第二一話 交渉
「ありがとうございました」
早朝のこと。
そう言って、サーシャたちは頭を下げる。
目の前にいるのは、家に泊まらせてくれた女性、テュアーテだ。
「寂しくなるわぁ」
「俺たちがここにいては、迷惑を掛けてしまうので」
サヴァラは言いながら、今までの礼として金貨を渡そうとする。
しかしテュアーテは、それを受け取らない。
「チアちゃんの面倒を見てくれて、うちも助かったのよぉ。だからお相子」
「……わかりました」
実際、資金がこれ以上減るのは勘弁したいところだった。
テュアーテの遠慮に、サヴァラは従った。
「チア、じゃーな」
ラカは膝を曲げて、チアと視線を合わせていた。
チアは目尻に涙を溜めていた。
「ラぁちゃん、また遊ぼうね!」
「……わーったよ。可能なら寄ってやる」
「約束だよ!」
「可能ならって言ってんのによー……」
そして、テュアーテとチアに別れを告げて、サーシャたちは去る。
先日の、隠れ潜んでいたのが魔王教の者であれば、これ以上彼らとともにいれば迷惑が掛かる。
あの家が襲われる可能性がなくなったわけではないので、住居を移すように助言もした。
もう、ここに残ることはできない。
王都は上層、中層、下層がある。
上層と中層の間には都城壁、中層と下層の間には旧城壁。そして王都の外に作られた新城壁に分けられる。
これから彼らは、上層に向かう。
しかし、中層と上層を隔てる都城壁には関所があり、貴族の紋章や招待状、許可証がなければ入れないようになっている。
だからこれから、上層に行ける者と会いに行く。
ルートとして、エインルードの別宅がある中層西区は避けたい。
ユウマの『転移』を使い、移動時間を短縮。北区の都城壁前の路地裏に辿り着いた。
『転移』があれば関所を無視できるが、正規の手続きを踏む必要があった。
これからすることを考えれば、当然のことだった。
それにユウマは、王国に喧嘩を売ったらしく、下手に上層を出歩けないのだとか。
そのため彼は、サーシャたちを見送り、中層に残ることになる。
本当は、サーシャも中層に残るべきなのだが……王女と交友関係を築いているのが彼女だけだから、仕方ない。
「来たわね」
レイラの声、皆はそちらへ向く。
白い生地に赤いラインの制服と、腰に差した騎士剣。
亜麻色の髪を持った、年若い青年がそこにいた。
「リッター・シュヴァリエットだ。君たちの事情は聞いた。これより、シュヴァリエット別宅に案内する」
そう自己紹介して、サーシャとレイラの元まで歩み寄る。
「お久しぶりです。レイラさん、サーシャさん」
リッターに案内されたのは上層北区。
そこに、シュヴァリエットの別宅があった。
交渉人として前に出たのは、レイラとサヴァラ。
もちろん、王女アスティアの手を借りて、交渉の場を用意したサーシャも一緒だ。
残る者は、庭で待機することになっている。
サーシャたちは立派な屋敷に入る。辿り着いたのは応接間だ。
リッターのノックのあと、室内から了解の声。
室内は、そう広くない。歩幅一〇歩くらいだろう。
中にいたのは、従者が数人と、そして――
「ようこそ、おいでくださいました。さぁ、そこのソファーにお掛けください」
亜麻色髪に髭を生やした彼が、シュヴァリエット伯爵家の当主――マルセラ・シュヴァリエット。
騎士として現役の時代、《処刑人》と呼ばれ恐れられていた存在であり、今回の交渉相手であった。
《処刑人》マルセラ・シュヴァリエット。
彼のことは、サヴァラが知っていた。
罪人に対して容赦がなく、犯罪者の殺害数はざっと百を超える。
息子の騎士団入りとともに退役し、領主として働いているそうだ。
加えて、リッターからも事情を聞いた。
マルセラが王都に来たのは、王都で妙な動きがあるからと、応援として呼ばれたからだそうだ。
退役してなお、その実力は騎士団内でもトップなのである。
「失礼します」
サヴァラに続いて、レイラとサーシャも座る。
マルセラとは長方形のテーブルを挟み、向かい合う形となる。リッターはマルセラの後ろに控えている。
「まずは、初めましてと言っておきましょうか。ご存じのこととは思いますが、私がマルセラ・シュヴァリエットです」
