表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
140/187

第一八話 《虚心》のシェルア

 酒場街に空間の断裂が広がる、その直前のことだ。


 サーシャと離れ離れとなってしまったサヴァラは、酒場街に辿り着くことができないでいた。

 その理由は、サヴァラの目の前で立ちふさがる人物のせいだ。


 それは鱗族の男だった。


 針金のように硬化した深緑の髪。縦に割れた血色の瞳は、狂気を孕んでいる。

 体のところどころは、爬虫類のような深緑の鱗に覆われている。


「やあ、君がサヴァラ・セレナイトだね?」


「……テメェは、魔王教徒か」


「うん、なるほど、とても恵まれているようだ。優れた魔力、強靭な肉体、戦う才能――あぁ、これは『公平』じゃぁない」


 一見、冷静。しかし会話にならない。

 彼に言葉を交わす意志はなかった。


 鱗族の唇が弧を描く。

 両手をバッと広げ、彼は高らかに名乗りを上げた。


「すべてを『公平』に『平等』にッ! それこそ、この俺に与えられた使命! この俺こそが《公平卿》――ドラシヴァだァ!!」


「話にならねぇ――なッ!!」


 直後、両者は激突する。


 サヴァラの得物は斧槍、ハルバードだ。担い手はそれを用いて薙ぐ。

 ドラシヴァの得物は、強靭な自身の肉体。狂笑を上げ、爪で切り裂かんと振り下ろす。


 斧槍の刃が横、鉤爪のように鋭い爪が縦。

 その接触は、ドラシヴァを一方的に弾き飛ばした。


 ドラシヴァが着地する寸前、サヴァラはすぐさま接近する。

 今度の交錯、ドラシヴァは速さを重視する。


 相手の体を削り取ろうと右爪を振れば、ハルバードによって逸らされる。

 返す刀でハルバードを振れば、ドラシヴァは左手で斧槍の柄を掴み取ろうとする。


 得物がハルバード一本のサヴァラに対して、ドラシヴァは全身だ。

 もちろんサヴァラとて、無手での戦いができないわけではない。だが、サヴァラの手数には劣る。


 よって、サヴァラは一撃を受け入れた。

 左肩の肉が、浅く削がれる。その痛みを耐え、ハルバードを力強く突き出した。


 右腕を振り抜いた形となっているドラシヴァ、防御の手段は左手一本。

 強烈な一撃に、ドラシヴァは堪らないとばかりに後退した。


 一泊の停滞。

 それこそが、戦いが長引けば不利だと判断したサヴァラが、待ち望んでいた時間だった。


 ――魔力を精製する。


 一瞬の油断が死に繋がる近接戦闘で、魔術を発動させる暇はない。

 だがこの瞬間なら、


「『イグニモート』、『アクエモート』、『エアリモート』、『グロウモート』」


 脳の制限を緩め、肌が薄い黄色の光を灯し、赤いオーラが体を包み、その外側を風が覆う。

 四種の身体強化の重ね掛けだ。


 サヴァラは改めて、ドラシヴァと対峙した。

 その佇まいを見やったドラシヴァは、大きなため息をこぼした。


「せっかくこの俺が公平にしようとしているのに、どうして拒むのか、理解できないな」


「目的を成し遂げるのは、それと同等の労力って奴がいるのさ。つまり、テメェの労働力じゃぁ、俺に届かないってことだ」


「なるほど、よくわかった。ではこの俺も、労力を割くとしようか」


 ドラシヴァが纏う雰囲気が変わった。

 瘴気に覆われ、その体がビキビキと唸る。


 肉体が変質していく。人型から、異形へと。


 ――その、直前のことだった。



「こ、ここここ、ここう《公平卿》ゥゥゥゥゥうううううォォォォオオオオオオオオオオオ――――ッ!!」



 まだ変化の途中の、全身が鱗に覆われたドラシヴァに、襲い掛かる者がいた。


 サヴァラではない。

 乱入者は、背中から一対の白い翼を生やした、羽族の男だった。


 その容姿は美しく、金髪と碧眼が見る者を感嘆させるほど。

 顔面左上を覆う白い仮面すら、彼を美術品として引き立てていた。


 しかし、端麗なはずの容姿を、彼は憤怒に歪める。


「こンの僕ぅ、美しいぼぉくの顔に、よぅくも傷をォォォ!!」


「ルシャくんじゃないか、久しぶりだね色男!!」


