幕間 Come To Nothing
Come To Nothing
水の泡になる・無に帰する
王都アルフォード。その下層北区に、石造の屋敷が建てられている。
二階建ての屋敷であった。
手入れされることなく放置された庭は、雑草が生い茂っている。
屋敷には、何度も修繕した痕、それでも補いきれない罅割れがある。
率直に言って、幽霊屋敷と言うのが相応しい。
そして、幽霊屋敷のセオリーに沿って、その屋敷には地下があった。
地下は舗装されておらず、まるで洞窟のようだ。
その地下を、三人の少女が歩いていた。
壁にはランプが取り付けられ、火が灯っていた。
揺らめく炎の明かりが、地下を照らし出す。
「んふ。くひ、くひゅふ……」
一人は薄青の髪を、床に付くくらい無造作に伸ばした、一〇代前半の少女である。
普段の彼女を知る者は、その機嫌のよさに驚愕することだろう。常に眠たそうで、退屈を隠さなかった彼女が、スキップしているのだから。
不気味で途切れ途切れの笑い声は、喋り慣れていないゆえのものだ。
《聖水》の使徒――アクィナ。
「たのし、み……だ。ね……?」
「うんうんうんうん、ボクもアクィアとおんなじ気持ちだよ!」
アクィアに返事したのは、純白の髪を持つ、一〇代半ばの少女であった。
青い瞳を機嫌よさそうに細め、首元のネックレスに取り付けられた、赤い結晶を手で弄んでいる。
《虚心》の使徒――シェルア・スピルス。
魔王教の創設者かつ幹部であり、実質、魔王教のすべてを取り纏めていると言っても過言ではない存在だ。
「さぁ、だからさ。早く歩いてくれないと困るんだけれどもねぇ、ユミル?」
「ひっ……」
赤い結晶を弄るのとは逆の手には、手綱が握られていた。
綱は、シェルアの後ろに続く少女の、首元に繋がれていた。
白い髪と青い瞳の、一〇代半ばの少女が、首輪を付けられて歩かされていた。
体中に真新しい傷と、泥が付いている。アクィアとシェルア比べ、あらゆるものが貧相に過ぎた。
少女は名前を、ユミル・スピルスと言った。
シェルアと似た容姿。当然だ、血が繋がっているのだから。
もっとも心は、まったくの別人なのだが。
「おねぇ、ちゃん……」
「だぁから、ボクはフィラムじゃないって言ってるでしょうに」
ユミルが呼ぶ名前に顔を顰めた。シェルアは手綱を操り、ユミルを床に転ばせようとして――、
「シェルア、だめだよ」
他人に興味を寄せないアクィナが、シェルアの暴虐を咎めるのは珍しいことだ。
その理由を考察し、すぐにシェルアは「ああ!」と手を叩いた。
「そうだ、そうだね、そうだった! ユミルには『彼』を持ってもらってるんだからっ!」
ユミルが両手で抱えるもの。それは、血に濡れた麻袋だった。
その中に入っているものを、この場の全員が知っていた。
「ごめっ、なさ……。ごめん、なさい……っ」
ユミルの頬を涙が伝い、麻袋に垂れる。
麻袋に付着した黒と赤を洗い流すには、あまりに少なすぎた。
――それでも、いずれ時がやってくる。
重厚ながらも錆び付いた、鉄の扉があった。
ぎぎぃ、と軋みを上げて、扉が開く。頭を下げて出迎えたのは、黒い修道服を着た女性だ。
「このバッサ、ただいま拘束具の設置を完了させました」
ずらりと、女の後ろで三人の『バッサ』が頭を下げた。それで役目を果たし終え、『バッサ』たちは体を薄れさせ、最後には消えた。
この場に残ったのは、最初に出迎えたバッサだけだ。
バッサが開けた扉に、彼らは入る。扉が閉まる音が室内に響いた。
狭く、圧迫感のある部屋だ。家具はなく、生活感は皆無であった。
壁には鎖が刺し込まれており、その先端には手枷足枷が取り付けられていた。
バッサの清掃と準備の成果か、部屋には誇りひとつない。長年使っていなかった拘束具にも、不備は見られない、
「うんうんうんうん、ありがとねバッサ」
「いえ。アクィナ様に悪い空気を吸わせるわけにはいきませんから」
感謝を示すシェルアに、あくまでアクィナ一人のためだと返すバッサ。
相変わらずの過保護な姿勢に、シェルアは思わず苦笑した。
