第三話 無慈悲! 銀狼、住処を奪われる!
クロミヤ家の後見人、ナヘマ・キラヌートの来客から、また数日が過ぎた。
現在は、上冬の中旬といった辺り。
突然だが、我がクロミヤ家にはペットがいる。
無駄に広い庭で、一日中寝そべっている。のだが、今日は生憎と雨天である。玄関の屋根下に避難していた。
俺は玄関の段差に腰掛けながら、チラリとペットを横目で見た。
大型犬もびっくりするような、巨大な銀狼が、そこにはいた。
あまりにも大きすぎるために、屋内に避難させることもできないのだ。
過保護なバッサが『アクィナ様の住まいを獣臭くするなど!』と反対するのもあるけど。
「暇だなぁ、サン」
『そうであるなぁ』
ただでさえ、常識を超えた大きさの、この狼。なんと、喋ることができるのだ。
しかも、けっこう渋い声。
「水浴びしてきたらどうだよ。ほら、ちょうど雨降ってるぞ」
『こんな寒い日に、水浴びなどするわけなかろう』
「確かに、そりゃそうだ」
俺は防寒具を着ているわけだが、そろそろ体が冷えてきた。
まぁ、寒いのは嫌いではない。雪とか、けっこう好きだ。しばらくはここにいよう。
『退屈であるな』
暇だと、今度はサンが言った。
『狩りに向かいたいな』
「狼だもんな。けどさ、エサならいつもユミルが出してるじゃん。漫画みたいな骨付き肉、嫌か?」
『アレもアレで美味いがな。自力で獲物を追い詰め、その首に食らい付く瞬間というのは、なかなかに快感だぞ?』
肉食動物らしい意見である。
ともかく、サンとは趣味が合わないようだ。
「俺、盆栽やってみたいんだけど」
『ジジイか』
「いや、これが結構奥が深いんだって。中学の修学旅行で、奈良に行ったときにさ――」
――あれ、なんの話だ?
「見つけたよ、ミコトお兄さん」
「げっ、シェルアぁ!?」
突然、背後から頭を抑えられた。
ひんやりとした手の平に頭を揺らされ、若干の眩暈を起こす。
「休憩は終わったんだけれどもね。なかなか戻らないから来てみれば、老後の心配かい?」
「いや、盆栽さ。今からでも始められるなら始めようかと、」
「その前に、常識を学ぶところからだね。頭を打って、いろんなモノが吹っ飛んだみたいだからさ」
「うぁぁぁ、スパルタやだぁぁぁ! 助けてサンぅ!」
サンは大きな口を開けて欠伸していた。
その姿を憎々しい思いで睨みながら、俺は決意する。
――アイツが住処とする、雑草が生えまくった庭。全部引っこ抜いてやる。
◇
翌日。
天候は、昨日の雨はなんだったのかと言わんばかりの、雲一つない晴天である。
サンは今、ぬかるんだ地面に座って泥まみれになりたくないからと、屋敷の屋根に登っている。
見上げれば、鬱陶しそうな視線を、こちらに向けていた。
玄関前。
俺はサンにサムズアップを返してから、胸を張って両腕を組んだ。
隣ではユミルが、同じポーズを取っている。
「確認作業開始!」
「らじゃー!」
「軍手!」
「軍手、よーし!」
「タオル!」
「タオル、よーし!」
「長袖長ズボン!」
「ながそで、長ズボン、よーし!」
「よし、作業に掛かれぇ!」
「らじゃー!」
――草むしり、開始。
その数秒後、ユミルは唸っていた。
「んー! んーっ! ぬーけーなーいー!」
庭に張った雑草は、雨上がりで地面がぬかるんでいるというのに、なかなか抜けない。
これは予想外だ。
「ふんっ! ふんぬっ! くそう、どんだけ根ェ張ってんだ!」
「って言いながら、ポンポン引っこ抜いていくよね、お兄ちゃん」
「まあなぁ。なんでか俺、すげぇ怪力みたいだから。やっぱ、事故とやらが原因なのかねぇ」
ユミルが未だ一本も抜けない間も、俺はすでに草の山を積んでいた。
しかし、雑草は健在だ。この作業を、あと何回繰り返せばいいのか。
冬だってのに、元気すぎるだろ。枯れてろよ。
と悪態を吐いていたら、声が掛かった。
「あれー? 何してるんですかー、不死身さん?」
声がしたほうに声を向けると、黒目黒髪の少女がいた。
だるそうなイメージの垂れ目が、興味深そうにこちらを観察している。
「そのさ、不死身さんっていうの。やめてくれよ、イシェル」
「いやぁー、これで慣れちゃいましてー」
彼女の名前はイシェル。趣味の諜報員を自称する、わけのわからん少女だ。
いやほんと、趣味が諜報ってなんやねん。無所属でやってけるもんなの?
