第二三話 ディゾルブ - 下冬一三日、開戦 -
サーシャ、レイラ、グラン、ラカ、テッド、サヴァラの六人は現在、シュヴァリエット家の別宅に泊まらせてもらっていた。
今は、上層北区のここが拠点。下層北区と距離はあるが、走れば一時間とせずに辿り着けるので問題ない。
デメリットよりも、メリットが大きかったというのもある。
安全は確約されており、家賃も払う必要がない。美味しい食事も出るし、ふかふかのベッドもある。
新たな拠点を構築しようとしても、今ほど快適な場所は確保できないだろう。
――下冬の一三日。
その日も、早朝から捜索に乗り出す予定になっていた。
レイラの『ノーフォン』に通信が入ったのは、ちょうど仲間全員が集まり、捜索場所などの打ち合わせをしていたときであった。
『どーもお姉さん、お久しぶりになりますねー?』
ダウナーな少女の声だった。それに、レイラは聞き覚えがあった。
「アンタ、イシェル……!」
イシェル。家名の有無はわからない。
趣味で諜報員をしているという、理解しがたい趣向を持つ変人だ。
彼女はおおよそ、二カ月前から一ヶ月前の間――エインルードでの件から、封魔の里での魔獣騒動の間だけ、行動をともにしていたことがある。
その魔獣騒動のときに、姿を眩ませたのだが。
「こっちから連絡しても出なかったくせに、今さらどういうつもり?」
レイラの口調は、自然と荒くなる。不真面目で不謹慎な言動をする彼女が、レイラはあまり好きではなかった。
『あは、心配してくれてたんですか?』
「誰がするか」
『心配してたんですー、無事でよかったー、……って言ってくれたら、取って置きの情報を教えちゃうのになぁ』
レイラは『ノーフォン』を、サーシャに投げ渡した。
慌てて受け取ったサーシャは、血管を浮き上がらせるほど拳を強く握るレイラを見て、軽く苦笑する。
「元気そうで何よりだよ、イシェル」
『(お姉さんめ、逃げたな)……あぁうん、妹さんも、正気になってるようで何より』
それからしばらく雑談をしていたのだが、せっかちな気のあるラカは、割と苛立っていたようだ。
サーシャから『ノーフォン』をもぎ取ったラカが、ずいと『ノーフォン』に顔を近付ける。
「心配してやった、無事も確認した。オラ、さっさと取って置きの情報とやらを話せよ、なぁオイ」
『八重歯ちゃんったら、ほんとチンピラ……えー、ごほん。ではまず最初に、謝罪しまーす』
ようやく話す気になったらしい。
次にイシェルが発する言葉を待ち、部屋は静まる。
イシェルは告げた。
『童女ちゃん……あー、ユミルちゃんを誘拐したの、本官なんです! テヘッ』
…………。
『……あれ、反応なしですかー?』
「いや、予想してたし。さっさと本題に入ってくれ」
テッドは冷たく返した。
元仲間とはいえ、幼い少女を攫ったことに嫌悪感を覚えているのだ。
『それじゃ、話を進めていきますよー。えっと、攫った当日のことなんですが、ユミルちゃんが魔王教から逃げ出したと本官は気付きましてね。それで、魔王教に興味があったんで、手土産として拉致っちゃいました』
クズぅ、とレイラがぼやき、片手で顔を覆った。
『それで魔王教に入れてもらいまして、色々と情報が手に入りましたんで、お詫びとして教えておこうかなー、と』
まぁ思いついたのは、つい先ほどですけどね。というイシェルの呟きが、『ノーフォン』を通して聞こえてくる。
『《ラ・モール》というのをご存じですか? 魔王教の内部で作られた、腹黒さん……シェルアさんのお気に入り集団なんですが。それが本日、行動を開始します』
「――――っ!?」
驚愕が走った。
彼らが落ち着くのを待つ暇なく、イシェルは情報を口にする。
『それで、彼らの出現位置なんですが――』
◆
――イシェルがサーシャたちに情報を伝える、その直前。
開戦の狼煙を上げたのは、魔王教ではなくエインルードだった。
場所は下層北区にある、魔王教の拠点。
改築を重ねることによって生まれた、建物と建物の隙間。それは悪意によって意図して広げられ、悪意の温床となる。
そうして作られた広場こそが、魔王教の拠点への入り口だった。
周囲の建物は、成人男性の五倍はあり、広場に入るには一本の路地裏を進むしかない。
その入り口に、人相の悪い男が数人。いずれも短剣を手にしている。彼らは警備の者だった。
誰かは、夢に破れた者だ。誰かは、人に裏切られたものだ。誰かは、努力が実らなかったものだ。
