第二五話 突撃
――そして、上層北区。
視点は、シュヴァリエット別宅に戻る。
◆
「アスティア! アスティア……っ!」
『ノーフォン』に声を掛けるサーシャは、冷や汗を額に浮かべていた。
緊張に包まれた室内で、軽い口調の声が響く。
『これで《ラ・モール》の出現位置を教えたわけだけど、どうですかね? お役に立ったなら何よりですけど』
レイラの『ノーフォン』越しに、イシェルの声がする。
ラカがその『ノーフォン』を握り締める。
「貧民街に、魔王教徒が……っ」
――《ラ・モール》の出現位置は、王都中にばらけていた。
下層北区にある貧民街での虐殺。
中層東区と北区の間で、魔術区を翻弄。
中層西区では、エインルードへの襲撃。
下層南区に飛来する、魔獣の集団による暴食。
上層東区の王城前では、《公平狂》が暴れ回り。
王城内部にすら、見えない魔の手が伸びている。
そして上層北区――この地区にも、襲撃者は現れた。
怒号と悲鳴の絶叫が響き、嗤い声が聞こえる。
窓の外を見てみれば、上層北区の街並みを荒らし回る、仮面の集団がいる。
『粗方解説しましたけど、もう余裕はないみたいですねー』
「……アンタはこれからどうするつもり?」
呑気にぼやくイシェルに、レイラはきつい口調で尋ねた。
イシェルは変わらない口調で返した。
『本官は王都から逃げさせてもらいますねー』
「は?」
『いやね、ここまで《操魔》側に協力しちゃうとですね、さすがにぶっ殺されるわけでして』
心を読まれるって厄介ですねー、と間延びした声だった。
『残った情報に未練はありますし、不死身さんの行く末も気になりますが、さっさと退散させてもらいますねー』
お詫びだと、イシェルは言っていた。つまりこれは、罪滅ぼしのつもりなのだろうか。
口調からは罪悪感は読み取れず、そういえばこういう奴だったな、とレイラは思い出した。
のらりくらりとして、本当に厄介な趣味人だ。
「また会えるといいわね」
『えっ、なんですか急にお姉さん、いきなりデレちゃって。……ちょっと気持ち悪いで、』
無言で『ノーフォン』を切った。
もう二度と彼女と会うことはないだろう。
レイラは仲間に振り返った。
「さ、これからどうする?」
もっとも、半数は自身の戦う場所を決めたようだったが。
「オレは、チアたちを助けに行くぜ」
「それじゃあ、僕も付いていく。ラカ一人じゃ心配だからな」
ラカとテッドは、下層北区の貧民街へ。
「今は敵とは言え、見捨てることはできん」
エインルードは精鋭揃いだが、こんな状況だ。どうなっているかわからない。
情報収集も兼ねて、見に行く必要はあるだろう。
グランは、中層西区にあるエインルード別宅へ。
「アスティアを見捨てるわけにはいかないよ……!」
自分が好きな人の、友達のために。
サーシャは王城へ。
「本当は、個人行動は好ましくないが……それぞれに優先したいものがあるなら、仕方ないか」
「道は、アタシたちが切り開くわ」
レイラとサヴァラは、上層東区で暴れ回る、仮面の集団を抑えに。
彼らは、行動を開始する。
◆
シュヴァリエット家の門前で、騎士たちと仮面の集団が戦っている。
命を顧みずに戦う仮面に、騎士たちは押され気味だった。
指揮を執るマルセラ・シュヴァリエットの額を、冷や汗が流れる。
当主たる彼は、騎士時代のように、前線で戦うわけにはいかないのだ。そもそも引退後だ、戦闘力など衰えている。
だが、このままでは……。
命懸けを決心する、その間際のことだった。
仮面の集団のど真ん中に、《ヒドラ》が降り立った。
「ハアァア――――ッ!!」
