第三二話 VSナヘマ - 交錯 -
上層北区にて、戦いは続いていた。
「ハァァァァアア!!」
「ふ、んっっ!」
サヴァラのハルバードが振るわれる。
確かな威力を持つが、しかし、ナヘマが持つ魔道具によって防がれてしまう。
魔道具――魔法陣が刻まれた巨大な鉄槌が、異常な速度で振るわれる。
見た目と違って実は軽い、なんてことはない。サヴァラが持つハルバードより、それは遥かに重かった。
激突の反動で、サヴァラは吹き飛ばされる。
嘲嗤うナヘマは、一息で詰め寄る。
「づぶれなァ!!」
「ぐっ、ぅ……!?」
避けようがない連打、受け流し切れない威力。
ただでさえ体勢を崩していたサヴァラは、自身に突風の魔術を浴びせることで、ナヘマの間合いから逃れた。
「こンの成金め」
思うようにいかない現状に、サヴァラは歯噛みする。
ナヘマは息継ぎの間もなく、サヴァラに襲い掛かった。
ナヘマの技術はそれほど高いものではない。乱雑に鉄槌を振り回す様は、子供が棒きれを振るっているようにも見える。
だが、そう、棒きれを振るうように。一トン近い得物が、そのような気軽さで振るわれる。
トン級の物体の高速移動は、それだけで風圧を生み出す。
風の煽られる中、サヴァラはさらに一歩踏み出す。
「ハアアァアアアア!」
そして、がら空きの脇腹向けて、ハルバードを薙いだ。
だが、
「むだ、だっでのよぉ!」
「チッ」
ガキン、と。金属にぶつかったかのような音が響く。
妙に着飾った衣装に遮られ、刃が通らない。
「あだじの服はどぐ別製でねぇ。グろい下着も、金色のこの服も、ずべでが魔道具なのぉ。ずごいでしょぉ?」
「グロい下着……? なるほど、自覚はあるってわけだ」
「く・ろ! 黒ォォォオオオオオ! だッ!!」
「勘違いされたくねえなら、もうちょい滑舌良くして出直してきな。あぁついでに言わせてもらうと、香水で済まさずちゃんと体を洗え。そんな脂ギッシュな体を斬っちまったら、刃が鈍っちまう」
「おぼぼぼぼぼおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
激昂したナヘマが、鉄槌を上段に構えた状態で、サヴァラに突撃した。
だが、サヴァラに焦りはない。もう覚悟は決めた。
「『イグニモート』『アクエモート』『エアリモート』『グロウモート』」
四属性身体強化。
正直これは消耗が早いため、あまり頻繁に使っていい手ではない。ナヘマ戦は本命ではないのだから。
だが、上を見上げて足元の小石に躓いてしまったら、本末転倒だ。
勝負は一瞬。
この一度の交錯で、勝敗は決する。
サヴァラが鉄槌を避けられなければ。魔道具の壁を越えられなければ。
死ぬ。
研ぎ澄ませ、感覚を。
五感を視覚に収束し、見切りを研磨しろ。
「押しッ、潰ず!!」
その声を聞かない、聞く必要がないから、聞こえない。
サヴァラはまっすぐ跳び込んだ。
避けるのは最小限でいい。
振り下ろされた鉄槌、その柄を横から、左手で思いっきり殴った。
犠牲にした左拳が砕ける音がする。
ほんの少しずれる軌道。髪が掠り、数本引き千切られていく。
あともう一歩。この一振りを振るえば。
だが、そのタイミングで、予想だにしていないことが起こる。
――大地にナヘマの鉄槌が衝突する。
地面が砕け、波のように石レンガが波打つ。サヴァラは空中に投げ出される形になった。
身動きが取れない。
この状態でハルバードで振るっても、魔道具の壁は破れない。
次の一手。ナヘマが鉄槌を振り上げるだけで、サヴァラの体は破壊される。
ナヘマが嘲嗤った気がした。
だがこのとき、またしても予想外の事態が発生した。
――二つの『ムスペルヘイム』が激突した、その瞬間の出来事だった。
閃光が迸る。
爆音が世界を支配し、爆炎が街中に広がった。
上空で発生した大爆発だ。
その威力に関わらず、消し飛んだ者は思いのほか少ない。
だが、その暴風は、王城間際で戦っていたサヴァラの元にも届いた。
吹き飛ぶサヴァラは、地面に垂直の壁に立たされる羽目になる。
そこへ同様に吹き飛ばされたナヘマが、悲鳴を上げて跳び込んできた。
あの爆発が何によるものなのか、サヴァラは考えない。