すべての願いが叶う『新世界』――それに縋り付き、その誕生のために尽力する弱者たち。
同情する要素があったかもしれないし、自業自得なところもあったかもしれない。
だが、彼らは魔王教という集団に属していた。
だから――突如、唐突に、命が潰えることになる。
――広場を囲む建物が、大地ごと隆起し、広場を押し潰す。
轟、と震動する。警備員は建物と一緒になって、大地と大地に押し潰されて、ミンチとなった。
死体が埋まる大地を、とある集団が踏みつける。
エインルード。
《地天》の勇者・グロウスの血を引く家系だ。
彼らの先頭に立っているのは、金髪と青目の壮年――ヴィストーク・グロウス・エインルード。
勇者の末裔たちを率いるその男こそが、エインルード家の当主だ。
魔王教徒を殺した。だというのに、彼に歓喜はない。
知っていたからだ。この程度のことで、使徒が死ぬはずがないのだと。
大地の底から魔力の発露があった。
爆風、爆炎、爆音が、下層北区を揺さぶる。
広場を潰した土砂は引き剥がされ、大空へ打ち上がる。
土砂や岩石が降り注ぐ。それらは下層北区を破壊していくが、エインルードには一切の影響を与えない。
エインルードの血は優秀で、この場に集った五〇名は、誰もが精鋭だ。
その彼らが、身構える。
元々、広場はカモフラージュだったのだろう。
大地が引き剥がされ、地下への道が開いた。
そこから、数多の魔王教徒が現れる。
魔王教徒は負け犬の集まりであり、頭は愚かしく、身体能力も低く、才能もない。有象無象以下の存在で、烏合の衆だ。
だが、彼らには邪晶石が与えられている。
正気を代償に瘴気を得た、邪道の存在だ。
魔王教徒を率いているのは、見た目一〇代半ばの、銀髪青目の少女。
魔王教徒の崇拝を一身に集める彼女こそが、魔王教の創設者――《虚心》の使徒・シェルア・スピルス。
否、今はシェルア・クロミヤと言うべきか。
その青い眼が、血色に変貌する。能面のような表情が、苛立ちと愉悦に歪んだ。
――そして、両者は激突する。
エインルード側で爆発が起こった。それは魔王教の手によるものではない、自爆だ。
スロット内での演算を狂わされ、意図して暴発させられたのだ。
爆風でエインルード側が一人死亡、数人負傷する。
同じくスロットに干渉を受け、魔術を不発させられたヴィストークは、瞬時に何があったかを把握する。
「《虚心》の仕業だ! これより、魔術の演算を禁ずる!!」
本来なら、それは最悪の命令だ。
魔術が戦闘の大部分を占める現代、魔術を使わないというのは愚策だ。それは《無霊の民》の衰退が、歴史をもって証明している。
だが、エインルードに限っては、詠唱禁止は魔術の禁止に繋がらない。
彼らは世界のどこでも戦っていける、本当の精鋭なのだから。
「構え!」
魔王教徒が突進していく先で、エインルードは両手を前へ構える。
瞬間、魔法陣が展開される。
次いで、エインルードは詩を紡ぐ。
「土よ・砂よ・石よ! 恵みの大地よ・今再び我らに慈しみを! 雄々しき大地よ・我らが仇に災禍を下し給え! シェオル・リライト - グロスウ・アルタ - 飲み下せ――『グロウェイク』!!」
精鋭たちの、一言一句違わぬ詠唱。
干渉系統・地属性・中級の隆起魔術『グロウェイク』。
演算を一切していないことで、一発一発の威力は低い。しかし、五〇人弱の力が加わることにより、上級魔術としては破格の威力を生み出す。
「チッ」
シェルアが舌打ちし、懐の邪晶石を砕いた。瘴気がシェルアを包み込み、急速に吸収されていく。
そうして魔力を得ることで、シェルアは自身に足りない魔力を補填する。
シェルアの演算能力は、この世界の誰よりも優れている。
そう。魔力さえあれば、魔術戦において、シェルアは誰にも負けない。
シェルアは無言、つまりは無詠唱。もちろん魔力操作が苦手のシェルアが、魔法陣を作れるわけもなく。
つまり、ただの演算能力だけ。それだけで、五〇人が力を合わせた一撃と相殺し、隆起現象を引き起こす。
魔王教徒たちとエインルードの間で、大規模の衝撃が発生する。
砂煙が舞い散る中、狂気に侵された魔王教徒たちは、躊躇することなくエインルードに跳びかかる。
数は魔王教徒が勝り、個人の力量ではではエインルードが勝る。
両者が激突する中、彼らを率いる二人は対峙し合う。
「不意打ちなんて、使命を完遂しますーなんて殊勝な輩には似合わないって、ボクは思うんだけれども」
