第二七話 VSロト 彼女の拳 -
「話を待ってくれて助かったぜ」
そして、ラカは駆け出した。
拳ひとつ握り締め、前へ。
「きみのような心を見るのは初めてでね。昂る輝きに見惚れていたのさ」
ラカに対するは、無数の氷柱だ。
ロトの元から射出される氷が、次々と打ち出される。
「安心しなよ、殺しはしないさ。ぼくのペットにするんだからね」
「気味が悪いんだよ、マセガキ!」
「きみが悪いんだよ? こんなにぼくを興奮させるんだから」
ロトの言う通り、彼はラカを殺す気がないのだろう。
氷柱は威力を弱め、四肢を狙うようにしている。
避けるのは容易い。
ラカ自身の身体能力もあって、氷柱を躱すこと自体は楽だった。
だが、近付けない。
目測で一〇歩。その距離を縮められない。
――だからこそ、ラカは危険を承知で突き進む。
ロトに消耗の様子はないが、逆にラカは傷を負っている。
待ちに徹してボロが出るのは、間違いなくラカが先。その後にあるのは、氷柱の連撃だ。
「おおっ、ぉオオオオオオ!」
可能な限り避ける。
顔面のすぐ横を過ぎる氷には、目もくれない。皮一枚ならどうということはない。
どうしても避けられないものは、骨折した左腕を腰の捻りで動かして逸らす。
右掌で弾く。掌の皮が剥けようが、拳を強く握り締める。
爆散して飛び散った氷には、隙間がある。とても細い、体を丸めようとも当たってしまうだろう。
そこを頭をガードしながら、前に飛んで突き抜ける。
そして、一〇歩を縮めた。
「ラァッ!!」
拳が唸り、ロトの顔面に向かう。
それをロトは、冷静に氷壁を作って対処する。
氷には罅が入るが、砕けることはない。
連打する間もなく、氷は爆散した。拳で氷を砕けなかった時点で横っ飛びに転がったラカは、余裕を以て回避する。
なるほど、テッドが言う通り、これを突破するのは難しい。
一撃で氷壁を破る、強力な一撃が必要だ。
(――あるじゃねーか)
一つだけ、可能性がある。
だが、成功する確率は、限りなく低い。
(確率? 知ったことかよ、そんなモン)
少しでも勝率があるなら、引き寄せてみせる。
この拳で、可能性ってのを掴み取ってやる。
楽観論で結構。
叶えりゃそれが道理になる――!
「――」
ロトは無感動な面のまま、白い眼だけを希望に輝かせ、ラカの心の動きを今か今かと待っている。
もう少しだけ待っていろ。すぐに準備を整える。
「ハ――――ァ」
自身の内側に、意識を向ける。
意識を伸ばす、命に。こじ開けろ、扉を。
オレなら、できる!
「来いよ、魔力ゥォォォォ!」
《無霊の民》の中で、ラカだけができる。
邪晶石の瘴気で、魔力精製の扉は開いている。サーシャの『操魔』によって、魔力の道は開いてもらっている。
こんなに手を貸してもらってるんだ。
「できて、当然だろーがァァァ!」
そして――。
――生命力が精製され、魔力となる。
轟、と。ラカの体から、青い魔力が噴き出した。
それはラカ自身には見えない。当然、資質の低いテッドも気付かない。
ただ一人。ロトはその光景に、口角を吊り上げた。
「《無霊の民》が、魔力を……?」
「お楽しみはこれからだぜ、クソガキ!」
拳を握り込んだラカは、壮絶な笑みを浮かべる。
汗は額を伝い、顎から地に垂れる。
思っていたより、体力の消耗が激しい。
精製効率が悪いためか、このままではすぐに精製に使える生命力はなくなってしまうだろう。
その前に、決着を着ける。
一撃で、壁を砕く。
「やってやるさ――魔術って奴をな!」
そして、ラカは駆け出した。
迎え入れるロトは、ラカの心に、これからするだろうことに、大きな期待をかけていた。
