第四話 指切り、ここにいる約束
上冬もあと数日で下旬だ。
冬も真っ盛り。家の中と言えど、かなり寒い。
俺とアクィナ、ユミルの三人は、食堂の暖炉前に集まっていた。
アクィナによれば、今が最も寒い時期らしい。ここを耐え抜けば、少しは楽になるそうだ。
ちなみに、大抵こういうときに解説役となるシェルアは、現在屋敷にいない。
行先を告げることなく、どこかへ出て行った。たぶん、シェルアが結成したという組織で、何か活動しているのだろう。
あと、バッサはアクィナの部屋の掃除だ。
鼻息を荒くしていたので、関わらないと決めていた。
それにしても、アクィナ。なんでお前、俺に負ぶさってんの?
いや、温かいんだけどさ。こう、背中に当たる感触が、なんというかさ。アレだよ。
待て待て待て、相手は一二歳だぞ! さらに言えば幼児体型だぞ!
……うんまぁ、一応女の子らしく、多少の膨らみはあるんだけれども――げふんげふん!
「みぃくん。かお、あかく、なってる、よ?」
「言うでない」
俺は学んだのだ。こういうことを考えていると、また眩暈が起こるって。
おそらく、記憶を失う前の『ミコト・クロミヤ』が、まったく女性と触れ合わなかったせいだろう。免疫がないのだ。
「はぁ……」
こう、勉強もせず、修行もしない時間を過ごしていると、以前の自分が気になってしまう。
イシェルは俺に、忘れたままでいてほしくないと言った。俺が記憶を失ったせいで、悲しんでいる人がいるのだ。
なら、思い出せるように努力するのは、当然のことだろう。
「ってことでさ。俺って前は、どんな奴だったんだ?」
訊くと、俺の隣で毛布がもぞもぞ。ユミルが顔を出す。
「肩車してくれたよ!」
「ほうほう、それで?」
「お手玉してくれたよ! 四個で! 魔術の水球で!」
「ぉぉぅ、けっこう器用なことをしてやがる。今度やってみようかな」
ユミルが話してくれたのは、遊びの思い出だった。
性格に関しては、あんまり喋ってくれなかった。
「で、アクィナはどうなのさ?」
アクィナとミコト・クロミヤの関係は、幼馴染だ。かなり幼い頃から、俺のことを知っているのだろう。
なら、性格について、もうちょっと答えられるだろう。
と、思っていたのだが、一向に話す気配がない。
「アクィナ? アクィナちゃん? アクィナさん? ……アッキーナ?」
「だ、れ?」
「おっ、やっと反応したか。んで、どうなんだよ。アクィナだって、元のほうがいいだろ?」
俺にもし、幼馴染のような関係があって――いや、アクィナがそうなのだが――相手が自分のことを、綺麗さっぱり忘れていたら。
それはやっぱり、悲しい。
「しって、どうす、るの?」
「そりゃぁおめぇ、記憶が戻るように努力するさ」
「だめ――!」
拒否の声が張り上げられた。それは、普段のアクィナからは考えられない、感情の発露だった。
「みぃくんは、ここにいなきゃ、だめ、なの! わ、たし。ずっとみ、みぃくんと、いたい!」
絶句した。彼女が甘えてくる裏で、こんな感情があったなんて。
そういえば、と思い出す。
以前イシェルが話した、ミコト・クロミヤとの関係性の内に、『道連れ』があった。
つまり俺は以前、旅のようなことをしていたのだ。イシェルを連れて。おそらく、アクィナを放って。
「わかったよ。無理に思い出そうとは、もうしない」
そして、と続ける。
「約束するよ。もしも記憶が戻っても――俺は絶対に、みんなから離れたりしない。必ず、約束だ」
アクィナが安心するよう、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて。
