第三〇話 VSルキ - 夢見た世界 -
「――このっ、大馬鹿者がぁぁぁぁあああ!」
大バルコニーに響くその声は、一人の少女から発されたものだ。
サーシャやルキ、国王や騎士たちの視線は、彼女へと向けられる。
アスティア・アルフェリア。
アルフェリア王国の王女は、その注目もなんのその、ただサーシャだけを睨み付ける。
「ふざけるな! ふざけるでないぞ、サーシャ・セレナイト!」
「……ごめんね、アスティア。わたしが、こんな眼だって、今まで黙ってて」
まっすぐ見つめられて、サーシャは目を逸らした。
元々、苦手なのだ。目を合わせるのは。そして、後ろめたさもあった。
そんな彼女に、アスティアは叫ぶ。
「そんなことを言っとるわけではないわ、ボケェ! ほんと、もう、あほぉ!」
王女らしからぬ尊大な口調はそこになく、思考は憤怒に熱されていた。
だが、そんな彼女を注意したり、騒ぎ立てる者はいない。
王も、騎士も、誰も。敵さえも。
ただ、黙って、聞いていた。
「怖いだと? 何が!? 後ろ指など、誰が差すというのだ!? 騎士に追われてもだと? 迫害? 見縊るなよ、誰がそんなことをするものか!?」
そしてアスティアは、告げた。
「――妾と貴様は、友達だろうが!!」
サーシャの、逸らしていた目が。
驚愕とともに、アスティアに向けられた。
アスティアは、怒りながら、泣いていた。
「そりゃあ妾は、サーシャのことを何も知らない! まとも顔を見たことだってなかったし、『ノーフォン』でちょっと話した程度の関係だ! ぶっちゃけ言うと最初、ふざけんなって思ったさ! 妾が渡した『ノーフォン』を、どうしてお前が預かっとるのだ!? 恋人両用かぁ!?」
「こ、こいび……えぇ!?」
「話をずらすでないわぁ!」
「ご、ごめん……、……?」
興奮しすぎた。
アスティアは咳払いして、落ち着き払った状態で、続ける。
「ともかく、妾はお前と、友達なのだと思っておる。お前のほうはどうだ?」
「えっと、その。……わたしが友達で、いいの?」
「良きに計らえ」
これは、友達でいいということなのだろうか?
そうサーシャが困惑気味に見つめても、アスティアは顔を赤くするばかりで答えない。
アスティアは赤面を直してから、ルキへ向いた。
赤い瞳を、真っ向から見つめる。赤眼がどうしたと言わんばかりに、恐れひとつなく。
「そういうわけだ。サーシャ・セレナイトは、孤独ではないぞ」
ルキは不自然なくらい、黙ったまま聞いていた。
隙はいくらでもあっただろうに、攻撃を仕掛けることもなく。
サーシャとアスティアのやり取りを、ルキは額に汗を掻いて、注視して。
そこに彼は、何を見出そうとしていたのだろう。
「は……」
ぽつりと。
「はは、はははは、はははは、は……」
ルキの口から、乾いた笑みが漏れる。
「なんだよ、それ、三文芝居みてぇだ。ウケるって、ほんと、くそが。温室育ちのお嬢さんが、どうしておれたちの事情を理解できるって言うんだ」
「理解したわけではない。ただ、友というだけさ」
「はぁ? はぁ? はぁあ? ふざけんな、ふざけるな、ふざ、ふざけるなよ。そんな簡単なわけないだろうが……そんなわけっ、ないだろうが!」
激昂か、焦燥か。
ルキは目を見開き、目を血走らせ、赤い瞳で睨み付ける。
「人の居場所が、そんな簡単にできるわけないだろ! 誰だって受け入れられないものがあって、おれたちは受け入れられる存在じゃぁねえんだよ! どこに行ったって疎まれて、そんで迫害だ! 騙されたのだって一度や二度じゃない! 殺されそうになった回数のほうがずっと多かった!」
迫害。それが、ルキが人生だった。
ルキがサーシャを指差す。
「お前だってそうなんだろうが! どうしてそう簡単に、人を信じられる!?」
サーシャは気付いた。
ルキが、先ほどまでの自分と同じく、恐怖に震えていることを。
(一緒なんだ……)
サーシャを受け入れてくれたのは、仲間たちだった。
ルキを受け入れてくれたのは、魔王教だった。
もしも、レイラやミコトのような存在がいなくて、代わりに魔王教に拾われたのだとしたら。
自分はきっと、仲間のためだと信じ込んで、誰でも傷付ける存在になっていた。
イヴに精神を侵され、狂っていたあのときのように。
だから、今の自分になれたのは、
「――出会えたのが、素晴らしい人たちだからだよ」
「ふざっけるなぁ!! 魔王教が、魔王教が一番なんだ! シェルアさんの思想こそが最高なんだ! どんな願いでも叶えられる、差別や迫害も存在しない、苦しみのない世界を、この世界をぶっ壊して、手に入れるんだ……っ!」
魔王教がどういう目的を持って動いているのかは、依然としてわからないままだ。
ルキの言う世界とやらも、どうやって手に入れるのかも、わからない。
それでも、ルキがその世界を目指していることは、わかった。
