表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
121/187

断章 果たせぬ風月の復讐鬼


 ――夢を、見た。



     ◇



 そこはシェダル帝国の、とある片田舎だった。

 名を、ティーラ村と言った。


 見下ろすと、海が見えるような丘に作られたティーラ村は、風を多く受ける。

 そのためか、至るところに石垣や、風車が設置されていた。


 この一帯は晴天の日が多く、温暖な気候に恵まれている。太陽光は空から直接、また海や石垣で反射し、丘を照らしている。

 そうした環境が適していたのだろう、この村ではミカンが栽培されていた。


 丘の斜面にずらりと並ぶミカン畑は、オレンジ色の果実が実り始めていた。

 ミカンは種類によって収穫期が変わる。ここで栽培しているミカンは、下秋の初旬が最も美味しい。


 現在の季節は上秋の中旬、そろそろ収穫期だ。

 村では収穫準備の真っ最中であり、老人から子供まで、農具の手入れに駆り出されていた。


 もっとも、全ての村民が、精力的に取り組んでいたわけではない。

 世の中には、どこにだって不真面目な輩は存在する。特にそういう者は、思春期真っ盛りな子供に多く見られた。


 私は、そんな不真面目な者の一人だった。



「お姉ちゃーん!」


 幼い少女の声に、私は立ち止まり、溜め息をこぼして振り返る。

 そこにいたのは案の定、見覚えのある姿だった。


 私と同じ緑の髪に、緑の瞳。

 彼女は走ってきたらしく、今は荒い息を整えていた。


 ネイト――今年で一〇歳になる、私の妹だ。


「サボりはだめなんだよっ」


「それを言うためだけに、わざわざ追いかけてきたの? 村に戻って来いって?」


「お姉ちゃんだけズルい! わたしも連れて行って」


 どうもネイトは、私のことを慕っているらしかった。

 そこが少し、不可解だった。


 私は愛想がなく、協調性もない。

 冷めた思考で、会話が面倒と思ってしまう。



 早熟すぎて、無自覚に周囲を見下している。

 それが私。今年で一五歳となる、ヘレンという『普通の少女』だった。




「わぁ、すっごーい!」


 ネイトが感嘆した。

 場所は石垣の上。目の前に木々はない。


 ずっと先まで続く青い海、広い青空。

 そして、白い港町。白壁の家屋は、遠目なら汚れが目立たない。


 その距離感、視界を埋める空、海、街の割合。

 それが、最も映えるこの場所が、私のお気に入りだった。


 ネイトと石垣に腰掛けながら、ぼうっとその光景を見続ける。

 時の流れに身を任せて、ただぼうっと。


 とても好きで、なぜか懐かしいと思う。

 この時間が、ずっと続けばいいのに――、


「お姉ちゃん」


 気付くと、ネイトが私の手を握っていた。

 訝しがる私を、ネイトが不安そうに見上げていた。


「どこにも、いかないよね……?」


「なに、それ?」


「その、うまく言えないんだけどね……。お姉ちゃんが、消えちゃいそうな気がして……」


 容量得ない言葉に、思わず苦笑する。

 手を軽く握り返して、そして――どんな表情を浮かべればいいのだろう。


 悩んだ末、たまに夢に出る女のような不敵な笑みを、慣れないながらも浮かべた。


「私は、どこにも行かないよ」


「――そっか。よかった」


 心底安心したように、ネイトは安堵していた。


 そう、私はここにいる。ここが大好きなのだ。


 ……大好き、だったのに。




 翌日も、そのさらに翌日も、ネイトともに、あの石垣に行った。

 時間帯が少し変わるだけで、この景色は大きく変化する。


 明るい世界、静かな世界。

 見ていて、飽きることはなかった。


 ただ、絶対に決めていることがある。

 ――夕方にだけは、この場所に来ない。赤は、大嫌いな色だったから。


 しかしその日は、ネイトの強い要望もあり、夕方の景色を眺めることになった。



     ◇



 初めてこの場所に、夕方に来た。

 しかし、絶景に簡単することはなかった。そもそも今回この場所に来たのは、景色を見るためではない。


 周囲の大人とともに見る、眼下に広がる光景に、ただただ呆然とした。


 町から煙が上がっていた。破壊され、崩壊している。

 白濁したような色彩の、巨大な蛇がいる。否、あれは伝説に聞く龍と称するのが相応しいだろう。


 離れていてもわかるほど、巨大。どぐろを巻いて、町ひとつを押し潰している。

 純白を貶めるように白濁した、一対の翼が空を覆っていた。



