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第二八話 VSアスモ - 戦友へ -

「はっはぁ! 燃えろ燃えろぉ、燃え盛れェァア!」


 赤茶色の瞳を爛々と輝かせ、アスモは哄笑を上げる。

 アスモの、たったひとつの無属性魔術――火刑の『アクゼリュス』の炎が、彼女の周囲を踊る。


「こんなもんかよ、エインルードの下っ端さぁ!」


「くそが!」


 元傭兵のチャングは、アスモの間に出現した炎に遮られ、攻め切ることができないでいる。

 チャングは地属性の身体強化を得意としている。そうして頑強になった肉体なら、初級魔術くらいは掠り傷で突破できる。


 だが、アスモの『アクゼリュス』は、ただの炎ではない。

 無属性魔術と言うように、やはり特殊な効果を秘めていた。


『アクゼリュス』は、物理的な破壊力は持たないが――当たったモノを燃やし尽くすまで消えない、という特異性を持つ。

 たとえ水を掛けようとも、だ。


 もうすでにあの炎によって、使用人の半数は炭となった。

 幸いなのは、『アクゼリュス』による炎は延焼しないことと、展開できる範囲がアスモの周囲五歩ということか。


 もし炎が射出できたなら、すでにチャングは炭と消えているだろう。


「庭師、風飛ばせ!」


「わかってらぁ料理担当! ――『スーマ・エアリスト』」


 チャングの命令に、庭師の男が風刃を飛ばす。

 それは呆気なく炎を切り裂き――甲殻の尾に弾かれる。


「駄目か……っ」


『アクゼリュス』の突破自体は容易いのだ。あの炎に攻撃を弾くような防御力はないのだから、遠距離攻撃すればいい。

 だがその後に待っている、頑強な尾が貫けない。


 倒す方法ならある。尾がカバーできないよう、遠距離から一斉攻撃すればいい。

 だが、その手段を取れるだけの人員は、別宅に残されていなかった。


 せめて、エインルードの本陣が少しでも待機していてくれれば……上級魔術師ひとりでもいれば、何か変わっていただろうに。

 ないもの強請りということは、わかっているが。


「メイドは長い得物か、投擲できるモンを持って来い! 炎の外から攻撃できるもんなら、なんでもだ!」


「は、はい!」


 さて、とチャングは槍を構える。

 炎の隙間から、アスモのニヤケタ面が見えた。


「そろそろ、終わりにするかぁ? そろそろ飽きてきたし――火刑に処されな」


 アスモが膝を降り、尾を地面に突き立て、沈む。

 溜め――ドン! と踏み込んだ。


 屈伸に加え、甲殻の尾をバネの要領で伸ばしたアスモの推進力は、一瞬でチャングへの接近を可能にした。

『アクゼリュス』に触れる――その直前、チャングは叫ぶ。


「これを、待っていたァ! 庭師ィィイ!」


「『エア・ゲイル』――ッ!!」


 チャングの号令で、庭師が突風魔術を発動させた。

 それは『アクゼリュス』の壁を取り払うことに成功する。


 これは一時的なもので、瞬時に炎の壁は再構築されるだろう。

 だが、この一瞬、チャングとアスモの間には、何もない!