当然だ。魔術を使う《無霊の民》など前代未聞。
その光景を、その心の情景を見られる。これほど嬉しいことはない。
この感動は、使徒との出会い以上だ。
なんて素晴らしい。
「ああ、ラカ・ルカ・ムレイ。その心を、ぼくに刻んでくれ」
ああ、今も彼女の心は、輝いている。
「ぼくに全部を見せてくれ! もあっ、モアぁ、モアッ、モア――!」
氷壁は張らない。彼女との間に壁は無粋だ。自然とそう思った。
ラカの一撃に、ロトも一撃を以て迎え入れる。
「氷の巨人の腕、『ヨトゥン・スルス』――死ぬかもしれないけど、がんばって生き延びるんだよ!」
「テメーがッ、死ねぇぇぇ!」
ロトの右腕が氷に包まれる。
それは腕の形を構築し、さながら巨人の腕のようになる。
対するラカは、ロトに向かって掛けながら、右腕を引き絞る。
そこから発生する魔術を、ロトはすでに知っている。
(『イグニスト』……ね)
そんな初級も初級の魔術に、巨人の右腕が負けるはずがない。
間合いに、入る。ロトは全力を以て、右腕を振り抜く。
――違和感が、あった。
ラカは、右掌を前へ翳している。
だが、魔力が操作されている気配はない。魔術を発動させるには、スロットの術式に魔力を注ぐ必要があるというのに、だ。
「まさか……」
これは、魔術の『ま』の字も知らない子供がよく勘違いすることだ。必殺技を叫べば、魔術は発動するものなのだと。
ラカは今、絶対に魔術が成功すると、確信している。なのに、魔力を操る気配はない。
「そんな、まさか、この局面でそんな勘違いって、ばかな!」
なまじ心を読めたからこそ、ロトは混乱した。
相手が信じていることと、実際の行動がチグハグなのだから、無理はない。
まさか、あんな魔力操作でも、魔術は発動するのか。
大量を放出すれば、スロットにも届く可能性はあるが……もしかしたら成功させるのか?
ロトが混乱していても、激突の時は待ってくれない。
「イグニストぉぉオオオオオオオ――――ッ!!」
意味もなく腹から叫びを上げて、なのに声に術式は宿っていない。
当然、魔術は発動しなかった。
「ミスったぁぁっぁぁぁああああああ!?」
本気で撃つつもりで反動を身構えていたラカは、勢いで前へ体勢を崩してしまう。
それがなんの偶然か、巨大な氷の腕を、ギリギリで回避することになった。
ラカは体勢を崩していたはずが、前転するように転がってから、奇跡のようにロトへ跳びかかる。
「クソッタレぇ、魔術なんか捨ててやらァ!」
「まず、い……腕を引いてっ」
ロトは今までも、ここ一番というところで『ヨトウン・スルス』を使ってきた。
心を読み、絶好のタイミングで使い、幾度となく敵を葬ってきた。
避けられることを想定していない、一撃必殺の奥の手なのだ。
「テメーも見たがってただろうが、括目してぶん殴られろよ」
「そんな、こんな、勘違いなんかでぇ……っ!」
魔力精製には、身体を活性化する役割もある。魔術によらない、原始的な身体強化だ。
強化されたラカを前にして、ロトに回避の余裕はない。防御も間に合わない。
「これが、オレの、拳だぁぁあああああっ!」
「八つ当たりだぁぁ――ぶがぁ!?」
そして、
ロトの顔面に、ラカの拳が突き刺さった。
ロトの意識は一瞬にして刈り取られ、闇の奥へと沈んでいく。
戦いを見届けたテッドは、痛む右腕を抑えながら、蹲るラカに近付く。
ラカは膝の間に顔をうずめ、頭を抱えて唸っていた。
「あの、ラカ」
「うっせぇ」
少し躊躇いつつ声を掛けるも、間髪入れず拒絶された。
「えっと、うん。まぁ、結果的に勝てたんだし」
「黙れ」
「いや、その、」
「いい加減ぶん殴るぞテメー!」
