第二話 悪趣味! 成金女現る!
記憶喪失状態で目覚めた上冬初旬から数日が過ぎ、時間の流れは上冬中旬に差し掛かろうとしていた。
俺はその間、状況の整理に努めていた。
戸惑ったのは、この世界――シェオルと、なぜか知っていた地球の知識、その齟齬だった。
シェルアが言うには、頭を打ったことで謎の現象が起きたそうだ。
謎の現象ってなんやねん。
それで異世界の知識が入ってくるって、どういう怪奇現象さ。
何はともあれ、しばらく状況整理に努めていれば、戸惑いもなくなった。
常識のなさに悩むこともあったが、ここでもシェルアが手伝ってくれたので、まぁなんとかやっていけてる。
ほんと、デキた妹だよ。
偶に出る黒い笑みは、ちょっと怖いけど。
「ミコトお兄さん。ぼうっとしているようだけれども、どうしたんだい?」
掛けられた妹の声に、我を取り戻す。
目の前には、細長いテーブルがあった。廃れた雰囲気の屋敷に、純白のテーブルクロスは、少し周囲から浮いているように思える。
テーブルの上には、朝食としては重そうな料理が並んでいる。
ここは食堂。住人の少なさに対し、無駄に広い。
この長テーブル、詰めれば三〇人くらいは座れるんじゃなかろうか。据え置かれた席は、その半分ほどであったが。
そして、その一五席は現在、三分の一しか埋められていない。
俺が上座、いわゆるお誕生日席に座っているからか、さらに余分な空白が目に入る。
だからだろうか、余計な思考が捗った。
俺は慌てて言い訳する。
「いやぁ、やっぱり朝食がこれは重いなぁ、ってさ」
目の前に並べられた料理を挙げていこう。
サラダ、目玉焼き、スープ、パン。そして、ステーキ。
いやぁ、ステーキは重いって。
しかも全メニュー特大サイズ。
と言っていると、声。
「文句があるなら食べずとも結構です」
「あ、いや、食べないって言ってるんじゃないんだ、美味いし。言い方が悪かったよ、ごめんバッさん」
苦言を発したのは、この朝食を用意したエセ修道女、バッサだ。
俺が唯一、年齢を判別できない女性である。
バッサは黒い修道服を着ている。が、別に神を敬っているとか、そんな理由はないそうだ。
実際、彼女の行いは修道女というより、アクィナ専属のメイドのようなものだった。
「バッサ」
「あっ、すいません。言いすぎました」
敬愛するアクィナの窘めに、バッサは瞬時に謝罪する。
しかしその目は、未だ俺を睨み付けている。その瞳に宿るのは、俺の勘違いでなければ、嫉妬心だ。
ここ数日間様子を見てきたが、まさかこのエセ修道女、レズの気があるのだろうか。
あれ、俺ってお邪魔虫? 浮気者的な何か?
浮気……不倫……うっ、頭が……。
「ミコトお兄さん、汗を拭くよ」
「あぁ、サンキュ……」
眩暈を起こしていると、シェルアがハンカチで額を拭ってくれた。
布越しに感じる、ひんやりとしたシェルアの手が心地いい。
……あれ、俺はいったい、何を悩んでいたんだったか。
「おっと、そだそだ。ユミルはきつくないか? 子供には重いだろ?」
「ううん、別に?」
首を傾げる従妹に、俺はやれやれと首を横に振る。
「そういうカロリー高いので慣れてっと、将来太るぞ?」
「かろりぃ? ……ううん、大丈夫だよ。ばーばぁも、これくらい食べてたし」
ばーばぁ。本名、バーバラ・スピルスは、ユミルの祖母らしい。
「スピルスの血筋ってすげぇや。なんで俺ぁ、父方の血が強く出たんだか」
若白髪になったのも、その影響に違いない。
おのれ、記憶になき父親め。
「それはともかく、バッさんはアレだ、なんでもかんでもアクィナ基準にしすぎだと思うんだ」
チラリとアクィナの食卓を覗いてみれば、すごいのなんの。
ドン! ステーキの山盛り!