「俺がサヴァラ・セレナイトです。こちらがレイラと、サーシャ。まず、この子のフードを取らないことを、先に詫びたい」
あくまで交渉人の代表者はサヴァラだ。サーシャとレイラは静かに礼をする。
サーシャが赤眼である以上、どうしてもフードは取れない。王女の訳ありな友人、ということで納得してもらうしかない。
「いえいえ、構いませんよ。それと、あぁ、貴方がサヴァラさんでしたか」
「知っているので?」
「ええ、そりゃ知ってますよ。二〇年前、魔王教に喧嘩を売った《シロオニ》さん」
聞き覚えのない話に、娘二人は怪訝な顔をする。
それを、マルセラは目敏く見破った。
「おや、娘さんは聞いていないのですな?」
「青い頃の話など、進んで話したいことでもありませんから」
結局、意味はなかったがな。と、サヴァラはマルセラに聞こえない、小さな声で呟いた。
その後、作ったような笑顔で手を合わせる。
「まぁ昔話はこれくらいにして、本題に入りましょうか」
サヴァラの言葉に、マルセラの雰囲気が変わった。
鋭い気配に、サーシャは生唾を飲み込んだ。
レイラは……不思議と、恐怖は湧かなかったのだが。
「率直に伝えようか。下層北区での騒動――アレには、魔王教が絡んでいる」
やはりか、というように、マルセラは表情を歪ませる。
「《シロオニ》が来た時点で、そうなのではないかと予想はしていましたが……また面倒ごとを持ち込みましたね」
「持ち込んだのは魔王教側ですよ。まったく、『厄介』を絵に描いたような奴らだ」
「……で、その『厄介』を私に教えて。貴方はどうしたいんですか?」
ここからが本番だ。
サヴァラは居住まいを正し、まっすぐマルセラを見据えた。
「遠くない未来に、魔王教は大暴れします。それも、この王都全域を巻き込む大戦争。被害は計り知れないでしょう」
「だから協力しろと?」
「いえ。協力を申し出たいのはこちらのほうです。民間協力者、という形でいいのですよ。ただ、独断行動を許してほしいだけで」
マルセラは瞳に深い思慮を宿しながら、髭を生やした顎をさする。
すでに双方は、マルセラ側が上、サヴァラ側が下と納得している。それはサヴァラのほうから譲ったからだ。
譲られた側として、これ以上要求することは難しい。
サヴァラからもたらされた情報は、かなり貴重だ。情報の信頼度は、サヴァラの過去の貢献が活きている。
それに、まだ話していないことがあるのだと、マルセラは勘付いているだろう。
さらに言えば、シュヴァリエット家はレイラとサーシャに恩がある。
半年前の、リッターの失態を救ってもらった件だ。
マルセラが考え込んだのは数秒だ。
彼はニッコリと微笑んで、
「頷くのも吝かではありませんが――貴女、フードを外していただけませんか?」
サーシャの体が、ビクリと震えた。
目深に被ったフードは、赤眼を隠すものである。本来、交渉の場に立てる人間ではないのだ。
だが、この場を用意した者として、参加する義務があった。
サヴァラの懸念事項だった。
「構わないと言ってくれたのでは?」
サヴァラは、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
「これほどの大事だとは思っていませんでしたので。今回の件、素顔を晒せぬ者を抱えむ余裕はないと判断しまして」
赤眼は魔族の瞳だと言い伝えられている。
親から子へ、魔族は恐ろしいものだと。
「できないのなら――」
「――外します」
マルセラが言葉を続けようとして、サーシャの凛とした声が遮った。
レイラがぎょっとする。そして、止める暇はなかった。
白いフードが、外される。
そうして露わになったのは、銀色の髪と、
「赤、眼……!?」
まだサーシャの素顔を見たことがないリッターが、大きく動揺した。
従者もまた、懐に手を差し入れる。おそらく武器を仕込んでいるのだ。
マルセラは一瞬だけ目を見開いたあと、目を鋭く細めた。
動いたのは、シュヴァリエット側だけではない。
サヴァラはいつでも立ち回れるように腰を浮かせ、レイラはサーシャの前に立つ。
不信感が宿った視線を一身に受けて、それでもサーシャはまっすぐマルセラを見据える。
「――サーシャ・セレナイト、です」