頭を上げたラカの顔は、羞恥で真っ赤になっていた。
半ば涙目になって、彼女は叫ぶ。
「ああそうさ、滑稽だったろうよ! 魔力精製もまともにできねーってのに、気合いがあれば魔術なんか楽勝だなんて思い上がってたよ! 謝りますよすいませんでしたーぁ!」
「あ、うん」
「うがぁぁぁぁぁ、恥ずかしいぃぃぃぃぃ!」
「……ドンマイ!」
「あぁぁぁぁぁぁああああ!」
「ちょっ、おまっ、殴るな!」
◆
ラカの沸点は低かったが、温度が下がるのは早かった。
未だ顔は真っ赤な融点状態だが、テッドが襲われることはなくなった。
「さて、コイツをどうするか……」
ラカの八つ当たりで気絶した子供、《ラ・モール》のロトを見下ろしながら、テッドはぼやいた。
意識を取り戻せば、ロトは再びこちらの邪魔をするだろう。
一番楽なのは、殺すことだ。
だがそうすれば、魔王教の情報は得られない。
テッドは、今回の一戦で魔王教が全滅することはない、と考えている。
多少勢力は弱まるだろうが、残党は残るはずだ。王都外にも潜んでいるだろうし、憑依能力を持つだろう《虚心》は十中八九生き残る。
弱点を知るための情報源は、残しておいたほうがいい。
(そう、なんだけどなぁ)
縛り上げても、無詠唱で魔術を使う奴だ。縄など意味はないだろう。
テッドたちは下層北区に行くのだ。ここで監視するわけにはいかない。
近くに騎士はおらず、預けることはできそうにない。
もしいたとしても、無力化したとは言え、敵を預かる余裕はないだろう。
「やっぱり、殺すか」
懐のナイフを取り出して、逆手に構える。
これを振り下ろせば、ロトの命は潰える。
命を殺すことに、抵抗はなかった。
テッドはナイフを振り上げて、
「やあ。お困りの様子ですな、お二人さん」
テッドのラカの前に、背の小さい男が現れた。
身長は低いが、体つきはガッシリとしている。無精髭を生やした、矮族の男だった。
彼の持つ鉄槌は、血がついている。
おそらく、それを武器にして戦ったのだ。
「あんたは?」
「おっと、失礼しました。私、名をドゥリンと言います。もしよければ、事情を聞かせてくれませんか?」
敵意は見られない。
彼――ドゥリンはただ単純に、困っている様子の二人に声を掛けただけなのだろう。
「このガキ、魔王教の中でも結構な地位に付いているらしい。情報を引き出せると思うんだが、僕たちは下層北区に行かなきゃいけないんだ」
「なるほど。それで、処置に困っていたと。でしたら、我らが預かりましょう」
「……言っちゃなんだが、信用できないな」
ドゥリンは、テッドの眼を見据えている。
陰りも、狂気も、敵意もない。誠実で、まっすぐな眼だ。
だが、印象で他人を信じられるわけにはいかない。
「ふむ。我らの事情を話しましょうかな。実は私、先ほどまで戦おうかどうか迷っていたのです。こう見えて昔、奴隷をやってまして、王都の住人などクソ食らえと思っておりました。が、そのとき……」
チラ、とドゥリンは視線を横に。ラカを見る。
「彼女の、熱い声が聞こえましてな。そのとき思い出したのです。革命を経て、王は変わり、悪しき時代は終わりを告げた。今の王都に罪はない。そして我らは、革命を成した現王――アルドルーア・アルフェリアに恩がある」
先ほどの醜態もとい雄姿を見ていたらしい。
ラカの顔が再び赤くなるのを横目に、テッドは聞きかじった王都の歴史を思い出していた。
今より二〇年前、神聖歴九七五年。悪政を敷く父を打倒せんと、王子アルドルーアがクーデターを起こし、それは成った。
奴隷制度は改定され、非道な扱いを受ける奴隷は激減したらしい。
