりは仲間なのだ。


 なのに彼らは、自分のことを知らないという。

 まさか、間違えて襲われた?


「待、て……」


「『命乞いかしら?』『僕は何も聞こえなーい聞かなーい聞いてなーい』『さぁ、俺たちの中へ沈むがいい』」


 ミコトの言葉、聞く耳を持たず、瘴気の壁が迫る。

 狂気の魔力に、触れる。


 その瞬間、電気が流れるような衝撃が、ミコトの中に突き抜ける。


 正気を削られていく。

 理性が失われていく。


 本能と狂気が心内を犯し尽していく。

 堪えるのは苦痛で、狂気に身を任せるのはきっと、とてつもない快感なのだと悟る。


 それは、身に覚えのある感覚だった。


 いつ?

 どこで?


 憶えていない。

 失われた記憶の中にも、それはない。


 ミコト・クロミヤではない――女の情念が、流れ込む。



『俺は――――…………』


 守りたかったのだと。

 彼女は憎む。


 殺したいのだと。

 彼女は泣く。


 堕ちろと。

 彼女は強制する。


 堕ちるなと。

 彼女は願う。


 相反し、矛盾する殺意、狂気。

 それらの波に、押し流されそうになり――――、



 ――突如、赤い靄が晴れる。


 狂気の魔力から解放され、ミコトは荒い息を吐く。

 そんな彼の目の前に、一人の少女が降り立った。



「よかった……。やっと会えた……!」



 長い銀髪に、赤い瞳。

 目尻に涙を溜めて、その少女は、ミコトと向き合っている。


 見覚えがあった。

 それは、敵のはずの人間だった。


「待っていて、ミコト」


 そして、彼女は背を向ける。

 少女が睨むのは、赤い瘴気の魔物――アィーアツブス。


 遠ざかる背中に、ミコトは知らず、手を伸ばす。

 その意味が、彼にはわからない。大切なことのはずなのに。


「すぐに、あなたを救うから」




 サーシャ・セレナイトは、魔物と対峙する。

 イシェルからの情報によると、名前はアィーアツブス。


 三つの主人格と、シェディムという呼称で纏められた、数多の霊を内包した強大な魔物なのだという。


 サーシャは試しに、高速の魔力弾を射出する。

 それは避ける暇も与えず、アィーアツブスの一部を吹き飛ばした。


「『ヒャハハ、効かないなぁ!』『そんなものじゃあねぇ!』『まったくぅ!』」


 情報通り、一発の魔力弾では、まったく通用しない。

 シェディムをひとつ犠牲にして、彼らは生き残っている。だから彼らは、シェディムが尽きない限り死なない。


 つまり彼らは、百を超える命のストックがある。


(でも、)


 アィーアツブスは、記憶を取り出すことを非常に苦手としていると、イシェルは言っていた。

 シェディムを記憶領域とすることで、アィーアツブスは大量の記憶を保存できる。しかし、それらの情報を、咄嗟に取り出せないのだ。


 そのためか。それとも、単に知らされていないのか。

 アィーアツブスは、サーシャに――『操魔』に注意していない。


 その相性の悪さを考えれば、真っ先に逃げなければいけないというのに。


「魔力よ――」


 左腕を掲げる。

 ぞ、と世界の魔力を動き出す。


 全身が瘴気で構成された、アィーアツブスも巻き込んで。


「『思い、出したわ!』『そんな、いやだ、やめてよ!』『まさか……こいつが、《操魔》!?』」


 魔力が収束するに従って、魔力は青い輝きを増していく。

 理不尽なまでの青に、赤は揉み消されようとしていた。


「『やめろ!』『やめて!』『離せ、離してぇ!!』」


 逃れようと足掻くが、青い奔流から抜け出すことは叶わない。


 双頭の魔王の半身、《操魔》イヴの、ほんの少しの力の一端。

 個人のオドも、世界のマナも、化け物の瘴気も。すべて纏めて、あらゆる魔力を支配する。


『操魔』が、アィーアツブスに牙を剥く。

 たった数百の命を纏め上げただけの存在に、敵うはずがない。


「――散れ」


 極限まで圧縮された魔力。

 物質化し、聖晶石になりかけたそれが、砕ける。


 アィーアツブスの姿は、どこにもない。

 不安定な存在は、圧倒的な魔力に押し潰されて、一片すら残せず消滅した。


 青い輝きが舞う中、サーシャは振り向く。

 そこには、呆然とこちらを見上げる、ミコトの姿がある。


「……久しぶりだね、ミコト」


「テメェ、は……」



 そして。

 ようやく、二人は出会った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