第一話 ケモノ・メイド・キゾク
ミコト・クロミヤは目を覚ました。
木製の天井が視界に映った。知らない天井ではないが、意識してこの部屋の天井を眺めるのは、これが初めてだ。
窓から差し込む朝日が眩くて、目を細めた。
睡眠時間はおよそ八時間。久しぶりに長時間の睡眠をした。寝すぎて頭がだるいくらいだ。
むくりと上体を起こして、うーんと背伸びをする。首や肩などの間接を回すと、ポキポキと心地よい音が鳴った。
もう倦怠感は消えた。疲れもない。
ミコトが着ていた服は白黒のジャージではなく、サイズの合っていない粗末な服になっていた。ところどころ破けていて、ズボンとかちょっと大事なモノが見えそうである。
まあ、仕方ないか。あのジャージは、見るに堪えないほどボロボロになっていたのだから。
ミコトは部屋の中を見渡した。木製の部屋で、だいたい五畳ほどの広さだ。調度品は置かれておらず質素。今座っているベッドも良質とは言い難い。
置かれているベッドの数は二つ。窓に近い方がミコトのベッドで、もう一つは、
「起きたか」
声をかけられて、ミコトはビクリと肩を震わせた。
ドアに近い方のベッドに、その人物は腰かけていた。外套を着て、フードを被った巨漢だ。フードからは、左頬の火傷の痕と、燃えるような赤い短髪が覗けた。
左腕には、肌が見えないほどに包帯が巻かれている。
男は目を開いて、ミコトを見た。一瞬だけ赤眼に見えたが、違う。少しだけ赤みを帯びただけの、ブラウンの瞳だった。
「おはよーさんです」
軽く挨拶すると、男は軽く頭を下げた。と言っても、ミコトを視界から外そうとはしない。
剣道の礼も確か相手の姿が見えるように、頭を下げすぎないようにしているのだとか。本当かどうかは知らないが、中学の体育教師の言っていた言葉を思い出した。
異世界、雰囲気ありすぎだろ。内心ぼやいた。
そう、異世界。
ミコトは今、ファンタジーでお馴染みの異世界に来ていた。召喚者もいないので、トリップ・迷い込みなどの類だと考えている。
異世界に来て、最初のエンカウントが角熊と呼ばれる野生生物だった。襲われて、命を落としかけたところを、サーシャという少女に救われたのだ。
ラウスの襲撃を受けて、レイラに拾われて。
またラウスに襲撃されて、ミコトは命を落とした――はずだった。
ミコトは右腕を確認した。右腕はラウスを倒す際に起きた爆発によって、吹き飛んでしまったはずだった。
――ある。
拳を開閉した。次いで、親指の爪で人差し指を突いた。ちゃんと、痛みも感触もある。いつも通りだ。
そう、死後目を覚ましたとき、火傷も右腕も、何もかもが元通りになっていたのだ。
治癒魔術のおかげ、ではないらしい。金髪に青い瞳の男から、ミコトが目を覚ますまでの経緯を軽く伝えられた。
信じがたいが、もしそれが本当ならば、ミコトが勝手に復活したことになる。
いくらファンタジーでも、一度死んだ人間が無傷で生き返ることなど、ありえるのだろうか。本当にそんなことが、可能なのだろうか。
疑問が尽きなかったが、この仮定を出したとき、心の中でそれが答えだと、どうしてかわかった。
――ミコト・クロミヤは、死んでも無傷で生き返る。
それを、どこか心の中で納得してしまった。
認めてしまえば、辻褄が合う。ミコトがこの世界に来たとき、どうして無傷だったのか、その理由が。
ただ、これがこの世界に来たから得た力なのか、もともと持っていた力なのかは、わからなかったが。
「ミコト、だったな」
「……うっす、ミコト・クロミヤだす」
男の低い声。思考の海に没頭していたミコトは、遅れて肯定。
男は頷くと、被っていたフードを取った。そうすることで、ようやく男の容貌すべてが明らかになった。
今までの思考を放棄して、ミコトは驚愕に目を見開いた。
赤っぽいブラウンの、鋭い眼。炎のような赤い短髪。浅黒い肌。左頬の火傷の痕。ついでに『歳当て』で二五歳だとわかった。
しかしそのどれもが、ミコトの意識からシャットアウトされていた。
注視したのは、ただ一点。男の耳だ。
本来耳が生えている位置、側頭部に、肌色の耳がない。いや、耳がないわけではない。しかしそれは、人間らしい耳ではなかった。
それは――
「獣耳……だと……!?」