気迫とともに、クレイモアを一閃。
六人が刃に引き裂かれ、一五人が衝撃波で吹き飛ぶ。
そうしてサヴァラが空けた隙間を潜り抜けるのは、銀の疾風だ。
《シロオニ》――サヴァラが、擦れ違い様に仮面たちに致命傷を刻む。
二人の登場によって、仮面の集団は一気に瓦解した。
「気味の悪い仮面集団がッ、そこをどけぇ!」
金属の拘束具に似た仮面ごと、ハルバードの一閃が男を切り裂く。
「道は開いた、行けぇぇえ!」
武器を覆う赤いオーラ『グロウモート』の解放が、大量の仮面たちを吹き飛ばした。
そうして開いた道を行くは、四人の少年少女たちだ。
彼らは二つのグループに別れて、サヴァラ、もしくはグランの背中を追う。
そうして六人は、シュヴァリエット家の門前から姿を消した。
マルセラは苦笑した。
意図してか、それともまったく考慮せずか。
どちらにせよ、どうやら救われたらしい。
「退役して、心も衰えたか。情けない……」
そう言うマルセラの表情は、後悔はあっても苦渋はない。
迷いは、振り切った。
「行くぞ騎士たちよ! この私、《処刑人》マルセラ・シュヴァリエットに続けぇぇぇええ!!」
騎士たちと仮面の集団が、怒号を上げて激突した。
◆
二つのグループに分かれた。
層を下るグラン、ラカ、テッド。そして、上層で戦うサヴァラ、サーシャ、レイラのグループだ。
グランたちが目指しているのは、都城壁の北側にある関所だ。
関所が見えてくる。すでにそこは仮面の集団に壊され、大量の魔王教徒たちが雪崩れ込んでいるところだった。
大量とは行っても、魔王教徒は負け組に所属する。その理由は様々で、境遇、才能、心の脆弱さなどが絡む。
なんにせよ、彼らは弱かった。自業自得で、どうしようもない者だっている。
――なら、それは有象無象と同義だ。
「フンッ」
グランのクレイモアが振り下ろされ、付与魔術『グロウモート』の赤いオーラが解放される。
それは関所を塞ぐ魔王教徒たちを巻き込み、吹き飛ばす。
「どきやがれ!」
グランの取り残しは、素早く動くラカが排除した。
繰り出される足技は、容易く魔王教徒を戦闘不能にしていく。
「邪魔なんだよ、雑魚が!」
背後から迫る魔王教徒は、テッドが対処した。
顔面を砕く拳が、襲い掛かるすべてを排除した。
たった少しの応酬で、すでに魔王教徒たちは臆病風を吹かして、逃げ惑っていた。
そんな有象無象になど、構う価値もない。それより急ぐ理由が、彼らにはあるのだから。
――そして三人は関所を突破し、中層北区に突入する。
「ここからは別行動だ」
背を向けて走りながら、グランは言った。
顔だけはラカたちの様子を窺うように、少し横を向いている。
それに対し、ラカは頷きを返した。
グランは微かに笑みを浮かべて、走る方向を変える。
「勝て」
「誰にモノ言ってやがる」
「僕たちは負けない。《無霊の民》の、誇りに懸けて」
それ以上、言葉は交わさなかった。
グランは中層西区へ、ラカとテッドは下層北区の貧民街に向けて、走り出した。
サヴァラが先導するグループは、王城に向かう。
「ハァァアア!」
道を切り開くサヴァラは、ハルバードを振るう。
立ち塞がる敵すべてを薙ぎ払い、彼らは突き進んだ。
「『セット・イグース』……!」
追手から逃げながらの戦いにおいて、レイラの設置魔術は強力だ。
ときに感知式、ときに時限式の魔術を設置し、爆発させる。三人を追おうとする仮面たちは、悉くが妨害された。
先頭のサヴァラ、殿のレイラ。
二人の間で、サーシャもまた、魔術を使う。
