第三四話 歪み
北、南、東、西。王都の様々なところで、戦いは繰り広げられている。
だが、その中心となっているのは、王都の中心である王城ではない。闇が蠢き、狂気が渦巻く、悪意が集った場所――下層北区だ。
中層北区にて、ラカとテッドがロトを打倒して。
中層西区にあるエインルード別宅にて、グランがアスモを討って。
王城にて、サーシャがルキを打ち勝って。
上層北区にて、サヴァラがナヘマを斬り殺して。
上層東区にて、レイラがドラシヴァから逃れて。
彼らは、下層北区へと向かう。
そこにいるであろう人物、ミコト・クロミヤを――ために。
そして、その中心人物であるミコト・クロミヤはと言うと……、
「おっ、いつか会った兄ちゃんじゃないかい?」
下層北区にて。
ミコト・クロミヤは、どこの誰かは知らないが、知り合いらしい人物に会った。
「ゴメン俺記憶喪失! お前誰だかわかんない!」
「ほう……。会ったのは半年前になるか……あぁ、あの時のことはよく憶えている。俺は兄ちゃんの強さに惚れたのさ」
「ん? お、おう」
「――そして俺たちは、ホモだちになった」
「嘘だぁ!?!?」
え、うそ、マジで? アクィナたちが俺の過去を話さなかったのって、そういうことなの!?
などと、そんなツッコミに時間を取られるほど、ミコトも暇ではなかった。
「そこにアジトがあるんだけどよ……どうだい兄ちゃん? 付いて来てみないかい?」
明らかに危険な匂いがした。
具体的には、尻の初めてを奪われそうな感じ。えっと、初めてだよね……?
ともかく、渡りに船だと思った。
あらゆる危険を承知で、ミコトは懇願する。
「付いて行くから匿ってぇ!!」
ニヤリと、男が不敵に笑った気がした。
なぜだか腹立たしくなって、男の脛に蹴りを入れてしまったのだが。
エレクトスと名乗ったホモ……もといゴロツキは、小さなグループのリーダーを務めているらしい。
彼のアジトというのは、路地裏の行き止まりだ。
この、行き止まりに続く一画には、ほかにも掘っ立て小屋が数軒建てられている。
エレクトスが言うには、これらはエレクトスのグループメンバーが住んでいるそうだ。
ちなみに、全員『そういう趣向』の人たちらしい。
ミコトが案内されたのは、エレクトスの住まい。路地の最奥だ。
(俺、ここから生きて帰れるんだろうか……)
アクィナの温もりが恋しい。
そのアクィナも今は、敵と戦っているのだが。
心配だ。非常に心配である。
できることなら、早く駆け付けたい。
「んおっ、大人しく待っていてくれたかぁ!」
と、家主のエレクトスが帰ってきた。
なんでも、グループのメンバーたちに声を掛けてきたらしい。
ナニされるんですかねぇ……帰りたい。やっぱ来るんじゃなかった。
「とりあえず、先に聞いておきたいんだが」
「ンだよ?」
「今のあんたはノンケか?」
「今も昔もノンケだよ!」
ぶち殺そうかコイツ。
「冗談だよ冗談。まぁ、なんだ。事情を聞いてもいいか?」
「――――」
そうだ。自分はまだ彼に、まったく事情を話していない。
それを思い出すと、理由も聞かずに匿ってくれた彼が、途端に優しいホモに見えてきた。
いや致命的だよ。
ミコトは逡巡ののち、今までの出来事を、掻い摘んで話した。
「つまり兄ちゃんは、妙な男に追いかけられていたと」
「まぁそういうところだ」
話しているうちにも、脳裏に浮かび上がる、敵の姿。
(なんなんだよ、あの趣味の悪い左腕の優男は……!)
