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第三六話 罅割れる

 テッドの体から、生気が失われていくのがわかる。

 斬られた首から流れ出す血で、赤い水溜まりができていく。


「テ……、ド……」


 わかってしまうのだ。

 彼はもう二度と、目を開けることはない。


 ――テッド・エイド・ムレイが、死んだ。


「テッドぉおぉおおおおおああああああああああああああああああああ……ッ!!」


 ラカ・ルカ・ムレイは絶叫する。

 怒号が貧民街に響き、悲鳴が木霊する。


 殺したのは、記憶を失った仲間、ミコト・クロミヤ。

 彼を救うために、王都に来たはずだった。命を失う覚悟も、していたはずだった。


 だが、駄目だ。

 もう無理だ。


 思い出してしまう。生気を失った、オーデの目を。


 テッド・エイド・ムレイは、ラカの幼馴染だった。

 同じ《無霊の民》で、同じ里の出身だ。


 また、失ってしまった。

 家族のような存在を、また。


 そして今度は、よりにもよって、テッドを殺したのがミコトなのだ。


 敵意と殺意と憎悪が。

 悲痛と寂寥と諦念が。


 様々な感情が、胸中で荒れ乱れる。


 ミコトは救い出すべき仲間で、でも、彼はテッドを殺した。

 どうすればいい。何をすればいい。オレは、オレは、オレは――――。


「ぉぁ、おあおあおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……!!」


 どうあっても、仇を討とうと思えないのだ。

 どうあっても、わだかまりが失せないのだ。


 仲間意識と敵対意識がどっちつかずで、もはや何もできない。

 叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ。


 だが、鬼は、ラカを待ってくれない。


「次は……テメェ、だ」


 ギラギラと殺意を宿らせた瞳が、ラカを射抜いた。

 黒い眼の奥に、血の色を見た。


 体をふらつかせ、ミコトはこちらに歩む。

 振り上げた手に握られているのは、テッドの短刀だ。


 このまま、自分も殺されるのか。

 ミコトに。仲間に。


「み、こと……」


 その目を知っている。

 殺意と敵意に塗れた、鬼の眼だ。


 以前までは、ラカたちの敵に向けられていたものが、今、こちらに向けられている。


 もしかしたらこれは、彼のことをずっと後回しにし続けた、罰なのかもしれない。

 何か、行動に移していれば、彼を変えられていたのだろうか。

 もうわからない。


「みぃくん、やめて!!」


 ミコトが短刀を振り下ろす直前、割り込む人影があった。

 小さな体躯の少女、名をチア。


 彼女は恐怖で震えながらも、ラカを庇う。

 チアを見下ろすミコトの眼は、やはり氷のように冷たい。


「やめてよ、みぃくん! らぁちゃんなんだよ!? みぃくん、やめて、やめてよ……!」


 説得する言葉としては冷静を欠き、しかし、込められた想いは本物だ。

 戦ってほしくない。傷付いてほしくない。平凡で凡庸な、誰もが抱く願い。


 そんな少女の姿に、ミコトは何を見たのだろうか。

 短刀は、未だ振り下ろされない。


「やめてください……!」


 チアを抱くように、チュアーテが割り込む。

 ミコトに背を向けて、チアの体を隠すように。


「ミコトくんとラカちゃんは、仲間なんでしょう!? どうしてこんな……!」


「どうしてもこうしてもない。テメェらは、俺の敵だ」


 ミコトがチアとテュアーテを蹴り飛ばした。

 手心を加えてか、殺すほどの興味もなかったのか、彼女らにひどい怪我はない。


 彼はそうして、再びラカの前に立つ。短刀を振り上げる。

 その目を見て、改めて実感する。――あぁ、もうオレは、こいつにとって敵なんだ。


 そしてラカにはもう、戦う気力は残されていない。

 ただ、言いたいことが、たくさんあった。


「――わる、かった」


「――――」


「後回しにしてきて、ごめん。放っておいて、ごめん。……助けられなくて、ごめん」


「な、にを」


「今回のことは、テメーのせいじゃない。もし記憶を取り戻しても、オーデやテッドのことは、気にしなくていい」


 その瞬間だった。

 ミコトが、息を飲む。


「オー……、デ……?」


 ミコトの声は震えていた。

 頭を押さえ、体を抱き、目を見開く。


「だれ、だ? 知らない、そんなの知らない、――そんな『約束』しらない!!」