素晴らしいと思う。どんな願いでも叶うのなら、いつまでも幸せでいられるのだろう。
でも、
「そのために、この世界が壊されるのは、見過ごせない」
「……ッ! だったらあんたは、ここで死ねェェェ!!」
激昂したルキが、サーシャ目掛けて突っ込んだ。
ナイフを構え、透明になることもなく。
サーシャ・セレナイトという、自分とは違う存在を、目の前から抹消するために。
「――この世界には、わたしの居場所がある」
「――この世界に、俺の居場所なんざねえんだよォォォ!!」
サーシャが翳した左手に、魔力が集う。
それは魔法陣を形成し、ルキに差し向けられる。
ルキはナイフを投擲する。
サーシャは避けなかった。
動いてしまえば、魔法陣が崩れてしまう。『操魔』を使えばなんとかできるが、咄嗟のことでは難しい。
前に出した右腕に、深々とナイフが突き刺さった。
苦痛を上げることを耐え、サーシャは前を見据える。
僅かに生まれた怯みは、ルキに一歩深く踏み込ませることを可能にした。
魔法陣より向こうに行けば、そこは魔術の射程外。
「間に、合えッ」
そしてルキは、魔法陣に向こう側に潜り込む。
持ち替えたのは短刀。ルキは得物を振り上げた。
その瞬間、ルキはサーシャの顔を見た。
右腕の激痛で額に脂汗を浮かべながらも、サーシャのニヤリという不敵な笑みが、ルキを見下ろしている。
「くッ……」
「『アクエスト』!」
――魔法陣の反対側から、水弾が射出された。
本来なら、そのままサーシャに当たる軌道だ。
しかしその間には今、ルキがいた。
魔術はルキの背中に命中し、床に叩き付ける。
サーシャの足元に倒れ伏す。
この手を、サーシャは事前に編んでいたのだ。
勝敗が、ここに決した。
全身を床に打ち付けた。それは頭部も例外ではない。
酩酊し、ぼやける視界の中、ルキはサーシャを見上げた。
「何が、ちがうんだよ……」
勝者と敗者。
ハッキリと分かたれて、ルキは歯を食いしばる。
同じだと思っていた。
同じ赤眼で。『操魔』という特殊な力があるから、自分よりひどい環境に置かれているのかもしれないと。
同情していたのに。
助けてやろうって、親切心だったのに。
――負けた。
今までの全てが否定された気分だった。
シェルアに拾われ、魔王教で過ごしてきた日々が、間違っていたように思えてしまう。
だって、目の前に――
「サーシャ、右腕が!?」
「だ、大丈夫……。これくらいなら、治癒魔術で……っ」
「無理をするな! 誰か、包帯を持って来い!」
右腕を押さえ、へたりこんだサーシャを看ながら、アスティアが周りを見回す。
誰も動くはずがない。恐ろしい魔族と同じ目を持つ少女を、誰が助けたいと思う?
そうなるはずだ。そうならなければおかしい。
おかしいのに、
「ハッ、ただ今お持ちしました!」
「助かる!」
「失礼します」
騎士が膝を折り、サーシャの腕に包帯を巻く。
騎士に、侮蔑や嫌悪、恐怖はない。
「助けていただき、ありがとうございます」
「アルドルーア様とアスティア様を救っていただき、ありがとうございます」
「この御恩、必ずお返しします」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
口々に告げる感謝の、どれもに負の感情はない。
(なんで……)
目の前に――『迫害のない世界』がある。
「なにが……ちがうん、だ……」
ルキの呟きに気付いたサーシャが、こちらを見る。
まっすぐな目だ。自分の、卑屈な目とは違う。
同じ赤い瞳で、どうしてこんなに。
「おれと、あんた! なにがぢがうんだ!?」
勝利に喝采を上げていた者たちが静まる。
すべての視線がルキに集まった。
怖い。見るな。
怖い。見るな。
怖い。見るな。
「おれはッ、間違ってなんかいない!! 悪いのは、悪いのは全部、この世界なんだよぉぉぉ!」
子供のように、駄々をこねる。
壊れてしまいそうな心を守るためには。新たな世界への夢を、抱き続けるためには。
ルキは幼少から、我儘を言えなかった。魔王教に拾われてからだって。
彼にとっては、『迫害のない世界』をほしがることこそが、我儘だったのだ。
「あなたは、」
「見るな! 見るな見るな見るな見るな見るなッ! おれを、おれを見るなぁ!!」
怖い。見るな。
怖い。見るな。
怖い。見るな。
――その赤い瞳で、おれを見るな。
「こわせ……」
――おれを省いた『夢の世界』を、おれに見せるな。
――あの子を奪った世界に、おれを置くな。
「こわせ、こわせぇえ! バッサ、バッサぁ、いるんだろ!! つた、フェルアさんに伝えろぉ……! ――おれも、こいつらも、みんな纏めて消し飛ばせぇぇぇぇええええ!!」
大バルコニーの近くにて、メイドに変装していた『バッサ』が、ルキの言葉を聞き届け、
《ラ・モール》唯一無二のまとも、ルキさん。
増やし過ぎたなーと思う《ラ・モール》メンバーの中で、絶対に出そうと思っていた一人。