「 ァ  ア    ア ァ   ッ ! 」



 邪龍が咆哮した。

 そう認識したのは視覚だ。聴覚はあまりの轟音に麻痺した。


 音は振動波だ。大地が震え、木々は騒めいた。

 呆然と見ていた私は、あまりの衝撃に尻もちを付いた。


「ま、ぞく……」


 たびたび襲撃してくる魔族とは、完全に別格の存在だった。

 縦に割れた血色の瞳が、世界を睥睨する。


 ――『魔法』という、魔術とよく似た技術が存在する。


 術式で世界を改変する魔術とは違い、魔力をそのまま現象に変えるのが魔法だ。

 使える者は神族などと特殊な種族や、後期の魔族。人間で使えるのは、限られた者だけだ。


 その邪龍は、間違いなく後期の魔族だった。

 となれば、魔法を使うのは不思議なことではなかった。


 翼が羽ばたき、巨体が上昇する。


 翼は確かに巨大だったが、あの巨体を上昇させるほどの大きさではないと思えた。滑空すら難しいだろう。

 しかし、何らかの力が働いているのか、邪龍は浮き上がってみせた。


 突風が吹き荒れ、風の刃が飛び交った。

 そのうち一つは、尻もちを付いた私の頭上を通り、後ろに大人が――切り刻まれた。


 上半身を切り飛ばされた。血に足を付く下半身と、上空を舞う上半身の断面から、大量の血液が噴出する。


「……え?」


 それが魔法であると、そう認識する前に、私は動いた。

 慌てて立ち上がり、妹の手を引いて走り出した。


「お、お姉ちゃん! 腕、痛いよ!」


「文句言わず走りなさい、死にたいの!?」


 そう言いながら、自分が妙に冷静なことを、私は自覚していた。

 頭が痛い。脳が蕩けそうだ。胸の内が沸騰するように熱い。なのに、思考だけは冷たく凍えていく。


 この正体不明な感情のまま、邪龍へ突撃しようとしないで済んでいたのは、この手に繋ぐ妹の存在があったからだ。

 ネイトを守らなくては――その意志が、感情を抑え込んでいた。


 ドン! と、目の前の地面が爆ぜる。

 土砂が噴き上がり、地を割って表れたのは、暗緑色の蛇だ。


 その頭は、人の頭と同程度。子供である私たちなど、簡単に飲み干せる。

 しかも、だ。


 ドン! 地面が爆ぜる。何度も爆ぜる。私たちを取り囲むように。

 蛇、蛇、蛇、確認できるだけでも十匹はいる。


 赤い眼光が、舐め回すように私たちを見ていた。

 手からネイトの震えが伝わる。私はネイトを引き寄せ、左手を振るう。


「――『エアリアーム』」


 直後、私の手の中で、風が形を持った。

 振るわれたそれは、すでに鞭の剣へと変じている。


 跳ね飛ばされる十匹の蛇。

 しかし、それで終わりではない。地中から現れる蛇は、まだまだいる。


 また囲まれる前に、私はその場を脱した。


「なに、あれ……!?」


「考えるのは――」


 ――あとで。


 そう言おうとして、ネイトの動きが鈍った。

 手を繋いでいた私は、態勢を崩して転倒する。


「……あぁぁぁあっぁああああああ!?」


 ネイトの絶叫が聞こえた。

 ひどく痛々しい、今まで聞いたことのない、絶望の悲鳴だった。


「だ、だいじょ……う、ぶ?」


「いたいっ、いた。い……よ、ぉ、ぁ……っ」


 ネイトの左足が、膝から先が存在しなかった。

 視界の隅に、赤い目をにやけさせ、ネイトの足を咀嚼する、蛇の姿があった。


 慌てて手を構えようとして、その手は新たに地中から生えた蛇に捕らえられる。

 こきゅ、という音がした。蛇の腹で締め付けられた左腕が、雑巾を絞るように捻られた。


「――大丈夫か!?」


 絶体絶命の窮地を救ったのは、私とネイトの父だった。

 風を纏ったナイフが一閃。左腕に絡み付く蛇が刈り取られた。


「家に戻れ、母さんのところへ行け、早く!」


「で、でもっ、父さんが……!」


 私は知っている。父に戦う才能がないことを。ただ、多少魔術が使える程度なのだということを。

 ともすれば、私よりも弱いと思うくらいには。


 だが、父は。

 私が思っていたより、ずっと強かった。


 震える膝を覚悟で鎮め、眼光は鋭く、蛇を睨みつける。

 ちらりと見えた父の顔は、何か未練を残しているようで、しかし、優しげな目で。


「結局お前には、父親らしいことはしてやれなかったなぁ」


「とう、さん」


「行けええええ、ヘレンっ!! ネイトを守れ!!」


 そうだ。

 妹を守らなきゃ。

 守るんだ。

 守りたいんだ。


 私は歯を食いしばって、父のところに残りたがるヘレンを、なんとか抱えた。

