表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
141/187

第一九話 ワイプ - 歯車は回る -

 酒場街に戻ろうとして、ユミルやサンに止められて、屋敷の中庭で待つこと数十分。

 ミコト・クロミヤが見たのは、傷だらけになったアクィナの姿だった。


「なっ……」


「アクィナちゃん!?」


「大丈夫だよ、簡易的な治癒魔術を掛けておいたから」


 絶句するミコトとユミルに対し、アクィナを連れてきたシェルアは、安心させるように言葉を紡ぐ。

 シェルアの言う通り、アクィナの傷は表面的なものばかりだ。


 とはいえ、心配なことには変わりない。


 ミコトがある程度平静でいられたのは、バッサの存在があったからだろう。

 彼女は自分以上に顔を青くし、取り乱していた。


「アッァァァアアアア! アァあ、シェルア様が付いていながら、なんということです!? アクィナ様が、アクィナ様から血がぁぁああ!?!?」


「……ボクはあっちに行ってくるから、この子をお願いね、ミコトお兄さん」


 シェルアは、アクィナをミコトに預けると、バッサを鎮めに向かった。

 バッサに語り掛けるシェルアは無表情で、その心内を押し留めているように見えた。


 二人の会話から意識を外して、ミコトは腕の中のアクィナを見る。

 血だらけだった。痛ましくて堪らない。


「大丈夫か、アクィナ」


「……みぃ、くん?」


 ミコトが声を掛けると、アクィナはゆっくりと目を開いて、表情を喜色に染めていく。

 抱き着いてくるアクィナを……戸惑いながらも、抱き返す。


「えへへぇ……みぃくん」


「体は、大丈夫なのか? こんなに血を流して……」


「う、ん。これ、くらい……なら。だい、じょーぶ」


 言うと、アクィナの傷口から赤い蒸気が噴き出した。

 すると、みるみるうちに、傷口が治っていく。蒸気が収まると、傷一つないアクィナの姿があった。


「治ってよかった……」


「ああ、そうだな、ユミル。けどアクィナ、今のそれは?」


 治ったことの安堵もあったが、謎の現象への疑問を抱いた。

 アクィナは、どう説明するか迷っているようだった。


 ちょうどそのとき、シェルアが戻ってきた。


「それはアクィナが、《聖水》の使徒だからだよ」


「《聖水》?」


 それは確か、勇者の呼び名ではなかっただろうか。


「まぁそれはともかく、この娘には固有の能力があってね。超回復力もそのひとつさ」


 落ち着いたのか、バッサは涙を拭いながら戻ってきて、アクィナの代わりに説明を加える。


「その超回復力も、『血界』の副産物に過ぎません。軽傷で済んだのも『血界』があってこそでしょう」


「アクィナの体内空間は、見た目以上に膨大だからね。でも、肉まで届いたのは驚いたよ」


 ミコトは二人の会話に、ほとんど付いていけていなかった。

 断片的な情報から推察するしかない。


「つまるところ、アクィナと魔道バッグは同じってことか?」


 見た目、人の胴体くらいの大きさのバッグに、大量のものが入る理由。

 それはバッグの中で、空間が圧縮されていたためだ。


「まぁ、そんな感じだね」


「……ばっぐ、じゃない」


 シェルアは軽く頷いたが、アクィナは不満そうだった。

 ミコトは「悪い」と苦笑し、アクィナの髪を撫でる。


 色素の薄い、綺麗な青い髪は、真っ赤な血で染まっている。


「バッさん、アクィナを頼む」


「承りました」


 ミコトから受け取り、バッサはアクィナを抱き上げる。


「みぃ、くん?」


「ちょっと先に、屋敷に戻ってくれ。ちゃんとあとで行くからさ」


「……ん」


 屋敷に戻っていくアクィナとバッサを見送って――ミコトは右拳で、地面を殴り付けた。

 ズドン、と地面が鈍く振動する。


 横にいたユミルは驚き、シェルアは目を細める。


 ミコトの拳が赤いのは、アクィナの血が付いている、というだけではない。まして、地面を殴って出血したわけでもない。

 あまりに強く握りしめたことで、真っ赤になっているのだ。


 それは、強い怒りを感じたから。


「許さねえ……!」


 茶髪の少年と、銀髪の少女の、悲しそうな目など、どうとも思わない。