魔法陣は移動しながらでは使えない――その常識を、『操魔』によって無理やり打ち破りながら、サーシャは魔法陣を展開する。
「――『ヴィル・アクエスト』!」
水属性の弾丸魔術『アクエスト』に、断続術式を組み込んだ魔術。
四つの『砲』から、溜め込んだ魔力が続く一〇秒間、合計四〇の水弾が射出される。
狙いは疎らで、水弾の大半は仮面に当たらない。
だが、一瞬にして現れた暴力というのは、馬鹿にはできない。
襲い掛かる敵を怯ませ、その隙をサヴァラが切り込んでいく。
三人の連携は完璧で、言葉なくとも互いに何をしたくて、どうしたいのかが伝わった。
だが、そんな時間も、もうすぐ終わりを迎える。
「王城前、着いた……っ」
肩で息をしながら、サーシャは巨大な城を見上げる。
「レイラとお父さんは、これからどうするの?」
サヴァラとレイラは、顔を見合わせた。
その背後で、哄笑が響き渡る。
「俺たちはナヘマ・キラヌートを討伐する」
「アンタは後ろを気にせず、突っ走りなさい」
その言葉を受けて、サーシャは微笑んだ。
少しだけ、悲しそうにして。
「――ありがとう」
サーシャの頭上で、魔法陣が展開された。
それは頭上から、少しずつ降下して、サーシャの体を通していく。
「……『ウォラート』」
飛行魔術が発動する。
サーシャは風で包まれ、その身を宙に浮かせた。
「行ってる」
そしてサーシャは風に乗り、王城へ向かって飛んだ。
それを見送りながら、レイラはぽつりと呟く。
「バレてたわね……」
レイラがこの後、どうするのかを。
具体的に言えば――ミコトを、殺すことを。
「サヴァラさん。アタシ、すぐ下層に向かうわ」
「……そうか。ならその道は、俺が切り開――」
サヴァラの言葉は、途中で途切れることとなる。
それは、二人の間に、闖入者が現れたからだ。
地を響かせて、それは着地した。石畳の地面に亀裂が入り、飛び散る破片がレイラを吹き飛ばした。
「くぅ……っ!」
「レイラ!」
サヴァラとレイラは分断された。
レイラの元に向かおうとするサヴァラを、闖入者は妨害する。
闖入者の第一印象は、性別が女であることよりも先に、巨大豚というのが先行した。
あまりに太り過ぎて、どこが首かわからない。耳や目蓋に脂肪が溜まっているのか、醜く肥大していた。
脂ぎった肌は不健康に紅潮し、染めたような金髪は、一部染料が剥がれ、痛んだ地毛の茶髪が明るみになっている。
そんな成りで女は、成金丸出しの無駄に煌びやかな衣装で身を包んでいた。豪華な衣装に、まったく本人が釣り合っていない。
次いで、視覚的に衝撃を受けたあとの、臭覚への刺激。
汗、脂、腋臭、香水の匂いが混ざり合い、最悪な悪臭を放っている。
「――――ッ!」
女に気を取られている間に、仮面の集団がレイラに襲い掛かった。
華美さの欠片のない執事服を着、ほかの者と同じ金属の拘束具に似た仮面を着けた男が、レイラに跳びかかる。
「逃げろレイラぁ!」
サヴァラの叫びに、レイラは顔面を蒼白にして逃走した。
その背中を、仮面の集団が追い縋る。
サヴァラも追いかけようとするが、女は見た目に合わない俊敏さで立ち塞がる。
「あなダが、ざばラ・ぜレナイド……で、まぢがいないばよねぇ?」
「そうか、テメェがそうか……」
ただの魔王教徒とは違う、狂気染みたすごみ。
それは一ヶ月前に対峙した、《狂愛者》メレクにも似た醜悪さ。
間違いない、こいつが――
「あだじがキラヌート家の当じゅ。魔王ギぉうの《ラ・モール》所ぞぐ――ナヘマ・キラヌートよォォオ!」
「自己紹介どうもありがとう――よォッ!」
上層北区の王城前。
ここに、サヴァラとナヘマが激突する。