当のアクィナは、ずっと麻袋に視線を向けて、バッサの言葉を聞いていなかったが。
「はや、く。おこ、そう……?」
「うんまぁ、確かにアクィナの言う通りだ。……というわけで、ユミル。手枷に『彼』を嵌めてくれないかな」
それは頼みではなく、命令。手綱を揺らされ、ユミルはもたつきながら拘束具に辿り着いた。
そして、麻袋から『彼』を取り出す。
一本の腕だった。
肘の辺りで焼け落とされ、ひどく焼け爛れている。
ユミルは震える手で、取り落としそうになりながらも、腕を拘束具に嵌めた。
死体の一部を拘束することなど、本来ならばまったくの無意味。
しかし、『彼』の場合には、意味があった。まぁ、念のために過ぎないのだが。
「――『もう生き返っていいよ。ただし、目は覚まさないでね』」
シェルアの言葉、その直後だった。
腕が脈動する。ぐちゅぐちゅと、気持ちの悪い音を立てて。
数秒後、そこには一人の少年がいた。
年若いながらも少年は、黒髪に若白髪を生やしていた。
《黒死》の使徒――クロミヤミコト。
最凶の存在は、呼吸を疑うくらい、死んだように眠っていた。
そんな彼の元に、ふらふらとアクィナが近付く。
首に腕を回し、しな垂れかかる。アクィナはそのまま、ミコトの急接近し、
「あむっ」
首筋に、歯を突き立てた。
肌が破れ、肉が軽く裂かれ、血が垂れる。アクィナはそれを、ペロリと舌で舐め取った。
「ぉぃ、しぃィッ!」
頬を紅潮させたアクィナには、幼いながらも妖艶であった。
舐める。渇きを潤すように求める。渇望する。
「さてさてさぁて」
シェルアが手を叩き、注目を集めた。
アクィナもミコトの首に吸い付きながら、横目でシェルアを見る。
「アクィナ、どうしたい?」
シェルアに集められていた注目が、今度はアクィナに向けられる。
アクィナは視線など意に介することなく、たっぷり数十秒考えて、
「わた、し。そ、の……。――ともだちに、なりたい」
ハッキリと。アクィナは告げた。
その『友達になりたい者』を、鎖に繋ぐことを許容して、血を飲みながら。
「そう?」とシェルアは首を傾げた。
確認ではなく、『そんなものでいいのか?』という疑問だ。
アクィナが訂正する様子はない。
ならばと、シェルアは告げる。
「ボクはねぇ、妹になろうかな」
くすくすくす、と笑いながら。
ハッと目を見開いたアクィナは、慌ててミコトの傷口から口を話し、もごもごと口ごもりながら、
「じゃ、じゃぁ。わたっ、たしも、いもと!」
「落ち着いてください、アクィナ様」
「わた、わたしもっ。いもうとに、なりゅ!」
「ああ、なんと可愛らしい、アクィナ様」
噛み噛みのアクィナを見て、バッサはその姿を薄くする。
この『バッサ』と感覚を同じくする本体が、興奮しすぎて演算を狂わせかけたのだ。
これにはシェルアも苦笑い。
「いやまぁ、可愛いっていう部分については、同意するには同意するけれども。だけれども、妹の座を譲るわけにはいかないなぁ」
「じゃっ、じゃあ、あね!」
「『年下の姉』って存在がおかしいことは、確定的に明らかでしょうが。いやまぁ、そういう趣味の人はいるんだろうけれども、お兄さんはどうなんだろうねぇ」
呟きながら、シェルアはミコトの額に手を当てた。
数秒後、シェルアはニッコリと微笑んで、
「お兄さんね。変な性癖はないようだけれども、年下好きみたい」
歓喜するアクィナだが、お付きのバッサは苦い顔だ。
奇怪な雰囲気の中、ミコトの額に手を当てていたシェルアが、唐突に目を見開いた。
「すごいすごい! へぇ、そうなんだ、へぇぇえ!? すっごぉぉい! ――お兄さん、異世界人だったんだ!!」
それは感動だった。
気が狂ったように、涙を流して、シェルアは打ち震えていた。
「すでに答えは出ていたっていうのにね! あはっ、ボクは今、感激しているっ! ――魔神説は、正しかったんだ!!」
それこそがシェルアの目的。
魔王復活なんて、本当はどうでもいい。というか、魔王復活それ自体を目指す者は、魔王教に一割もいない。
魔王を目覚めさせた、その先。
この世界、シェオルを滅ぼした、さらに先。
――それこそが、ボクの夢ッ!!