そこにあったのは、五人前は容易く超えそうな、肉の山だ。
見ているだけで胸焼けがする。
よくアクィナは黙々と、あんな食事兵器を食べられるな。
ちなみに、最初は一〇人前くらいはあったのだ。
「これでも、軽くしたほうだと思うのですが……」
「うんまぁ、アレに比べりゃあな」
あの小さな体の、どこに一〇人前の量が入るのか。
食べた瞬間に消化しているのでなければ、胃の中の時空が歪んでいるんじゃなかろうか。
「……ん? ってかさ、あのステーキ。俺らが食ってるもんと、種類が違くね?」
なんだろう、妙な既視感を覚える。
ああいう肉塊を、最近どこか、身近なところで見たような気が……、
「みぃくん、も……たべ、る?」
俺の視線に気付いたらしいアクィナが、食堂に来て初めて口を開いた。
その好意は嬉しいのだが、自分の分で精一杯だ。首を横に振る。
それに。
どうしてか、その肉を食べる気にならなかった。
なぜだろうかと考えて、再び食事を再開するアクィナを見やった。
膨大な肉さえ視界に入れなければ、幸せそうに食べ物を口に運ぶ姿は、本当に可愛らしくて。
――あぁ、そっか。きっと俺は、アクィナに幸せでいてほしいんだ。
「あぁ、そうだ。ミコトお兄さん? 今日の午前中に、クロミヤ家の後見人が来るんだけれどもね」
「うん」
「お兄さんは当主だから、準備しておいてね」
「それ先に言っといてよぉぉぉ!」
これが、クロミヤ家の食卓。
一応は当主の俺と、その妹シェルア。幼馴染のアクィナに、お世話係りのバッサ。従妹のユミル。
――騒がしくも明るい、食事のひと時。
◇
俺たち、クロミヤ兄妹には親がいない。『この前の事故』とやらで、両親ともに死んでしまったらしい。
アクィナやユミル、バッサもいないそうだが、これは事故とは無関係である。
ともかく、そんなクロミヤ家で、ただ一人だけの男が当主になるのは、自然な成り行きだった。
残り少ない時間、俺はシェルアと自室で、急いで支度をしていた。
「だぁあ、もうっ。そういう風習いらねえじゃん! ってかウチ貴族じゃねえんだから、マジいらねえじゃん!」
「ある意味では、王族にも匹敵するんだけれどもね」
「マジかっ、なんでこんな廃れてんのさ! あ、このボタンどうなってんだ……? なんだよこの服、助けてシェルアぁ!?」
「仕方ないなぁ、お兄さんは」
シェルア、マジ有能。
形だけの当主としては、肩身が狭いようで、頼りになるような。
いや、当主が正装できないって時点で、情けなくなってくるが。
「シェルアが当主になりゃいいじゃん」
「ボクはあくまで当主補佐だよ」
「女当主とか格好いいじゃん、チクショウ……」
とかなんとか悪態を吐いている間に、着替え終わった。
姿見で確認する。基調は黒で、白いアクセントが清潔感を感じさせる。
「どうよ?」
「うんうんうんうん、いいんじゃないかな」
そうして確認していると、扉がノックされた。
バッサの声が聞こえてくる。
「ナヘマ・キラヌートが来ましたよ。客間に連れて行くので、あとはよろしくお願いします」
来た。
少しばかりの緊張を覚え、気を引き締める。
俺は扉を開け、一階の客間へと向かう。
その間に、今来ているという後見人について訊いた。
「うーん、なんて説明したものかな」
シェルアは首を傾げつつも、すらりと説明を始める。
「ナヘマ・キラヌート、大貴族の女当主だね」
女当主、実際にいるじゃんか。
とは、さすがに切羽詰まった状況で言えない。
「ボクが設立した組織の一員で、そこの資金提供者でもあるんだ」
「スポンサーって奴か。ってかお前、一組織の設立者なのかよ……。まぁ、そこら辺はあとで訊くとして、だ。それって、立場的にはどっちが上になるんだ?」
一員ということは、あくまで下の位置付けなのだろう。
しかし、そこにスポンサーという要素が加わると、少し複雑だ。
「一応のところは、こっちが上ってことになってるよ。だけれども気難しい人だから、あんまり刺激しないようにね」
「はぁ、そっすか」
そんなことを言っている間に、もう客間の前だ。