ミコトは驚愕の声を上げた。
獣耳――それは萌え要素の一つだ。
犬耳、猫耳、ウサ耳など、人型キャラクターの頭頂部または側頭部に付けることで、動物的な可愛らしさや野性味などをキャラクターに付与することのできる。
存在するかも、存在してたらいいなと、ミコトも異世界に来てちょっとばかり思っていた。種族が多様な世界なら、獣人的な存在もいるのではないかな、などと期待していた。できれば一度触ってみたい、と夢描いていた。
しかし。しかし、だ。
これはないだろう。
どうして二メートル超えの巨漢に、獣耳を付けちゃうのか。こんなマッチョマンに萌え要素など、なんの価値もないではないか。いったい誰得だというのか。少なくとも、俺得ではない。
あのバイトの先輩なら、嘆き泣き叫び、神に罵倒することであろう。
「……なんだ?」
フードを被り直し、訝しげに尋ねる男。その姿にはやはり萌えは感じられない。感じたくもない。ミコトは肩を落とした。
いや、ポジティブに考えよう。
獣人がいると確信できただけでもよかった。そう考えるとしよう。
結論付けて、頭を振って思考を振り払った。
「いやさ、お前の名前はなんだろな? ってさ」
「グラン・ガーネット。傭兵だ」
「グランね、おけおけ。……傭兵かぁ」
家名を強調するグラン。その雰囲気にやや鬼気迫っていた。
傭兵というワードを聞いて、本当に異世界に来ちまったんだな、とミコトは黙った。それで、一気に室内は沈黙に包まれた。
気まずい。チラリとグランを見てみるが、目を閉じ黙して、何も語ろうとしない。会話の意思はなさそうだ。
ミコトは窓の前に立って、朝日に目を細めつつ外を眺めた。
視界は、高所から眺める角度で街を映す。
現代日本からはかけ離れた、煉瓦と木製の造りの街並みが広がっていた。石畳みの道には、馬車の幾度も通ったためにできた窪みがある。
起床時間は現代よりも早いらしく、少ないながらも道を行き交う人々がいた。
(これがいわゆる、中世ヨーロッパの町並み、って奴かね)
いかにも異世界、である。
ファルマ――それがこの町の名前だ。
昨日、どういうわけか生き返って、混乱を極めているうちに、この町の宿に連れて来られた。
混乱していたため、あまり記憶に残っていないが。
ミコトは窓の外から視界を外した。そこで空腹を感じた。
グランに声をかける。
「飯ってなんかある?」
「しばらく待て。女将も、もうすぐ作るだろう」
「そか」
嘆息して、ベッドに座り直した。やはり自室のベッドよりも座り心地が悪い。
魔術があっても、これじゃ不便だろう。いや、こういう粗雑なのは庶民だけで、貴族は違うのかもしれない。
貴族特有の選民意識(偏見が含まれる)とかがあったら嫌だな、とぼやいた。
◇
そして、朝食の時間がやってきた。起きてからそこまで時間も経っていないだろう。だいたい、六時くらいか。
朝早いためか、泊まっている客が少ないのか、食堂にはミコトを含め一〇名もいなかった。
その食堂の、四人掛けと二人掛けのテーブルを二つくっつけて、グランは端に座る。ミコトはその対角線上に腰を下ろした。
グランが女将に注文すると、しばらくして朝食がテーブルに運ばれた。挨拶すると、女将も快活な笑顔で挨拶を返してきた。
おいしそうですね、とは言わない。出てきたのが、硬そうなパンをいくつかと、薄そうなスープ、あと水だけで、中身のないお世辞になりそうだったからだ。
運ばれた朝食は六人分あった。混乱していたためハッキリしないが、確か昨日も自分合わせて、六人いたはずだ。
グランは目を閉じ、腕を組んでいる。朝食に手を付ける仕草は見せない。ほかの人たちを待っているのであろう。ミコトも待つことにした。
「おはよう、二人とも。いい夢は見れたかい?」
「おはようございます。グラン様、ミコト様」
一分も経たないうちに、二人の男女がやってきた。
まず先に目が行ったのは、女性の方だった。二次元でしか目にしたことがない、メイドの姿をしていた。
ただ、魅せるための衣装ではなく、ロングスカートで色調も地味だ。目立たなさそうだが、清楚らしい感じがする。
服装から目を逸らして、着衣している人物に移した。