「使命のためならなんだってするさ、愚生どもはな」
シェルア・クロミヤと、ヴィストーク・グロウス・エインルードが向かい合う。
「魔法陣に詠唱魔術って、なんとも古臭い戦い方だと思わないかい? あぁ当然か、千年前からキミたちは何も変わっていないんだから」
演算が魔術の基本となったのは、新世歴五百年代から。
エインルードは五百年近く昔の技術を使ってるのだ。
「貴様が言えることではないだろう。四百年前の遺物が」
「ん、それはそうだ」
ところで、とシェルアは辺りに視線を巡らせる。
「キミのところの最高戦力がいないようだけれども、どこに行ったんだろうねぇ?」
咄嗟にヴィストークは目を伏せ、視線が合うことを避けた。
《虚心》の使徒が、目を合わせることで思考を読むことを、すでに知っていたからだ。
「一つ、勘違いしているようだけれども。身体と精神の齟齬、肉体の衰弱があった前回とは違って、今回は七割一致しているんだ。だから、視線を合わせるまでもない。キミに注視すれば――」
自慢げに能力を語っていたシェルアが、唐突に語りをやめた。
嘲笑が無表情へ、そして憤怒へと変貌する。
ヴィストークから視線を逸らし、広場の地下へと吠える。
「寝てる場合じゃないから、ベルフ! ここはお願いするよ!」
告げて、シェルアは戦いから背を向けた。
その背に向けて、右手を構えるヴィストーク。
「行かせると思うか?」
ヴィストークは、右手に作った魔法陣を、大地に叩き付けた。
巨大な岩の槍が、シェルアに向かう。
「頼むよ、ベルフ」
しかし、撃ち落とすことはできなかった。
ヴィストークとシェルアの間に、突如現れた何者かが、岩槍を砕いたのだ。
(無事でいてくれよ、ミコトお兄さん)
そうして、シェルアの姿は遠ざかり、ついに追跡できなくなった。
代わりに、ヴィストークの前に立ち塞がったのは、身長三メートルを超える獣族の男だった。
醜悪な見た目で、強烈な体臭だ。
全身から焦げ茶の体毛をぼざぼさに生やし、不潔さが目で見てわかる。
元々は熊の獣族だったのだろう、その名残がある。
唯一変貌を遂げていないのは、その顔か。熊の肉体に、顔だけが人間のものだ。
動物に人間の顔が付いているというのは、アンバランスかつ不気味で気持ちが悪い。
人面熊、と言うべき見た目だ。
その化け物は、ほとんど白目がないほど大きい赤眼を見開いて、ヴィストークを睨み付ける。
「ねえ、オラ怠いんだよ。だるいダルイ怠い。なのになんだよ、なんで関わってくるんだよ! オラは何もしたくないんだよ、わかるよね? わからない君は馬鹿で阿呆で間抜けでェ――そうだね殺してアゲルッ、《ラ・モール》のォ、このベルフがねェェェ!!」
◆
――エインルードが魔王教拠点を襲ったのと、完全な同時期のこと。
屋敷では、ミコトが玄関に腰かけていた。
ミコトの前面には、アクィナがちょこんと体育座りをしている。
「なんか、変だな」
「……?」
ぽつりと、ミコトは呟いた。
アクィナの訝しむ視線に、ミコトは首を横に振る。
「いや、特に何があって変、って言ってるわけじゃねえんだけど。こう、なんかピリピリするなって」
何かが起こる、前触れのような、その感覚。
それを感じ、ミコトはそわそわとしていた。
ミコトがそう感じたのには、理由がある。
彼は魔力感知に優れており、魔力に込められた残留思念――特に、ある感情に対して敏感だ。
それは――殺意。
「――――ッ!?」
突如として膨れ上がった敵意に、直前で感知したミコトが、アクィナを抱えて跳び退る。
直後、紫紺の極光が突き抜けた。
それは玄関の扉を突き破り、廊下を進んで階段を貫き、『消滅』させる。
もし避けていなければ、ミコトは全身を消し飛ばされていたに違いない。
心臓を鷲掴みにされるような緊張――死の恐怖。
そして、
「久しぶりだね、ミコト・クロミヤくん。こんなところにいるとは思わなかったよ」
脳髄の奥で、黒いモノが叫ぶ。
その姿を見た瞬間、『最強』という言葉が脳裏に浮かんだ。
金色の長髪に、青い瞳を持つ、異形の青年だ。長身痩躯の体には、しかし、尋常でない魔力が宿っているとわかる。
膨大な魔力は、彼のものではない。その供給源こそが、まさに彼を異形と称する理由。
左肩の先から、裸の女の上半身が生えている。
自分を抱くようにして眠る彼女の髪は、先ほどの極光と同じ紫紺の色をしている。
さらに彼女を覆うように、聖晶石が存在していた。