彼女と向き合い、小指同士を絡ませる。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます。指切った」
「みぃ、くん?」
「絶対約束を守りましょうね、っていう儀式らしい。破ったら指を切られて、万回殴られて、千本の針を飲まされるんだ」
「怖い!」
ユミルの反応に苦笑しつつ、続ける。
「冗談みたいなもんだ。気にするでねぃ」
「……やぶ、たら。すい、つくす、から」
「何を!? って、ああ、いやいや、信じてくれ。これでも俺、誠実で通って、る……?」
前に、こんな会話をした気が――いや、無理に考えないよう決意したばっかりだ。
俺は意識しないことにした。
もしも記憶が戻っても、ここにいるよ。
約束だ――――。
「三人とも、寝ちゃいましたか」
「あぁ、アクィナ様、そんな幸せそうな寝顔で……じゅるり」
「こんなところで寝ていたら、風邪を引いてしまいます。ベッドにお運びしないと」
食堂の暖炉前に、三人の人影があった。
服装、顔立ち、身体的特徴すべてが同じ。
黒い修道服。首に下げた、涙を象ったネックレス。紺色の髪。
彼女の名はバッサ。分身魔術『アルトロ』という、無属性魔術の使い手だ。
彼女たちが囲むのは、毛布に包まった三人の少年少女だ。
「それでは、運びましょうか」
「アクィナ様は、このバッサが運びますね」
「いえ、それはこのバッサが。ほかの二人は任せます」
「……消えなさい、バッサたち」
次の瞬間、二人のバッサが消失する。
残ったバッサは、アクィナが被る毛布に手を掛けつつ、隣の少年を見やった。
「――その約束。破ったら、本気で儀式の通りにしますからね」
その翌日のこと。
俺が自室の掃除をしていると、バッサが手伝いにやってきた。
「あれ、バッさんが手伝ってくれるなんて、珍しい……っていうか、初めてじゃね?」
「そうですね」
「なんか心境の変化でもあった?」
「ええ、まぁ」
妙に静かな態度に、俺は思わず眉根を寄せる。
「あぁ、そうです。昨日《公平卿》が出たそうなので、気を付けてくださいね」
《公平卿》とは、最近世間を騒がせているという極悪人らしい。
以前に捕まったことがあるそうだが、脱走したそうだ。
「んぉ? 心配してくれてんの?」
「……まぁ、出会ってほしくないのは、確かですが」
やはり妙だ。バッサが俺を心配するなんて、明日は肉塊の雨が降るんじゃなかろうか。
「――信じていますからね」
訝しんでいたから、唐突に告げられた信頼の言葉に、数瞬反応できなかった。
「えっ? ……おう、大丈夫だ。アクィナに手は出さねえよ」
「出したら殺すぞ」
あ、これマジな目だ。
こういうのを、クレイジーサイコレズというのだろうか。
クソ怖ぇぇぇ。
その日からなぜか、ちょっぴりレズが優しくなった。
理由はわからなかったが……まぁ、それでもいいか。
◇
「こんにちはー!」
上冬も下旬間近な、ある日の午後。
二階にてシェルアの授業を受けていたら、一階から聞き覚えのない声がした。
「はいはーい、ちょっと待ってねー!」
今度はユミルの、溌剌とした声だ。
それからしばらくして、再びユミルの声が聞こえてくる。
「シェルアお姉ちゃん、お客さんだよ!」
来客とは、珍しい。
この屋敷があるのは、王都の下層北区。寂れた地区で、古びた屋敷というのは、周囲から浮きまくっている。
近隣の住民からは、不気味な屋敷と認識されているようで。この一カ月の間、訪ねてくる者はいなかったのだが。
「あぁぁー、完全に忘れていたよ……」
ちらりとシェルアを見ると、どうやら心当たりがあるようで、額に手を当てて溜め息をついていた。
「……とりま、さっさと行ってきたらどうだ?」
「ボクだけが行ってきたら、お兄さん、また遊び始めるじゃないか」