もっとも、どこにも抜け道はあるだろう。ラカやオーデがそうだった、が、今それは関係のない話だ。
ラカに影響されて、立ち上がった。
それを聞くと、すっと納得できた。
「聞けば、下層北区に用があるご様子。であればあの関所、我らが制圧してみせましょう」
ぞろ、と。どこから現れたのか、男の背後も新たな矮族が並ぶ。
屈強な体つきの男たちだ。そして、皆に首輪の痕がある。
「おいオメェら、腕は鈍ってねえだろうな! ひっさびさの戦いにビビってねえだろうな! アルドルーアへの恩、忘れちゃぁいねえだろうなぁ!!」
「とんでもねえ、親方! 俺らまだまだ現役ですぜ!」
「炭鉱夫を舐めちゃいかんですぜ! ガタがきてんのはおやっさんでしょう!」
それを聞き、ドゥリンの口角が壮絶に吊り上がる。
「言ってくれやがったなオメェら! それじゃあ、試してみようじゃねえか! 行くぞオメェらぁぁぁあ!」
「おおおおおおおおおおおおおお!」
引き留める間もなかった。いや、引き留めるなど無粋か。
テッドは伸ばそうとした腕を、引いた。
「ありがとうな」
ラカの一言に、ドゥリンたち矮族は、歯を見せて笑った。
ある者は鉄槌を掲げ、ある者はツルハシを振り上げ、ある者はスコップを腰に溜めて、突撃する。
勇敢な背中だった。
そして、彼らを戦士にしたのは……。
テッドは横のラカに目を向ける。
「ンだよ?」
「いや、なんでも」
(やっぱり、ラカはすげえや)
誇らしさを誤魔化すように、テッドは苦笑する。
気恥ずかしさを覚えたのは、あまりにラカの背中が遠すぎたからか。
『想い人が、自分以外の人を見ている――報われない恋心。《黒死》の力に羨望し、想い人が慕う《黒死》に嫉妬して。あぁ、なんて平凡、凡人の精神』
ロトに言われた言葉が、脳裏をよぎる。
(でも、一緒に戦うことならできる)
追いつけなくとも、届かなくとも。
今、一緒に戦うことはできる。ラカの役に立つくらい、やってやるさ。
「行こう、ラカ」
「ああ、そうだな。制圧するまでなんて、チンタラ待ってらんねーよ」
傷付いたラカの前を、テッドは先導して走る。
こうして、今だけは、前を走らせてほしい。
(ああ――)
ラカに感化されて走る僕は、きっと、目の前の矮族たちと同じなのだろう。
見上げて、褒め称える。その内の一人でしかないのだ。
(なんだ。こうして受け入れると、けっこう楽なもんなんだな)
テッドの顔には、寂しげな笑みがあった。
その表情は、ラカに見えないはずなのに、
「頼りにしてるぜ、テッド」
「……ああ、期待していろ。僕を、誰だと思ってる」
――こんなにも、救われる。
26、27話合わせて『憧れた彼女の拳』
あらやだこのヒロイン、漢らしい……。主人公属性持ってるよ……。
ミコト? 知りませんねぇ。
『小ネタ』
矮族1「おー、なんか戦いがおっぱじまったぞ」
矮族2「王都でこの規模って、革命のとき以来か」
矮族3「おやっさん、どうする?」
ドゥリン「……どしよっか?」
矮族1「あっ、なんか変なガキが出てきた」
矮族2「あの《無霊の民》の少年、危なくねえか?」
矮族3「なんか暴露されてる……これ、俺が聞いてもよかったのか?」
ドゥリン「ん? おい見てみろ、さっき吹っ飛ばされた女の子が出てきたぞ」
矮族1「ヒーローだ!」
矮族2「必殺技だ!」
矮族3「カッケェ!」
ドゥリン「《無霊の民》が、魔術だと!?」
矮族1「あ、失敗した」
矮族2「でも倒してる」
矮族3「顔真っ赤になってる」
ドゥリン「可愛い……よしオメェら、助太刀するぞ!」
一同「おおおおおおおおおおおお!」
ラカ「ああああああああああああああああ!」
わりとこんなノリ。