幸運に感謝することもなく、その意識は戦闘に向けられていた。
だからこそ、こんな状況であろうとも、敵を討つ思考へ移れる。
「行くぞ、クソ野郎。これが俺の――」
「だずっ、ぶがあ、ががっはがあ」
「――一太刀だ」
一閃。
ナヘマの首が、風に乗って吹き飛ぶ。
ここに勝敗は決した。
暴風は終わり、サヴァラは地面に降り立つ。
「さて、と」
空を見上げると、サーシャが北区へ向かう姿が見えた。
はぐれたレイラは行方知れずのままだ。だが、レイラたちを追っていた仮面の集団は、《ラ・モール》ほどの実力はないはずだ。
(そういえばレイラは、逃亡戦には自信があるんだったな……)
あと、下層北区を目指せと告げてしまった。
ここはレイラを信じるしかない。
「それに――」
――レイラと合流してしまっては、少々動きづらくなる。
この目的に、きっと、娘たちは賛同しないだろうから。
◆
「ふざっけんじゃないわよチクショウ!」
サヴァラと分断されたレイラは、とにかく追手を撒くために、街中を走り回っていた。
設置式魔術や時限式魔術を使いながら逃げる彼女は、まさに逃走の天才と言えた。
これも経験が成せる技だろう。まったく以て不憫である。
だが、そんな逃走劇も終わりを告げる。
さすがに、大人数に囲まれては逃げ場はない。
一本の路地で挟み込まれ、レイラは身動きできなくなる。
こうなっては、真っ向勝負するしかない。
「大丈夫よレイラ、アンタは魔獣の侵攻を食い止めたでしょ。ええ、大丈夫大丈夫、きっと勝てる、ええ」
自己暗示というには、表情には焦りがあったが。
と、そのときだった。
――ゾクリ、と鳥肌が立った。
魔力資質が高くないレイラでも感じられる、莫大な魔力。
「これは、サーシャが『操魔』を使うときの……」
と、考えられたのはそこまでだった。
世界の改変を知覚する。
振り向いたそのとき、空を赤い極光が迸った。
二つの極光が、激突する。
「――――ッ!」
先に光。閃光が瞬き、視界が真っ白に染まる。
次に音。爆音が聞こえたのは一瞬、鼓膜は麻痺する。
次に衝撃。暴力的なまでの突風が、体を叩く。
光も音もない、空気や地面の振動、熱の世界で、レイラは壁を背にひたすら耐えた。
やがて、風はやんだ。焼けるような匂いがする。
視力と聴力が戻るまでの間、レイラはその場に伏せ続けていた。
そしてレイラは、ようやく目を開ける。
「うわぁ……」
ひどい有様だった。窓は割れ、一部の家は倒壊しているようだ。
これが衝撃地点に近いところであれば、もっと悲惨な状況になっていただろう。
「とりあえず、追手は撒けたわね」
撒いたというか、吹き飛んだというか。
結果良ければ全て良しである。
「これから、どうしようかしらね」
サヴァラと合流するか。それとも、下層北区へ急ぐか。
そもそも、ここはいったいどこなのだ。
レイラは溜息を吐きながら、路地を抜けた。
「――ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!?」
その瞬間、空から降ってきた人が、レイラのすぐ近くで潰れた。なんとか生きているのか、浅い呼吸を繰り返している。
騎士と思われる人物の右腕は、再起不能なレベルで圧し折れていた。
「……え」
『ムスペルヘイム』の余波によるものではない。
サーシャの魔術のせいだったほうが、どれほどよかったか。なぜなら、『ムスペルヘイム』による危機は、過ぎ去ったのだから。
そこは、上層東区の、王城付近であった。
王城への入り口である門が、すぐそこに見える。
そこで暴れている男がいた。
騎士の腕を引っ掴んでは千切り、足を捕らえれば腱を切る。
それでいて、誰も殺していないのだ。ただ、体の一部を殺すだけで。
その男に、見覚えがあった。
針のように鋭く尖った、深緑の髪。肌の一部が深緑の鱗に覆われた鱗族。
そして狂気を孕む、縦に割れた瞳。
その赤い瞳が、レイラを見つけた。
「こ、《公平狂》……」
「絶対領域の素晴らしい脚ィィィィィ!!」
イシェルにその情報を聞いた瞬間から、ここにだけは来ないようにしようと決意していたのに。
レイラは白目を剥いた。