第七話 鎮まれ! 目覚めのときは今じゃない!
上冬も下旬に入った、その日。
食堂にて、アクィナは絶望していた。
「お、にく……が、ない……っ!?」
朝昼晩と、三食欠かすことなく口にしていたアクィナ専用ステーキの在庫が、ついに切れたのだ。
俺としては、よく一カ月近くも保存していられたな、とか、色々とツッコミを入れたかったが。
そもそもアレ、なんの肉なんだろう? 豚かな……?
ともかく、それから俺を見るアクィナの目は変わった。
まさに飢えた獣。
肝が冷えたね。なんで俺を見るのさ?
で、翌日の早朝。
違和感がした俺は、眠りから目を覚ました。
首筋がかゆい。さすってみると、少し腫れていた。
妙なことがあるな。冬なのに、蚊でも出たかな。
あと、腹部に何か、重いモノが圧し掛かっている。
それは俺を抑え込むかのように、腹回りを締め付けている。
デジャヴ。自身の中に眠る、最も始めの記憶が蘇る。
あぁ、一カ月前もこんな感じだった。
違うのは、両腕が解放されていることだろうか。
それ以外は、完全に一カ月前と同じである。
そう、つまり。
――裸だ!
「なんでだよ……」
ハッキリと憶えている。昨夜はパジャマを着て寝た。
つまり、何か。寝ている間に剥かれたというのか……。
焦燥による汗が、額からこめかみへと流れた。
俺は意を決して、布団を取り払った。
薄青髪の少女に、真っ裸で抱き着かれていた。
「――――っ!?」
この状況、この状態。完全に事後だ!
誰かに見られれば、間違いなく勘違いされる。
いや、勘違いなのか? 俺が憶えてないだけで、夜にアレやコレやがあったのか?
それとも寝てる間に? アレやコレやをやったのか?
そ、そんなはずは……俺は目覚めがいいんだ。『そういった行為』があれば、絶対に気付く。
気付く……はずだ。
ヤヴァイ、自信がない!
ミコト・クロミヤの人間性に希望を持てない!
自分自身を信頼できない。
もしかしたらヤっちゃったんじゃないか、と疑心暗鬼になってしまう。
だって、ベッドが乱れてるし。
いや、これはアクィナがベッドに侵入したり、服を脱がす過程で、自然とこうなったに違いない!
だが、でも、だけれども――、
(確かめる方法は……ある)
下半身を確認すればいい。
アクィナが上に乗っているため、手で確認できない。
だからこう、隙間から覗き見る形になるが。
やるしか、ない。
首に力を入れ、下腹部が見やすいような態勢になる。
「くぅ……」
アクィナは俺の腰回りに、抱き着くように眠っていた。
胸から下は、俺の股の間に挟まるようにしている。
探すのだ。痕跡らしきものを。
いや見つかったらダメだろ。頼むから出てくるな。
そう、祈りながら見つめていると――俺だって健全な青少年だ。見てみたくなるじゃないか。
ごくり、と生唾を飲み込む。
少女らしい子ぶりな『それ』が、視界に焼き付いた。ぐぁぁぁ!
(とにかく、痕跡はなかったァよかったぁぁぁあ!)
声なく悶えていると、アクィナが身じろぎした。
柔らかな頬が、俺の臍をくすぐる。そして、幼児特有の温もりが、股間を柔らかく刺激して――
「あか――ァん!!」
今度こそ叫んだ。
まずい。不味い拙いマズい!
ナニがとは言えねえけどヤバい!
マジで奮い立つ五秒前!
やめろもう一人の俺、目覚めの時は今じゃない!
ルキにも言っただろう、『精神医学だと、一三歳以下への欲情はアウトらしいよ?』と。
あかん本当にブーメランになってる。いや興奮してねえっつってんだろ!