 この胸の痛みはきっと、いや間違いなく、彼らへの憎しみなのだから。



     ◆



 酒場街での戦闘、その翌日。

 王都下層北区にある貧民街の一角は、ひどく鬱屈した空気に支配されていた。


 建物と建物の隙間にぽっかりとできた広場に、五人。レイラ、グラン、ラカ、テッド、サヴァラが、情報共有のために集まっていた。

 そして、サーシャとユウマだが、二人はここにいない。


 サーシャはテュアーテたちの家の二階で、布団に潜ったまま。

 ユウマは行方知れずという状態だ。


 今、集まっている面々も、顔色がいいとは言えない。

 エインルードの一件以前から旅をともにしている者は、特に気分が悪そうだった。


 それも、仕方ないのかもしれない。


「まさか、ミコトが記憶喪失なんてな……」


 重々しい空気の中、胃の中のものを吐き出すように、ラカは言った。


 ミコト・クロミヤは、全てを忘れていた。

 一年近くともにした旅も。おそらく、異世界でのことも。


「時間が経てば思い出さねーか?」


 ラカの言うそれは、楽観的で最も望ましいが、希望はないだろう。

 その点、特にレイラは絶望的だと考えていた。いくらでもアプローチを掛けられた、サーシャが記憶喪失のときも、思い出したのは最近だ。


「それはないだろう」


 否定したのはサヴァラだ。レイラの推測と同じだったが、そこには勘とは違う、確信めいたものがあった。


「《虚心》の使徒がいたんだ。三年半前、里を焼いた奴だ」


「馬鹿な。バーバラ・スピルスは半年前に殺したはずだ……!」


 グランは大きく動揺していた。レイラも同様に絶句している。

 殺したはず。命が尽きた姿を、この目で確かめたのだから。


 まさかミコトのように『再生』を持っているわけではないだろう。それは命属性の範囲だ。

 新しい《虚心》の使徒が生まれたにしても、半年ではまだ赤子のはずだ。


 レイラから旅の経緯を聞いていたサヴァラは、使徒殺しの偉業に驚くことなく話を進める。


「確かに昨日現れた奴は、バーバラじゃない――体は、な。奴は名乗るとき、体はフィラムだと言ったんだ。憑依先の、と付け加えて」


 レイラは眉を寄せて、バーバラの言葉を思い出していく。

 そうだ。あの老婆は名乗るとき、妙にまどろっこしくはなかっただろうか。


「……まさか」


 いくつかの可能性が思い浮かぶ。信じたくない可能性が。

 レイラは生唾を飲み込んでから、ひとつひとつ挙げていく。


「他人の心を上書きしたか、取り憑いたか……」


「上書きはないだろう。使徒の力は魂に宿る。心を上書きして同一人格の存在を作ろうと、魂が別物では力が宿らない。となれば、」


「取り憑いた――本当に本当の、『憑依』……ね」


 誰ともなしに、重い溜息をこぼした。

 サヴァラは頭痛を覚えたように、くすんだ銀髪の頭を抑えながらぼやく。


「しかもバーバラのときとは違って、スロットに干渉できると来た。演算を狂わされては、魔術が使えない」


 魔術を使うための術式演算領域は、心の内に存在するスロットにある。

 なるほど、心の範疇だろう。最悪だ。


 実力が圧倒的に上の相手に、魔術を使わせてもらえない。

 加えて、万が一にも肉体を殺せたとして、『憑依』されれば意味がない。


「魔王教が台頭したのは、およそ四百年前。《虚心》の使徒が設立したのだと聞いていたが……まさか、そのときから生きてるんじゃねえだろうな」


 暗い空気をぶち壊したのは、今まで黙っていたテッドだった。

 手を鳴らし、注目を集める。


「話を戻そう。サヴァラさん、なぜ《虚心》の使徒がいると、ミコト・クロミヤが時間経過で記憶を取り戻せないんだ?」


「……《虚心》は心属性を司る。どこまで心を操れるかはわからないが、手元に置いた者の記憶に干渉するくらいならできるはずだ」


「根拠は?」


 続けざまのテッドの質問に、サヴァラは一度レイラのほうを窺ってから、続ける。


「サーシャが記憶を失ったのは、《虚心》の干渉を受けたからだと考えている。ユミルという子も、記憶の混乱が見られたそうだな? そして、今回の件だ」


「多いな。それも、不自然なくらいに」


 腕を組んだラカの呟きに、サヴァラは頷いた。

 そう。記憶喪失なんて珍しい事例が、こんなに頻発する確率は、そう高くない。むしろ、なんらかの干渉を受けていると考えたほうが納得がいく。


