第九話 フェードアウト - 彼はいない -
――回る。
この舞台の中心に立つ彼は、すべてを忘れている。
それでも、世界は回る。
当人が知らないところで、歯車は回り続ける。
たとえば、そう。
少年とともに旅をした者たちも――――。
◆
凍えた手の平に、白い吐息を吐き掛けるように、少女は溜息をこぼした。
霜が降りて凍った草木を、パキパキと踏みつけながら、彼女は歩む。
腰までストレートに銀髪を伸ばした、童顔の少女だった。
歩けば十人中十人が振り向くような美少女だったが、今ここに、振り向くような民草は存在しない。
ここはウラナ大森林。人工物の一つもない。
人がいるはずがなかった。
そもそも、だ。
もし誰かがいたとしても、少女の瞳を見た瞬間、多くが顔を顰めるだろう。
フードが被っていないがゆえに、よく見える。
輝くような、赤い瞳。
それは世界を侵す魔力、瘴気の色だ。
生物は本能的に、瘴気に対して嫌悪を覚える。
彼女の赤眼からは瘴気を感じないものの、『魔族は赤い瞳を持っている』というのは周知されており、忌避は免れないだろう。
かつて、その瞳を綺麗だと言ってくれた人がいたが――今、その少年はここにいない。
「――――ッ!!」
精神の揺らぎが、周囲の魔力を騒めかせる。
魔力を操る力――『操魔』が一瞬、軽く暴走したのだ。
少女の名はサーシャ・セレナイト。
魔王の半身、《操魔》イヴをその身に宿す、封魔の一族である。
このままではいけない、とサーシャは首を振る。
目を閉じ、精神を落ち着かせ、己の内に手を伸ばす。
次の瞬間、赤い波動がサーシャを中心に広がった。
この周囲一帯が、『操魔』の支配下に置かれた。
先月の一件、イヴの暴走と再封印から、『操魔』の出力は大きく向上していた。
精々が暴走時の一割といったところだが、絶大な力であることに違いはない。
その力は今、ただ一人の少年を探すために行使されていた。
もちろん、ほかの二人についても、捜索の対象であるが。
あの日、失踪した者は、三人いる。
保護した少女、ユミル。
趣味の調査員を自称する、イシェル。
そして、
「ミコト……」
大切な仲間、ミコト・クロミヤ。
謝りたいことが、たくさんあった。
話し合わなければならない。彼の欠けた心を埋めるために。
何よりも。
もう一度、会いたい。
会いたいのに、
「……見つからない」
時は上冬の下旬、早朝。
一ヶ月も捜索を続け、未だ彼の居場所は掴めない。
見つかったのは、獣に食い千切られたかのような死体が多数。
重なり合った焼死体が二つ。顔の判別もできないほど、顔面が潰れた生首が一つ。
ミコトの人体の一部らしきものが、いっぱい、いっぱい、いっぱい、いっぱい!!
「あぁ――ァ!?」
夢に見るのだ。
世界は黒くて、足元には一面と血溜まりが広がっていて。
死体の山がある。
そこには、ともに旅をした仲間である、オーデ・アーデ・ムレイの上半身が。
自分を救うための犠牲になった母――胸に穴を開け、心臓を抉り抜かれた、ナターシャ・セレナイトが。
何より多いのは、様々な死に方をして、多くの部位で重ね合うように山を作った、ミコトの死体で。
「うっ……く、ぁ」
せり上がってくるものを、サーシャは堪らず吐き出した。
黄色い胃液が、落ち葉の上にぶちまけられる。朝食を摂っていないため、固形物はなかった。
「会いたいよ、ミコト……」
今日もまた彼女は、何も見つけられない。
結局、サーシャが封魔の里に戻ったのは、昼過ぎだった。
作り置きしておいた料理を食べて、彼女は再び出かける。
魔獣侵攻により、多くの民家が潰された。そのため、他所の民家で泊まらせてもらう住人がいる。
整備していた畑も、盛大に荒らされていた。
その復興は、一ヶ月を経て、一旦は終わりを見せようとしていた。
即席だが新たな民家も建ち、畑の整備もある程度は整った。
木材の不足から、柵を立てることはできないが、春には野菜を植えられるだろう。
サーシャが担当しているのは、ウラナ大森林の浄化だ。
魔獣を大量発生させた原因である邪晶石は、ラカたちの手により砕かれた。しかし、放出し続けた瘴気は残留していたのだ。
供給源が絶たれた瘴気など、流れ続ける大量の魔力によって、いつかは押し流されるだろう。
しかし、その『いつか』までに、また魔獣が生まれないとも限らない。早期解決するに越したことはない。
サーシャは『操魔』により、大量の魔力を操り、瘴気を打ち消していたのだ。
この作業も、今日を以て区切りとなる。森の奥では、未だ瘴気が微かに漂うも、魔獣が生まれることはないだろう。
もし生まれたとしても、封魔の住人で十分対処可能だ。
そう判断したのは、サーシャに一部流入した、イヴの直感だった。
浄化が終わる頃には、太陽もすっかり赤くなり、世界を赤く照らしていた。
「そろそろ帰るわよ、サーシャ」
そうサーシャに声を掛けたのは、亜麻色の髪と緑の瞳を持った少女、レイラ・セレナイトだ。
サーシャの義姉に当たる人物である。
「ま、まだ、もう少しだけ……」
レイラは溜息をこぼした。
サーシャの思惑が、レイラには手に取るようにわかった。