「しぇ、るあ。つ、づき?」
「いひ、いひひゃ……んぁあ、ごめんよアクィナ。つい取り乱しちゃった」
急速に心を冷却させたシェルアは、小さく嗤ってから、
「お兄さんねぇ、けっこう友達が少なかったみたい。けれども、幼馴染と親友がいたそうだよ」
「――――ッ!!」
「ふふっ。その反応、幼馴染兼親友がお望みだったりする?」
アクィナはこくこくと激しく頷いた。
と、そのときシェルアが、怯えるユミルを見やった。
え、と。
ユミルに、頭を庇う時間は与えられなかった。
シェルアの手が、ユミルの小さな頭を掴む。
「あ、ぐ……っ!」
「んぅ、そうだねぇ。ユミルは……うん。キミは従妹でいいや」
「ああああ、ああぁっぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁあああああ……っ!!」
ユミルの頭の中で、記憶が踊り狂った。
『名無しの森』での生活。
姉、フィラムとの思い出。祖母、バーバラとのオモイデ。
襲撃の過去。囚われた絶望。嗤う祖母は死に、姉が嗤うようになったこと。
それらの記憶が掌握され、
「――『斧正』、っと」
書き換えられる。
ユミルは白目を剥き、気絶する。体を庇うこともできず、床に倒れた。
それを尻目に、シェルアは再びミコトに向き直る。
そして、小さく唸る。
「うぅーん、そうだね。自我の弱い……《虚心》の末裔と違って、お兄さんは『斧正』できないんだよねぇ。精々、『忘却』が限界かなぁ」
言いながらシェルアは、白髪混じりの黒髪を、愛おしそうに撫でて、
「――それじゃあ、ゼロになっちゃお?」
……うん、まぁつまり、そういうことですよ。
『妹と幼馴染と見知らぬ美少女が修羅場なんだが』連載開始!
はい、次章はそんな感じです。ハチャメチャ恋愛ギャグコメディです。
新たなヒロイン、妹(偽)と幼馴染(偽)を加え、ミコトのヒロイン化、サーシャの主人公化と……。うっわ、ひっど。
……あ、この幕間ですけど、ミコトくん真っ裸です。
だぁから黒衣は必要なんですよぉ! タイムラグを埋めるため? そんなん後付け設定じゃ! 何度も再生してたら、衣服なんてすっかり剥げてるわ!
ついでに、女性数人に見守られる中、年下好きを暴露されました。
……はい。
今章は、色々書きたいことが書けました。まだまだ精進しなきゃなぁ、と思うところは多々ありますが、根を詰めすぎないと決めているので、まぁこんなもんでしょう。
ミコトをムスペに巻き込む展開は、ムスペを思い付いた頃からやりたかったことの一つです。最強の固定砲台! 不死身の肉盾! 相性抜群じゃね!?
ミコトVSグラン.2nd も、超書きたかった。セリアン……。もはや主人公が誰か、わからん展開でしたね。
一番書くのが楽しかったキャラ一位は、ミコトと僅差でメレクです。
いやぁ、クズ。最期は勘違いでの発狂死ですがね。ミコト(廃人)に愛なんかあるわきゃねえだろ。
あ、ミコトが廃人っていうの、色々と疑惑判定(李徴ツッコミ)がありますが、まぁ廃人です。
結果、使徒の資質を大幅に減らすことになりました。実はミコト(前編)のほうが、資質的には優れてるっていうね。覚醒してないだけで。
『再生』と『変異』が同時発現してるのも、そこらの理由が……おっとネタバレに近い。
では、ここまでお読み頂き、ありがとうございます。本編がアレだからか、後書きでテンション上がっちゃいます(#^^#)
しばらくは投稿できませんが、次回に風月の断章を入れて、五章は終いとなります。
五章の不憫キャラは、間違いなくラウスとヘレン……。ごめんて。