 ドラシヴァはルシャと呼ばれた乱入者と対峙すると、瘴気を引っ込めて戦いを始めてしまった。

 サヴァラを放置して、だ。


 突然現れたルシャだが、サヴァラを助けようと思ってのことではないだろう。

 彼の台詞を聞く限り、私怨での復讐か。


 協力して戦うことはできないだろう。

 というより、サヴァラのほうに協力する気がなかった。


 どちらも魔王教徒か、その関係者に違いない。

 サヴァラのほうが、協力することを拒んでいたのだ。


 サヴァラは戦闘を放置することに決めた。

 激情の哄笑、憎悪の咆哮を背後に、サヴァラは酒場街へと向かう。



 そこで見たものは――倒れ伏す娘と、嘲笑する白髪の少女。



「あ、アアアアアアアアアアァァアアアアアア……!!」


 サヴァラの心内が憎悪に染まる。

 少女を切り裂かんと、ひたすらに走った。



 ――空間の断裂が広がったのは、この時点でのことだった。



 まるで世界が崩壊していくかのような光景に、逆にサヴァラは冷静になった。

 それは、己の娘を守りたいという想いがあったがため。


 火、水、土の身体強化を解き、スロットの演算をすべて風へと回す。

 まさに風の速さとなったサヴァラは、掬い上げるようにサーシャを担ぎ上げた。


 白髪の少女は、サヴァラの存在に気付いていたようだったが、見逃した。

 世界が壊れていく光景に、彼女は頬を紅潮とさせていた。くるくると回るように、上空から降りてくる罅を回避する。


 空間が甲高い悲鳴を上げる。

 先ほどまでサーシャがいた景色に、一本の亀裂が入る。それは地面の底まで延び――亀裂が修復された瞬間、大地に穴が開いた。


 防御に意味はなく、回避だけが選択肢だ。

 サヴァラは亀裂の雨を潜り抜け、腕の中に抱え込んだサーシャの無事を確認した。


「おいサーシャ、しっかりしろ! サーシャ!!」


 生きている。が、安堵はできなかった。

 顔色は悪く、血の気が引いている。体は小刻みに震え、正常な状態ではなかった。


「やぁやぁやぁ、サヴァラ・セレナイトじゃないか。久しぶりだねぇ」


 必死に呼びかけるサーシャに、声を掛ける者がいた。

 それは先ほど、サーシャを嘲笑していた白髪の少女だ。


 世界に亀裂が入った、そんな異常な光景の中で、少女は恍惚としている。


 景色の亀裂が修復するのは早かった。元通りの世界、しかし辺りの建物は傷だらけだ。

 少女の興奮は、次第に収まっていった。彼女は改めて、サヴァラの前に立つ。


「……誰だ?」


 記憶を探るが、彼女のことはわからなかった。

 似た容姿は知っている。しかし、彼女個人に会った覚えはない。


「ふふふ、ふふふふふふっふふふ、わからないんだねそうなんでねぇ。では、自己紹介させてもらおうかな、もらっちゃうよ。いいよね、いいよー」


 そして、彼女は。

 ずっと伏せてきたことをネタ晴らしするように。

 誕生日の終わり間近に、プレゼントを渡すような笑顔を作って。



「今回の『憑依』先の体は、フィラム・スピルス! 中身は、あるときはシェルア・スピルス! でも今はシェルア・クロミヤって呼んでね? それでそれでその正体はぁ――《虚心》の使徒、ってわけさァ!」



 サヴァラは、スロットに謎の不快感を覚えた。


 何かの干渉を受けた、そうわかった直後、身体強化魔術が暴走する。


 自身の『エアリモート』によって、サヴァラの肉体はずたずたに切り刻まれた。



     ◆



 ――酒場街での空間断裂、その後に到着したのは、ラカとテッドの組が最初だった。


 辿り着いたラカは、さっそく辺りを探る。

 その光景は、すぐに見つかった。


「得意の魔術を封じられてぇ、足手纏いを抱えてぇ、どぉんな気分かなぁサヴァラ・セレナイトくぅぅん!」


「シェルア・スピルスぅぅぅァァァァアアア――!!」


「チッチッチッ、クロミヤのほうだよサヴァラくん。あぁ、キミの刃は決してボクに届かない。愛した《操魔》の宿主のために戦い続けた半生も、里が焼かれてからの三年半も、これから続く短い一生も、永遠にねェ!!」