青年は、その聖晶石から魔力を得ているのだ。
「なん、だ……?」
違和感、というよりも、一体感。
聖晶石の魔力が、完全にミコトの魔力と同一なのだ。
脳髄を掻き乱されるような忌避感。それを思い出したくないと、過去を拒否する。
それよりも今は、すべきことがあるだろう。
「襲撃者っ!」
自分を殺す算段を立てていた、あの輩の仲間か。それ以外か。
そんなものはどうでもいい。大切なのは、目の前の青年が敵意を持って、屋敷に襲撃を仕掛けてきたという事実。
――屋敷での日常は、絶対に守る。
「アクィナ、屋敷から離れるぞ!」
次にミコトが取った行動は、屋敷から速やかに離れることだった。
あの極光が何度も放たれれば、屋敷はすぐに穴だらけになるだろう。あそこにはまだ、バッサとユミルがいるのだ。
「……うん?」
訝しむように唸りながら、青年は再び極光を放った。
その極光は、明らかにミコトを狙って放たれたものだ。
その数、三。左右と頭上を狙って放たれたそれは、ミコトから外れている。
疑念はすぐに晴れた。一斉三射に続く極大の光が、迫る。
どこにも避けられない。急速に近付く極光に、ミコトは腕を交差させて、
「――間に、合えっ!」
突如、少年の声、そしてミコトは平衡感覚を失った。
それは一瞬のことで、感覚を取り戻したとき、空高く舞い上がっていた。
「ぁ?」
周囲にある建物の背丈より、ミコトは高くにいる。おそらく三階建て程度か。
落ちる。
幸いこの程度なら問題ない。
ミコトは内心で混乱しながらも、真下を見る。そこには、落下地点に先回りしたアクィナが、空を仰ぐように受け止める姿勢に入っていた。
そのアクィナを、横合いから蹴り飛ばす者がいる。
茶髪と青目の少年――先日、アクィナに怪我を負わせた、敵だ。
「く……っ!」
『尊から離れろ、売女ァ!!』
少年とアクィナが接触した瞬間、二人の姿が掻き消えた。
「あ、アクィナ!?」
どこへ消えたのか、アクィナは大丈夫なのか。
焦燥に胸を焼き焦がされる。しかし、他人の身を案じる暇はない。
着地する場所に向けて、青年が異形の左腕を構えている。
絶対に避けられないタイミングを狙っているのだ。
「く……そ、がァ!」
落ちるまでに、術式を演算。逆方向に噴射する突風魔術が、ミコトを路地裏の奥へと吹き飛ばした。
着地に失敗して、全身を地面に打ち付ける。
だが、立ち止まるわけにはいかない。
――そして、ミコトと青年の、命を懸けた追いかけっこが始まった。
◆
ミコトとアクィナ、二人の襲撃者が姿を消した、その後の屋敷で。
「バッサちゃん……」
「大丈夫、こっちに来てください」
バッサはユミルの手を引いて、廊下を歩む。
玄関の近くを通りかかったとき、辺りの惨状に、ユミルは声にならない悲鳴を上げた。
バッサは歩みを止めない。
足を緩ませるユミルを、無理やり歩かせるように、ある場所を目指す。
そこに向かいながら、ユミルは首を傾げる。
「そこ、何もないよ……?」
目指していたのは、階段の脇に存在する空白。
何にも使われていない場所で、バッサは目の前の壁に手を伸ばす。
何を、握る。
その瞬間、ユミルの目の前に扉が現れた。
いや、現れたのではなく、気付いたと言うほうが正しいか。
そこに確かにあったのに、ユミルは今の今まで気付けなかったのだ。
扉が開かれると、そこには地下へ続く階段がある。
バッサに促され、ユミルは階段を降りる。それに連れて、少しずつ人工の階段から、自然の洞窟へと姿を変えていく。
ユミルには、妙な既視感があった。妙な嫌悪感も覚えている。
『記憶にない』のに、ここに来たことがあると、わかってしまう。
階段を下りきった先には、さらに洞窟が続いている。
洞窟の壁には、いくつかの扉が設置されていた。
「この部屋にお入りください」
そのうち、バッサは一つの扉を開ける。そこは、水や光が完備させた、しばらくは自力で生活できる一室となっている。
ユミルはそこに入れさせられた。鍵を『外から』掛けながら、バッサは安心させるような、柔らかな言葉を紡ぐ。
「全ての些末事を終わらせてから、迎えにくるとするわ」
「う、うん! バッサたちも、気を付けてねっ」
空元気とわかる返事だった。
バッサは吐息をこぼして、洞窟をさらに奥へ進む。
その先で漂う存在に、会うために。
「アィーアツブス、そろそろ出番ですよ」
ガスのような魔物が、三対の赤眼に愉悦を浮かべ、口角を吊り上げた。