金の長髪に、青い瞳。
女の上半身でできた左腕。その上から、聖晶石が覆っていた。
あの左手から放たれた、紫紺の極光。
あれは、駄目だ。――あれは、死ぬ。
勝ち目はなかった。
一発逆転の手もなく、反撃する隙もなかった。
あの男の敵に、自分じゃ役者不足だ。
どう考えたって、敵いっこない。
――奴は、最強だ。
「くっそ、アクィナが危ねえっていうのによ……!」
一か八か、相打ち覚悟で特攻してみるか。
そうも考える。
「兄ちゃん。言っちゃあなんだか、命を捨てるような真似はするんじゃねえぜ?」
「あぁ?」
「今の兄ちゃん、相打ってでも、って形相だったぜ」
心底、心配そうなエレクトスに、ミコトはただただ疑問で、首を傾げる。
本当に、エレクトスの言葉の意図がわからなかったから。
「……っ!?」
「それが?」
――大切な人のために死ねるのなら、それが本望だ。
ミコトは心の底からそう思う。そこに覚悟はない。当然のことを、当然のように思っているだけ。
自分の命そのものに、価値を見出していない。
アクィナやシェルアにユミル。もしかしたらバッサと、知り合った人たちを悲しませることになるかもしれない。
でも、生きてさえいれば。人生長いんだ。こんな俺なんか、皆すぐ忘れるだろう。
心の底から、そう考えている。
だが、なんの意味もなく、死ぬわけにはいかない。
それどころか今回の案件は、自分が殺されてしまうことで、凶刃が大切な人たちに向けられる可能性があった。
「まっ、犬死にだけはしねえさ」
「兄ちゃん……」
エレクトスが言いよどむ。
たぶん、彼は親切な人なのだ。
こんな自分を、心配してくれているのだから。
きっと、止めようとしているのだろう。
それを聞き入れるわけにはいかないが。
逡巡したあと、エレクトスは口を開く。
「……あんた、相当歪ん――」
ミコトは椅子から降り、その場で屈む。
そこを紫紺の極光が突き抜けて、
――直後、エレクトスの上半身が消失した。
鮮血の噴水だった。
大量の生臭い赤に濡れる中、ミコトは自嘲げに笑った。
「悪いな、エレクトス。お前のおかげで、けっこう休憩できたよ」
「やっと見つけたよ、ミコトくん」
消失した玄関を潜って、『最強』の男が現れた
奇怪な左腕を向けられて、ミコトは溜息をこぼす。
「エレクトスさん……!?」
エレクトスのグループのメンバーだろうか。
目付きの悪い男が、未だ血を吐き出し続ける死体を見て、絶叫を上げていた。
「なんなんだよお前! あんた俺に、若白髪の居場所を教えたら褒美をやるって言ったじゃないか! なんでエレクトスさんを!?」
どうやら彼は、自分を売ろうとしていたらしい。
なるほど。匿うとか言って、結局エレクトスも、裏切るつもりだったということか。
いや、これはコイツの自己判断か。エレクトスは関係ないのかもしれない。
……まぁいいか、ちょうどいい。利用させてもらおう。
「ふっ」
ミコトは瞬時に、目付きの悪い男の背後に回る。
極光が放たれる。……その対策も取ろうか。
男の足を払い、完全に崩した彼の背中を押して、極光に浴びせさせる。
そしてミコトは、消失した男の体積分、極光の量が少なくなったことを確認した。
――これで、紫紺の極光への対策が練れた。
これまでも、建物を陰にするくらいのことはした。そのとき、これほど極光の減少していない。
生物、いや、重要なのは魔力か。
消滅させる物体の魔力に応じて、極光は減少するのだ。
「『アクアーム』!」
水器魔術が発動する。
構成するのは数多の銛。それらを操り、様子を窺っていた男たちを貫く。
再び極光が放たれた。
ミコトは、銛で捕らえた男を数人、極光へ投げた。
「やめ……!」
「ああぁっぁあぁぁぁぁああああ!!」
消失する男たち。
ミコトは減少した極光を悠々と避け、下層北区の暗闇に逃げ込む。
男たちを引きずるように移動しながらも、ミコトの移動速度に衰えはない。
だが、『最強』を振り切るには至らない。
捕らえた男たちを消費し切るまでに、なんとしてでも逃げ切らなければならない。
「『イヴリース』……!」
再び極光が迫る。
ミコトはもう一度、男たちを放る。
だが。
ミコトは知る。
――『最強』を、この程度で対処できるわけがないのだと。
男たちの壁を貫いて。
あらゆるモノを突破して。
――ミコトの左腕が、『消滅』した。
「チィ……!」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い。
だが、それだけだ。まだ大丈夫だ。――この程度なら慣れている。
……なぜ慣れている?