俺は襟を正し、深呼吸をしたあと、客間に入室した。
そうして当のナヘマ・キラヌートを見て――絶句した。
成金さを前面に押し出した、煌びやかな衣装。金糸が大量に使われている辺り、洒落にならない額の金が掛かっているのだろう。
そんな豪華な衣装に、身を包む本人が釣り合っているのかというと、これが全然だった。
第一印象は、巨大豚。
あまりに太り過ぎて、首と顔が一体化しているように見えた。耳や目蓋にも脂肪が行っているのか、肥大化している。視界の確保も難しそうだ。
脂ぎった肌は、運動したわけでもないのに紅潮している。
染めたような金髪は、ところどころ染料が剥がれ落ち、痛んだ地毛の茶髪が明るみになっている。
次いで、視覚的に衝撃を受けたあとの、臭覚への攻撃だ。
汗、脂、腋臭、香水の匂いが混ざり合い、最悪な合体を果たしている。有害レベルだ。
「あら、あなダがミごど・ぐロミヤ様ね? シェルア様も、ごぎげんよう」
こちらが視覚・臭覚情報のダブルアタックを受けている間に、相手は観察を澄ましたらしい。
その第一声は、聞き取りずらいガラガラ声。それでいて妙に甲高く、耳に痛い。
「ど、ども」
「ふぐふ、ギんぢょうしでるのね? さ、ずわっだらいがが?」
「は、はい」
ヤバい人だこれ。女らしさというか、人間らしさをかなぐり捨ててやがる。
今すぐシェルアに全てを任せ、庭に飛び出していきたい。
……いや、兄としてそれはどうなんだ。
文句はあるが、俺は当主なんだ。その最初の仕事くらい、ちゃんとやってやるさ。
斜め後ろに付いている、シュルアの存在を感じる。
妹がいるんだ。いざって時はデキるってところ、見せてやらないとな。
大丈夫、演技は得意だった! ……気がする。
「――ようこそいらっしゃいました、ナヘマ様。本日はお日柄もよく、」
「あぁ、いぃのいいの。もっどきらグに行ぎまじょう?」
「ありがとうございます」
言いつつ、ソファーに腰掛け、対面のナヘマに向き合った。
異臭が鼻につくが、ここは我慢だ。
と、あんまりにもナヘマが印象的すぎたせいなのだが、今になって初めて気付いた。
ナヘマの後ろに、奇妙な男が立っている。
ナヘマとは対極の、お洒落さを感じさせない執事服。
それはまだいい。問題は、その顔に付けられたマスクだ。金属の拘束具のようにも見える。
『恥辱のマスク』という単語が、脳裏に浮かんだ。
訝しがる俺の視線に、ナヘマの気付いたのだろう。
「あぁ」と濁声で答える。
「がれはあだじの召使いよ」
「は、はぁ。そうですか」
召使いの趣味、ということはないだろう。マスクの隙間から見える表情は、苦悶に満ちている。
苦悶の理由は、彼が両腕で抱え込む壺だ。相当重いのだろう、腕がぷるぷると震えている。
イイ趣味をお持ちで、という皮肉は、咽喉の奥に飲み込んだ。
「なんの壺かは知りませんが、降ろしてあげたらどうです?」
「あぁ、ぞうぞう。ぞの中身が本題なのよ」
ナヘマの「このテーブルに」という指示に、召使いがナヘマの後ろから歩み出てくる。
しかし、大分と疲れていたのだろう。足がもつれ、体勢を崩してしまった。
倒れ込む召使い。浮遊する壺。
その速度が、あまりに遅く感じられたから、できると確信した。
即座に席を立ち、テーブルの脇へと回る。
そして、両方を助けることに成功する。
明らかに異常だとは気付いていたが、俺が思ったのは違う。
この壺、中に何かがあるようだが、そんなに重くないじゃん。
「大丈夫か?」
どこかにぶつけることはなかったはずだが、召使いの顔は蒼白だ。
あちゃー、というシェルアの声。その、直後だった。
「どご見で歩いどんじゃぁ、このブズがぁぁぁああっ!?」
ぼよぼよと肥大化した、ナヘマの右掌が振り上げられる。
だが、遅い。緩慢に過ぎる。
俺は咄嗟に召使いを突き飛ばすと、空いた手でナヘマの右腕を受け止めた。
重い……と感じた瞬間、ズガン! という衝撃が、足元で発生した。
チラリと視線を下げてみる。俺の足が、市松模様のカーペットを突き破り、床に罅を入れている。
ふぅん。……えっ?