 レイラは、サーシャの記憶喪失が故意的に起こされていた可能性を知り、ひどく衝撃を受けていた。

 それが、サヴァラが発言を躊躇った理由だ。


 テッドも、《虚心》の使徒の所業には不快感を覚えたようで眉根を寄せていたが、話を続ける。



 ――――



「ということは、シェルアって奴を殺せばいいのか?」


「おそらく、それはない。バーバラが死んでも、サーシャは記憶を取り戻さなかったんだろう?」


『憑依』する《虚心》の使徒を、本当の意味で殺せるか。

 そもそもの話だが、サヴァラはシェルアを一度として殺せるとは思っていないのだ。


「サーシャが記憶を取り戻したのは、一度イヴを目覚めさせたから……だったか? 同じような衝撃を与えれば……というのは難しいな」


 グランの言葉が曖昧なのは、当時は瘴気に侵されていたために、記憶が朧げなためだ。

 後日、サーシャが記憶を取り戻したと知っても、碌な反応もできずに呆けていたことは憶えているが。


「……いや。可能性が、ひとつだけ、ある」


 皆の希望の視線が、サヴァラの元に集まる。

 レイラは、その方法をサーシャに伝えれば、気力を取り戻せるかもしれない、と思った。


 だが、サヴァラが告げたのは、残酷な方法ただひとつ。



「――ミコト・クロミヤの殺害だ」



 息を、飲んだ。


「ミコト・クロミヤの記憶喪失が、《虚心》の力を受けているためというなら、一度殺してリセットすれば――」



 ――――



 かさり、と、

 物陰で唐突に、物音がした。


「誰だ!?」


 グランが広場を跳び出し、辺りを見回す。

 閑散とした貧民街には、人の姿がない。


 誰の姿も、見えなかった。

 微かに一瞬感じていた気配も、もう感じることはできない。


「誰かいた?」


 戦闘態勢で家から出てくるレイラたち。

 グランは屈み、地面を撫でる。


「誰かは、いたみたいだ」


 そこには、走り去ったために付いた靴跡が、くっきりと残っていた。



     ◆



 屋敷の応接間にて、長方形のテーブルを囲むように、三人の人物が座っていた。


 一方のソファーには、ミコトとシェルアが隣り合うように。

 対面のソファーには、白髪赤眼の少年、ルキが座っている。


 彼らは三人とも、テーブルの上に置かれた水晶玉を、睨むように見つめている。

 刻印が刻まれたそれは、音を記録する魔道具だ。


 魔力を流れて、刻印が淡く光っている。


『――ミコト・クロミヤの殺害だ』


 一通りの音声を再生し終わったことで、魔術の効果が切れる。

 水晶玉からは一切の音がしなくなり、部屋には沈黙が降り立った。


「なん……だよ、それ」


 震えた声で、ミコトは呟いた。


 録音の魔道具を届けてくれたのは、ルキだった。

 透明化の魔術を使って、敵の動向を調べていたのだと言う。


 そして、その内容とは、


「シェルアを、殺すとか……。俺を、殺害するとか……」


 録音できた会話は短く、前後で何が話されていたかはわからない。

 彼らが具体的に、どういった動きをするかもわからない。


 そもそも、彼らが何を目的としているのか。


 ミコト・クロミヤの記憶に用があるみたいなことを言っていたが。なのに殺して、どうするというのだ。

 もしかしたら、記憶を失う前の自分は、知ってはいけないことを知ってしまったのだろうか。


(いいや、そんなことはどうでもいい)


 彼らが通る道には、この屋敷での日常がある。

 通り過ぎたあとには、日常が戻ることはないだろう。


「それだけは、許さねえ……!」


 ここには大事なものがある。大事な人がいる。


 お節介焼きの妹がいて、世話のかかる幼馴染がいて、人懐っこい妹分がいて、頼れる家族がいて。

 他にもいっぱい、ここには守りたい者がいる。


 大切な日常が。ずっと待ち望んでいた気がする平穏が、ここにある。


 それを奪う奴は、誰が相手でも。


「死なす――殺す!!」



 ミコトは心を固めた。


 微かな違和感を覚えながら、目を逸らして。


 その決意が根本的に間違ってることに、ずっと気付かないまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