「失敬な。これも魔術の修行だよ」
四つ、色とりどりの水球を作り、空中に放る。
シェルアはそれを、片手で薙いだだけで掻き消した。
マジか……。
「一緒に行こう」
「……はい」
そうして俺たちは一階に降りる。
玄関には、二人の人物が待っていた。
「あ、シェルアさん。こんにちはっす」
一人は、白髪に赤眼の少年だ。一階から聞こえてきた声の主だと思われる。
肌は白く、いっそ病人かと思うほどだ。……一七歳、か。
「シェルアさま、こんにちはです」
もう一人は、黒い眼球と肌、白い髪と瞳の、異様な容姿の少年だ。
表情豊かな白髪赤眼の少年とは対照的に、彼の表情からは一切の感情が読み取れない、十歳だというのに……これが悟り世代か。
「やぁやぁやぁ、ほとんど一カ月ぶりだねぇ、ルキ。ロトは役に立ったかい?」
ルキと呼ばれた赤眼赤眼の少年は、「はいっす!」と元気よく返事し、異様な少年の頭に手を乗せた。
「このちびっ子、役に立ったってもんじゃないっすよ! やー、おれと同じ《ラ・モール》ってだけありますわ」
ルキとシェルアが会話する横で、ロトの視線は俺に向けられた。無言で歩み寄って来る。
体が触れ合うような距離で、じっとこちらを見つめてきた。
訝しく思いながらも、ユミルと同じくらいの身長かな、とぼんやり考えて――
「ちがうよ。少し彼女のほうが高いな」
少年の視線は、ユミルに向けられていた。ユミルは「え?」と恍けた。
その動作と、先ほどの言葉の意味を考えて、俺も目を見開く。
「え、エスパー……!」
と驚愕したものの、ファンタジーだしなぁ。そんなに珍しくないのかな。
「申し遅れたね。ぼくはロト。よろしくだね、ミコトさま」
「お、おう。よろしく……って、俺の名前……?」
眉根を寄せる俺に、ロトは無表情に、
「ミコトさま曰く、ぼくはエスパーだからね」
「おう、納得」
「ごめんなさい、冗談です。シェルアさまから聞いてた」
こ、こいつ……!
十歳でこれじゃあ、将来が思いやられるぞ。
「それにしても……聞いていた話とはだいぶちがう」
「ん? シェルアは俺のこと、なんて言ってたんだ?」
以前の『ミコト・クロミヤ』について、あまり詮索するつもりはなかった。尋ねてしまったのは、完全に反射的だった。
だが、まぁ、気にならないと言えば嘘になる。
そして、ロトが口を開こうとした、直前。
俺とロトの間に、シェルアが割り込んだ。
「はいはいはーいロト、客室においで。報告を聞こうじゃないか」
「わかったよ」
俺が声を掛ける暇もなく、二人は廊下の奥に進んでしまった。
これじゃあ生殺しだ。
悶々とした気持ちを抱えながら、ふと背後を振り向く。
そこには、俺と同じく放置された男が一人。
「えっと……俺はミコト。ルキ、だっけ? 俺の部屋に来る?」
「いいんすかミコトさん! 行きます行きます!」
ほんとに元気だなぁ。印象は、後輩みたいな奴だ。年齢はあっちのほうが上だけど。
「ユミルはどうする?」
「うーん……わたしはサンのところに行ってるね」
言うなりユミルは、庭に出て行った。いつの間に取ってきたのか、手には櫛が握られている。
見送ると、横で残念そうな溜め息が聞こえた。
疑問の視線を送ると、ルキは慌てて手を振り、首を横に振る。
「ち、違うっすよミコトさん! おれ、別にそういう趣味ないっすから! 決して、幼げな肢体に興奮したとか、そういうんじゃないっすから!」
「…………とりあえずユミルには、お前と関わらないよう言っとくか」
「そんな殺生な!」
この屋敷の幼女は、俺が守る。
そう、固く決意した。
>指切りシーン
三章を参照しながら書きました。ハハッ。
>ロト
元ネタは『アスタロト』。クリフォト的には『無感動』。