サーシャが浄化作業を担当したのは、それが自分にしかできないから、という理由だけではない。
浄化をする傍ら、彼女はずっと探し続けているのだ。
「アンタ、今朝も森に来たそうじゃない」
責めるようなレイラの口調に、サーシャの肩が怯えに震えた。
サーシャが一人で森に入ることを、レイラは禁止していたからだ。
「サヴァラさんにグラン、ラカとテッドも残党狩りしてくれてるけど、もしかしたら、まだいるかもしれないんだから。魔獣だけじゃなくて、野生の動物だってね」
それがレイラが、サーシャに付いてきた理由だ。
『操魔』使用中の探知能力は、畏怖を覚えるほどである。しかしサーシャ自身は、多少気配に敏感なだけに過ぎない。
何よりサーシャは、即応性に欠けている。
器用貧乏であるが、様々な状況に対応できるレイラなら、森で魔獣に遭遇しても対処できる。
ごめん、とサーシャが謝った。しかし、帰ろうとはしない。
サーシャは嘆息をつく。
――明後日に自分たちは、封魔の里を出る。
もともと、補給のために立ち寄ったのだ。あまりのんびりしていれば、エインルードに襲われるかもしれない。
見逃されるリミットが、いるまでなのか。それはわからない。ただ、このまま留まっていれば、里に迷惑をかけることになる。
だから、サーシャは焦っているのだ。
ミコトの捜索を終えることになるから。
もちろん、レイラだって諦めたくはない。
レイラだってそれなりに、ミコトのことを大事な仲間だと思っている。だが、ほかのすべてを危険に晒せるかは別だ。
「……仕方なかったじゃない」
サーシャを宥めるために、レイラはゆっくりと、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「あの時は、そうするしかなかったじゃない。ミコトを犠牲にしなきゃ、里のみんなは死んでいたわ」
ジクジクと胸が痛む。仲間の犠牲を正当化するかのような言葉に、反吐が出そうだ。
「わたしが……した、から」
掠れた声。目の下に隈を作った妹が、歯を食いしばる。
「わたしが、ころ……した、から。だから、ミコトは」
ミコトが失踪する直前に彼を殺したのは、サーシャの『ムスペルヘイム』だった。
それがミコト失踪に関係するかどうかはわからない。だが、それは確実に、サーシャの心に傷を付けていた。
恨むわよ、と、レイラはここにいない少年にぼやいた。
「とにかく、帰るわよ。あんまり遅くなると、みんなが心配するわ」
世界が暗く染まり始めた頃。ようやくサーシャは頷いた。
目から力は失われ、笑顔を見せない。
サーシャは着実に消耗していた。
ナディアの家で、テーブルを囲むようにして、夕食を終えた。
ここに泊めさせてもらっているのはサーシャ、レイラ、ラカの三人だ。
ラカが、家族は一緒がいいだろうと、サヴァラと代わろうとしていた。
が、サヴァラはこれを断り、グランとテッドが使う民家に住んでいる。
まあ、そうしてくれたほうが、ラカとしても助かるが。
そう思うのは、ある都合からだ。
「じゃー、頼むぜ、ナディア」
「うん、頼まれたわ。ラカちゃん」
サーシャとレイラが寝入っている横。
テーブル越しで目の前に座る、銀髪の女性――ナディアに、ラカは軽く頭を下げる。
ラカは、魔術が使える者に、どうしても教わりたいことがあった。
体内の違和感。何かが渦巻くような感覚がある。
それは一ヶ月前の一件から、少しずつ自覚してきた。
「魔力操作について、教えてくれ」
ラカの人種を知る者ならば、その発言を訝しんだだろう。
灰色、もしくは黄色い瞳に、灰色の髪――それは《無霊の民》の特徴だ。
無霊大陸という霊脈がない大陸で生きてきた彼らには、魔力精製ができない。
だがラカは、それを教えてくれと言う。
その理由は単純。
ラカは魔力を生み出せるようになったのだ。
切っ掛けはおそらく、邪晶石を掴み取った、あの瞬間だ。
体内を瘴気が暴れ回り、生命力の器はズタズタにされた。
サーシャが変化に気付いてくれなければ、ラカは魔力を体外に出すことができず、内から壊されていったことだろう。
結果的に毎日、サーシャの『操魔』で、溜まった魔力を抜いてもらわなければならなくなった。
だが、いつまでも頼ってはいけない。
いつ、誰がいなくなるかもわからないのだ。もちろん、そうならないように努めるが、己を磨くことに変わりはない。
「それじゃあ、まずはね――」
ラカは感覚派だが、魔力に関してはまったくの素人だ。
こればかりは、独学で得ることは難しい。
内面に目を向ければ、外に出ることができずに蠢く『何か』――魔力がある。
今までなかった異物だ。認識することは容易かった。問題は、それをどう掌握するかだ。
(絶対に掴んでみせる。オレは、強くなるんだ)
そうして、今日も夜は更けていく。
>焼死体と生首
悪党&復讐鬼
サーシャ:病みかけ
レイラ:胃痛
ラカ:レベルアップ
どこで差が付いたのか。ラカちゃんホント主人公。
ヒロイン合戦的に、レイラはヒロインじゃないから除外するとして、ラカの優遇が加速してやまない。
いやでも、六章の主人公はサっちゃんだから! ほんとに!
そうか、つまりミコトがヒロインだったのか。