 ミコトはテッドの死体を見た。次いで、虚空を見た。

 彼はそこに、何かを見ていた。


「ラ、カ……?」


 そして、その視線は、ラカにも向けられた。

 怯えていた。今まで殺意と敵意に塗れていた目に、恐怖がある。あるいは懺悔のような感情が。


「そうだ、俺は頼まれて、それで、それで、だから、俺は、おれはぁ! 違うぅっ! 知らない、知らねえっつってんだろうが!!」


 ミコトが短刀を握り直した。

 明らかに正気を失っていた。今度こそ殺してみせると、狂乱したまま叫ぶ。


 叫んだ、その直後だった。



 ぶちゃり、と。――空から舞い降りた巨大な銀の狼が、チアとテュアーテを踏み潰した。



 上空から落下してきた巨体は、人を破裂させるに十分のエネルギーを秘めていた。

 体が破裂し、大量の血液が広範囲に撒き散らされる。それはミコトやラカにも降り掛かった。


 悲鳴や絶叫を上げることもなかった。

 おそらく、自分が死ぬということに気付く間もなく、死んでしまった。


 呆気ない。本当に、虫の命が潰えるように、二人の生命も潰えた。


『無事か、ミコト殿』


「サン、か。まぁ、なんとかな」


 狼の姿を見た瞬間、ミコトの狂乱は治まった。

 仲間の存在が、彼の精神を安定させているのだ。


 銀狼、サン。

《ラ・モール》に所属する、人語を介する魔獣だと聞いている。


 そういえば元々は、チアとテュアーテを守るために、下層北区に駆け付けたのだったか。

 その二人も、もう死んでしまった。


 何もかも、手の平から零れ落ちていった。


「ちょっと悪いな、サン。あの《無霊の民》を片付けておいてくれ」


『ぬしは?』


「アクィナの元に向かう」


 そう言ってすぐに、ミコトは貧民街から走り去った。

 この場には、正確にはラカの近くにいたくないと。そんな仕草だった。


 ラカの始末をサンに任せたのも、もう関わりたくないからだろう。


「まぁ、これであいつの苦しみが減るなら……それで、もういいか」


 そうして、ラカは目を閉じた。

 生温かく、獣臭い鼻息が近付いてくるのを感じる。


 あぁ、死ぬのか。

 ラカはすべてを諦めて、意識を手放した。



 ――その直後、紫紺の極光が眼前を横切ったことに、彼女は気付くことはない。



     ◆



 重い震動を響かせ、銀の巨体が倒れ伏した。


 叫ばないのは、口がないから。

 目を見開くことがないのは、そもそも目がないから。


 魔獣の首から上が、完全に消滅していた。


「さて、と」


 金の長髪と青い瞳を持つ青年、フリージス・G・エインルードは、右手で左腕を撫でる。

 聖晶石で覆われた女性は、身じろぎ一つすることはない。ただ黙して、役割を全うするために、そこにあった。


「どうするかな」


《ラ・モール》のサンとは、たまたま遭遇したため、『アヴリース』で殺した。

 だが本来の目的は、別のところにある。


(ミコトくんのあとは、もう追えないな)


 これまではなんとか追えたが、完全に姿を見失った今では難しい。

 残留魔力を探知するにも、魔力制御においては相手のほうが上回っており、フリージスでは察知できない。


(仕方ない。諦めて、父上のほうに加わるか)


 フリージスの父ヴィストークは、現在は魔王教の拠点に襲撃を掛けている。

『ノーフォン』への連絡はない。まだ戦いが続いているのか、もしくは死んだのか。


 なんにしても、拠点を残しておくわけにはいかない。

 ほかにできることもない。勘任せで動くより、できることをしたほうがいい。


 そう判断して、フリージスはその場を立ち去った。



 フリージスは、気を失っているチアに気付いていながらも、一瞥すらしない。

 血の海に沈むテッドにも、視界に一瞬だけ入れただけ。その一瞬すら、たまたま目に映っただけにすぎない。


 悲しみも、怒りも、安堵もない。

 介抱することも、トドメを刺すこともない。


 彼にとって、彼らのことなど、どうでもいいことなのだ。

 一時とはいえ旅をした仲間も、元領民も。


 大切なのは、たったひとつだけ。


 フリージスは表情一つ変えぬまま、左腕を撫でる。


 やはり、リースは何も言わない。





ついにヤっちまったミコトくんと、主人公属性を剥ぎ取られたラカちゃん。

やっぱりモノホンの主人公には勝てんねや。

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