その性格は、興味のあることを知るためならなんでもする。いわゆる知識狂だ。
「慣れましてって、俺って前からアンタに、不死身さんて言われてたの?」
彼女は記憶を失う前の『ミコト・クロミヤ』を知っているらしい。
どんな関係か、少し気になった。
というか、シェルアやアクィナ、バッサに『ミコト・クロミヤ』はどんな人物かと尋ねても、答えてくれないのだ。
ユミルは、クロミヤ家に預けられたのは最近らしく、大したことは聞けなかった。
ほかの知り合いにも、なかなか会えないし。
やっぱり、気になる。
「うーん、本官と不死身さんは、そうですねー。道連れとか仲間とか、監視対象と監視者とか、そんな関係でしたねー」
「やっべ、全然想像できねえや。つーかさ、俺ってどんな奴だったんだ?」
これが本題。自分のことを知れば、もしかしたら、思い出せるかもしれない。
と、希望を抱いていたのだが……
「だーめーですっ」
「えぇ……」
「あんまり話し過ぎちゃうと、叱られちゃいますから。まぁ――」
するとイシェルは、一呼吸置いてから、声を静めて告げた。
「本官、知識とか記憶ってもんは、この世で最も大事だと思ってますから。不死身さんには、忘れていてほしくはないですねー」
「は、はぁ。まぁ、努力するよ」
「はい。本官も、影でお手伝いしますよ」
これで、イシェルとの会話は終わった。
最後に彼女は「では、書籍に興味があるんで、失礼しますねー」と告げて、屋敷に入っていった。
手伝うって、どこまで本気なのだろうか。
あんまり期待はしないでおこう。
「お兄ちゃん、くーさーかーりっ!」
「おっと、悪い悪い。話し込んじゃってた」
ユミルの叱責に、俺は庭に向き直る。
そして、改めて現状を見てみて、
「……手作業じゃ、無理だな」
「……だねぇ」
この屋敷、使われていない部分が多すぎる。無駄に広いのだ。
なんで廃れた王都の下層北区に、居を構えているのか。謎は尽きないが、それはともかくとして。
どうしよう、雑草。
諦めようかな。
と、気付いた。
屋根の上のサンが、見下した眼差しを向けている。
サムズダウンを向けてから、俺は決意する。
「――魔術を使うぞ」
魔術。
シェルアとの授業で、なんとなく思い出してきた、ファンタジー要素である。
俺が得意とする属性は、一に火、二に水。
系統は、身体干渉と創造だ。
身体干渉と言ったが、正確に俺が得意とするのは、自身の肉体への干渉魔術だ。
干渉系統と身体干渉系統は、厳密には別物で――。まぁ、これはいいだろう。扱いは身体干渉と同じで変わらないのだ。
逆に、体外に対する干渉は苦手。風と地については、からっきしである。
そして、火は扱いが危険だ。
ということで今、俺が選択するのは、創造系統・水属性だ。
モノを切断するなら……ウォーターカッターみたいなのがイイな。
「――――」
演算終了。
庭に右手を翳すと、掌の先に水刃が顕現する。
「行けぇ! ウォーターカッター、もとい『スーマ・アクエスト』ぉ!」
切断術式が合成されたことによって、刃に形を変えられた水弾魔術――水刃が、射出された。
難易度としては、ギリギリ中級に入るくらい。
合成術式以外で形状設定すると、実は初級で抑えられる。しかし、その分だけ威力に割くリソースが減り、結果切断力が落ちる。
ユミルに格好いいところを見せてやろう。そんな見栄が、失敗へと繋がった。
射出した水刃は、雑草を数本切り裂いただけで、空中分解してしまったのだ。
「あちゃー、やっぱ中級に手を出すのは早かったかなぁ。初級に留めりゃよかったか。いや、病み上がりでよくやれたもんだと、自画自賛するべきか」
「なんでもいいけど、草むしり、どうするの?」
ユミルはすっかり冷めた様子だ。飽きたらしい。
つまらなくてゴメンな。実際のとこ、こんな地味な肉体労働、ユミルには合わなかった。
サンに負けるのは悔しいが、お開きにしようか。
そう思っていたら、声が掛かった。
「何をやっているのかな? ミコトお兄さん、ユミル」