意識しちゃダメだ意識しちゃダメだ意識しちゃダメだ意識しちゃダメだ――。
――――――。
――――
――。
あ、これアカン奴や。
いやな、興奮事態は抑えられたんだ。どうだすげーだろ俺の精神力。
問題は別だ。
一心に無意識を唱え続け、なんとか分身を抑えたところまではいい。
そうしてある程度、心に余裕ができた、次に襲い掛かってきたものが問題だった。
尿意である。
端的に言えば、超トイレに行きたい。
膀胱ん中がパンパンだぜ、などとふざける余裕すらないレベルの尿意。
はじけちゃうぅっ!
もう我慢できなかった。
『行為』がなかったと判明したんだ。俺は自信を以てアクィナに接せられる。起こそう!
「アクィナ、起きてぇ! 目を覚ますんだァ目覚めの時だ!」
「ん、ぁ……みぃ、くん?」
「うん、俺! ってェ、這い上がってこないでぇ! 寝惚けてんの!?」
アクィナは寝惚け眼をさすりながら、体をくねらせて俺の上を這ってきた。
気付けば、見下ろすとすぐそこにアクィナの顔があった。近ァい!
「勝手にベッドに潜り込んだことは怒らないから! 起きさせて!」
なんとか引き剥がそうとするも、アクィナの力が強すぎる。俺も怪力な自覚があったが、こいつは別次元だ。
その体型でなぜそんな力を発揮できるのか。ファンタジーほんと摩訶不思議。
「……ぺろ」
ついに顎下にまで達したアクィナが、俺の首筋を舐めた。
苦しい……! でも感じちゃう! ビクンビクン……!
ちろちろと、舐める音がする。熱い吐息が、柔らかく皮膚を刺激する。
アカン。本当にアカン。一切の余裕もない。
「トイレに行きたいの! あとでいっぱい遊んであげるから! だから今は離れてぇ!」
「……のむ、よ?」
「ナニを!?」
驚愕とともに発した問い。
それに対し、頬を紅潮させ、目を潤ませたアクィナは、無垢そうに首を傾げながら、
「……たべる、よ?」
「ナニを――ッ!?!?」
無口無表情無感動、かつ無垢そうだったアクィナ。
それがどうした。こんなに興奮して。
アクィナへの認識が一八〇度変わった瞬間である。
こいつ無垢そうに見えて、ヤバイ趣味持ってやがる!
――このままだと、マジで喰われるッ!
恥も外聞もどうでもいい。バッサにバレて殺されるかもしれないが、そんなこと言ってられん。
今、俺にできることは、ただ一つ。
「――助けてシェルえもぉぉぉぉん!!」
数分後。
トイレにて安堵の溜息をこぼす、クロミヤ家当主の姿がありましたとさ。
妹のジトっとした視線が心に刺さった。もはやないに等しい兄としての威厳が……うごご。
そして、トイレの外で待ち構えているであろうエセ修道女を思い、重々しい溜息を吐いた。
バッさんに殺される。
今度はアクィナに助けを求める羽目になりそうだ。
◇
慌ただしい朝だったなぁ。
昼食後。俺は椅子に座りながら、食堂の天井を仰ぎ見ていた。
バッサに殴られた、左の頬をさする。少しひりひりする気がするも、腫れは治まったようだ。
反省のため、治癒魔術は掛けていないのだが……どうやら俺は筋力だけでなく、自然治癒能力も尋常でないらしい。
一番痛かったのは、意味がわかっていないユミルの、無垢な視線だったなぁ……。
ふと、二つの視線に気が付いた。
一つは厨房から。洗い物をしているバッサが、射殺すような目をしている。怖い。
もう一つは、すぐ近くから。シェルアが呆れたような目をしている。
理由はわかる。
彼らが言いたいことも、なんとなくわかる。
『懲りてねえなコイツ』。
殺意と呆れで意味合いは違うが、こんな感じだろう。
溜息を吐いた俺は、無意識を徹することを諦め、膝の上に乗る者を認識した。
薄青のつむじが、すぐ目の前にあった。
アクィナが、俺の膝に座っている。
「はぁ……」
ものすごく甘えられていた。
どうしてこうなった。どうしてこうなった。
甘えられること自体は、嫌なわけじゃない。むしろ嬉しい。
しかし、しかしである。何事も行き過ぎはよくない。ハッキリ言って、気恥ずかしい。
「ミコトお兄さん」
「なんだ妹よ」
「一発ヤっちゃえばいいんじゃない?」
「お黙りなさい」
「そうですシェルア様、黙ってください」
そういった関係になるつもりは毛頭ない。
そもそも俺は、恋愛はしないと決めている。……なんでだっけ?