二度見、三度見。えっ、えっ、なにこれ?
「ぐふぐ……さすがは使徒、と言ったところですか」
「それはともかくとしてだけれどもねぇ、ナヘマ・キラヌート。その手、ミコトお兄さんから離してくれないかなぁ?」
感心した様子のナヘマに、俺の背後からシェルアが言う。その口調は、大層不機嫌そうだった。
苦笑ののち、ナヘマは右腕を戻した。床の軋む音が消える。
「ずいまぜん、ミごど様。でずが、ひどつ訊いでもよろじいでずか?」
「……なんすか」
「どうじで、ぞのブズを庇っだんでず?」
なぜと訊かれて、テーブルに壺を置いてから、少しだけ考えてみる。
別に、この召使いが傷付くこと自体が嫌だったわけじゃない。屋敷から立ち去ったあと、彼が折檻を受けたとしても、心が痛むことはないだろう。
俺が、暴力を見るのが嫌だった。
いいや、違うな。
「――俺の平穏の、異物だったからだ」
まだ数日間しか経ってないが、この屋敷での生活が大事だと、確信を以て言える。
この平穏を崩す要素は、なんであろうと許さない。
「なるぼど。わがりまじだわ。……機嫌をそゴねたようでずので、用を済まぜたらガえりまず」
ナヘマは「失礼じまず」と言って、壺の蓋に手を掛けた。
開かれる。
――大量の金貨が、そこに収められていた。
「ぉぉぅ……」
まさか壺の中身、すべて金貨とでも言うんだろうか。
壺の大きさからして、百枚近く入っているのではなかろうか。
「では、わだじはごれで……」
というナヘマの一言で、会談はお開きとなった。
屋敷を出て行くナヘマと召使いを見送りながら、俺はぽつりと呟いた。
「金貨百枚って、どんぐらいだ?」
「中流平民程度の生活をして、十年は働かなくてもいいくらい」
成金らしさ満載の馬車が出発する。
御者もまた、あの召使いのように、拘束具のようなマスクを着用していた。
召使いと言えば、御者台にも乗せてもらえず、全力疾走で馬車を追いかけている。
「なぁ、シェルア」
「なんだい、お兄さん」
「あの人、目下の奴に対しては、かなり気難しいんだな」
「そうだね。ナヘマがお兄さんを目上と格付けしてて、ボクも安心したよ」
もしも目下と見られていたら、あの召使いのような待遇を受けたのだろうか。
それは恐ろしい。あ、いや、撃退できるか、あれくらいなら。
「それにしてもさ、シェルア」
「なんだい、お兄さん」
「……趣味悪いよな。マスクにしても、成金にしても」
「……うん。それは同感」
>アクィナの胃
わりと実際に時空が歪んでる。
>アクィナ専用ステーク
なんの肉かはお察し。
>恥辱のマスク
検索してもらったほうがわかりやすいかと。
あの形状を文字にするのは、自分には語彙力が足りない。
>ナヘマ・キラヌート
元ネタは『ナヘマー』。クリフォト的な意味で物質主義
実力は低い。重力を活かした攻撃主体。
だが、大量の魔道具で身を包んでいるので、戦闘力は高い。