 戦いがあった。


 サヴァラと、憎々しげにシェルアと呼ばれた、見知らぬ白髪の少女が戦っている。

 戦況は圧倒的に、サヴァラが不利だ。


 全身から血を流すサヴァラに対し、シェルアは悠々と、余裕をもって魔術を放つ。

 サヴァラはそれを、魔術なしに対応する。


 ハルバードと火弾が接触。

 弾いた瞬間、魔術は爆ぜる。爆風に晒され、サヴァラは吹き飛びそうになる。


 それでも踏み止まるのは、彼の背中に娘の姿があったからだ。

 サヴァラが逃げることなく戦っているのは、サーシャを守るためだ。


「サヴァラ!」


「サーシャを頼む!」


 ラカの呼び声に対し、サヴァラは視線を向けることなく、サーシャを託す。

 サヴァラの助けに入りたい気持ちを我慢して、ラカはサーシャの元に駆け寄る。


 テッドは駆ける。体の軽いサーシャを担ぐのは、ラカ一人で十分だ。

 崩壊した建物を蹴り、シェルアの背後から拳を振るう。


「なっ!?」


 しかし、その攻撃は届かなかった。

 テッドの顔面近くで、空気が炸裂したからだ。


 離れた座標で魔術を発動させる、高度な技術であった。


 魔力感知に優れていたなら避けられただろうが、テッドに魔力資質はない。

 その衝撃に、まったく対処できずに吹き飛ばされた。


 幸いなのは、衝撃波に殺傷力がなかったことか。

 テッドは空中で体勢を立て直すと、膝を屈めて衝撃を殺し、着地した。


 テッドは鼻血を拭い、シェルアを睨む。

 シェルアはテッドのほうを見ることなく、サヴァラに注視することもない。


 彼女は、ラカに肩を貸してもらって立ち上がった、サーシャのほうを向いている。


「そろそろ終わりにしようかな。アクィナも大変みたいだしね」


 次の瞬間、シェルアを中心に数多の魔術が展開された。

 どれも初級、しかしあまりに数が多い。五十、いや百はある。


「どうぞ生き残ってね。そして、利用されることを幸運に思うといいよ。まぁ、そこの《操魔》は仕方なく生かしてあげるけど――それ以外は死んじゃったらそれまでってことで、ゴメぇンねェ?」


 瞳が青から、血色へと。

 シェルアの唇が、愉悦に弧を描く。


「逃げろぉおおおおおおおッ――――!?」


 絶叫に近いサヴァラの声に、ラカたちは決死の逃走に入った。

 その瞬間にはすでに、魔術の嵐は掃射されている。


 降り注ぐ炎が、酒場街を完膚なきまでに破壊し尽くしていく。

 まさに雨、暴雨。


 人は雨を避けられるだろうか。

 隙間なく落ちてくる雨粒を、地面からの水飛沫を。


 当然ながら、不可能だ。

 だからサヴァラたちが避けられたのは、別の要因が絡んでいる。


 暴雨に対し、比喩ではなく暴風が吹いた。それは、暴雨を止めるには至らなかったが、勢いを緩めることには成功した。

 その間にサヴァラたちは暴雨の圏内から逃れることができた。


 振り向いても、シェルアが追ってくる様子はない。

 余裕の表れか、傲慢か。どちらにせよ、言葉通りに見逃されたらしい。


「サヴァラさん!」


 声のほうに向けば、レイラとグランが走り寄ってくるところだった。

 どうやら先ほど暴風は、レイラの魔術らしい。


 成長したなと、サヴァラは誇らしい気持ちになりながら、同時に疑問に思う。


(なぜシェルアは、レイラの魔術を乱さなかった? すでに興味を失っていたか、それとも――)


 思考は続かなかった。

 戦闘が終わったことで訪れた安堵が、サヴァラの意識を闇へ引き込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