 途中、背後から絶叫が聞こえた。


 振り向けば、四肢を抑えられて宙に浮き、大量の蛇に喰われる父の姿がある。


「――ッ!!」


 同じく振り向こうとするネイトを無理やり前に向かせ、私は走り続けた。



 しばらくすると、私たちの家が見えてきた。

 扉を開けると、漂ってきたのは血生臭い、異臭。


 白濁と、赤。

 凌辱され、穢され、死ぬまで犯された母の姿が、そこにはあった。


 母の前には怪物がいた。

 三メートルを超える人のような体に、牛の頭。

 牛頭人身の怪物が、そこにはいた。


 怪物が赤い目をにやけさせた。

 直後、衝撃。私はいつの間にか、家の外で転がっていた。


 少しの間、気絶していたらしい。

 ネイトはどこだ。悲鳴がした。



 ――ネイトが喰われる瞬間を、見た。



 父が死んだ。

 母が死んだ。

 妹が死んだ。


 最期に声を交わすこともなく。

 理不尽に。

 不条理に。



 そして。私は思い出した。


 そうだ――この感情は、憎しみなんだ――――。


 そうして私は、自身が持つ力を自覚した。

 家族は失い、故郷も滅び、何もかも手遅れな状況で。


 守るのは今さらすぎる。

 なら、私にできることはなんだ?


「――殺す」




 私が意識を取り戻したとき、魔族の襲撃はやんでいた。

 地中から大量に現れた蛇や、巨大な邪龍の行方はわからない。


 爪を砕かれ、毛を毟られ、皮膚を剥がされ、肉を潰され。

 元が顔面が、いったいなんだったのかもわからないほど壊れた、三メートルを超える巨体を風で粉々にして。


 私は、嗤った。


 緑の眼を、体に満ちる魔力の影響で、青く変え。

 瞳の中には血色の憎悪を宿して。


 頬を伝うものは無視した。



     ◇



 時は流れ、彼女は出会う。

 孤独に闇を彷徨っていた、一人の男と。



「ふざけんなよ……!」


 別れを告げて、怒鳴られた。

 彼は、初めて自分が、事情を話した男だった。


「勇者とか魔王だとか、自分は選ばれた存在だとか、自意識過剰なんだよ! てめぇどんだけ夢見てんだ、寝言は寝て言えよ!」


 夢など見ていた覚えはない。

 いつだって現実を見てきた。悲しく惨い、この世界を。


「それでぇ? 使徒とやらになって、魔族やら魔王やらを殺すぅ? ハッ、自分の力にぶるぶる震えてる女が、調子に乗ってんじゃねぇ」


 彼の言いたいことが理解できなかった。

 ただの貶しとは感じなかったが、少なくとも激励はされていないのだろう。


 そして彼は、そっぽを向きながら言ったのだ。


「……しゃぁねぇから、しばらく面倒みてやらぁ。報酬は体で返せよっ」


 そこでようやく、心配されていることを知った。

 最後の一言こそ余計だったが、それも照れ隠しと思えば、可愛らしいもので。


 彼女は久しぶりに、笑ったのだった。



 それが彼らのプロローグ。

 たとえ最期エピローグが悲惨なものだったとしても。


 二人は救い、救われて。

 その出会いはきっと、意味が――。



     ◆



 ――夢が、覚めた。


(ラウス)


 岩の刃が落ちてくる。


(貴方と出会えて、)


 それはまるで、断頭台のように。


(よかっ――)


 ……。



 ……。




 ……。















今回出た邪龍は、ケツァルコアトルを参考にしました。この名前には「羽毛のある蛇」という意味があるらしいです。

元々はウロボロスを参考にする予定だったんですけど、ウロボロとかヨルムンガンドの姿がわかんなかったので、結局ケツァルに。

wiki情報ですが、ケツァルも己の尾を噛む描写がされているところがあるそうです。真偽なんぞ知らん。


地中から大量に出現した蛇は、シェーシャが元ネタです。地中で暮らす蛇の一族・ナーガで、1000の頭を持つんだそうです。

原初の竜・アナンタと同一視されてたりします。アナンタの名は「無限なるもの」を意味するそうです。


どっちもレヴィより断然強いです。

当然だね。レヴィは後期魔族だけど、上記の怪物は1000歳越えなんだもの。格が違う。

弱い使徒となら真っ向勝負できるレベルには強いです。


あ、再登場しますよ、こいつら。最終章辺り。

「無限」がキーワード。ミコトと絡ませないわけねえんだよなぁ。


牛頭人身の怪物はミノタウロス。これはまぁどうでもいいです。死にましたし。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