 アスモの表情が、舌打ちとともに苦渋に歪む。


「ぶっ刺すぜゲス女ァ!」


「生憎とあたいは、租チンに喘ぐような軽い女じゃなくってね!」


 尾と槍が交錯する。

 その一瞬の攻防に、チャングは全力で槍を突き出し――しかし、


「早漏なんだ――よッ!」


 槍と尾が激突し、弾かれる――その直前には。

 チャングの腹部には、短剣が突き刺さっていた。


「こん……な、武器。どこに、隠し持って……?」


「ああ? こいつらに献上されたんだけど?」


 そう言って、アスモは炭化した使用人を蹴り砕いた。

 奪い取ったのだ、この女は。


「バトルファックする相手の武器は、前戯の間に確かめておくもんなのさ。わかったかなぁ早漏ちゃん?」


「テメ――」


「はいはい、言い訳はいらないから」


 火刑の炎が、再び展開される。

 チャングの下半身は、消えない炎に包まれた。


 皮膚が、脂や血が蒸発していく感覚、苦痛、激痛。

 赤や黄色や白い液体がこぼれていく。


「ガ、あヅァグアァァァアアウハガアガアハアア……ッッッ!?!?」


 ああ、体の中にはこんな液体があったんだっていう色の、痛ましい液がこぼれていく。

 熱い熱く熱い熱い熱い、熱くて熱いなんて感じを覚えられないほどの熱の熱さが熱い熱い熱い。


「残る使用人が燃えて行く様を、あんたはそこで見守っているがいいさ」


 そう言って、《サソリ》は口角を吊り上げた。

 それから続く虐殺を、チャングは見ることしかできない。



     ◆



 王都に建てられたエインルードの別宅は、半年前に数日泊まっただけの場所に過ぎない。

 そのフリージスの好意も、結局は裏切りの布石だったのだが。


 仲間が裏切ったことに、グランは自身でも意外なほど、憎しみが湧いてこなかった。

 彼らにも事情があったのだとか、こちらにも要因があったとか、そういうことではなく。


『そういう関係になったのだ』と、納得できたから。




 ――屋敷が焼かれ、倒壊する。


 一週間ほど過ごしたことのある風景は、すでに炎に包まれている。

 轟々と燃え盛る炎は爛々とし、なんとも目に悪い。


 グランは沈黙のまま門を潜り、庭を進む。

 人の形をした黒い炭が、辺りに散乱していた。


 舗装された道を歩いていくと、中央に噴水がある。

 その縁に座る女が、一人。


「《ヒドラ》、グラン・ガーネットだね?」


 赤茶色の瞳と髪の、赤肌の女だ。

 表情には愉悦の色を貼り付けて、甲殻の尾を揺らす。


「ずいぶん遅いご到着で。ここの使用人は全員焼いたから、手柄は上げられないぞ?」


「…………」


 グランは辺りを見回した。

 武器は散乱し、焦げているものもある。そして炭、炭、炭。


 この黒いモノは、全て人だったものなのだ。


 その中に、上半身だけ残された、頭髪のない男がいる。

 彼は苦悶の顔を浮かべながらも、槍を握りしめていた。


「いや、狩る首ならあるさ」


「へぇ?」



「――貴様の首が、な」



「……へぇ」


 女、アスモの口角が吊り上がる。

 微笑みと言うには過ぎる、猛る感情を押し隠しすような。


「どこで情報が漏れたんだろうねぇ。あたいは《公平狂》や《狂愛者》と違って、あんまり暴れないんだけどねえ。もしかしてここに現れたのも、あたいが狙いだったり?」


「…………」


「否定しない、か。ふぅん? あんたらにとっちゃ、エインルードは憎い敵だと思ってたけど」


 信頼させておいて、裏切って。

 確かに、フリージスとリースが裏切ったことは、ひどく衝撃的だった。


 だが――敵意とは別に、信頼のようなものは、まだ続いている。

 今はただ、目の前の女が敵だ。


「確かに、エインルードとは敵対関係になってしまった。だが――敵の敵は敵。貴様らは、俺の敵だ」


 グランはクレイモアを構える。

 火属性の身体強化、付与魔術によって発生した赤いオーラが、グランの体を包み込む。


 今度こそ、微笑みではなく。

 アスモは殺意に、壮絶な笑みを浮かべる。


「んじゃ、あんたもヤル気満々みたいだしさぁ――」


 アスモは尾を、腰を回して前で構える。

 周囲に炎を浮かべれば、臨戦態勢だ。


 十秒か、一分か。

 いや、もしかすれば一秒だったのかもしれない。


 決闘前のような静寂の中、屋敷が完全に倒壊し――それが、合図となった。


「――ヤり合おうっかねえ!」


 言葉とは裏腹に、アスモは攻め入らない。

 彼女の本領は、尾の硬さによる打撃でも、鋭さを活かした刺突でもない。


 無属性魔術、火刑の『アクゼリュス』。

 決して消えない、最悪の炎だ。


 よく炎に縁があるものだ、とグランは思った。

 人生で最も恨み、すでにこの世にいない敵のことを思い出す。


(あぁ、思えば懐かしい)


