第三三話 VSドラシヴァ - 蹂躙 -
「ひゃはははははあははああああああああ!」
上層東区。王城へ続く門前にて、ドラシヴァが暴れ回る。
第一騎士団の優秀な騎士たちが、彼に襲い掛かる。
しかし。
「逞しい腕! 力強い手! 綺麗な目! 整った鼻! 端正な顔! そして――」
騎士の腕を、本来曲げてはいけない、曲げようのないところを、折り畳んでいく。
手をもぎ取る。
目を抉り取る。
鼻を潰す。
顔の皮を剥ぐ。
誰一人殺すことなく、大勢の騎士たちを蹂躙していく様は、まさに圧倒的。
《ラ・モール》の実力派というのは伊達ではない。彼が殺す気になれば、一分もかからずこの場は制圧されてしまうだろう。
彼の目的は殺しではない。
すべてを平等にすること――そのために皆を弱者とする。
それこそが《公平卿》と名乗る理由であり、《公平狂》と恐れられる理由であった。
その彼は今、見つけた。
以前に相対した、その人を。
「――美しい、足ィィィ!」
亜麻色髪の少女が、白目を剥く間もない。
取り囲んむ騎士たちを一息で吹き飛ばし、ドラシヴァは少女に詰め寄る。
「久しぶりだねえ、おみ足。確か……レイラちゃんだったかな? 半年ぶりだろうか? 今日こそは蹴落としてあげるからねぇ?」
心の底からの善意で、しかし狂気に染まった思考で、慈愛の笑みを浮かべて。
ドラシヴァは、レイラの太ももに手を伸ばす。
「抉ってしまうと、出血多量で死ぬよね? この俺は、至らないところが多々あってね、魔術の才能がないんだ、だから治癒魔術は掛けてあげられない」
じゃあねぇ、とドラシヴァは次の案を考える。
「肌を剥いたらいいかな? うんうん、それがいい。見るも醜い肌にしてやれば、興奮するのは傷跡好きな変態だけになる! って、あぁっ、ナヘマに見せられないなぁ!」
「気色悪いのはアンタよ、こんの変態がッ!!」
足に手が触れる、その直前だった。
ドラシヴァが踏み出す、その瞬間。地面から炎の柱が立ち上った。
ドラシヴァは炎に包まれる。
「やっ――」
「ってないんだよね、これが」
ドラシヴァの拳が、レイラの腹に叩き込まれる。
レイラは吐血して、その場に座り込んだ。
「設置魔術だろう? 珍しい技術だけど、半年前にも見たよ。そのとき、この俺を倒せなかったの、忘れたかい?」
「く……っ!」
「じゃあ、大人しくしててねぇ? これからおみ足の皮を剥いであげる」
そしてドラシヴァは、今度こそレイラの足に手を触れようとして、
「――ヴァぁぁぁあああああああ!」
突如割り込んできた男の蹴りが、鱗族の顔面に突き刺さる。
一対の白い翼を持った、羽族の男だった。
女性のように柔らかな金髪と、碧い右眼。顔面の左上には、顔の四分の一を覆う白い仮面が覆っていた。
その姿を。
公平に堕ちることのできたその男を、ドラシヴァは知っている。
「ハンサムなルシャくんじゃぁないか! 堕ちた感想はどうだい?」
「ドぉぉぉラぁぁぁシィィィ……ヴァぁぁぁぁあぁぁあああああああああああああああ――――!!」
「えぇ? 今度は羽根も毟ってほしいって!? わかった、もちろんだとも、この俺こそが《公平卿》。みんなみーんな平等にしてあげる!!」
《ラ・モール》新入りの鱗族と、元の羽族。
騎士やレイラたちを放置して、内輪揉めの戦いが勃発する。
その二人の戦いを、レイラは呆然と眺めていた。
「なんだってのよ、いったい……」
唖然とするのも当然だろう。
何せ、いきなり事態に巻き込まれたと思ったら、よくわからない内に危機を脱していたのだ。
「とにかく、今の内に逃げて」
「逃がさない、よぉ?」
しかし、路地へ戻ろうとするレイラの前に、ドラシヴァが立ち塞がる。
今までの戦いが嘘のように思えるくらい、ドラシヴァはルシャを薙ぎ払って、レイラの足止めに動いたのだ。
と、足止めをできたのも一瞬だけ。
体勢を取り戻したルシャが跳びかかり、それにドラシヴァは吹き飛ばされる。
「《公平狂》ォ!」
「面倒だなぁ君は……、平等にしてあげるって言っているじゃないか。だから大人しくしていなよ」
ドラシヴァのその言葉は、レイラにも向けられていた。
赤く縦に割れた瞳が、レイラを睨む。『逃げるな』と。
ドラシヴァは、あらゆることに気を回しているようだった。
やろうと思えば、ルシャを一瞬で片付けられるのに、レイラの逃亡を気にしているのだ。
ああ、まだ危機は脱していなかった。
ルシャが負けたときが、レイラの終わりだ。
「だったら……」
ドラシヴァの優勢を崩せる者はいない。
彼らを囲む騎士たちは、死屍累々の有様だ。
だから、
「――やるしか、ない!」
レイラは走り出す。
王城前の広い広場を、地面に、壁に手を付いて、縦横無尽に。
形成するのは設置型の魔術だ。
レイラが使える程度の魔術など効かない。そう判断しているのか、ドラシヴァが手出ししてこない、今が動き時だ。
そして、三十の魔術を設置した。
レイラは地面に手を付き、ドラシヴァを睨み付ける。
「これがただの設置魔術だと思っているのなら、大間違いってのよ! ――『ウォーミス』!!」
次の瞬間、設置した全ての魔術が起動する。
そして現れたものは、炎の弾丸でも、風の刃でも、そもそも攻撃魔術でもない。
――大量の水蒸気が、瞬く間に広間を包み込む。
「逃げるの一手!」
ルシャと一緒になって戦う?