「どろ、あそび?」
屋敷の一階からだった。窓が開かれ、アクィナとシェルアの、二人の姿が確認できる。
「いやさ、草むしりしようかと」
「お兄さんはクロミヤ家の当主なんだから、ふんぞり返っていればいいのさ」
「当主らしいこと、会談の一件以来、一切してないし……。だいたいウチ、使用人ゼロじゃねえか。バッさんはなんか違うし。だからこんな草ボーボーなんだろ?」
たぶんこれ、夏になったら虫が大量に湧く奴だ。
虫は苦手じゃないけど、蚊は嫌いだ。痒くなるし。
「わた、し。が、やる」
「アクィナが?」
「う、ん」
アクィナはたどたどしく返事をし、右手を庭に向けた。
直後、掌の先に、水刃が顕現する。
あまりのスムーズさに、思わず目を見開く。
魔力の発露すら感じられなかった。
――って、まずい。
「退避ぃぃぃ!」
ユミルを抱え、ダッシュ。一瞬で壁のそばまで寄る。
そうして退避した、次の瞬間だった。
水刃が、射出された。
形状の揺らぎはなかった。鋭利さを保ったまま、雑草を一息で刈り取った。
「す、げぇー!」
格好よさに、俺は声を上げて。
「すごい……」
ユミルは呆然として。
『!?!?!?』
一瞬にして住処を奪われたサンは、絶句していた。
舞い上がった草が、地に落ちた瞬間、屋上で泣き崩れた。
安心しろ、サン。
様変わりしちゃったけど、これはこれでイイじゃん。緑の絨毯、洒落乙やん。
「いやぁ、すっげぇな、アクィナ。今の今まで、ただのポンコツかと思ってた」
窓に歩み寄りながら、アクィナの認識を改めた。
まさか、こんなに魔術が得意だったとは……。
「えへ、えへへ……」
その恥ずかしがるようで、嬉しさに満ちた微笑みに、思わず見惚れそうになって。
――頭痛、視界がノイズで歪む。
「まっ、アクィナなら朝飯前ってところなんだけれどもね。ほら、汗を拭いてあげる」
シェルアが、俺の首に掛かっていたタオルを取る。そして、顔面にタオルが押し付けられた。
「ぶぇ、なにするしっ?」
「いや、だから汗」
「乱暴だしお節介! 自分で拭けるよ!」
慌てて振りほどき、タオルを回収。自分で首の汗を拭う。眩暈はすでに失せていた。
拭き取って、軍手を外してから、隣に立っている少女の頭に、ぽすっと手を乗せる。
「今日は付き合ってくれてありがとうな、ユミル」
「でも、わたし、なんにもできなくて」
「男ってのはな。女の子に見られてたら頑張っちゃう、お馬鹿な生き物なんだよ。俺は、ユミルがいたから頑張れたんだ」
我ながら気障なセリフだと思う。だが、真実なのだから仕方ない。
自分の単純さに苦笑しつつ、ユミルの頭を撫でる。今度はユミルも、素直に受け入れていた。
「むー」
視線。苦笑を深めつつそちらを見れば、アクィナが頬を膨らませていた。
「そ、そうだよな。一番の功労者はアクィナだよな。おう、サンキューな」
「あたま。なでて」
「はいよ」
歩み寄り、彼女の頭に手を乗せる。
ニヤリ、笑みを浮かべる。そして、少しだけ乱暴に撫でた。
「わー、うー、きゃぁー」
「棒読みかよ、ったく」
甘えるアクィナ。お節介なシェルア。
これ、幼馴染と妹、逆じゃね?
とかなんとか、一瞬だけ思ったけど。
まぁ、こんなのもいいかな。
「まったく、惚気もそこまでにしてほしいんだけれどもね。ところでミコトお兄さん、今までの貢献度からすると、ボクが真っ先に撫でられるはずだよね? だよねだよねだよね?」
「わーかったよ、わかったから!」
いや、シェルアもやっぱ、どっかおかしいわ。
「みぃくんの、たおる……。みぃくんの、あせ……。あせの、にほい……。――いぃ!」
こいつは段違いにおかしいわ。
後日、玄関の脇に刈り取った雑草を敷き詰め、サンの新たな住処とした。
『貴様が格上でなければ、食っていた! 食らいついていたぞ! 銀狼は戦いに生きる獣なのだ……!』
めでたし、めでたし。
>サン
銀狼サン不憫サン。
元ネタ『サタン』。クリフォト的には無神論、七大罪的には憤怒。
魔獣。