第二二話 終わりに向けて
マルセラ・シュヴァリエットから齎された情報は、王都に滞在する貴族たちをひどく驚愕させた。
王城への侵入者に加え、下層北区で発生した騒動によって緊張状態にあったところに、それらが魔王教の仕業だと言うのだ。
魔王教。
それは約四百年もの間、アルフェリア王国に潜んでいた組織だ。
魔王を掲げる相応しい悪逆さ。
宗教というには主義主張はバラバラで、しかし教徒の誰もが、何かに対して狂信していた。
目的も動向も不明な彼らが、王都でよからぬことを企んでいるというのだ。
溜まった緊張が爆発するのは、自然なことだった。
ここで、マルセラの政治的手腕が働いた。
爆発の矛先を、魔王教だけに絞った。悪徒を滅しようという、正義感へと変えて。
それにより、王城内の守護にだけ専念していた第一騎士団が、いつでも王都の街々へ出撃できるようになった。
第三騎士団は、より一層の警戒を払っての、王都巡回だ。
王子率いる第二騎士団は、レグルス神聖国との国境沿いに出撃していて、どうしようもなかったが……。
ともあれ、魔王教の情報が届けられて、たったの二日。
状況はマルセラの思い通りに進んだ。
マルセラから情報が届いた、その三日目のことだ。
「むぅ」
王城にある自室で、アスティア・アルフェリアは不満げに唸った。
「マルセラの奴め、なかなかやるではないか……」
今回アスティアは、マルセラの支持しかしていない。
それで、こんなにも早く騎士団を動かせたのだから、まったくの無駄ではないのだが。
立場が高くとも功績があるわけではないアスティアでは、こうは上手くいかなかっただろう。
事前に知っていたというのに。
そして、魔王教との闘いでも、自分に手伝えることはないのだろう。
「妾も戦う……わけには、いかないな」
自分の立場くらい、弁えている。
今は、できることをするしかない。
アスティアは『ノーフォン』を取り出し、表面の刻印をなぞる。
そして、繋がった先は、
『どうしたの、アスティア?』
「いや、なに。こちらの動向を伝えておこうと思ってな」
『ど、どうなったの……?』
不安そうな声音だった。
「戦いの準備は進んでいる。第三騎士団は王都中を巡回し、第一騎士団はすぐに駆け付ける体勢だ」
サーシャが安堵の溜息を漏らしたのがわかった。
時間が経たずして、「それと」とアスティアは言う。
「お前に探ってほしいと言われた、エインルードの件だ」
サーシャの動揺が伝わってくる。
彼女はエインルードの裏切られたのだと言う。
どういう経緯があって、何が理由でそうなったのか、アスティアは知らない。
触れないまま、アスティアは告げた。
「アルフェリア王国最強の魔術師――フリージス・G・エインルードが、王都にいる」
サーシャが、絶句した。
エインルード領の中心、エインの街が謎の崩壊を迎えた、王国の調査隊が派遣された。
そのことでわかったのは、少しだけ。
彼らが勇者の末裔で、魔王教と長年戦い続けてきたこと。そして、おぞましい研究をしていたということ。
もっとも、エインルードが《地天》の祖先であることを、国王アルドルーアは知っていたようだったが。
彼らが現在王都にいるのは、魔王教との闘争を予期してのことなのか。
王国に黙っている辺り、秘密主義にも限度がある。王国側の味方とは、素直に思えない。
勇者の末裔の家系と、魔王の名を掲げる組織、王国の抱える騎士団。
かつての内戦を超える、三つ巴の激戦は、そう遠くない未来に勃発する。
◆
リッター・シュヴァリエットは、近衛隊長の執務室に呼ばれていた。
その部屋の主は、執務机にて顰め面をしながら、一つの書類を睨んでいる。
老いを感じさせない風格を持つ老騎士、ゼス・ラーバーその人だ。
彼は書類から目を離すと、まっすぐリッターを見据えた。
「リッター・シュヴァリエット。君は一時的に、巡回の任に就け」
「自分には、近衛の任があるのですが……」
リッターは困惑した。
王都巡回は、第三騎士団の仕事である。
リッターには近衛騎士として、アスティア王女を守る使命があった。
「半年前の失態が、あとを引いているということだ」
「そう、ですか」
それを聞いただけで、あとはわかった。
リッターも、貴族の身だ。どろどろした内情も、いくらか推測できる。
顔を顰めるリッターに、ゼスはふっと、厳つい面に微笑みを浮かべた。
「魔王教との戦いで、成果を出せ。さすれば、うるさい貴族どもを黙らせられるだろう」
「隊長……」
「期待しているぞ、リッターよ」
ゼスがリッターに期待するのは、若いながら近衛騎士に就いた実績を評価してか、それとも《処刑人》の息子だからか。
それはどうでもいい。
「はい!!」
尊敬するゼス・ラーバーが、自分に期待している。
なら、それを裏切るわけにはいかない。裏切りたくない。
と、ゼスが小包を放ってくる。
リッターは訝しみながらも掴み取った。
「それは餞別だ」
言って、ゼスは引き出しからお菓子の乗った皿を取り出した。
幸せそうな表情でお菓子を口に運ぶ姿は、争い事とは無縁の好々爺のように見える。
だが、忘れてはいけない。
お菓子作りを趣味とするゼスは、とんでもないダークマター職人なのだと。
尊敬するゼス・ラーバーが、自分に期待している。『これ』を食すことを。
それを裏切りたくはない。しかし絶対に応えたくない。
「ありがとう……ございます」