拙い敬語だった。それでも自分の意志を伝えようと、必死に言葉を紡ぐ。
「わたしは、父サヴァラと、母ナターシャの間に生まれました。二人とも人族で、わたしも人間で、なのに生まれつき、赤眼でした」
嘘だ。
サーシャの赤眼は、《操魔》イヴが宿ったことによる、後天的なものだ。
だがそんなこと、マルセラ側が知っているはずがない。知る手段もない。
「だから、魔王教に目を付けられました。だから、魔王教を倒したい」
サーシャとマルセラの視線がぶつかり合う。
赤い瞳と、緑の瞳が。
その緑の眼が、ふと逸らされた。
マルセラの視線の先にあったのは……なぜかレイラだった。意味のわからないレイラは、緑の瞳を動揺に揺らす。
「ふっ……」
気付いたときには、マルセラはサーシャに視線を戻していた。
マルセラから、警戒心は薄れていた。口元を心なしか、安堵したような微笑に変えて。
彼は警戒を解くように、ソファーに深く座りなおした。
「……昔、似たような事例があった」
マルセラは、独り言でも言うように、口を開き始める。
「一七年前、一人の子供が産まれた。白い肌、白い髪、そして――赤い瞳の、な」
それにはサーシャたちだけでなく、リッターや従者たちも驚いていた。
誰でも知っている有名な話、というわけではないのだろう。
「その子は魔族ではなかった。体も強くなく、日の光に弱かった。親に愛されていたが、従者には忌避されていた。喋れる頃には、よく『消えたい』とこぼしていたそうだ」
むしろ、殺されなかっただけマシと言えるだろう。
赤眼というのは、それほど忌避されているのだ。
「親は秘匿しようとしたが、従者が漏らした。その五年後、私のところに討伐命令が来た」
だが、とマルセラは言った。
「良心の呵責関係なく、逃げられた。少年は『透明化の無属性魔術師』で……と、昔話が過ぎたな」
《処刑人》の失敗談を切り上げ、マルセラは溜息をこぼした。
胸の内に溜め込んだ泥を吐き出すように。
「赤眼のすべてが魔族でないということを、私は知っている。だからサーシャさん、君に危害は加えない」
マルセラが従者たちに視線をやると、従者たちは懐から手を抜いた。
渋々ではなく、納得の形で、だ。
公というには狭い場だったが、サーシャは認められたのだ。
「君たちの意志と誠意、確かに受け取った。ここに協力を誓おう。レイラ、さん。サヴァラさん、サーシャさん」
つまり。
交渉は、成功した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
サヴァラは大きな安堵の溜息を吐いたあと、マルセラが差しだした右手と握手した。
安堵によって、ソファーに倒れ込むように座ったレイラはもう、マルセラが交渉時に向けてきた視線のことを、すっかり忘れていたのだった。
・本編で公開しない、シュヴァリエット家の設定。
マルセラには愛した女性がいたが、彼女は平民だった。が、公爵家の三女(愚か)が許嫁で、そのまま政略結婚させられる。三女→マルセラの一方通行な愛で。
そうして産まれたのがリッター。
愛が変わらないマルセラは、平民の女性を側室として迎え入れる。
父の髪色と目色を受け継いだ女児が産まれるも、行方不明になる。捜索隊は出たが、見つかることはなかった。
マルセラはその事件が、嫉妬した公爵三女の仕業だと気付いていた。だが証拠がなかったために、三女を追い出せない。
平民の女性には常に、信頼できる護衛を付かせて守ることにした。その状態は現在もなお続いている。
のちにその事件の真相を、リッターも知る。
そのとき、皆を平等に愛さねばならない、という価値観を育む切っ掛けとなった。
――以上がシュヴァリエット関係の設定です。
一人を最後まで愛すべきだ、という考えを持つミコトとは、真っ向から対立しています。
彼なら政略結婚など突っ撥ねます。許嫁を速効解消しようとするでしょう。相手の気持ちをわかっていても(もっとも気付かない可能性大)。
ミコトとリッターは最初の会話から、お互いに分かり合えないと勘付いた――というわけです。
どっちもトラウマレベルで価値観に染み付いてるので、どうしようもありません。
*ちなみに、女児は遠くの山に捨てられたそうです。