「ぐ……ぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」
肉体ではなく、心が軋みを上げる。
激しい頭痛に、ミコトの目の前が真っ赤に染まる。
それでも。
また、屋敷での平穏を取り戻したいから。そこに自分がいなくても構わないから。
ミコトは何もかもを我慢して、我武者羅に走り続ける。
捕まえた男たちは、気付けば全員消えていた。
関係ない通行人を犠牲にした。その数も憶えていない。
気付けば、『最強』は追ってきていなかった。
ミコトは耐えようのない頭痛に、その場で気を失うのだった。
「あれ? もしかして、ミコトくんやないか?」
運命の悪戯は、何もかもを巻き込んでいく。
◆
走る。
走る。
走って、走って、走って。
そして、ラカとテッドは辿り着いた。
そこは下層北区の貧民街。
彼らの目の前には、少しの間泊めさせてもらっていた、チアたちの住居がある。
耳を澄ませずとも、騒音が聞こえる。
周りの建物は、いくつも倒壊している。近くには、食い千切られたような騎士の死体もあった。
緊張に、ラカは生唾を飲み込む。
この扉を開けて、もしも血の海が広がっていたら。そう想像せずにはいられない。
「ラカ」
テッドの声に、ラカはハッとする。
そうだ、ぼうっとしている暇はない。
ラカは意を決して、扉を開けようとし――――。
「……ここは」
目覚めたミコトの目に映ったのは、見慣れた自室の天上ではなく、幼い少女の顔だった。
七歳の、見知らぬ女の子だ。
身なりがみすぼらしいこと以外は、特筆すべき特徴というものがない、平凡な人間である。
「おきた! おきたよママー!」
「はーいチアちゃん、ちょいと待っといてね」
しばらくすると、別室から新たな女性が現れた。
二三歳。『ママ』と呼ばれたので、女の子の母なのだろう。
彼女は湯呑を持ってきたらしい。湯気が立ち上っている。
「ほら、ミコトくん。これでも飲むといいで」
「はぁ、どうも」
手を伸ばそうとして、左腕が消失していることに気付いた。
出血はなく、ひりつくような痛みだけが僅かに残っている。
湯呑を受け取りつつ左肩を見てみれば、すっかり傷跡は塞がっていた。
ミコトは疑問に思いつつ、ずずずとお湯を啜る。冷えた体に染みるような温かさだった。
「それにしても驚いたで? 家帰ろうとしたら、ミコトくんが血だらけで倒れてるんやから」
「貴女が治してくれたんで?」
「ちゃうちゃう。なんや、傷口が勝手に塞がっていってんけど」
ミコトは改めて、腕のなくなった左肩を見る。
体の欠損が、勝手に治ったというのか。記憶喪失になる切っ掛けとなった事故で得た、怪力と同じようなものか。
超治癒能力。
これなら、もう少し無理をしても大丈夫か。
「まぁ、ありがとうございました。俺はそろそろ出ますんで」
「何言うてるん!? 気絶してたんやから、安静になさい! ラカちゃんも探してるんやしな」
「…………」
先ほどから、もしかしたらと思っていたのだが。
どうやら彼女らは、ミコト・クロミヤのことを知っているらしい。
まぁ、だからなんだという話だが。
『俺』自身は、彼らになんの親愛も湧かなかった。
「助けてくれたことには、感謝している。けど、俺にはじっとしている暇なんてないんだ」
ミコトの足に寝転ぶ少女をどけて、起き上がる。
立ち塞がる女性をどけて、進む。
そして、扉を開けて――――。
「み……こ、と……?」
「あ?」
そして。
ラカとテッドは、ミコトと再会した。
五章の廃人ミコトから脱したら、クズさが増した件。
五章時点のミコトは、余裕があれば他人も守ってやろう、という意識がありました。
『 敵 < 何度でも生き返る自分 < 他人 < 仲間 』
が、六章のミコトは、
『 敵 < 他人 < 家族に想われている自分 < 家族 』
まぁ、『再生』を知りませんので。
理由があれば、他人を不幸にすることに、なんの罪悪感も感じません。