……これは、若白髪のアイツにでもあげよう。
◆
「ぶぇっしゅ……!!」
くしゃみが出た。
ぶるりと体を震わせて、ミコト・クロミヤは自分の体を抱いた。
なんだろう、何かしらの悪意を感じたような。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ん、問題ないよ、ユミル。ありがとな」
心配そうなユミルの頭を、ミコトは撫でた。
現在ミコトは、一人で修行している。
いつも教えてくれるシェルアは、もしもに備えて魔王教本拠に出社していた。
屋敷に残っているのは、ミコトとユミル、アクィナとバッサの四人だ。
アクィナはすでに完治し、元と同じだらけた生活を送っている。
今頃はバッサに甘やかされていることだろう。
戦う力を持たないユミルには、屋敷に残ってもらう。
ミコトは、ユミルを守るために待機だ。兄として、家を守らないと。
「続けるか」
この悪寒が、未来に待ち受ける戦いを予期してのものなら、より一層修練に励まなくては。
ミコトは改めて、スロット内で術式を練る。
頭の中で、敵の姿をイメージする。
茶髪青目の、瞬間移動する少年。
銀髪赤眼の、少女。
胸が苦しくなる。
これはきっと、恨みなのだ。
アクィナを傷付けられて。
彼らの仲間が、自分や妹を殺す算段を立てていて。
――だからこれは、殺意だ。
それ以外にありえないのだと、ミコトは自分に言い聞かせた。
◆
それぞれの陣営が、それぞれに準備を進めていく。
あらゆる思惑が交錯し、あらゆる未来に分岐する。
――――下冬の一三日、当日。
戦争が起きる日。
ほんの少しの不確定要素で、視界は曇ってしまう。
現在の王都の未来は、誰にも想定できない。
《黒死》の使徒や、《千空》の使徒も、《操魔》の宿主も。
舞台と整えた気になった、《虚心》の使徒でさえ。
時計塔の屋根の上から、複雑な運命が絡み合った、混沌の王都を見下ろす、人影がひとつ。
《無霊の民》とは色合いが違う、白灰髪の老人だ。
閉じられた目は、しかしハッキリと王都を見据えている。
王都の、未来を。
曇ってぼやけた、その光景を。
《時眼》の勇者――シリオス。
人影ひとつの時計塔の屋根で、彼は言う。
「久しぶりだ、アドレヤ」
ほどなくして、新たな人影が現れる。
それはシリオスの目の前――空中に留まっている。
「本当に、久しぶりじゃの、シリオス」
神族、アドレヤ・ゴッドローズ。
紫のローブで身を包み、紫のフードを目深に被って素顔を隠し、口元には微笑を湛え、左手には水晶玉を持って。
その姿はまさに、胡散臭い占い師そのものだ。
アドレヤはフードを取り払う。
そうして現れたのは、幼くも美しい少女だった。
神族の特徴である尖った耳に、輝くような青い瞳。
薄金の髪は、自然精製で体から漏れる魔力によって、淡い青で輝いている。
「大きくなったな。昔はこのくらい小さかったというのに」
シリオスは笑みを作って、手で赤子を抱くような仕草をして見せる。
からかわれたアドレヤは、シリオスに食って掛かる。
「うっさいわ、耄碌ジジイ! わしにそんな記憶はないわ!」
「もう三四五年も前になるのか……うん? それにしては成長が見えない……」
「よく憶えとるな!?」
「当然だ、私を誰だと思っている? 時間を司る《時眼》の勇者だぞ」
「ここぞとばかりに主張してきよって……!」
神族の寿命は、おおよそ五百年と言われている。
目に見えて老けることはなく、寿命で死ぬときでさえ、その容姿に皺は現れない。
それでも一応、不老というわけではないのだ。
少なくとも、三百年生きていれば、人族基準での二〇代の見た目になる。
しかしアドレヤの見た目は、どう見ても十代に満たないもので、
「ええいジロジロ見るでないわ!」
ついに顔を真っ赤にしたアドレヤは、ぷいと顔を背けてしまった。
シリオスは苦笑して、「すまんな」と腰低く謝る。
まるで悪戯好きなお爺さんと、やんちゃな孫。
彼らが知り合ったのは、シリオスが霊泉大陸を訪れたところから始まる。
シリオスが赴いた理由はいくつかある。
寿命が長い神族に会いたかった、今は亡き知り合いの子供がいたから、というのもある。
そして一番の理由は。
霊泉大陸の中心で聳え立つ世界樹の元に、シリオスの仲間たちがいたからだ。
そうして赴いて、知り合いの孫であるアドレヤを抱き上げたことがあった。
アドレヤからは「お爺ちゃん」と呼ばれ、ずいぶん慕われていたものだ。
(あぁ、懐かしいものだ)
と、それまで羞恥に顔を赤くしていたアドレヤは、一転して真剣な顔色になる。
シリオスと同じく、時計塔の屋根に降り立つ。
「闘いは、いつまで続くのじゃ?」
彼女の言葉は、今回王都で勃発する戦争を差してではない。
千年続く因縁の終焉を、恐れているかのような。
幼い頃のアドレヤは、たびたび霊泉大陸を訪れるシリオスに、何度か同じ質問をしたことがある。
そのとき、シリオスはいつもはぐらかしたものだ。未来が見えなかったから。
だが今、歪む未来の中で、確かに『終わり』が近付いているのを感じたから。
「――もうすぐだ」
シリオスの戦いは、千年前に終わっている。
勇者側にも魔王側にも、手を貸す気はない。ただ彼らの行く先を見届けよう。
そうすることで、ようやくシリオスの未練は消失する。
もう、長い時を生きる必要は、なくなるのだ。
千年前から続く因縁は、今日を越えて、『終わり』に向けて加速する。