――頭痛、眩暈。
眩んだ景色の中で一瞬、誰かの墓が見えて――
「ぐ……ぁ」
――託されたモノがあって、
守りたいモノがあったはずで――
「みぃ、くん?」
その声に、意識は現実に引き戻された。
アクィナが後ろ手に、俺に抱き着いていた。
「……悪い」
少し、気分が悪くなった。
最近は起こらなかったのに。
吐き気をこらえていると、シェルアが俺の額に手を当てた。
すると、急速に心が安らいでいく。
アクィナの甘い匂いも、自覚できるようになった。
なんでこんなイイ匂いがするんだろう。
あぁ、これで『そういう趣味』がなければなぁ……。
うん、アクィナとの関係も、ちゃんと考えないといけないし……。
考えることは多い。
……よし。
「散歩してくるぁ!!」
しばらく屋敷から離れて考えよう。
アクィナを膝から降ろした俺は、財布を取ってから、逃げるように街へと出かけたのであった。
俺にとって、アクィナとはなんだろう。
幼馴染。
だけど記憶がないんじゃ、意味がない。
手のかかる妹のような存在。
そう、家族だ。それが答えだ。
けど、アクィナにとって、俺はなんだろう?
幼馴染。
ならそれは、俺じゃない。俺が知らない『ミコト・クロミヤ』に向けられるものだ。
家族。
……とは、少し違うような気がする。
彼女は俺に、何を求めているのだろう?
俺は彼女に、どう接するべきなんだろう?
悩んで。
けど、答えは出なくて。
「……焦って出すようなもんじゃ、ねえのかな」
そもそも、『俺』が決めることでもない。
これは、本当の『ミコト・クロミヤ』が決めること。
もしアクィナとの関係が変わって。その後、記憶が目覚めたとして。
その後、『ミコト・クロミヤ』はどうするのだろう。
微かに脳裏をよぎる記憶が、足踏みをさせる。
狂気と、絶望と、虚無と。
血と、肉と、骨と。
胸に刻み込まれた、死。
それ以外の何か、大切なこと――。
『俺』じゃない『ミコト・クロミヤ』が生きていたのは、きっと、そんなセカイだ。
「思い出さなきゃなぁ」
忘れたままでいたい。
「あんまり死にたくは、ねえんだよなぁ」
アクィナやシェルア、ユミルやバッサと、屋敷で暮らしていたい。
「変わらないものはない、か」
このままでいたい。
俺は、記憶を恐れている。
「約束したんだ、大丈夫さ」
屋敷のみんなを裏切るのは、絶対に嫌だから。
「今は、まだ。もう少しだけ、このままで……」
今まで楽しかったんだ。
これからだって、きっとそう。
支離滅裂な思考の末に出した結論は、現状維持だった。
「……おっと」
気付けば俺は、下層北区の酒場にまでやってきていた。
俺は立ち止まり、財布の中身を確認し、「よーし」と呟いた。
「飲むか」
俺、酒なんか飲んだことないけど。
ノクターンならセック久してた。
初期構想(妄想段階)なら腹上死してた。
>そういう趣味
筆者にスカトロ趣味はない(断言)
目覚めの時は今じゃない(半泣き)
下ネタ的な意味でも、記憶的な意味でも。
実は今回、自分が一番書きたかった日常ネタです。
妹と幼馴染に囲まれて、羨ましいなぁミコトくん殺そう♪