ミステリアスな美女であった。冷たさを感じさせる紫の瞳と、同色の長髪。感情が窺えない表情は、人形ではないかと思わせる。
次に、男性の方を見た。これまた高貴そうな服を着た美青年であった。
男にしては長い金髪と、綺麗な青い瞳を持っていた。その眼はどこか興味深そうにミコトを観察している。
「ども、おはようです。いい夢は見てるぜ。でっかく、ヒーローで」
ミコトが挨拶する。横目で、グランが軽く頭を下げるのが見えた。
二人はミコトの対面に座った。青年が真ん中で、メイドがミコトの真正面となる。
ミコトはメイドの目を見たが、そこからはどうしても感情の色を読み取ることはできなかった。
「名前は、なんていうんだ?」
とりあえず、二人にそう訊いた。昨日は聞いている暇などなかったのだ。
青年は「そういえば言ってなかったね」と頷いた。
「僕はフリージス・G・エインルード。よろしくね」
握手を求めてきたので、ミコトも手を伸ばした。
フリージスの腕は細くて、力を入れれば折れてしまいそうだった。肌も青白く、どこか生気を感じられない。病弱な貴公子、という外見であった。
フリージス・G・エインルードと言えば、聞き覚えがある。確かサーシャたちが言っていた仲間の名前で、『ノーフォン』で会話したこともある。
「リースと申します。フリージス様のメイドを務めております」
メイド――リースは慇懃に答えた。丁寧な言葉遣いで、付け焼刃な安っぽさを感じない。堂に入っている。
ミコトも思わず「あっ、これはどうもご丁寧に」と返した。
「知っているとは思うけど、俺がミコト・クロミヤだ。まあ、よろしく」
でさ、とミコトは続ける。
「フリージスって、貴族?」
「確かにそうだけど……。どうしてそう思ったんだい?」
「高級そうな服を着てるし、名前もそれっぽいし、歳の割りに貫禄っぽいのがあるから」
さらに言えば、なんとなく、としか言えない。つまり全部、勘だ。実際当たっていたのだから、勘も馬鹿にはできない。
それと、初めての貴族である。見た限り、選民意識のようなものは見えなくて、ミコトはホッとした。
「歳、ね。君の目からだと、僕は何歳に見えるのかな?」
「二八歳」
ミコトは即答した。『歳当て』は間違いなく、フリージスが二八歳だとしていた。
だが、フリージスは目を細めると、首を横に振った。
「残念だけど、僕は二〇歳だ。さすがに八歳も年上に見られたのは、これが初めてだね」
「え?」
愕然としたミコトは、信じられない気持ちでフリージスを観察する。見た目は確かに、ニ〇歳ほどに見える。しかし『歳当て』は、二八だとしている。
「サバ読んでる?」
「けっこう失礼だね君」
「……嘘じゃ、ねえのか……?」
「こんなことで嘘を言ってもねぇ」
「マジ、か……」
ミコトは頭を抱えた。
直接この目で見て、通用しなかった。『歳当て』初めての敗北であった。
どうでもいい妙技だが、自信だけはあったのだ。
「リースは……二五か?」
「二〇です」
失礼なことを訊いたのだが、リースは眉一つ動かさずに答えた。ただ、目の冷たさが増した気がした。それに気付かず、ミコトは呻いた。
また『歳当て』が通用しなかった。一回だけなら、偶然だと言い訳できたが、二回目は厳しい。
三度目の正直、か。もしくは、二度あることは三度ある、か。
一縷の望みを賭けて、グランに訊くことにした。
「ぐ、グランは、二五だよな?」
「……ああ」
「っし!」
訝しげなグランを気にせず、ミコトはガッツポーズを取った。
場の空気が変な方向に向かい始めたとき、二階から足音が聞こえてきた。
「ほらサーシャ、ちゃんと目を覚まして」
「……おきてる、おきてる、よぉ? あれ、れいりゃがふたり……」
「起きろー!」
そんな緩い会話を繰り広げる二人に、ミコトは叫んだ。
「レイラは一六、サーシャは一四だよなぁ!」
「だから、アンタはいきなりなんなのよ!?」
「わたし、じゅうょんぅ……」
「当たってんだよな、そうなんだよな!」
フリージスは愉快げに、リースは無表情に、グランは黙して困惑するばかりである。ミコトの暴走を止めようとしない。
この騒動は最終的に、一人騒がしく叫んでいたミコトを、女将がフランスパンに似た硬く長いパンで殴り付けるまで続いたのであった。