とんでもない。明らか理性がぶっ飛んだ存在と、共同して戦う自信はない。
だいたい、ドラシヴァとルシャの戦いにレイラが加わっても、形勢逆転はできない。
それほどまでに開いた実力差だ。
去ったあとの被害は考えない。
こんな場面で、他人のために動くような自己犠牲精神は持ち合わせていない。
たとえこのあと、ドラシヴァがルシャの羽根をもぎ取ろうが、騎士の部位を破壊していこうが、知ったことか。
罪悪感はある。だが、こんなところで死んでいられないのだ。
だからここは、逃げさせてもら、
「逃がさないよぉ」
レイラが、自身が発生させた霧から逃れた、その先に。
すでに霧から脱していた、鱗族の男がいた。
「――――ッ!?」
「ほらぁ!」
ドラシヴァの回し蹴りが、レイラの腹を打ち抜く。
バウンドしながら大きく吹き飛んだその体は、壁に激突することで動きを止める。
咽喉の奥に、血が詰まっている感覚がする。
内臓は破裂寸前で、肺の中には空気がなかった。
辛うじて呼吸を紡ごうとすると、出る血液と入る空気が激突し、咳き込むことになる。
苦しい。
誰か――。
ルシャは霧から脱するのに、空を飛んだようだった。
しばらくの間、降りてくる気配はない。
騎士は皆、体の部位が破壊されている。そして、心が折られていた。
ドラシヴァに立ち向かおうとする者は、誰もいない。
「さぁ、それじゃあお楽しみ、審判のお時間です!」
神父のような慈悲の微笑みを浮かべて、ドラシヴァは高らかに宣言する。
鱗に覆われた手が、今度こそレイラの太ももを鷲掴む。
爪が突き立てられ、僅かに剥いた肌を、ドラシヴァは握り締めた。
獲物の解体を、やったことがある。
その過程に、皮を剥くというものがある。
それを、生きたまま、彼は執行しようと――、
「――――斬ッ!」
ドラシヴァの右腕が、斬り落とされた。
次いでその剣戟が、ドラシヴァを切り刻んでいく。
ドラシヴァが防御するよりも、攻撃は苛烈だった。
騎士剣の銀の輝きが、赤く血塗られていく。
激昂するドラシヴァ。
その背中から突然、ドラゴンのような尾が飛び出る。
「調子に、乗るなァ!」
殺しても構わない。
公平を志すドラシヴァが、そのルールを忘れた、反射的な攻撃を、
「調子に乗っているのは貴様だ、狂人」
騎士の男が、紙一重で尾を回避する。ただ、騎士剣を横に支えて。
竜の尾が、縦に切り裂かれていく。
「――『アルタ・エアゲイル』」
突風魔術が、ドラシヴァに直撃した。
ドラシヴァは大きく吹き飛び、漂う霧の中に消えた。
男が、レイラに振り向いた。
亜麻色の髪に、緑の瞳の青年だ。
「リッター……」
リッター・シュヴァリエット。
色々とレイラたちに協力してくれた、シュヴァリエット家の長男にして、アスティアの近衛騎士だ。
「逃げてください。ドラシヴァの相手は、自分がします」
空襲。上空のルシャが霧の中に、大量の風の刃を打ち込む。
風の波動は霧を払い、ドラシヴァの姿を露わにする。
変容。
そうとしか言いようがなかった。
全身が深緑の鱗に覆われた姿は、まさに竜人。
風刃を苦もなく叩き落とす辺り、先ほどより強くなったのは確実だ。
そんな存在を目の前にして、リッターに迷いはない。
死ぬ気もなく、覚悟を決めて。
「知っているでしょうが、自分もあの男には因縁がありましてね。ここは任されましたよ」
だから、とリッタは言う。
「――レイラさんは、レイラさんのすべきことを」
自身が、何をしなければならなかったのか。
それを思い出す。
そうだ。絶望している暇なんかない。
こんなところでくたばって、たまるものか。
「リッター」
「なんです?」
なぜだろう。
義理があるだけの他人のはずなのに、どうして彼に、縁を感じてしまうのか。
理由はわからなかった。
ただレイラは、心の底からの本音を告げる。
「――どうか、死なないで」
「――はい、わかりました」
リッターは背を向けて、ドラシヴァに向かっていた。
立ち上がったレイラも、戦いから背を向ける。
自分には、自分の戦いがある。
レイラは痛む体を無理やり動かして、下層北区へ向かう。