 赤い記憶が蘇る。

 奴に刻まれた火傷の痕が、痛い。

 その苦しみを、憶えている。


 それと比べれば、


「この程度の炎、どうということはない――――ッ!」


 炎に飲み込まれる――その瞬間、グランは剣から左手を離し、前に翳した。


「解放!」


 次の瞬間、身体強化のエネルギーを解き放つ。

 左腕を包んでいた赤いオーラが、『アクゼリュス』の炎を吹き飛ばす。


 グランに器用なことはできない。身体強化はできても、解放の威力は決して高くない。

 それでも、『アクゼリュス』を吹き飛ばすことはできる。


 これが『浄火』であれば、グランは消し飛ばされていただろう。


 事前にイシェルから、アスモの炎に威力がないと聞いていたグランも、ぶっつけ本番には冷や汗を流した。

 だが、最初の激突に決死の覚悟を以て挑まなければ、炎の物量に押される危険性があったのだ。


 その賭けに、グランは勝った。


「まだまだァ、『アクゼリュス』ゥ!」


 迫る炎を、強化の解放が吹き飛ばす。

 右腕から、左足から、右足から、胴体から、グランの強化が解かれていく。


 強化を掛け直す暇はなく、走る速さは格段に落ちた。

 残るオーラは、クレイモアに掛かったもの、ただひとつ。


 ――アスモとの間に、炎はない。


「ハァァアアアア――――ッ!」


「くっ、尾ぉぉおおおお!」


 クレイモアと、サソリの尾が、激突する。

 硬質なものが砕ける、破壊音が響いた。


 尾の甲殻が砕かれ、アスモは大きく仰け反る。

 同時に、剣はグランの手から離れ、宙を舞う。強化が解けた手では、反動を受け止めきれなかったのだ。


 グランに得物はない。

 しかしアスモには、剣と尾を交錯させたときには、グランとの間に炎を生み出していた。


 すべての強化が解かれ、クレイモアを失くしたグランに、勝ち目はない。


「残念だったねぇ、あたいの勝ち――!?」


「――いや、お前の負けだ」


 勝利を確信したであろうアスモの眼が、驚愕に見開かれる。

 背に回したグランの手に、いつの間にか槍が握られていたからだ。


「いけぇええ、グラン坊ォォオオオ!」


 下半身を焼かれ、死んだと思っていたはずの男が、自身の得物を投げ渡したのだ。

 最後の力を振り絞って。


 それは、自分を死に追いやった者への復讐だろうか。

 仕えた家に敵対する者への、使命感であうか。


 それとも、かつての仲間を助けるための、友情だろうか。


 男とグランが、まったく同じ笑みを浮かべているのを見れば、答えは一目瞭然かもしれない。


「あぁ……あたいの、負けだ」


 グランとアスモの激突は、濃密な一瞬の内に終わる。

 槍は炎の壁を突き抜け、アスモの心臓を貫いた。


 アスモは血を吐き出して、その動きを止めた。

 それ以降、彼女が動くことはなかった。




「返すぞ」


 グランは槍を、男の傍らに添えた。

 禿げた頭髪を気にし、料理を愛し、ともに戦った戦友だった。


 その男は、不敵な笑みを浮かべたまま、動くことはない。

 下半身を焼失させられた苦痛は、いかほどのものだったのか。最期の力を振り絞って、危機に得物を託してくれた男に、グランは黙祷を捧げる。


「チャング、お前は先に行け」


 そしてグランは、戦友に背を向けた。

 弾かれたクレイモアを手にし、今の戦友と会うために、彼は行く。

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